第2話 出会い

(一)


 JR浜松町駅の小さな北改札口を出て左手、目の前の大通りに居並ぶビル群の上からひょっこりと東京タワーが上半身を覗かせている。その方向に向かって歩くことおよそ十分、芝大門の交差点を越えて右に伸びた細道の先にあるオフィスの一角で、石和久はインターネットに接続されたパソコンを使いあれこれと情報検索をしながら時間を潰していた。二〇一七年(平成二九年)九月のある日のことである。


 時刻は十八時半を少し回っているが、周りには残業をしている同僚も沢山いる。石和がコンピュータのソフトウェアを開発する企業に入社した三十年前のように残業をするのが当たり前だった時代とは違うもののシステムエンジニア達の作業状況に大きな代わりは無く、今日も長い夜を送る社員は多いようだ。


 商品企画部に所属する石和は遅くまで残業をすることなどは滅多にないが、世のため人のため、そして会社のためとなる新たなソフトウェア商品やサービスを生み出すため常に頭を悩ませており、彼にとってはインターネットでの情報検索は仕事の一部であり、時間潰しとはいえ今この時間も仕事の延長のようなものであった。

「はあぁ、面白いアイデアなんてそう簡単には浮かばないんだよな・・・・・・」

 左手で机に頬杖をつき、ぶつぶつと残念な独り言を吐き出しながら右手に持つマウスのホイールをコロコロと転がしては、モニターに表示される画面をスクロールさせている。


「お待たせ、遅くなって悪かったな」

 原澤克正が石和の背後から声を掛けてきた。原澤は会社の先輩で年齢は石和より三歳上の五十三歳になる。配下に大人数を管轄する要職にあり自分の時間を作ることも難しく、今日も急な会議が入り石和との約束の時間に遅れて顔を見せたのだった。部署が違うこともあって石和は原澤と一緒に仕事をしたことは無かったが、あることをきっかけにして親しい間柄となり、このところ酒を酌み交わす機会が増えている。


「いえ、もう準備はできていますから、ちょっとだけ待ってください」

 そう答えて、石和はパソコンをシャットダウンする準備を始めた。

「先に店へ行っても良かったのに、みんな知らない仲じゃないんだから。しかし、もう何回目だっけ、みんなと会うのは」

「今日で八回目になりますね」

 会話を続けながら帰りの支度を整えていると、程よくパソコンのシャットダウンが完了し画面が暗くなった。

「よし準備できました。さあ、出かけましょうか」

 そう言って、石和がカバンを抱え上げた。


「そうか、もう八回か、何度も悪いな。でも、おまえが来て話をしてくれるとみんなも喜ぶからさ」

「いえ、私も皆さんとお話できるのは楽しいですから。さあ、行きましょう」

 残業を決め込んでいる隣席の同僚に軽く挨拶をして二人は事務所を後にした。


 本心では無かった。確かに最初は楽しかった。自分の話に聞き入り盛り上がりを見せる彼らの様子を見ながら、自分が話題の中心に置かれている状況に妙な満足感を得ていたのは事実だが、回を重ね自分の話に彼らがのめり込めばのめり込むほど気持ちは次第に冷めていき、過去を売り物にしながら他人の関心を引付けている自分に恥ずかしさと自己嫌悪のような感情が生まれてきていたのだった。原澤を置いて先に一人で行かなかったのは、そんな気持ちの表れでもあった。


 オフィスビルを出て裏通りの小道を抜け、二人は日比谷通りに出た。目の前にはオレンジ色にライトアップされた東京タワーが圧倒的な存在感で夜空を独占している。二〇一二年の東京スカイツリー開業で電波塔としての主役の座を奪われはしたが、その人気は衰えることを知らず展望台への入場者数は寧ろ増加しているということだ。まだまだ東京の象徴としてのポジションは譲らないといったところだろうか。ライトアップの色を季節や時事に合わせて様々に変化させて夜景に鮮やかな色を添えるというイベントも功を奏しているのであろうが、ひとつの役目を終えた建造物に対して妙に愛着を持つようになるのは人の性によるものなのかも知れない。


(俺は今のオレンジ色の方がいいや)

