第7話 上陸
目の前に島が見えていた。船はどんどん島に近づいている。四十年ぶりに見る生まれ故郷を前にして帰郷を躊躇っていた石和には込み上げてくるものがあるようで、徐々に口数が減っていた。
こんなに長い間、一度も島に戻らなかったのは何故だったのか。観光客に交じって島を見学することへの違和感はここ数年の感情だが、それだけではない。『廃墟の島』がテレビのニュースで取り上げられる度にいつも悲しい気持ちになったことを考えると、あんな姿を見たくはないという思いが足を遠ざけてしまったとも思う。それは間違いないだろう。それから保存活動のことや世界文化遺産登録の活動も知っていたのに、傍観者であった負い目も手伝っていたかも知れない。船の上で石和は自問自答を繰り返していた。
脳の奥にしまい込んだ島の記憶を日々の生活の中で引き出すこともなくなり、長い年月の中でそれはどんどん失われていった。仕方がないことだと思っていたが、気持ちに変化が生まれたのは今旅をともにする仲間たちの存在と、折り返しを迎えた人生への回顧に他ならなかった。「思い出せ、忘れてはいけない」自分勝手な話だ。
そんな思いや言い訳をぶら下げた自分を島は受け入れてくれるのだろうか? 石和の上陸を拒んでいるかの如く、曇天の空からは今にも雨が零れ落ちてきそうだった。
「お久しぶりです。みなさんお元気そうでなによりです。今日、天気は今ひとつでしたが、波は穏やかだということで良かったです」
美和のどかが集合場所である長崎港の大波止桟橋で石和達を出迎えてくれた。昔も今もここが軍艦島へ通じる海の玄関口である。時間は午前十時、石和達一行は、結局、前泊でこの時を迎えたのだった。
「お久しぶりです。残念ながら原澤さんは仕事の都合がつかず来られませんでしたが、我々三人でやってきました。約束通り、石和さんもつれてきましたよ。勿論、取材の件も了解してくれています。今日は宜しくお願いします」
文木が代表して挨拶をした。
「石和さん、良く来てくださいました。取材と言っても簡単なものなので、あまり堅苦しく考えないでください」
「はい、宜しくお願いします。こんな機会を作ってくれたことに本当に感謝していますので、出来る限りのご協力はさせていただきます」
「こんにちは。美和さんおひとりですか? 会社の方や取材スタッフの方の姿が見えないけど・・・・・・」
自分も居ますよとばかりに、早良が会話に割り込んできた。
「スタッフは居ないです。私一人で取材、撮影を行います。経費削減なんです」
苦笑いしながら美和が言った。
「ですから、みなさん余り堅苦しく考えないで結構ですよ」
「ふう、それは助かった」
石和が息を吐いた。
「さあ、みなさん、今日は思う存分楽しんでくださいって、早良さんと石和さんは、言わなくても気分が上がっているみたいですけど・・・・・・」
二人の服装を見て、美和が笑った。
「これは、早良君が・・・・・・」
「ね、雰囲気にぴったりでしょ」
二人お揃いの服装は軍艦島に未来の姿を重ねあわせる早良が、石和に着させたものだった。
今朝、宿泊していたホテルで朝食をとっていた時のことである。
「石和さん、はいこれ、プレゼント」
「ん、何?」
「良いから、袋を開けてみて。今日は一日、これを着てもらいたいんだ」
石和が袋の中のものを取り出した。
「なんだ、これ?」
「はっはっは。早良君は、どうしても石和さんを自分の世界に連れて行きたいみたいだね」
文木が大笑いした。
早良からプレゼントされたのは、濃い青色をした迷彩柄のジャケットだった。胸と背中の首に近い部分には暗い赤色をした妙なマークも付いている。
「これを着て、上陸すれば、軍艦島が未来の荒廃した戦闘の場っていう僕の感覚も理解してもらえると思うんだ。きっと、気分も盛り上がると思うよ」
真顔で答える早良の目を見て、石和も断ることができなかった。
「仕方がないな、五十オヤジの恰好じゃないからちょっと恥ずかしいけど断れないね。部屋に戻ったら着替えてくるよ」
「やった」
早良の笑顔を見て、石和は思い切るしかなかった・・・・・・。
文木はそんな二人のやり取りや、旅の風景をカメラやビデオに収める作業に余念がない。軍艦島上陸の為に新しいカメラを購入していたが、本番は明日だというのに既に何枚の写真を撮ったことだろう。
二人の気分は最高に盛り上がっていたが、石和の口数は少し減ってきていた。四十年ぶりの帰郷に少しセンチメンタルになっているようだった。
「さぁ、そろそろ出発しましょうか」
美和から声が掛かった。
「近くに船を準備しています。観光船ではないから小さな船ですけど、私達だけの貸切りですからお気兼ねなく」
「すげぇ、さすがテレビ局」
一.高島の沖 巍峨として
動かぬ船の名を得たる
奇しき端島の島の上に
我が学び舎はそそり立つ
二.学びの窓ゆ 見はるかす
一望千里はてしなく
海を心の友として
学びの道を進むかな
三.至誠・博愛・健康の
三つの訓守りつつ
みな善良の民となり
世界のために尽くしなむ
