第14話 エピローグ

「やあ、来ていたの」

 JR新橋駅近くのいつもの居酒屋に到着した石和が座敷の傍まで足を運んだところで、こちらに笑顔を向けて座っている門野に声を掛けた。門野の隣には早良が、早良の前には文木がテーブルを囲んで座っている。

「石和さん、お久しぶりです」

 門野が返事を返した。

「一年ぶりかな?」

「そうですね。この一年間も集会には何度か参加させていただいていましたが、石和さんとはお会いする機会がなかったので、かなり間が空いちゃいました」

「申し訳ない。なにせ今回のオープニングイベントの対応がなかなかハードなものだったので、集会に顔を出したくても出せなかったんだよ。いや~さすがにちょっと疲れたなあ」


 二週間前に軍艦島で行われた大イベントの企画が正式採用となってから凡そ一年半の間、石和と原澤は正に死にもの狂いの対応だった。技術的問題をクリアしながら、並行して動く幾つものプロジェクトを神業の如く連携させて作業を進め、少しの遅れや後戻りも許されない緊張の中で、石和はプロジェクトの技術部門を統制するプロジェクトリーダーとして、原澤はプロジェクト全体を統括するプロジェクトマネージャとして、どっぷりと身を置いていたのだ。


 プロジェクトが始まったころは、まだ息抜きのために集会に顔をだしていて、門野ともその時に数回顔を合わせていたのだが、ここ一年は殆ど参加することができていなかった。

 文木や早良と顔を会せるのも会議室で行われるイベント関連の打ち合わせが多くなり、終了後にちょっと一杯なんていうことも数えるほどしかなかった。勿論、文木からは「今日はどう?」と毎回お誘いの言葉をもらったのだが、後半になるにつれてとてもそれに応える余裕はなくなっていた。

「システム屋さんって大変ですね」

「俺には無理な仕事だ」

 褒めてもらっているのか、呆れられているのか分からない言葉をもらっても、石和は「システムエンジニアの仕事ってそんなもの」と割り切って仕事にあたっていた。


「いつまでも突っ立ってないで座りなよ。ほら、早く、早く」

 文木が笑顔で誘ったので石和は急いで靴を脱ぎ、座敷に上がって文木の横に腰を落とした。

「まだ約束の時間にはなっていないけど、飲まずに待っていたんですか?」

 テーブルの上に、まだ何も置かれていない様子を見て石和が言った。店に入ったらメンバーが揃うまで待つなんてことはせず、お構いなしにお酒を頼むやり方が集会での慣例だったからだ。

「今日はいつもと違って、イベントの成功を祝う特別な会だからね。全員が集合してからと思ってさ」

「原澤さんももうじき来ますよ。会社を出る前に『ギリギリになりそうだから、先に行ってくれ』って連絡が来ましたから」

「原澤さんは相変わらずだな~。まあいいや、遅くならないのなら、ちゃんと原澤さんを待ってからスタートにしよう」


「石和さん、イベントの成功おめでとうございます」

 ここまで黙っていた早良が声を出した。

「ありがとう。いろいろご苦労いただいたね」

「ご苦労だなんて、とても楽しくやらせてもらいました。こちらこそ、ありがとうございました」

 仮想世界での未来体験に対して、早良は打ち合わせの段階から終始ノリノリだったとスタッフから聞いていた。自分が思い描いた世界が美しい映像となり、好きなアイドルと夢物語の中で共演までできたのだから、いい思い出になったのは間違いないだろう。

「ところで早良君、交際は順調のようだね」

 つい話を振ってしまった石和だったが、隣同士に座って肩を寄せ合う早良と門野の様子が微笑ましく、見て見ぬふりもできなかった。オジサンの余計な詮索かなとも思いもしたのだが。

「おっ、石和さん、ナイスな突っ込みだね~」

 こっちはオジサン丸出しだ。

「はい。おかげさまで」

 早良と門野が目を合わせてお互いに笑った。良いカップルだ。



 軍艦島上陸を前に、門野を誘うか否かで悩んでいた早良だったが、意を決し、自らLINEのメッセージを送ったのだった。


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 早良「お久しぶりです。実は来年一月十五日に、文木さん達と軍艦島に行くことになったのですが、都合が良ければ一緒にいきませんか? 平日なので休暇を取る必要があるのですが」 20:22


 門野「え~凄い、良いですね~。でも、その頃は映画化されたアニメが公開されたばかりで、私達声優達も全国の映画館でフアンへの挨拶イベントがあって、あちこち飛び回っている時期だから、ご一緒するのはちょっと難しいかも・・・・・・です」 20:43


