T字路

糸井翼

T字路

彼はいつも憂いを含んだ表情でT字路を見ている。


「え、熊野さんの家って、あのコンビニの横のマンションなの?」

佐藤さんが声をかけてきた。席が近いこともあって、新しい中学校に転校したばかりの私を気遣ってよく話しかけてくれる。佐藤さんのおかげで、私もほんの少しだけだが教室になじめている気がする。

佐藤さんは私がそのマンションに引っ越してきたことに驚いているようだ。何か驚くようなポイントがあっただろうか。

「そうだよ、ここから少し遠いけど便利だよ」

「じゃあ、学校来るとき、T字路通るでしょ。あの、ここに花屋があって、それでマンションがこんなふうにあって…」

佐藤さんは裏が白い紙に書いて私に見せる。いつも通るところだ。

「うん。」

「あそこ、事故が多いんだよね。実はうちの学校でも都市伝説みたいに語られているんだけどさ…」

佐藤さんによると、最近もこの学校の生徒がそのT字路で事故にあったそうだ。そんな事故が多いT字路だから、呪いがあるなんていう話が学校で広がったという。確かに近くのショッピング施設があり、そこに行く車が結構多くて、曲がってくる車は少し怖い。ただ、T字路が危ないのはそんなに珍しいことだろうか。

「あ、呪いとか信じないタイプか、熊野さんは頭いいからなあ。」

「いやいや、別に頭良くないけど、呪いとかはよくわからないな。」

「まあ、私も呪いとかよくわからないけどさあ、でもね、そういう話が出てきたのも、そもそもあのT字路に面しているマンションの2階、あそこで自殺があったらしいんだ。外国人のハーフのイケメンが、学校でいじめられて、それを苦に死んじゃったんだって。その部屋のバルコニーがちょうどそのT字路から見えるわけ。それで呪いとかの話になったんだよね。」

どこまで本当かは知らないけどね。彼女は付け加えた。

自殺のあったというその部屋。私はひやりとした。

「2階…今はそこに誰か住んでいるの?」

「知らない。でも事故物件ってやつでしょう。普通、そういう部屋に人は入らないんじゃない」

通学路を変えたほうがいいかもよ、佐藤さんはどこまで本気かわからない言い方で付け加えた。


私が登校するとき、2階のバルコニーからヨーロッパの人のようなきれいな顔立ちの男の子がそのT字路を眺めていた。同じくらいの年齢に見えた。いつも寂しそうな、悲しそうな、憂いを含んだ表情で外を見ているから、学校に行かないのか、と不思議に思っていた。私がT字路を渡って振り返っても、ずっとそこにいた。彼のその寂しげな表情がきれいな顔立ちをさらに魅力的なものにさせていた。正直、学校が同じだったら声をかけたいと思っていた、いつも外見ているよね、どうして、って。たぶん、少し好きになってしまっていたのだ。

佐藤さんの話を聞いて、彼は人間ではないのだと思った。私は霊感なんてないし、そういう不思議体験をしたことがなかったから、自分でも信じられない。だから佐藤さんにもっと詳しく聞くことはしない。でも、もし私の直感が正しいのだとしたら、私が彼を見ることができるのは、何と言うか、運命みたいなものじゃないかな。どこかでつながっていた。きっと私が彼を見ることができる理由がなにかある。

彼の深い憂いを含んだ寂しそうな表情も、過去のいじめや自殺の経験を抱えていると思うと、納得できるところがあった。その表情、悲しげだけど魅力的な顔は、どこか生きている人間とは違う深いなにかがあるような気もする。

いやいや、本当は佐藤さんにからかわれているだけなのかもしれない。自殺なんて嘘だった、みたいな…。ただの都市伝説だったら、どこまで本当かわからないし。仮に自殺が本当だったとしても、私が帰るときは彼を見ることはないし、誰か入居したのかもしれない。たまたまその人もハーフっぽい顔立ちで…。

でも、次の日もまた次の日も、雨の日でさえも、私が登校するときは必ず、彼は同じ表情でT字路を眺めていた。途中まで進んで、私が振り返っても彼はいつまでもそこにいる。


夢を見た。私は中学の制服を着て、いつものT字路に立っている。周りには誰もいない。

いつもはバルコニーにいる彼が私の目の前に立っていた。悲しげな憂いを含んだ表情はいつもと同じだが、近くで見ると本当にかっこいい。

「どうしていつも朝あそこにいるの?何を見ているの?」

私は尋ねる。彼は聞こえていないかのように顔色一つ変えず、答えようともしない。

「一人でいるのは寂しくない?」

彼のきれいな顔を見ていると、私は引き込まれそうになる。

「私も居場所がないの、転校ばかりで、家族ともあんまり仲良くなくて、どこにもないんだ」

私はなぜか一人で話し続ける。誰かにこんなことを話したことがなかった。

涙が自然と出てくる。なぜ彼にこんなことを話すのか、話したいと思ったのかわからない。いや、なんとなく、頭のどこかでは、これは夢なのよね、と気づいているのだ。

「気持ちわかるよ」

彼は一瞬だけ表情を変えた気がした。


朝起きると、外は大雨だった。雨の音が大きいから、眠りが浅かったのかもしれない。だから、変な夢を見てしまったのだろうか。起きて振り返ると、恥ずかしい感じがする。

台風が近づいていた。中学校から、大雨警報が出ているから安全に注意して登校するように、なんていうメールが入っていた。私は大きなため息をする。こんな大雨の中、学校には行きたくないけれど、暴風警報でも出ない限り休みにならない。大雨が降っているとはいえ、登校できないなんてことはないのはわかっているけれど、安全に注意して、とか言うなら休みにしてくれたらいいのに。

台風の大雨の影響もあってか、車は少しいつもより多い気がする。雨で道路も滑りやすいのか、スピードも出ているようだ。水たまりの上を走るとすごい水しぶきが飛ぶ。

歩いている人は少ない。冷たい雨で指先がじんじんする。

いつものT字路にさしかかる。見上げると、バルコニーに彼の姿がない。私が通るときにいないのは初めてだと思う。今日は台風だから?幽霊にも濡れたくない、とかあるのだろうか。もしかして、どこか別のところにいるとか?思わず見渡したが、その姿はない。

いや、幽霊と決まったわけではないよね。人を勝手に殺してはだめだわ。

色々考えていたところで、突然、強い風が吹いた。傘を持つのもやっとだ。冷たくなった指と腕に力を入れて、思わず目をつぶる。体のバランスが崩れた。

「あっ…」

何が起きたかわからなかった。体がスローモーションで宙を舞っている。

車にぶつかられたらしい。なんでこんな冷静なんだろう。体が地面に叩きつけられる。痛いはずなのに、何も感じない。何も聞こえない。体が動かない。

空が見えた。暗い空から雨が落ちてくる。視界の四隅がぼやけている。そのぼやけたあたりから、あの彼の顔がのぞいていた。私をのぞく顔は、いつもの悲しげな表情ではない、嬉しそうな笑顔。こんな顔ができたのか。人の笑顔を見て、こんなに怖い気持ちになるなんて。

私は彼に目をつけられていたのだ。だから私にだけ彼の姿が見えた。

彼はずっと私がそちら側に来るのを待っていたんだ。


「ねえ、聞いた?うちの学校の生徒が、また事故にあったらしいよ、あそこ、あのT字路で…」

「本当に呪いなんじゃないの、怖いね…」

そのT字路は相変わらず事故が多くて、呪われたT字路として近くの学校では都市伝説のように語られているという。

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T字路 糸井翼 @sname

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