夢とうつつで廃墟を念えば

石和久

第1話 光る想い

(一)




「随分と・・・・・・長い年月が・・・・・・経ちましたね・・・・・・」


 男に掛けられたその言葉は、少し離れて背後に立っている女が発したはずである。しかしそれは、今二人がいる部屋の壁や天井、床に反響し、まるで部屋そのものが言葉を紡ぎ出したかのように、あらゆる方向から音の波となって男の耳に、いや身体全体に押し寄せた。やさしさと少しの切なさを含んだ不思議な音の波は、男の心を締め付け、そして大きく揺さぶっていた。


 男はゆっくりと振り向き、背後の女に目をやった。靴に踏まれた床では、ジャリジャリと瓦礫が音を鳴らしている。目の前には、ここに至るまでの行動を共にした女が男に向き合う形で立っているが、見開いた目はどこか遠くを見ている様で視線は合っていない。だが、女の不思議なその状況を既に受け入れている男は驚く様子もなく、少しの間を置いた後に何も言わず再び女に背を向けた。


 二人がいる部屋は、扉や天井の木製の板はおろかコンクリートの壁までがボロボロになって剥がれ落ち、完全に朽ち果ててしまっている。全ての窓にガラスは無く、天井の蛍光灯も砕け散り、粉々になったガラス片が瓦礫となって床に散乱していた。窓に残っている木製のガラス枠は激しく傷み、その無残な姿の窓から差し込む陽の光は、日没間近あることに曇天の空模様も手伝って弱々しく、部屋の中はやけに薄暗い。今は二人が手に持つ懐中電灯の明かりだけが目の前の状況を映し出す手段となっている。


 二人のだらりと下ろされた腕の先にぶら下がっている懐中電灯の明かりは、ゆらゆらと揺らめき安定していない。強い光は床のみを照らし、強い光から洩れた薄明り明かりと、床に反射する弱々しい明かりが、部屋全体をゆらゆらぼんやりと照らしていた。


 その弱々しい明かりの中で男が正面に見つめる壁には、その大部分を占める大きな板が張られている。無論、周りの壁や窓と同様に傷みは激しいのだが、この朽ちた部屋の中でひと際存在感を示している。また、背後の壁の下側には大人の胸の高さで横幅を五十センチメートル程に仕切られた木製の三段棚が升目状に横長く設置されているが、表面に辛うじて付いているベニヤ板も、床に落ちてしまったものも、反り返りクルクルと丸まってしまっている。


 部屋には幾つもの小さな椅子や机も瓦礫と化して散乱している。そう教室であったこの部屋に子供たちの明るい声が響き渡ったのは遠い遠い昔のこと、その長い年月の経過を男は改めて認識しているのだった。


 木が腐る匂い、もうそんなものを発することもなくなった教室は、ただ枯れ、朽ち果てるだけの時を送っている。ガラスの無い窓の外からは、時折岸壁にぶつかる波の音が飛び込んでくるだけだ。他には何も聞こえない。


「四十年も経ったから・・・・・・」


 続けられた女の言葉が、男の心に更に重く圧し掛かる。


「これは?」

 懐中電灯から洩れる薄明りだけを頼りに、男が教室全体を見渡していると、壁や床のあちらこちらに淡くぼんやりと光るものが目に留まった。暫くすると、それは手や靴の跡と分かるようになった。

「あなたが希望したものの形です」

 男の問い掛けに応えた女は続けてこう言った。

「よく帰ってきましたね」


(二)


 鮮やかで色とりどりの光が建物の隅々までを照らしている。


 七階建ての建物は次々と新しい表情を見せ、辺り一面何も見えない真っ暗闇の中で今この空間は異彩を放っている。

 大きな効果音と歓声が生み出す喧騒、そして時折訪れる短い静寂の時を何度も繰り返し、人々は目の前で巻き起こる幻想の世界に引き込まれていた。この場所がこれほどまでに人間の活気に満ち溢れることは、もう何十年もなかったことだ。いつもであれば聞こえるはずである岸壁にあたっては砕ける波の音も、今は全く聞こえない。


「ちょっと煩いけど、喜んでくれているだろうか」

 男は用意された席に座り、眼前に広がる幻想的な光景を見つめていた。日中の温かさは去り、海風は涼しさを通り越して肌寒くもある。背中を丸め、両手をジャンパーのポケットに突っ込んで緊張の時間を送っていた。


 過去、現在、未来、創造の世界に主人公は何を望み、何を見るのか・・・・・・。技術革新、そして変わりゆく時代、岐路に立つ我々の第一歩がそこにはあった。


「さあ、出るぞ」

 男がそうつぶやくと、光に彩られた建物は今までとはやや趣の違う表情を見せ始めた。ガタガタと音を成して崩れ落ちる建物、積み上がる瓦礫の山、そしてその瓦礫の山を下から押し除けるようにして、新しい未来を象徴する雄々しい姿がせり上がってきたのだった。

 その時、男には現れた象徴の中に、あの子が顔を覗かせて手を振っているのが見えた。笑っているようだ。

(まさか、そんな・・・・・・)

 一瞬驚きはしたものの、ここに至るまでに多くの不思議な出来事を受け入れてきた男は直ぐに我に返り、周りの誰にも気づかれない様に軽く右手を上げてそれに応えたのだった。

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