 早良「そうですか、残念です。なかなかない機会だったので声をかけさせてもらったのですが・・・・・・」 20:49


 門野「せっかく声をかけていただいたのに、本当にごめんなさい。でも、連絡いただいてとても嬉しいです。忘れられたかと思っていました」 20:53


 早良「まさか、忘れたりしませんよ。集会にもまた参加してください。みんな待っています」 20:58


 門野「ありがとうございます。是非、また参加させていただきます」 21:02


 早良「仕事、忙しいですか? 今度、会えたりしますか? 集会とは別に」 21:18


 門野「仕事、大丈夫です。私も会ってお話がしたいです」 21:21


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「草食系男子がさ、頑張ったんだよ。和美ちゃんの広い心にも感謝だ」

 文木がニンマリと笑い、早良は苦笑いして鼻の頭を掻いた。既に門野のことを下の名前で呼んでいるところが文木らしい。

 二人の事を気にしていたのだから文木にとってこの結果は喜ばしいことであったが、ひと安心を通り過ぎると、次は揶揄いの対象となっている。いかにもオジサン的な対応ではあるが、それだけ二人の交際が順調ということの表れでもあった。


「最近は二人で廃墟巡りをしているって聞いたけど?」

 石和が早良に助け舟を出した。

「はい。以前、みなさんに話をしたウエスタン村には結局二人で行きましたし、他には埼玉県飯能市の白岩集落とか、神奈川県横須賀市の東京湾に浮かぶ猿島とか」

「あっ、それ知っている。猿島って『天空の城ラピュタ』を連想させるとして、今人気の奴だ」

 猿島はアニメ好きの石和も狙っている廃墟スポットだった。

「そう、それです。僕、ビルや家屋というよりも、町や村全体、施設一式が廃墟となっている方が好みなので行くのも見て回るのもちょっと大変なんですけど、二人なので楽しいですよ」

「おっ、言ったな~この野郎」

 文木が早良のお惚気を見逃してくれるはずがなく、すかさず口激を開始した時にお店の扉がガラガラと開いた。


「ぎりぎりセーフ!」

 遅刻常習犯の原澤が、約束の時間ギリギリに店に到着した。

「おっ、門野さん、久しぶり」

「石和さんも、原澤さんも、最初の挨拶は和美ちゃんなんだな。たいした人気者だ」

 文木の言葉で、原澤と石和が目を合わせた。

(お前も?)

(はい。そうでした)

 二人が思わず噴き出した姿を見て、文木も早良も門野も一斉に笑い声をあげた。


「よし、では正式に慰労会をはじめよう」


 原澤が着席したところで、文木が音頭を取った。

「大将~、ビールを大ジョッキで五人分。大至急!」

 十一月最後の金曜日、寒風吹きすさぶ中やって来た面々だが、最初はビールがお約束だ。

「私は大ジョッキじゃなくても・・・・・・」

 門野がとても飲みきれないと遠慮がちに話した。

「ダメダメ。大イベントの大成功をお祝いするんだから、ジョッキも大で!」

 文木が許してくれない。そして続けて言った。

「余ったら、早良君が飲んでくれるから大丈夫だよ」

 またニヤリと笑った。


「へい、お待ち」

 そう言って、大将自らが大ジョッキ五個を抱えて座敷にやって来た。

「それから、これね」

 大将がそういって後ろに目をやると、二人の店員が前に進み出て、手に持っていた魚の煮つけや鳥のから揚げなど数品をテーブルの上に置いてくれた。

「なに? まだ何も頼んでいないよ」

 文木が目を丸くして大将を見た。

「俺からの差し入れだよ。サービスだ」

 今度は全員が目を丸くして大将に顔を向けた。


「いつもひいきにしてくれているけど、なんだか不思議な話ばかりしている変わった趣味の人達の集まりだと思っていたんだ。でも、今回大きな仕事をしたじゃないか。最初は貴方たちが関わっているとは知らなかったけど、テレビを見ていてわかったよ。いや~映像を見て感動したよ。俺もすっかり軍艦島のフアンだ」

 大将の言葉に一同唖然とした。反響が大きかったことはイベントが終わった後のニュースで色々耳にしていたので分かってはいたが、まさかここまでとは思わなかった。しかも早速こんな恩恵にあずかるなんて想像すらしていなかった。

「大将~、ありがと~」

「ひゅ~、最高!」

 銘々が感謝の声を大将に浴びせると、他のお客さんが何事かとこちらを見た。


「これからも宜しく。『冴えない店』だけどさ」

(げっ、やっぱり聞こえていたんだ)

(ですね)

