(4)聖夜、ホテルにて

 訪れたホテルは、想像していたよりもはるかに健全だった。

 一見して、普通のビジネスホテルの一室にしか見えない。

 いや、むしろお洒落で、スイートルームに通された錯覚すら感じる。

 少しだけホッとした。


 ベッドも豪華だ。

 こんなふかふかの羽毛布団なら、ぐっすり寝られるだろう。スプリングも凄い。


 ただまあ、天井には鏡が張ってあって、行為の一部始終を自ら目の当たりにすることになる訳だけど。

 それはちょっと、いや、ものすごく恥ずかしい。


 もう一つ特徴的なのは、必要以上に大型のテレビが設置されている点だ。

 恐らく電源を入れるとアダルトな映像が流れるのだろう。電源は入れないでおこう。


 えっと。とりあえず、何から始めようか。

 彼と顔を見合わせる。二人共、こういう場には慣れていない。緊張感が高まる。


「まずはルールを確認しよう。道具の使用は無し。素手での行為のみ認める。キスの回数は、無制限で良いか?」


 まるで格闘技のルール説明みたい。

 彼の言葉に、思わずクスっと笑う。


 緊張を少しでも和らげようとする配慮だということはわかっていた。


「いいよ。でもディープなのは遠慮したいかな。普通のキスなら、私もしたいし」

「ぬう。俺としては、色々試してみたいんだがな」


 一体何を試すつもりだったのか。あまり想像したくない。


「じゃあ。お風呂入れるね」


 清潔は大事。


 バスルームにも何故か壁掛けのテレビが付いていた。

 ここも電源は入れないでおこう。


 円形の湯舟は広く、これなら二人でも入れそうだ。

 二人で……そこまで考えて、ドキッとする。

 やっぱり二人で、入るんだよね? 家のお風呂は狭いから、一緒に入ったことは無かったんだけど。


 と、とりあえず、お湯を入れよう。


 入浴剤もある。シャンプー、ボディソープも完備されている。

 普通のホテル以上に行き届いている。

 浴室はピカピカに掃除されていて綺麗だし。

 想像していたような、薄汚れた感じは全く無い。

 少しだけ、見直した。これでえっちぃのさえ無ければ良いんだけどなあ。


 部屋に戻ると、テレビの電源が入っていた。


 ソファに座って、彼はモニターを見つめている。

 ぎょっとして、私も画面に視線を向けた。


「新作の映画が、もう入ってる。すげーな」


 画面に映し出されていたのは、成人指定の動画ではなかった。

 美しい田園風景の中、少年と少女の純愛ストーリーが描かれる。

 そこに性的な要素は全く無く、私は安堵した。


「かおりん、本当は恋愛映画が観たかったんだろ? 俺に合わせてくれて悪いな。好きなだけ観てくれて良いから」

「あ、ありがとう」


 あれ? 性欲モンスター、どこに行った?

 展望台で告白されてから、彼はいつもの優しい彼に戻っていた。

 将棋欲を満たさなくても大丈夫になったんだろうか?

 少し、戸惑う。


 先程ルールを説明した時も、彼は極めて理性的だった。

 こんな調子で、ちゃんとできるのかな?

 何か、お風呂入って、そのまま寝そうな気がする。

 せっかく勇気を出してここまで来たのに。何もせずに終わるなんて、嫌だ。


 彼の左隣に腰掛け、身体を彼に預ける。

 彼はそっと、腕を背中に回して来た。

 右手を、彼の太腿に添える。


「あなた。お風呂、入ろ?」

「ん……もうちょっと続きを観た──」

「お願い。一緒に入って」


 添えた右手で、太腿を撫でる。

 彼はくすぐったそうにしながらも、やめろとは言わなかった。


 背中に回された彼の手が、私の左肩を掴む。強い力だった。

 少しは、その気になってくれたかな?

