第11話 糸口
JR新橋駅からやや離れた場所の路地裏にある、いつもの小さな居酒屋である。
軍艦島に上陸したあの日からおよそ二週間が経っていた。久し振りに顔を合わせた四人は、指定席といってもよい小上がり奥の座卓を囲み、文木が撮影した大量の写真を酒の肴に盛り上がっていた。二月の初旬、寒さが身に染みる冬の真っただ中とあり、好きなビールもさすがに乾杯まで、テーブルの上には日本酒の熱燗や焼酎のお湯割りが並んでいる。
「しかしまぁ、沢山撮りましたね」
当日は上陸を果たせなかった原澤が、少し呆れたようにタブレットのディスプレーに表示される写真を次々と指で払いながら眺めていると、『あっ、それはね』とか『おっ、その時はね』と文木と早良が手を止めさせては、熱弁を振るうということを繰り返している。同じ趣味を持ち合わせてなければ、ちょっと耐え難い状況かも知れない・・・・・・。
「ちくしょう、やっぱり無理してでも一緒に行けば良かったな」
飲み会が始まってまだ一時間しか経っていないのに、もう五回目の嘆き節である。
「石和は写真を撮らなかったのか?」
落ち着きを取り戻そうと、大人しく話を聞いている石和に原澤が声を掛けた。
「撮りましたけど、ほんの数十枚です。上陸する前に船から島を撮った写真と、上陸して校舎を撮った写真と・・・・・・校舎に入った後からは、気持ちにも全然余裕がなくて・・・・・・」
「そうか、それは残念だったな」
「まあ、目にはしっかり焼き付けてきましたから大丈夫です」
「ところで、上陸してからと、それから次の日も余り元気がなかったって二人から聞いたけど、何かあったのか?」
気になっていたのだろう、原澤の問いかけを耳にして、はしゃいでいた文木と早良もお喋りを止めて石和の方を見た。
何かあったことはあったけど、島で経験したことを二人には話してはいなかった。言っても信じてもらえそうもないと思ったからだ。
「いえ、変にセンチメンタルになっちゃって・・・・・・ほんと何でもないです。心配かけてすみません。写真、見せて下さい」
「だったらいいんだけどさ」
「写真見てよ、傑作揃いだよ」
文木が雰囲気を変えようと、机の上のお皿をさっとずらして、石和の目の前にタブレットを差し出した。美しく、神秘的な映像が映し出されている。天気はあまり良くなかったのに、写真の腕前はやはり確かなもので、さすがに年季が入っていると石和は改めて感心した。気持ちを切り替えて写真を楽しんでいると、待っていましたとばかりに文木の講釈が始まった。
「ほらこれ、三十号棟の内部の写真だよ。軍艦島で外観の写真は見せたよね。外観同様に痛みは激しいけど、なんていうのかな趣があるよね。見てわかります?」
「いえ、三十号棟は部屋の中までは知らないんです。でもロの字の回廊型で内部に吹き抜けがありました。そうだ、ここで飼われていたペットの犬に追いかけられたことを思い出しましたよ。私は逃げおおせたけど、友達はお尻を噛まれたとか言ってたな」
「おっ、いいね。今度その話を聞かせてもらうかな。とりあえず、今は写真を見ようか。これは隣の三十一号棟の六階、石和さんが住んでいたかも知れない部屋の写真ね」
「これは懐かしい。玄関の左手に靴箱、右手にあるのが堀の深いコンクリート製の洗い場ですね。もしかしたら昔は洗濯に使っていたのかも知れませんが、私がいた時は洗濯機がありましたから。そうそう、海底水道で対岸の野母半島から水を取水していましたけど、断水はよくありました。その時は水をいっぱい貯めておくために、この洗い場を使っていましたよ」
「見ればどんどん思い出すな。また色々話を聞けるのが楽しみになってきたよ」
原澤が文木と早良の思いを代弁した。
暫く写真を眺めていて、石和はふと気が付いた。こんなに大量の写真があるのに、しっかりと美和が写った写真がない。
「美和さんがちゃんと写っている写真はないんですね。遠目だったり、後ろ姿だったり・・・・・・」
「そうなんだよ」
文木も気にはなっていたようで、不思議そうに頷いて見せた。
「記念の集合写真を撮らなかったのもうかつだったけど、こんなに大量の写真にちゃんと確認できる写真が一枚もないっていうのも変なんだよな」
「はしゃぎ過ぎだったからね。文木さんのミスだ」
いつものように早良が軽口をたたいた。
「そういう早良君だって、一枚もないんだろ?」
「僕は、純粋に軍艦島を撮影していただけだから」
「どうだかね・・・・・・」
「それにしても、一枚もないなんてね。お礼方々メールは送信したけど、写真を添付することはできなかったし、そのメールの返信もありゃしないし・・・・・・」
「返信ないの?」
「そうなんだよ。まぁ、前から連絡は一方通行ではあったけど、あれだけ仲良くなったんだから、もうちょっとね・・・・・・つれないもんだよ」
「失恋だね」
早良が、文木の顔をニタニタと見つめてまた軽口をたたいた。
「またそんなことを・・・・・・でも、まぁ彼女とはもう会うことはないんだろうなとは思うよ。出会いからしてそうだけどね、不思議な人だよ」
(返事なんてあるわけがない)
石和はそう心の中で呟きながら、二人の会話を聞いていた。
「しかしまあ、これだけの大量の写真をどうするのかってことだよな」
何かの前ふりなのだろう、誰も何も言っていないのに文木が疑問形で話を始めた。
「実はさ・・・・・・」
一呼吸を置いて、疑問を投げかけた本人が回答を口にし始めた。世の中にはこんな話し方をする人がいるが、文木のそれは見え見えで可愛らしい。
「実はさ、これだけの写真を仲間内で楽しんでいても勿体ないと思ってね、私のブログで公開しようと思っているんだ」
「それって、最初からそのつもりだったんじゃないんですか?」
原澤が口を挟んだ。
「そう、そうなんだけどさ。こんな貴重な写真だからね、ちょっと趣向を凝らして公開しようと考えているんだ・・・・・・な、早良君」
「はい」
早良がニコニコと応えた。
「そもそも軍艦島をどう見るか、過去に思いを馳せる私と未来を見る早良君、二人の見方は百八十度違うけど他の人たちはどうなんだろう。どちらに興味を持ってもらえるか、反応を見たいと思ってね」
「決戦。決着を着けようってことです!」
「いやいや、早良君の鼻息は荒いけど、決戦とまではね・・・・・・でも、軍艦島に興味を持っている大勢の人達夫々のイメージをインターネットを介して確認するのも面白いと思ってね。過去と未来を十分に堪能できる構成とコメントで写真をアップロードしようと思っているんだ」
「へぇ~面白そうだ。なぁ、石和」
原澤が石和に目をやった。
原澤の問い掛けに応えることもなく、石和はうつむき加減で押し黙っていた。
「ん、どうした?」
「石和さん?」
文木と早良も石和の顔を覗き込んだが、やはり反応はなく、何かぶつぶつと独り言をつぶやいている。
「やっぱり、何かおかしいね」
「ああ」
「感動しすぎて頭がおかしくなっちゃったとか・・・・・・」
「まさか」
(過去や未来のイメージの提供・・・・・・沢山の人達夫々の・・・・・・インターネット・・・・・・そして変わりゆく時代への対応・・・・・・)
あの日以来、ずっと思い悩んでいた宿題に対して垣間見えた解決の糸口。石和は今それを頭の中で必死に手繰り寄せていた。
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