夜汽車を待って
デッドコピーたこはち
さよなら、先生
よく見知った顔の知らない表情。私の知らない女と話す先生の表情は、花が咲いたように朗らかだった。
雪がちらつく夜のホームは、鼻の先が凍りつくのではないかと思うほどに寒く、ほとんど人気がない。
先生は、いつも初雪が降るころに着始めるカーキ色のロングコートに身を包み、白いダッフルコートを着た女と身を寄せ合っていた。女の方は、先生よりも頭一つ分は背が低く、顔や仕草にも幼さが残っている。十五、六といったところか。
私は、あの女を慈愛を持って見下ろす先生の瞳が、どれほど人の死を見つめてきたのか知っている。ロングコートの袖の中で、女の右手と繋がれている左手が、どれほど人の命を奪ってきたか知っている。先生は私の殺しの師だった。私はあの人に殺しの技術を叩き込まれたのだ。
私は、先生たちの死角からゆっくりと近づき、袖に隠しておいた短銃身の回転式拳銃を右手に握った。
「先生、こんばんは」
先生と女は同時に振り向いた。女の目は驚きに見開かれていたが、先生の表情は凪いだ湖の水面のように穏やかだった。
「こんばんは。しかし、君が来るとは思わなかったよ」
先生は女を庇うように、一歩踏み出しながら、そういった。
「帰ってきてください。先生。今ならまだなんとかなります」
「いまさら、ボスが許さんだろう」
「いえ、貴女ほどの暗殺者の代わりは居ません。ボスは功利主義者ですから、説得できます。だから……」
ここが分水嶺だ。断らないでくれ。そう思いながら、私は袖の中の拳銃を握り直した。
「私は、もう疲れた。人を殺し過ぎたんだ。私は、帰らない」
先生はくたびれた声で、しかし、断固とした口調でそういった。
女が怯えた顔で先生を見る。先生は微笑みを浮かべ、女を見返した。女の右手は、ずっと、先生のロングコートの袖の中に入ったままだった。
「そうですか。残念です。では、さよなら、先生」
私は右手に握った銃の照準を先生の額に合わせた。乾いた音が、夜のホームに響く。
「ああ」
私は、自分の胸に開いた穴を見つめた。私の右手が力を失い、拳銃がホームの床に転がった。
「先生の弟子はあなただけじゃない」
女は勝ち誇ったようにそういった。女の右手には拳銃が握られている。私は崩れ落ちた。
胸の傷が燃えるように熱い。傷口から大量の血が流れて出てくるのがわかる。心臓を傷つけられたようだ。
「さよなら、先輩」
私の薄れゆく意識の中で、汽笛と遠ざかる二組の足音だけが、はっきりと聞こえた。
夜汽車を待って デッドコピーたこはち @mizutako8
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