 オーソドックスではあるが紺色の夜空に映えるオレンジ色の東京タワーを左横に見やり、石和は原澤と共に新橋方面に向かって歩を進めた。九月の上旬、一向に涼しくなる気配もないムシムシとした夜である。まだまだビールが美味い季節だ。

 都営地下鉄三田線の御成門駅を超えて新橋四丁目交差点を右に折れ、JR新橋駅に向かう路地裏にある小さな居酒屋に到着した。ここがお決まりの集会場所だ。


「遅くなりましたぁ」

 お店の奥にある座敷に陣取るいつもの顔を確認し、原澤が愛想よく挨拶をしながら暖簾を潜った。十九時を少し超えているので一時間ほど遅れての到着だった。

「こんばんは」

 続けて石和が挨拶をした。

「おっ、やっと来た。主役の登場だ」

「遅い、遅い」

「お~い。生ビール二つ追加、大至急ね」

 既にお酒が入り上機嫌となっている男から大きな声がカウンターの奥に向かって飛んだ。十席にも満たないカウンター席と、座敷には三人が対面で座れるテーブルが三つとこぢんまりとした店である。そんなに大きな声を出さなくても声は十分に伝わる広さであるが、気の合う仲間との集まりで気分は既に高揚しているようだ。二人を待っていた一時間でかなりお酒もすすんでいたのだろう。大声に釣られてカウンター席や座敷の隣に座る他のお客さんが顔を上げ、大声の主と石和達にも視線を送り、一瞬の間を置いてまた自分達の世界に戻っていった。


「乾ぱぁ~い。いや~久し振り」

 全員の飲み物が用意されたところで、この会のまとめ役である文木太郎が音頭をとり集会が正式に始まった。文木の年齢は原澤と同じ五十三歳、大柄ででっぷりとした体型でビールを煽るように飲む姿は豪傑といえば格好が良いが、ちょっと品のない中年のおじさんだだ。まだ暑いこの時季にネクタイをしているのは立派なものだが、そこまで緩めるなら取ってしまえばと思うほどで、笑うたびに出っ張ったお腹の上で飛び跳ねている様子が何とも言えず可笑しい。

「文木さん、大袈裟だな~前回から二週間しか経っていないのに」

「そうだっけ? まぁ、それだけ待ち遠しかったってことだよ。君だって同じだろ?」

「うん、待ち遠しかった」

「それみろ!」

 文木と軽妙なやり取りをしているのは早良壮という。この早良と文木、それから原澤がこの集会の主要メンバーだ。早良の年齢は二十五歳で、共に五十三歳の文木と原澤に比べると飛び切り若く、いつも飄々としていて物事の受け取り方や考え方は他の二人とは少し異なる感じである。こちらはカーキ色のチノパンに白の半袖ボタンダウンシャツ、ノーネクタイとクールビズのお手本のようないでたちだが、細身の身体にぼさっとした長髪と黒ぶちメガネがオタクっぽさを醸し出している。紳士然とした原澤とそうは見えない文木、太った文木とスリムな早良、歳も見た目も印象も全く異なる三人ではあるが、月に二度、三度と酒を酌み交わす仲の良い友人である。


 三人の他に初顔の若い男女が一名ずつ・・・・・・文木か早良の連れだろう。偶にこういった新顔が参加するので石和は同じ話を何度もするはめになる。「ほら、あの話をしてやってよ」大抵は文木のネタ振りで話を始めるのだが、最後は文木自身が話を引き取って面白おかしくまとめてしまう。オチは自分でと言った具合だ。場の盛り上がりとは裏腹に、石和が最近少し冷めた気持ちになっているのは、こうしたこともひとつの要因ではあった。愛想笑い、苦笑い、毎度、原澤がすまなさそうに視線を送ってくるのがせめてもの救いだ。

(大丈夫ですよ)

 回を重ねる度に、石和と原澤の視線のやり取りが増えているが、裏を返せば話すネタがそろそろなくなってきたということにもなる。


「新顔も二人参加しているし、今日も興味深い話をお願いしますね」

 ビールが半分入ったジョッキを持ち上げて、文木が石和に向かって声を掛けた。新顔の二人が会釈してきたので石和も軽く頭を下げた。それぞれの自己紹介は文木がタイミング良く仕切ってくれる。まぁ、いつもの流れだ。