 引き寄せられ、彼と密着する。


 私はワガママだ。

 昼間彼に求められた時には拒絶したクセに、今は彼に求めて欲しいと願っている。

 時と場所に、こだわりを持ち過ぎている。

 そんな私のワガママに、彼はよく付いて来てくれていると思う。

 私にはもったいない、優しい旦那様だ。


 太腿の内側へと、手を移動させていく。

 彼の呼吸が少しずつ荒くなっていく。


 私だけ満たされるんじゃ駄目。

 彼にも、満足して欲しい。

 ワガママな私の、さらなる願いだ。


「なあ。お湯」

「……え?」

「もう止めた方が良いかも」


 あ。言われてみれば確かに、水音が聞こえる。

 浴室に向かうと、湯舟から溢れていた。

 慌てて蛇口を捻り、お湯を止める。


 背後に、気配を感じた。


「っ!」


 声を上げる暇も無く、後ろから抱き着かれる。


「しゅーく……ん?」

「悪い。頑張ったけど、もう我慢できない。ムード作り、できなくてごめんな?」

「あ──!」


 彼の両手が、私の身体を包み込む。

 そんな。まだお風呂にも入ってないのに。

 心の準備ができていない。

 彼から求めてくれるのは嬉しいけど、こんな形はちょっと怖い。

 せめて、彼の顔が見たい。


「震えてるな。嫌だったら言ってくれ」


 耳元で囁かれる。ゾクゾクする。

 嫌じゃない。この感じは嫌じゃないけど、正気を失いそうで怖い。

 ダメ。理性を保てなく、なる。


 身体が反応するのは仕方ないと思った。生理現象だ。

 でも、理性を失うのはケダモノだ。人間らしさが無い。

 そんな状態で結ばれて良いのかという疑問がある。


「可愛いよ、香織」


 蠱惑のささやきに、身体が熱くなる。

 疑問はあったけど、すぐにどうでも良くなった。

 怖いけど、それ以上に気持ち良い。


 快楽には、誰も抗えない。

 だって気持ちが良いのだから、もっと気持ち良くなりたいに決まっている。

 私だけじゃないはずだ、きっと。そう思って、自分を正当化する。


 一しきり触られた後で、ようやく解放される。

 と思ったら、今度は服を脱がされ始めた。

 ギラギラとした視線に、全身を射抜かれる。


 私を裸にした後で、彼も服を脱ぎ始めた。

 その様子を、私はぼうっと眺める。

 頭がまともに働かない。現実感が無い。夢を見ているようだ。

 変なの。風呂場で裸なのは、当たり前のはずなのに。


 彼のたくましい体が露になる。

 普段なら眩し過ぎて直視できない肢体を、今は芸術作品のように愛でることができた。


 ぷつん。


 呆気なく、理性の糸が焼き切れた。


 視界が暗転し、世界が朱色に染まる。

 彼の全てが欲しいと私は願い。彼は、それに応えてくれた。

 嬉しくて、愉(たの)しかった。


 その後のことは、よく覚えていない。

 気付いた時には、私はベッドの中に居て。

 彼は隣で、すやすやと寝息を立てていた。


 天井を見上げる。

 もう一人の私が、鏡の向こう側から不思議そうに見つめていた。

 お腹を撫でる。夕食を摂っていないのに、何故か満たされている。


「結ばれた?」


 そうつぶやいた時、身体の奥にかすかな痛みを感じた。

 まるで夢の中のような出来事が、少しずつ現実味を帯びて来る。

 恥ずかしかったけど、かけがえの無い記憶が蘇る。

 そうだ。私は確かに、彼と結ばれたんだ。


「やった。やっと」


 やっと、一つになれた気がした。

 今なら、泣いても良いよね。


 聖なる夜に、願いは叶えられた。

 神様、サンタさん。ありがとう。


 それから。彼の髪を撫で、寝顔にキスをする。

 ありがとう、大好きなあなた。


 皆のおかげで、私は一歩を踏み出す勇気を持つことができた。

 ありがとう、皆。

 今夜のこと、一生忘れないよ。


 メリー・クリスマス。

 皆様に、幸あれ。



 聖夜編・完

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【連載四周年】にいづましょうぎ──将棋盤の中心で愛を叫ぶ── すだチ @sudachi1120

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