 門野を除く四人が顔を見合わせる。

「ふっ、わっはっは」

 店内に大きな笑い声が起きて、また他のお客さんがびっくりしてこちらを見た。それを気にすることもなく、大将も笑いながら背を向けて厨房の方に戻っていこうとした。


「ちょ、ちょっと待って大将」

 文木の呼び止める声を聞いて、大将が足を止めて振り返った。

「テレビ見たんでしょ? どっちが良かった? 過去と未来」

「今、それ聞いちゃう? しかも僕、分が悪そうなんですけど・・・・・・」

 早良が驚いて声を出した。


「そうだな~。そっちの兄ちゃんには悪いけど、俺は文木さんの方、過去の方がよかったかな。映像を見て久しく帰っていない生まれ故郷に帰ってみたくなったよ。別に廃墟になっている訳じゃないけどさ、あそこにはガキの頃の思い出が沢山あるから。これさ、うちの母ちゃんも同じように感じていたみたいだったよ。ちょっと涙流していたもんな、いつもはおっかないのに」

 早良がうな垂れた、しかも名前も覚えてもらっていない・・・・・・。

「さすが大将、それから奥さん、良く分かっていらっしゃる」

 “どうだ”とばかりに文木が声を張り上げた。大将の年齢的に考えてもフェアな戦いではないのだろうけど、まあ、いつもの悪ふざけってやつだ。

「でもさ」

「でも?」

「子供や孫たちは、別のテレビやスマホで、みんな兄ちゃんの未来映像の方を見ていたよ。何だかさ、ゲームの世界みたいだって、みんなして盛り上がっていたよ」

 うな垂れていた早良の頭がむくっと起き上がり、ニンマリとほほ笑んだ顔が見えた。

「あいた~。早良君、こりゃ引き分けだな」

「え~それはない。文木さん、今の話聞いていました? 人数的に僕の視聴者の方が多いし、子供と孫の二世代ですよ。これは僕の勝ちでしょ」

 文木と早良のにやけ顔の視線の間で、弱~い火花が散っている。


「まあまあ、今日はその位にしておきましょう」

 仲裁役を買って出た原澤が間に入って、二人の漫才のような揉め事がひと段落した。

「大将、すみませんね。今、引き分けにしましたので」

「な~に、あんた達二人はいつもこんな調子なのは知っているからさ。随分と歳も離れているのに仲のいいこった」

 大将が再び背を向けて、厨房の方に歩いていった。

 ビールを飲みながらの歓談が始まっていた。

「ブログの反応もすごいことになっているそうじゃないですか」

 石和が文木に話しかける。

 元々、文木のブログは人気があって、閲覧者も多いことからインフルエンサーとして今回のイベントに参加してもらったのだが、イベント後にはブログのアクセス回数が爆発的に増えている。

「広告収入も凄いことになるんじゃないですか?」

 原澤が興味津々で文木に尋ねたが、早良が会話に割って入ってきた。

「そう。だから今日は文木さんの奢りだよ」

 親指と人差し指で輪っかを作り、ニンマリと笑っている。

「おいおい、何を勝手なことを。入金なんてまだ先だし、収入は嫁さんへの誕生日プレゼントに消えてしまうよ」

「ものすごくお釣りが来るんじゃないかと思いますけど」

 アクセス数の爆発と聞いて、石和が感覚を伝えた。

「俺、その辺り疎いから幾ら入って来るのか理解していないんだけど、誕生日プレゼントは軍艦島旅行と新しいカメラと引き換えの約束だからね。一年前のプレゼントも頑張ったけど、今回もっと喜んでもらうことができるのであれば嬉しい限りだよ。まあ、懐も助かるしね」

「僕もブログ作成に貢献しているんだから、分け前をください」

「わかった、わかった」

 早良の冗談とも本気ともつかない突っ込みを受けて、さすがの文木もたじたじだ。

「いえ、今日の支払いは私達の方で持ちますよ。実は会社から今回のイベントへの協力に対する慰労金を出してもらいましたので」

「やりぃ~」

「みなさんには本当にご苦労いただきましたから。門野さんも、色々と早良君をサポートしてくれたみたいだし、今日はみんな心置きなく飲んでください」

 場のボルテージが一層上がったようだった。



「しかし、二人ともキョロキョロして画像が揺れまくっていたよね」

 AIが創造した仮想世界での文木と早良の振る舞いを、原澤が茶化した。

「あれね、キョロキョロするなって言う方に無理がある。どんなに自分を諫めても無理なものは無理」

「そうそう、あの臨場感は凄かったです」

「ありがとうございます。そう言ってもらえれば苦労も報われます」

 ニコニコ顔の石和が話を続けた。


「プロジェクションマッピングやAIによる物語創造、VR技術によるリアルな映像表示、センサーによる脈拍や発汗、目の動きの数値化などは、今回のイベントに協力してくれた企業がそれぞれで研究していた技術なんです。今回それを寄せ集めてシステムを構築したのですが、あれほど上手く行くとは正直思いませんでした。何か、見えない力にずっと引っ張られているような不思議な感覚もありました」