「そうそう、石和さんの話はとても貴重だから、本当に楽しみですよ」

 早良が続けて言った。


「全くだ。我々の集まりにとって石和さんの様な存在が身近にいたということは、ある意味奇跡的なことだからな。それに関しては原澤さんのヒット、いや大ホームランだ」

 文木が原澤の方にジョッキを掲げながら声を張り上げた。もう何度もあった会話だが、新顔の二人に石和との出会いを説明する上で必要な件となっている。

「ホームランね・・・・・・我々の集まりにとって石和との出会いがホームランであることは間違いないけど、『そのこと』は会社の飲み会で話をした時に偶然知ったまでのことだし、私が何か努力した訳じゃないから」

 原澤が恐縮の面持ちで答える。これで新顔に原澤と石和が会社の同僚であり、石和との出会いは偶然の賜物であったことが伝わった訳だ。

「我々の思いが天に通じたってところかな」

 原澤の手柄と切り出しながら、最終的には自らを交えたこの集まりの成果に落ち着かせるあたりは文木の語りの上手さではあるが、ここまでは新顔が参加した時の毎度の流れでもあった。


「まあ、喜んで頂ければなによりですが、私の方も、みなさんの様な趣味をお持ちの方々が沢山いらっしゃるということは驚きでもありましたが・・・・・・」

「周りからはあまり理解を得られない趣味かもしれないけどね。でも、意外と仲間は多いんだよ」

「はい。みなさんと知り合ってから、私もインターネットで情報を検索してみたのですが、沢山の方が写真や情報を掲載していてびっくりしました・・・・・・」

 石和と文木が会話を重ねる。自分たちの趣味やそれにまつわる感性の正当性を新顔に植え付ける意味でこれも重要な件であるが、石和もいつの間にかこの布教活動の一役を担うことになっていたのだった。


 挨拶交じりの会話をしながら、二十分ほど時間が経過したところで、おもむろに文木が本題へと流れを誘う話を切り出した。

「原澤さんと石和さんが来る前に、みんなでこれを見ていたんだ」

 そう言いながら、文木がテーブルの端に置かれていた二冊のフォトアルバムを石和と原澤の前に差し出した。二人がそれぞれを手に取ってパラパラとページをめくると、そこには百枚以上の写真が収められていた。

「この間の休日に千葉県の勝浦市に言ってきてね、これを撮ってきたよ。まだ整理はしてないけどね」


 辺り一帯を山に囲まれた寂しい無人駅、写真はそこからスタートしていた。黄色に変色したカーテンが閉ざされたままの小屋には、消えかけているが『券売所』の看板が掲げられている。塗装が剥がれた金属柱と色あせた屋根に覆われた入場門、別世界へ通ずるのではないかと思わせる薄暗く長いトンネル、うっそうと生い茂る草木が右から左から迫る荒れた通路、濁った水が満たされた人工池、まるでごみ捨て場のようにものが散乱している荒れ果てた建造物・・・・・・。


 どの写真にも人影はない。人に捨てられ、人を忘れてしまった悲しき残骸たちが、静かに時を刻んでいる姿が生々しく写し出されていた。曇天の空模様も手伝って、物寂しく異様な世界がそこに切り取られている。


「こっ、これは・・・・・・」

 写真を凝視していた石和が声を漏らした。写真に目を落としていたメンバー全員が一斉に顔を上げて石和に視線を送る。

「不法侵入ですよ」

 早良がニヤニヤと笑い、石和を見ていた視線を文木に送った。

「それを言っちゃ駄目だって」

 文木はそう言ったが、困ったような様子は全くない。石和以外のみんなが一斉に声を上げて笑った。

「いえ、そうではなくて・・・・・・」

 石和が続けた。

「ここって昔、子供を連れて行ったことがありますよ。確かフラミンゴショーが有名だったレジャー施設ですよね。長男が小さい頃だったから二十年近く前のことだったと思います。その後に施設は閉鎖されたと聞いていたけど、まさかこんな状態になっているなんて・・・・・・」

