あしちょうだい

小谷杏子

あしちょうだい

「えー、みんなも知ってるかと思うが、昨日、二組の男子が下校中に交通事故にいました。しばらく入院するそうです。お見舞みまいは親御おやごさんか先生に付き添ってもらうようにしてください。希望者は事前連絡を」

 さわやかな朝を一瞬でぶち壊す威力いりょくのある言葉が、先生の口から飛び出す。担任は四十歳を過ぎたおじさんなんだけど、落ち着きのある大人とは思えないくらい早口で硬い表情だった。

「ねぇ、その話ってさ、黒川くろかわのことじゃない?」

 隣の席の女子、崎本さきもとひさきがこっそりとぼくに言う。

「なんで黒川だってわかるんだよ?」

「二組のよっちゃんが教えてくれたから」

 崎本はあっけらかんと返した。それなら有力な情報だろう。

「ただの交通事故じゃなかったみたいだよー?」

 どうやら先生の表情の意味がわかるような不吉なことが起きたらしい。ぼくは眉間にしわをよせて崎本に耳を近づけた。それに合わせて、崎本も口をよせてひっそりと話してくれる。

「なんかね、足を切断しちゃったんだって」

「えっ」

 その言葉の衝撃に、ぼくは言葉を失った。

「両足なくなっちゃったんだって。ひざから下がぐちゃぐちゃで、お医者さんも治せないくらいひどかったって」

 崎本は深刻そうに言った。

「じゃあ、先生がお見舞いに行くひとはって言ってたのは……」

「状態がかなり悪いから、キセイしないといけない、みたいな?」

 規制か。たしかに、そんな状態の黒川に気軽にお見舞いなんて行けないかもしれない。

「黒川くんって、一年生のころから人気者だったから二組の子たち、かなり落ち込んでたよ。ほら、うちのクラスの山下やましたも仲よかったし」

 ぼくは山下に目を向けた。山下は机にせており、具合が悪そうだ。こうも意味深な様子でいると、こちらまで不安になってしまう。

「こら、崎本、奥田おくだ。こそこそ話してないで、先生の話を聞きなさい」

 先生の鋭い声が飛び、ぼくらはドキッとしながら前を向いた。

「今日から集団下校をします。帰りの会で各自、地域別に集合場所を連絡するので勝手に帰らないように。それじゃあ、朝の会を終わります」

 その声と同時にチャイムが鳴った。


 ***


 一時間目が始まる前、山下の周囲にはクラスの何人かがぐるっと囲んでいた。

「昨日、一緒に帰ってて……」

「そのとき、事故に遭って……」

「電信柱に……」

「やっぱり……本当だったんだ」

 とぎれとぎれに話が聞こえてくる。ぼくは朝読書の時間から読み続けていた本から顔を上げた。気になって集中できない。

 すると、横から崎本が顔をのぞかせた。

「電信柱と壁の隙間をくぐり抜けると、異界いかいに通じるんだって」

 頼んでもないのに説明してくる。

「この辺で最近ウワサになってる話があってね」

 崎本はニマニマと笑った。不謹慎ふきんしんなやつだな。

「電信柱と壁の隙間をくぐり抜けると、異界の自分に出会うの。その自分からのお願いに答えられないと死んじゃうっていう話。だから、ぜったいに話しかけちゃダメだし、向こうから話しかけられたら無視しないといけない」

「え? じゃあ、黒川はその『異界の自分』に会ったってこと?」

「たぶんね。でも、死んでないから……」

 その時、崎本の言葉をさえぎるように山下の震えた声が聞こえた。

「だから、何度も言ってるだろ。もう思い出したくない!」

 山下の声が教室中に響く。ぼくと崎本だけでなく、他の生徒もみんな一斉に山下を見た。

「そうだよ。あれは、黒川だった。でも、本当の黒川じゃない」

 山下は早口でまくし立てた。

「聞こえたんだ。後ろから黒川の声で『あしちょうだい』って、聞こえたんだ……!」


 ***


 山下は保健室で休むことになり、クラスメイトの雰囲気は黒いモヤがかかったみたいに暗い。休み時間でさえヒソヒソと声が飛び交い、誰もがこの奇妙な怪事件に関心を持っている。

「二組の黒川は異界の自分に会って、足をとられちゃった」と話がふくらんでいき、下校するころにはあちこちでその話で持ちきりだった。

 他学年の子まで「家までついてきてー」と仲がいい近所の子をつかまえてはぴったりくっついて離れない。

 今日は集団下校だから、各地域の生徒が集まって一緒に帰る。ぼくと崎本は同じマンションで下校中も一緒だった。担当の先生に引率され、それなりにワイワイにぎやかに通学路を歩いていく。