「特にAIによる物語創造だよな。一万人の物語を創造する段階でAIがデータの集計と比較を繰り返して、どうなれば人間が楽しいと思うのか、美しいと思うのか、感動するのかということを学習したんじゃないかって技術メンバーが言っていたよ。そうじゃなきゃ、あんな見事な結果にはならなかっただろうと」

 原澤がAIの凄さを説明したが、石和が逆説的に言葉を続ける。

「逆に言えば、人間が何を嫌がり、どんなことを恐ろしいと感じるのかも学習したかも知れませんね」


「そうなんだよな。 なんだかちょっと恐ろしくなってきたよ」

「それが未来の姿ですからね。Society5.0すなわち未来の超スマート社会ではAIはその中核をなす訳で、学習を重ねると少なくとも今回と同じ、いやそれ以上の結果を導き出す可能性は高いと思います。受け入れて付き合っていくしかないですね」

 システム屋二人の話を、他の三人は神妙な面持ちで聞いていたが、石和がふと我に返り、三人を置いてきぼりにしていることに気が付いた。


「すみません。仕事絡みの話で、ついつい熱中してしまいました。ところで、早良君の物語は、執筆している小説の一部なんだってね」


「はい。そうなんですけど、なかなか上手く纏まらなくて。もうひとひねりしないと面白みにかけるというか・・・・・・そもそも、ドローンと人間が戦うきっかけもまだ内容が固まっていなくて。それに、映像が無い分、情景や感情なんかを文章で表現するのも難しいですし、小説家って凄いなぁ~って実感しています」


 物語の創造は難しい。早良はちょっと弱音を吐いたが、短編とはいえ、今回それをやってのけたAIの能力はやはり凄いし、将来的には長編物語を創造することもできるようになるのだと思われる。

「エネルギーに絡んでの感情の縺れによる争いっていうのはどう?」

 石和がヒントとなるキーワードを早良に伝えて話を続けた。

「ほらエネルギーって、活動する上では人間にもドローンにもどっちにも必要じゃない。軍艦島は石炭だけど、未来だから何か違うやつかな。協力して採掘している時は良かったけど、思わぬ衝突が発生して・・・・・・とか」


「あれ? それって頭の中の構想に入っているやつだ。石和さんに話しましたっけ?」

「いや、聞いてはいないけど(もう見てきたんだ)」

 石和は、凡そ二年前の軍艦島上陸時に体験した不思議な経験を思い出していた。

「大丈夫、自信を持って。絶対に面白い話が書けるよ。私には分かる」

「ありがとうございます。頑張ります」


「ところで、文木さんの方はノスタルジーな情景が最高だったよね。感動しましたよ」

 原澤が話を切り替えた。

「廃墟をリスペクトしている内容も最高でした。私も感動しました」


 門野は物語制作の段階では早良をサポートしていたが、当日は一視聴者としてテレビの二画面を確認していた。

「どっちの方が良かった?」

 文木がまたニヤニヤしながら二人を揶揄いにかかった。


「そうだ、文木さん泣いているんじゃないかって、センサーデータを見ていたうちのスタッフが言っていましたよ」

 石和がまた助け舟をだした。本当にデータで判断できたのかは定かではないが、救われた門野はほっとした表情を浮かべ、早良はしたり顔になっていた。

「いやいや、それはないよ・・・・・・とは言い切れないか・・・・・・」

 文木の回答ははっきりしない。

「いいじゃないですか。『人間は感動しても泣く』このことをAIが正しく理解したとすると、これは今後AIと付き合っていく上で大切なことになると思いますよ」

 エンジニアの性分。またちょっとAIの技術的な話に戻してしまった。


「AIがそれだけの可能性を示してくれたなら新ビジネスの方も上手く行きそうですね」

 門野の言葉だ。通常、新ビジネスは企画の段階で外部に漏らすことは無いが、ベースとなる軍艦島でのイベントの協力者でもある三人には概要を説明していたので、少し心配してくれていたようだ。


 石和達が進める新ビジネスとは正に『夢を売るサービス』ということになる、イベントで利用したAIによる物語創造技術とVRによる映像技術を抜き出したものだ。但し、仮想空間は軍艦島に留まらず、世界中いや宇宙にだって行けることを狙っている。