 石和が写真を眺めながら驚きの言葉を発した。 

「千葉県にあった行川アイランドです。こうなる前の姿をご存じなら、この写真の素晴らしさがより良く分かりますよね」

 文木がニコニコ顔を石和に向けた。


 千葉県勝浦市浜行川にあった行川アイランドは、動・植物園を中心としたレジャー施設で、一九六四年の開園から多くの観光客が訪れる南房総の名所であった。フラミンゴショーの人気で一時期は年間一〇〇万人以上の来園者があったが、一九七〇年に近隣の鴨川町に大規模水族館の鴨川シーワールドが開園すると同年から入場者数は減少していくことになる。同じ南房総にマザー牧場やロマンの森共和国など観光施設が乱立するなか一九八三年の東京ディズニーランド開園で千葉県内の観光客を大きく奪われたことが決定打となり、入場者数は更に減少の一途をたどり二〇〇一年八月にその長い歴史の幕を降ろした。もう十五年ほども前のことである。


「ほう、なかなか良い写真が撮れているじゃないですか、なんだかこうノスタルジーな気持ちが沸き立ちますよね」

「そうだろ~」

 原澤の言葉に文木が満足そうに笑顔を浮かべている。

「ノスタルジー?」

 新顔の女性が首をかしげながら声を出した。

「そう、ノスタルジー。『過ぎ去った時間や時代を懐かしむ気持ち』ってことだね。昔ここでは人々が集い活気にあふれた時代があった。図らずも石和もその一人だったわけだ」

 原澤が石和に顔を向け、そして続けた。

「でも状況が変わった。施設の所どころに人々が集い歓喜の声を上げた形跡を残し、無数の思い出を深く刻み込んだまま、こいつ達は置き去りにされてしまった。勿論、望んでいたことではなかっただろうがね・・・・・・」

「原澤さん、廃墟が完全に生き物になっていますよ」

 早良が茶々を入れる。

「うん。でもね、私は廃墟をみるとどうしてもそういう目でみてしまうんだよ。人との関わりをその空間に包み込み、長い時をただ朽ちていくためだけに費やしている。そんな時間と空間に思いを馳せることで、過ぎ去った時代に対するノスタルジーを廃墟から感じ取っているってところかな。行ったこともない廃墟に対してもね」


 世の中には、『廃墟マニア』と称される人がいる。住むことや集うことが許されなくなり、空っぽとなった建造物やその空間、そこ居た人々に思いを馳せ、独自の感情を抱く人たちのことだ。なぜ、自分は他の人よりも強く廃墟に魅せられてしまうのか不思議な感覚を上手く説明できる人は少ないようだが、気持ちがそうさせるのだから仕方がないといったところのようだ。マニアックな世界であることに間違いはないが、仲間が多いことを考えればこそこそ隠す必要もなく、案外と人間が深層心理に持ち合わせている感情であるのかも知れないとも思われる。インターネット上には集めた写真や情報を掲載し、そこから感じたことを書き連ねたサイトが山ほどある。中には、パワースポットや心霊スポットとして扱われる廃墟もあるが、これらはやや趣が異なる感覚で捉えたものと言える。


「沢山ある廃墟の中で我々廃墟マニアの最大の関心は、やはり『軍艦島』だよな」

「そう、あの島に勝るものはない」

 文木の言葉に早良が即座に対応した。いよいよ本題だ。


 長崎県にある端島は別名を軍艦島と言い多くの廃墟マニアの関心を引付けて止まない。長崎半島(野母半島)から西に約四・五キロメートル離れた場所に位置する小島で、平成二十七年七月に世界文化遺産として登録されたことは記憶に新しいが、注目を浴びる中でこの島の持つ暗い過去が話題になったりもした。ただ、廃墟マニア達の興味は衰えることはなく、注目度は増大し、それは世界にも広がりを見せることとなって、外国人が訪れてみたい日本の世界遺産として人気は上昇していると聞く。

 明治から昭和五十年までの長き間、良質な石炭の産出で日本の経済を根底から支えたが、エネルギー資源が石油に代わったことでその存在価値を失い昭和五十年に無人島となった島である。周囲たったの1キロメートルほどの島内に、最盛期には五千人が住居していたこともあって建物は必然的に上へ上へと伸びていった。小さな島の中に高層建造物が乱立する現在の姿となるまでには長い年月を要したのだが、一九一六年(大正五年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅が建設されており、その外観が軍艦に似ていることは当時の新聞記事にもなっていたほどだ。