島の前面にドンとそびえ立つ校舎を見て、石和の頭に四十年ぶりの校歌が蘇っていた。小学校の一、二年生をこの学校で過ごしたが、当時は校歌の意味もよく分からず歌っていた。歌詞にある『巍峨』が、そびえ立つ建物を指す言葉だなんて大人になって知ったくらいだ。勿論、転向した小学校や中学校、高校にも校歌はあったが、何故か軍艦島の端島小学校の校歌が一番頭に残っているから不思議なものだ。
「さぁ、上陸しますよ」
「いよいよだな」
「うん、いよいよだね。ね、石和さん」
「えっ? あ、うん。いよいよだ」
「うぉ~、ついにやったぞぉ~」
最初に島へ降り立った早良の雄叫びを合図に、全員が次々と島に足を踏み入れた。時間は十一時になろうとしていた。軍艦島の玄関であるドルフィン桟橋ではなく、学校のグランド側にある小さな船着き場からの上陸だった。当時も利用されていた小さな船着き場で波が高いと接岸も困難な場所であったが、問題なく利用することができたのは幸いだった。こちら側は観光コースから離れているので人目を気にすることもない。
「やっぱり、凄いな」
「最高っすね」
辺り一面をぐるぐると眺め回し、文木と早良の感情は最高潮に達していた。対照的に石和は今にも泣きそうな顔をしていたが、唇を噛んで感情を押し殺していた。
「さて、まずは学校に行きましょうか」
美和が三人を誘った。
「私はそこで石和さんに簡単な取材をします。そこまではお二人もご一緒しましょう。その後は、どこを見学しても構いません。但し、危険な場所が沢山ありますから、必ず二人で行動してください。十分気を付けて、必ずこのヘルメットは被っておいてください。それから腕章も腕に付けてください。観光客とは違うことを見た目で分かってもらう必要がありますので。約束ですよ」
三人とも、言われるがまま美和が差し出したヘルメットをかぶり、腕章を付けた。勿論、美和自身もそうしている。
「さぁ、行きますよ」
「ラジャー!」
「早良君ってば・・・・・・困ったもんだな」
なにがどうなればこんな状況になるのか、コンクリート片がゴロゴロと転がり背の低い雑草が点在する荒れ果てた運動場を突っ切り、辛うじてそれと分かる校舎の入り口に立った。先頭を歩いていた美和が振り返り、一度みんなの目を見て軽く頷いた。「入りますね」という無言の合図だった。息を飲み、みんなが頷き返したのを見て、美和が前を向き歩を進めた。ヘルメットを少し目深にかぶり直した早良がそれに続き、文木、石和の順番に校舎に足を踏み入れた。
ザクッ、ガリッ、バリッ、廊下を歩く一歩一歩に音が絡みつく。早良と文木は右を見たり左を見たり、首が激しく動いているが、ちゃんと情景が脳に記憶されているか定かでない。その証拠に口がポカンと開いたままだ。文木の手元で動いているビデオ映像を後で見るしかないのだろうが、それも何処を撮っているのか最早分からない状況になっている。
入り口にある下駄箱を通り抜け左に曲がって奥に進む、壁が崩れ落ち柱だけがむき出しになっている状態では、どこからどこまでが一つの部屋なのか判別するのも難しいが、この廊下の左奥に低学年の教室があった。
「一番奥の教室だった・・・・・・」
思い出したように石和が呟いた。
「そう、一番奥があなたの教室です」
「えっ」
「ちょっと調べさせて頂きました」
美和がニコリと笑って振り返った。
「そこまで行きましょう。そして、そこでお話をしましょう」
「わかりました。そうしましょう」
足場の悪い廊下を更に奥に進み、四人は一番奥の部屋に辿り着いた。
「ここ、石和さんが通った教室?」
「はい」
傷みが激しく、机や椅子の残骸が無ければとても教室とは言えない部屋ではあったが、そこは紛れもなく石和が友と学んだ教室だ。曇天で弱々しい光しか差し込まない部屋は薄暗く、もの悲しさに溢れ、石和の心を深く暗闇の中に引き摺り込むようだった。
「凄い有り様だね。ノスタルジー云々の前に、胸が締め付けられるような思いだよ」
教室内を歩き回っていた文木が絞り出すように声を出し、続けて石和に声を掛けた。
「石和さん、大丈夫かい?」
複雑であろう石和の気持ちを推し量るように掛けられた言葉に、同調した早良も石和に視線を送っている。
「ええ、大丈夫。 ご心配なく」
そう言葉を返した時だった、ガラスの無い窓から微かに差し込んでいた光がかき消され、目の前が一瞬真っ暗になった。
「なんだ? どうした?」
不安に駆られて、石和が周りを見渡したが誰も居ない。それどころか、今いたはずの教室から場所が屋外に移動している。
「美和さん? 文木さん? おい、早良君?」
問い掛けてはみたが返事が無い。
「どうなっちゃったんだ? おい、みんな・・・・・・」
石和に猛烈な不安が襲ってきた。
「まいったな。ここはどこだ? みんなどこにいったんだ」
一人たたずんでいると、思いもよらないことが身に襲ってきた・・・・・・。
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