「今回のイベントの次のステップだね。でも、わが社にとっては実はこれからが本番。例の機能を今、更に改良していてね、二人同時に同じ仮想空間の物語に入り込む技術にチャレンジしているんだ。仮想世界ではお互いが相手のアバター(分身)を見ることもできるから、例えばカップルで物語を楽しむことも可能になるんだよ。早良君と門野さんの二人で未知の廃墟でデートをするなんてことも可能だし、そうだ、今回のイベントで軍艦島は沢山の映像やデータが保存されているから、いつでも軍艦島でお望みの夢を楽しむことが可能となるはずだよ」

「へ~それは楽しみだ」

「素敵ですね。軍艦島もいいけど、宇宙服を身に着けないで宇宙空間を旅するなんていうのも素敵かも」

 若いカップルが想像の世界に夢を馳せる。


「場所を『宇宙の果て』って設定したら、どんな世界を見せてくれるのかな?」

 文木が面倒な疑問を投げかけ、早良と門野を現実の世界に引き戻し、石和と原澤を唸らせてしまった。

「確かにね。石和、これはちょっと面白い疑問だな」

「そうですね・・・・・・多分システム側から、『設定の意味が分からない』というエラーメッセ―ジが返ってくると思うのですが、そうならなかった時にAIがどんな映像を人間に見せようとするのかは興味がありますね」

「そうだな。『ブラックホール』という設定だったら、インターネットに転がっている様々な情報をベースに映像を作り上げるかも知れないけど、『四次元世界』という設定だったら、どうするのか・・・・・・とか、まだまだ沢山のテストを重ねて、課題をひとつひとつ潰していくしかないな」

「なんだか大変そうですけど頑張ってくださいね。私、応援していますから」

 どうしても宇宙旅行をしてみたい門野が二人を励ました。


「ありがとう。まあ、技術的なことは石和に頑張ってもらうとして、私の方はお金の方を詰めているところなんだ。ビジネスだから利益を出すことが重要だからね。イニシャルコストやランニングコストなど今回のイベントの結果も踏まえて一度作成していた事業計画の見直しをしなくちゃならない」

「イベントの後ね、俺のブログに寄せられるメッセージを見ても、関心が高かったことが伺えるから、きっと成功するよ」

「うん、僕の周りでも、自分も仮想世界の物語を体験したいという人が多いから、絶対に大丈夫! でも、あまり高額だと体験できないけど」

「若い人たちにこそ体験してもらいたいと思っているから、価格はグッと抑えるつもりだけどね。需要の予測値を元にサービスの価格を決めないといけないから、またそのあたり協力して貰えるとありがたい」

「勿論だよ、ブログに寄せられた声をデータにして渡すよ。なんなら、改めて閲覧者に問い掛けてもいいよ。」

「ありがとう、是非お願いするよ」



「ところで、あの後、軍艦島はどうなっているのですか?」

 門野が石和に尋ねった。

「うん。グランドに設置していた会場設備はきれいさっぱり撤去されたけど、校舎に掛けられた白いシートはそのままなんだよ。イベントではプロジェクションマッピングを実現するためにスクリーンとして利用したけど、もともとは工事のための防塵シートだからね。今も補強のための工事は継続中。校舎だけじゃなくて、島のあちらこちらの建物で倒壊防止や外壁の剥落防止の補強が続けられるんだ。ひと通り完了するまでには、まだ後二年くらいはかかるそうだよ」

「二年もですか。大変ですね」

「うん。それだけ傷みが激しかったってことだね。校舎なんか倒壊の危機なんてニュースで騒がれていたから、ギリギリセーフってやつ。もう少し遅かったら、取り返しのつかないことになっていたと思う。『何とかしてくれ』と、島が私を呼んだのかも知れないね(実際そうなんだけど・・・・・・)」


「でも、あくまでも現状維持なんですね。せっかくだったら、昔の、閉山の頃の姿に復元してもよかったんじゃないですか? それではお金が掛かり過ぎて無理だったのですか?」

 門野がもっともな意見を口にした。

「いや、お金じゃないんだ。現状維持でいいんだよ。島もそれを受け入れているから」

「おっ、石和さん、なんだか島と話をして意志を確認したみたいな言い方だね」

「そういう訳じゃないけど・・・・・・(そうなんだけど)」

「廃墟を擬人化するなんて、まるで原澤さんだ」

「俺? まあそうだね。いつの間にか、石和もしっかり廃墟マニアになっていたってことだよ」

「光栄です。それにほら、廃れている方が廃墟として味があるじゃないですか。我々みんなの『好物』でもあるわけだから」

 石和が笑いを誘って、更に話を続けた。

「全ての工事が終わったら見学通路もずっと伸びるそうですよ。今は岸壁に沿ってごく一部にしか通路は用意されていないから建物も遠目にしか見ることができないけど、新しい通路はかなり島の内側まで設置されることになるみたいだし、そうなれば臨場感は遥かに増すから、軍艦島はこれからも廃墟の聖地として長く愛されることになりますよ」