「あの島に深く興味をそそられるのは・・・・・・」

 早良が口を開いた。

「そうそう、早良君は独自の感性であの島を見ているんだよね」

「はい。あの島が他の廃墟よりも興味深いのは、過去に住人を失った廃墟ではあるのだけど、今より先の時代に住人を失った未来都市の姿を想像させるからなんです。あの島は四十年以上も前に無人島となりましたが、時代の最先端をいっていたこともあって鉄筋コンクリートの高層建造物群が廃墟と化しています。今、我々の時代の都市が放置されると、何十年か後にはあの島の様な姿になるのかも知れない。つまり、あれば未来都市の姿とみることも出来る訳です。そんな廃墟は他にはない」


「なるほどね。同じ廃墟を見ても別の事を感じる人もいるわけだ。廃墟マニアと言っても奥は深いよね。で、その島に実際に住んでいたのが、目の前に座っている石和さんということだ。これは我々にとっては非常に貴重な事で、過去に思いを馳せるにしても、未来を思い描くにしても、当時の話を聞けるという事はとても興味深いことだからね」

「え~そうだったんですか」

「聞いてないよ。びっくりだな」

 文木の言葉に新顔の二人が驚きの声を上げる。石和が軍艦島の生まれであることは新顔の二人には伏せられていたようだ。まあ、いつものことではあるが、これからの場を盛り上げるための些細な演出である。

「写真を見ながら廃墟を語らうオタク・・・・・・いやっ失礼、趣味の会かと思っていました。興味半分お言葉に甘えて参加してみたのですが、ちょっと面白そうだ」

 新顔の男がやや興奮して話をした。

「おっ、食いついてきたね」

 文木が満足そうな顔をしている。


「恐れ入ります。ただそこで生まれただけのことですが、皆さんに興味を持っていだたけるなら知っていることは何でもお話しますよ。但し、私が島にいたのは炭鉱の閉山が決まって島民が島を離れなければならなくなった小学校二年生の二学期まで、幼くて記憶が曖昧な部分もありますし、子供では知りようのないこともありますのでそこはご了承ください」


 それから小一時間、石和は軍艦島の学校の事、日々の生活の事、それから文木達には前にも話したようなことを話し、みんなの満足そうな顔をみながら頑張って場を盛り上げた。勿論、文木の巧妙なネタ振りが上手く機能してのことではあったのだが。


 テーブルが大いに賑わっていたその時、カウンター方向に向かって座っている石和の目に、椅子に座っていた女が立ち上がり自分たちの方に近づいてくる姿が映った。年齢はまだ若い、二十七、八歳といったところだろうか。エアコンは効いているが、こんな季節に上下紺色のパンツスーツに身を固め、お隣の汐留エリアならまだしも新橋の外れにあるおじさん達の憩いの場には全く似つかわしくない出で立ちをしている。


「見ぃ~つけた」

 酒の入ったグラスを片手に近づいてきた女がにこやかに言った。さすがにワイングラスとはいかなかったようだが、そもそもここにそんなものはない。グラスに入っている透明の液体は日本酒か焼酎だろう。石和の隣に座っていた文木が顔を上げ、文木の対面に座っていた早良は上半身を捻って後ろを振り向いた。不意を突かれた石和達はしばし呆然としていたが先に我に返った文木が口を開いた。

「何をでしょうか?」

「面白そうな話・・・・・・」

 ニコニコ顔の女が答えた。



(二)


「突然、ごめんなさい」

 そういうと、女は靴を履いたままで一段高くなった座敷の端にちょこんと腰を下ろし、片手を畳について上半身を捻る姿勢で一堂に顔を向けた。もう二十一時を過ぎているし、いつから飲んでいたのかは分からないがお酒もそれなりに入っているのであろう顔はほんのりと赤くなっている。


 美和のどかと名乗ったその女は、地方テレビ局のアナウンサーということだ。  

「テレビ局の人? 長崎県の?」

「はい。今日は出張で東京に出てきていました。夜は暇だったので、ふらっと呑みに出たところでした」

「長崎から出張で、女性の一人呑みですか? こんな冴えない居酒屋で」

「しっ、文木さん、声が大きいですよ」

 原澤が人差し指を口の前で立て文木をたしなめてからカウンターに目をやると、大将と目が合った。微妙な間を置いて視線を外し、大将は何食わぬ顔で調理を始めた。

(あれは聞こえているな)