「『チャンス』を逃がさなかったですね」

 門野が少し真剣な顔で石和に囁いた。

「石和さんらしいやり方で、軍艦島存続のチャンスをものにしたってことですよね」

「門野さん・・・・・・」

 石和が神妙な顔で門野を見つめた。

「おっ、それって、初めて和美ちゃんが集会に参加した時に言ったセリフだね」

 早良が二人の会話に割って入る。

「そうか、あの時の集会では、石和さんは酔い潰れて寝ちゃっていたから知らないよね。昔、文木さんが軍艦島に上陸した時に撮った写真に写っていた猫が、カメラ目線でなんだかもの言いたげだったから、みんなでアフレコして遊んでいたんです。なにせ、和美ちゃんはプロですから。『そう、あなたらしいやり方で・・・・・・チャンスを逃さないように』っていうのは、その時の和美ちゃんのセリフです」

「おっ、それ俺も覚えている」

「私も」

 文木と原澤が同調した。

「あの話、ちょっと感動したよな。声も色々使い分けてさ。早良君なんか目がウルウルしていたもの」

「そうそう。でも、石和はテーブルに突っ伏して夢の中だったから知らないよな」

「夢の中で聞きましたよ・・・・・・なんてね。あの時は失礼しました。って、もう二年以上も前の話なんですけどね」

 大きな笑いがおきた。

「でも、チャンスを逃さずに思いを実現するなんて、本当に素敵だなと思います」

 門野の言葉を聞いて、石和が頭を掻いた。



 飲み会も終盤に差し掛かったころ、石和が声を上げた。

「そうだ、忘れていました。みなさんにお話しておかなければいけないことがあったんでした」

「何? いい話?」

 文木が聞き返した。

「はい。私にとっては大変良い話です」

 石和の顔が大きく綻んだ。

「実は、イベントの後、軍艦島でクラスメイトだった二名から連絡があったんです」

「へ~、それは凄い。四十数年ぶりだ」

 代表して文木が声を出したが、みんなが驚いていた。

「はい。イベントをテレビで見て、エンディングロールの制作スタッフの中に私の名前を見つけてテレビ局に問い合わせをしてくれたんです。番組の視聴率も良かったそうですが、やっぱりテレビの力って凄いですね」

「しかし、良く見つけられたな。エンディングロールなんて、あっという間にフェードアウトされちゃうのに」

「ちょっと変わった名前で、本当に良かったです」

 石和が笑いながら続けた。

「びっくりなことに一人は都内在住で、もう一人は千葉県在住と案外近いところに住んでいたんですよ。しかも、千葉県の友達は長崎県に住んでいるクラスメイトと連絡が取れるそうなんですよね」

 四十年以上も会えなかった、いや所在すらも分からなかったクラスメイトが、いきなり三人も明らかになったことの驚きと喜びが石和を包んでいた。


「会うの?」

「はい。都内と千葉の二人とは今度会おうってことになりました。九歳の顔から、いきなり五十歳過ぎですからね。ちょっとどころか相当気恥ずかしい感じですが、みんな同じですからね」

「男? 女?」

 あまり関係のない質問をしたのは文木だ。

「都内のクラスメイトは男性で、千葉のクラスメイトは女性です」

「楽しみですね~」

 門野が自分の事のように喜んでくれていた。


「でもね、実際あった時に何を話そうか悩ましいですよ。島の思い出話に花が咲けばいけど、記憶も大分飛んじゃっているから、間が持つのかな~なんてね」

「大丈夫だよ。合えば思い出すことも沢山あるはずだし、離れ離れになってからの夫々の人生を話してもいい。石和の方からはイベントのこととか、準備で軍艦島に何日も寝泊まりしたこととか、ネタは山ほどあるじゃないか」

「そうですね。何だか会う前から緊張して、いろんなことが気になってしまって」

「そうそう、イベントで再会のきっかけを作った功労者なんだから、大手を振って会えばいいと思うよ」

「どんどん輪が繋がって、クラスメイト全員に会えればいいですね」

「うん。それは二人と会った時に話をしてみるつもりなんだ。待っているだけじゃなくて、積極的に動いてみようかと。そして、みんなで軍艦島に行くことができたら本当に最高だよね。さすがにその時は仮想世界という訳にはいかなので、現実世界でということになるけどね」