(ですね)

 原澤と石和が目で会話をするが、超が付くほどの店の常連である文木本人は何とも思っていないようだ。

「もっとお洒落な飲み屋も沢山あったでしょうに・・・・・・」

 原澤が今度は小さな声で言ったが、女はニッコリとほほ笑み返しただけだった。


「来春、全国の系列局を結んだ毎年恒例となっているテレビ番組があるのですが、その打合せで上京してきました。『春は来たか! あなたの町の今を教えて』って番組ご存じじゃないですか?」

「ああ、あれね」

「うん、知っている」

 銘々が顔を見合わせて頷いた。三月の下旬、海開きが行われた沖縄や桜の花が満開、五分咲き、つぼみと様々な姿を見せてくれる九州から関東までの各地域、まだ雪が残る東北や北海道と、南北に長い日本ならではの姿を全国に届ける生放送番組だ。早朝から夜にかけての長時間に渡り、その土地の景色とホットな話題をタレント達が地元民と絡みながら東京のスタジオに届け、大笑いしたり、しんみりしたり、今では春先の風物詩となっている人気番組だ。


「今日は地方の担当ディレクターや進行役のレポーターが集まって、地方からお届けする内容の確認を行っていました。顔合わせもありますのでね。」

「へ~まだ半年も先なのに。ぶっつけ本番ではないんですね」

 早良が関心して声を出した。

「当然。全国を繋いだ一大イベントですからね。各地の企画内容は事前に確認や調整をしておきます。まぁ、始まってしまえばタレントさん達の勢いでアドリブのオンパレードにはなりますし、素人が沢山参加するので予想外のことばかり起こっちゃうんですけど・・・・・・。今回、長崎は皆さんが話題にしていた軍艦島をはじめとした世界文化遺産を取り上げることにしています。注目度は高いですからね」


 長崎には『明治日本の産業革命遺産』と『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の二つの世界文化遺産がある。それぞれに沢山の遺跡が登録されているが、軍艦島は前者の『明治日本の産業革命遺産』に登録されている。

「軍艦島に関しては、島の歴史や当時の人々の暮らしなどを伝えながら、建物の保存問題についても触れるつもりです。みなさんならご存じだと思いますが、島の建物の中には倒壊の危機に瀕しているものもあります。まだそこまではいかなくても今後危機を迎える建物が沢山あって、せっかく世界文化遺産への認定によって注目されるようになっても、いずれ恥ずかしいニュースを全世界に広めることになる。県も市も分かっているから何とかしたいが大きなお金が必要で頭が痛い・・・・・・」


「正確に言えば世界文化遺産に登録されたのは岸壁と海底坑道のみらしいけど、そこだけ保存したって仕方ないですよね。世間はそんな風にはみていないだろうし・・・・・・」

 早良が口を挟んだ。

「そう、それで、今後どの様に建物の風化が進み、どう対処するべきか、保存に必要な予算は? 世界文化遺産を抱えることによる苦悩なども番組でお伝えにする計画なの。それから・・・・・・」

 美和のどかは番組の概要を話した後、こう続けた。

「つまらないでしょ?」

「えっ」

 一同、返答に困って顔を見合わせた。


「いいんです。テーマとしては大切なことを題材にしているとは思うのですが、今一つインパクトに欠けているというか、ありきたりというか、堅苦しいというか・・・・・・。軍艦島の人気は高いけど、お金の話となると全国の視聴者には他人事であることも事実で、何かアレンジが必要だと関係者で話をしていたんです。皆さんのような廃墟マニアの観点で軍艦島のことを伝えるとか、全国の有名な廃墟スポットと中継を繋ぐなんていうのもいいですね。先程話をされていた軍艦島に未来を見るなんて内容も素敵だと思います。それから元島民の方には廃墟マニアの方々のこういった感覚をどう感じるかその思いを語っていただくとか。勿論、当時の思い出も色々散りばめて構成したいとも思いますけど・・・・・・。どうでしょう、もっと皆さんのお話を伺って番組内容をアレンジしたいと思うのですが、私もみなさんの輪の中に入れさせていただけないでしょうか?」


 仲間内の飲み会が急にインタビューの場となり、みんな酔いも何処へやら真顔で困惑の顔を浮かべている。

「石和さん、どうするかね? 廃墟マニアの観点は我々で良しとしても、元島民の観点や当時の思い出となるとあなたに頼らざるを得ないことになるんだが、こんな別嬪の御嬢さんからのお願いだし少し協力してみてはどうだろう?」

「はぁ、別に話をするくらいなら。テレビに顔がでる訳でもないですし、島民の考えを代表する話では無く、幼少期を島で過ごした一島民の話として聞いていただけるなら話をしないことはないですが・・・・・・」

 なんとも断りにくい文木の問い掛けに石和が了解を出したところで、美和をテーブル席に招き入れ、歓迎の乾杯を行った。


 それから小一時間、文木、原澤、早良が実際に見てきたというお気に入りの廃墟の話や、まだ見ぬ有名な廃墟の話、自分たちがそれに対してどう感じ、どのような思いを抱いているのか、インタビューというよりも飲み会の延長のような盛り上がりの中で様々な情報が美和へ伝えられた。


 文木達の廃墟の話がひと段落した後、美和が石和を見つめて質問を投げかけた。今度は元島民からの情報取集の番のようだ。


「石和さんは建物の保存を望まれているのでしょうか? 住んでいらしたころからすると島はもう随分と様変わりしてしまったと思いますが・・・・・・」

「島を出る時、大人達が建物の保存を口にしているのを聞いた記憶があります。ただ朽ち果てていく運命、今の姿を大人たちは分かっていたのだと思います。だけど・・・・・・」

「だけど?」

「四十年も放置されてあんな姿になった島を、今更保存して欲しいという気持ちがみんなにあるのかどうかはよく分かりません。私は消えてなくなるのは寂しいから、保存して欲しいとは思っていますが、こんな廃墟の聖地のようになる前に何とかして欲しかったとも思っています。何といっても生まれ故郷ですから。まあ、思っているだけでなんの行動も起こさなかった後ろめたさはありますがね・・・・・・」

 石和の顔が暗くなり、そして続けた。

「こんな事を言うとみなさんは面白くないかも知れませんね、廃墟であってこその軍艦島ですから・・・・・・」

 みんなが顔を見合わせ苦笑いしている。


「なる程、複雑な心境ですね。石和さん、島に帰ってみたいとは思わないですか?」

「帰る?」

「ええ」

「帰ると言っても何もないんですよ。建物は崩れ住んでいた当時の面影はない、人もいない、上陸時間も限られている、その上陸だって天候次第、条件は観光客と一緒だし、帰るというよりも『見に行く』っていう感じですよね。勿論、募る思いはあるけど見に行くのはちょっと気が乗らない感じですけれど・・・・・・」



 インタビュー形式の会話が続き、時刻は既に二十二時を過ぎていた。金曜日の夜とはいえ、いつもより大幅に時間を超過している。連れの女性を送るということで新入りの二人はとっくに居なくなっている。初参加でいきなりこの熱の入りようではちょっと引いてしまったかも知れない。そもそも廃墟への関心度も文木達と比べると薄い感じでもあったし、次回はないなというのが石和の印象だった。


「いや~今日はいつもにも増して楽しかったな。名残り惜しいが、もうこんな時間だし、そろそろお開きということで。あまり遅くなるとかみさんに怒られちゃうからな」

 文木の声を聞いて、それぞれが腕時計や柱時計で時間を確認し、のっそりと座布団から腰を浮かせて帰り支度を始めた。


「ところで、今頃こんなことを言うのも変ですが、美和さんって長崎弁は出ないんですね」

 立ち上がった早良が、座敷に腰かけて靴を履いている美和の背中に声をかけた。

「よそ行きの言葉でしゃべっていますから。こう見えてもテレビでお話をする仕事ですからね。長崎弁でお話をするとみなさん分からないかも知れないですよ。通訳もいないですしね・・・・・・」

 靴を履き終えた美和が、振り返って笑いながら答えた。


 送るという男達の申し出を断り、一人でタクシーに乗り込んで美和は去っていった。



「意外と冷めているんですね」

 大通りでタクシーを捉まえるまでの道中で、美和が石和の耳元で囁いた言葉だった・・・・・・。

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