「さて、そろそろいい時間だな」

 柱の時計が二十二時になろうとしていることを確認して、文木がお開きの時間が近づいていることを伝えた。

「本当ですね。楽しかったから、あっという間でした」

 門野も時計を確認した。

「早良君が狼に成らないうちに、和美ちゃんを家に帰さないと」

 また、文木が二人を揶揄った。

「ならないですよ~」

 早良の返しを聞いて全員が大笑いした。今日はいつもにも増して楽しい飲み会だった。


「最後になっちゃったけどさ、我々のオープニングイベントは大成功だったけど、肝心の超スマート社会っていう方も順調なの?」

「そうそう、毎日のように超スマート社会に関連するニュースがテレビで流れるし、問題を指摘するような話を耳にすることはないから、順調なんでしょ?」

 文木と早良がそれぞれ質問した。

 国を挙げての大プロジェクトに対して、オープニングイベントというほんの一部を担当したまでのことだったが、成功を左右するとまで言われた『国民の目や意識を一気に引き付ける』という大きな役割を担っていた訳だから、その後のプロジェクトの動向が気になるのも致し方なかった。


「順調のようですよ」

 原澤が他人事のように答えたが、実際のところ大プロジェクトは手の届かないところで動いているので、それが正しい回答と言えた。

「まずは長崎県全域を特区にして、水素エネルギーの供給インフラ整備に莫大な費用を投資したんですが、水素ステーションやパイプラインを充実させて水素の供給を容易にしたことが功を奏して、自家用燃料電池車や家庭用燃料電池の普及に弾みが付いているそうです。補助金が付いたのも大きかったですね。燃料電池は、地球温暖化など環境問題への関心が高くても高額過ぎては普及も進みませんし、利用することで快適さや便利さを実感できなければいけませんが、どちらも上手く受け入れられたようです」

 原澤が新時代のエネルギーの主役となる水素の普及について説明した。

「それから、重要なのは通信インフラですね」

 続けて石和が話を始めた。


「みんなが知っている5G(第五世代移動通信システム)のインフラも長崎県を中心に集中的に充実させました。超スマート社会においては、高速・大容量通信や高信頼・低遅延通信、多数同時接続は必然となりますからね。スマートフォンも対応機種への乗り換えに補助金がつきましたし、一気に舵が切られた感じです。勿論、整備しなくてはいけない法律や撤廃しなければいけない規制もありますから、政治の世界も慌ただしく動いていますが、準備は着々と進んでいるそうです。もう後戻りはできないでしょうね」

「快適さや便利さが目に見えれば、近県への派生も時間の問題なのでしょうね。みんな羨ましいと思うでしょうから。そうすると、あっという間に広がって、首都圏にまで押し寄せて来るのも時間の問題なのかも知れないですね」

 早良がやや興奮して言った。


「水素エネルギーの供給インフラと通信インフラの構築、スマートフォンなどのデバイスの整備、それからAIですね」

「おっ、和美ちゃん、なんか凄いことを言うね」

「いえ、門野さんの言う通りなんですよ」

 そう言うと、お酒が入っていつもより饒舌になっている石和がまた話を始めた。

「超スマート社会が人間にとって快適で便利なものになるのかは、AIにかかっていると言っても過言ではないんです。ネットワークを通して蓄積されたデータを分析して、人間にとってより良い情報として提供しようとする訳ですからね。そのAIを上手く活かすのも、まずは人間がどのように構築するか、そしてどのように情報を与えるのかということがとても重要なことになります。そこからAIの成長が始まることになりますから。今はまだ生まれたての赤ちゃんみたいなものですが、成長の早さは人間の常識をはるかに超えるということをイベントの時に思い知らされましたけどね」


「成長したAIがどんな未来を私達に提供してくれるのか楽しみですね」

「暴走なんてしないですか?」

 早良が口にした心配ももっともだった。

「さあ、どうだろうね。それも人間次第なのかも知れないけど、人間だって馬鹿じゃないからね。何れにしても、すでに動き出した誰も知らないその姿が私達の未来なのであれば、意を決して進んで行くしかないよね」


「その未来ってやつなんだけどね・・・・・・」

 石和の話が締めの言葉になると思ったが、文木が話を続けてしまった。みんなが半分浮きかかったお尻を元に戻した。

「ごめん、お開きの時間だとか言いながら。でもこれ、前からどうしても聞いておきたかったんだ・・・・・・早良君、和美ちゃんをよろしく」

「ご依頼の件、賜りました~」

「狼に成るなよ」

 二人の掛け合いは、最後まで変わらない。


「あのさ、超スマート社会って、デジタルが主役の世界じゃない。有名な映画で見たように、未来の人間はAIが創りだした仮想世界で生かされている・・・・・・そんな世界に向かって突き進んでいくなんてことが現実に起こるとは思ってはいないけど、今回石和さん達にVRで見せてもらった様に仮想世界にリアリティーのある綺麗な建物が構築され、望んだものが出現し、そこに人々が集うようになるのであれば、行川アイランドやウエスタン村ウエスタン村のようなテーマパークを現実世界に態々造ることもなくなるわけだよね」

 みんなが文木の言葉に聞き入る。


「それだけじゃなくてさ、超スマート社会って奴、なんだか人と人の関わり合いが希薄になるというイメージなんだよね。人が向き合っているのは仮想世界のAI様。仕事や生活が便利になるのはいいんだけど、人が集い、泣き笑いや生き死にがそこにあって、人間の色々な思いが塗り込まれていなければ、我々はその空間に想いを馳せることはできないよね」


「仮想世界の建物や街は朽ちることがない。不要になれば直ぐに取り払われ、美しい姿に形を変えてしまう。簡単なことだよ。それだけではなく、AIが主役の洗練されて無駄がない未来世界は、今現実世界にある不要なものを取り払って、有益な新しいものに造りかえることを選択するかも知れないよね。だって、現実的に必要性が無いんだもの」

「・・・・・・」

 いつもは軽妙な口調で文木とやり取りをする早良でさえ押し黙っている。


「あのさ、これからやって来る超スマート社会は、廃墟を我々の前から消し去ってしまうのかな? 我々がノスタルジーを感じ、語り合う機会を奪ってしまうのかな?」

 このメンバーだからこそ、文木の心にある思いを理解できた。



「時が進み時代は変わる。先に進むことに目を奪われた社会は、置き去りにするものに目もくれない。世の中ってそんなものじゃないですか? AIがどんなに効率的でスマートな判断をしたとしても、現実世界に生きているのは貪欲で不可解な行動を得意とする私達人間ですからね」

 沈黙を破って、石和が口を開いた。


「確かに、文木さんがおっしゃるように、人々を呼び寄せるテーマパークや市街が、仮想世界に幾つも幾つも生まれると思います。そこでは、どれだけ時が経とうが、廃墟は出来ません。出来たとしても、それは作りものでしかありません。当然ですね。仮想世界なのですから」



「今後、急速に発展する仮想世界が、現実世界にも影響を及ぼすことはあるかも知れません。でも、仮想世界は現実世界を便利にするための道具です。あくまでも主役は現実世界です」


「私達人間は、これからも時代の波に乗って新たな産業を興し、建物を建設し、街を造り上げていくでしょうね。仮想世界を上手く利用しながら。そして、新しい波が来れば多くのことを置き去りにして、その波に乗っていきます。革命と言われるような大きな波が来たときは、その時代のシンボルだって置き去りにしてしまうことは軍艦島が証明しています。人間とはそういうものです。そう簡単に変わるものではないと思いますよ」


「そして、そんな人間と共存していくAIです。効率化を是とするAIは、普通に考えれば現実世界の無駄には理解を示さないかもしれない。人が住まない建物や市街、捨てられたテーマパークは取り壊し、より効率的に利用する方法を考え出すかもしれません。しかし、AIが人間という不可解な生き物を正しく理解したのなら、そのすべてを無駄とは考えないのではないでしょうか」


「『人間は不可解な生き物だ。やることに無駄は多いし、嬉しい時に泣いてみたり、悲しい時に笑うことだってある。何十年も人が住まない建物や市街、捨てられて朽ち果てたテーマパークに思いを馳せることがある』そんなことを理解すれば、AIが人から廃墟を奪うことはしないかも知れませんね。もしかすると、文木さんの“うれし涙”が、AIと人間とのかかわり方の大きなポイントになるかも知れませんよ」


「石和が言う様に、どんなにAIが発達し社会がスマートに整備されたとしても、私達を楽しませてくれている廃墟が無くなることはないですよ。寧ろ増えることになるのではないですかね」

 最後に、原澤が文木の心配に答えた。



「そうですよ、三十年後、四十年後には、第二、第三の軍艦島が出現する可能性だってありますよ」

「俺、そんな時まで生きているのかな・・・・・・」

 早良の言葉に、文木が苦笑いして返した。


「廃墟は私達にいろいろなことを考えさせてくれます。ノスタルジーや未来の姿、廃墟がある限り人々のそれに寄せる想いが尽きることはありません。廃墟って不思議なもので、基本的には当時にその空間を共有していた人達のものだけど、捨てられて歳月が経つとみんなのものになるんですよね。もし、その大切な廃墟に存続のピンチが訪れたときは、みんなで知恵を絞ればいいんです。軍艦島で私達ができたのだから」

 想いのこもった石和の言葉で、慰労会はお開きになった。



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夢とうつつで廃墟を念えば 石和久 @isawa

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