「奥田、奥田。電信柱あるよ」

 崎本が面白がるように、ぼくのランドセルを叩いた。

「あそこを通ったら『異界の自分』に会うと思う?」

「あるわけないだろ、そんなこと。黒川は交通事故だって、先生が言ってたじゃん」

「でも、みんな言ってるよ。山下も見たって」

「『異界の自分』なんて、バカバカしい」

 学校からの歩道をまっすぐ歩いて数分後、列は毛糸をほぐすようにばらけていく。同じマンションの子はほかにもいたから、その子たちと一緒にぼくと崎本はそれぞれの家へ向かう。

 エレベーターに乗っている間、崎本は無言だったけど、ぼくが先に降りようとすると、急に腕をつかんできた。

「ぜったい、試しちゃダメだからね」

「わかってるよ。崎本じゃないんだし、ぼくはそういうことしないって」

 エレベーターの扉が閉じようとしても、崎本は腕をつかんだまま離してくれない。ぼくはぐいっと引っ張り、扉に挟まれないように離れた。

「まったく、あいつは……意味わからんイタズラばっかりしやがって」

 あいつとの付き合いも長くなるが、中学まであんな風に付きまとわれたら嫌だなと思う。

 だいたい、ぼくよりも崎本のほうが危なっかしい。あいつなら面白半分で『異界の自分』に会いそうだ。


 家に帰ってランドセルから本を引っ張り出す。おやつを食べながら、ソファで本を読みふけっていると、お母さんがバタバタと仕事から帰ってきた。そして、夕飯の材料をキッチンに並べると、突然に「あー!」と驚いた悲鳴を上げた。

「ねぇ、わたる。おつかいに行ってきて!」

「えー? もう六時なんだけど」

「大丈夫。そこのスーパーでマヨネーズ買ってくるだけだから。ほら、お母さん手が離せないからー」

「でも、今日は集団下校したし……」

 お母さんは黒川の事故を全然知らない様子だった。楽観的に笑ってお金を渡してくる。

「もう六年生なんだから、大丈夫でしょ。ほら、お願い。おりはお小遣こづかいにしていいから!」

 そうして、ぼくは家から閉め出された。玄関を抜けると、夕暮れの紫の空にカラスが飛んでいるのが見えた。

 ぼくは小銭をポケットに突っ込んで、仕方なくエレベーターに乗ってマンションを出た。

 あの崎本のイタズラを思い出す。建物が古いこともあり、一人で乗るエレベーターはちょっと不気味だ。身近に悲惨ひさんな事件が起こったこともあって気が重くなる。

 マンションから横断歩道を渡ったすぐそこにスーパーマーケットがあるので、ぼくは車に気をつけながら走って店に入った。

 さっさと買って、さっさと帰ろう。さいわい、電信柱はあっても家の壁と向かい合ってはいないので隙間はない。

 お釣りはほとんど残らなかったのが悔しいが、それよりもぼくは早く家に帰りたかった。この時間は空の色がすぐに変わってしまうから、スーパーを出るころには夕日が落ちていた。

 行きと同じく電信柱を見ないようにして、車に気をつけて道路を渡る。そして、ほとんど走ってマンションにたどり着いて玄関を勢いよく開けた。

「ただいま……」

 声をかけるも、お母さんは電話で誰かと話をしていた。

 買ったものを台所に置く。すると、お母さんが慌てた表情でぼくを見た。

「あ、わたる! ひさきちゃんを見なかった?」

「え? 見てないけど……あ、でも今日は一緒に帰ったよ。あいつも、ちゃんと家に帰ったはずだけど」

「でも、家に帰ってきてないって」

「そんなはずは……」

 僕はその場で立ち尽くした。頭が真っ白になる。

 あいつのことだ。あのあと、通学路の電信柱を見に行ったのかもしれない。でも、ウワサでは『異界の自分』に会っても声をかけなければいいんじゃなかったっけ。対処法を知っていながら、行方不明になるとは考えにくい。

「え? もしもし……? あれ?」

 お母さんの声がゆるゆると安心していく。

「あら、そうなのー? 良かったぁ。わたる、ひさきちゃんが帰ってきたって」

 どうやら電話中に帰ってきたらしい。お母さんは、調子よく笑いながら電話を切った。

 なんだよ。まったく、人騒ひとさわがせなやつだな……。

「なんかね、外に遊びに行ってたんだって。六時になっても帰ってこないし、携帯に連絡入れてもつながらなくて、それでひさきちゃんのお母さん、すごく心配してたみたいでね」

「ふーん」

 ぼくはそっけなく返事した。ソファにごろんと寝そべって、本の続きを読む。


 ***


 翌日。学校に行く途中で、崎本が肩を落として歩いていくのが見えた。背後を気にするような姿勢だが、ぼくには気がつかない。

 ぼくは昨日の騒動そうどうの文句を言ってやろうと近づいた。

「崎本。昨日はどこに行ってたんだよ」

 あいさつもそこそこに聞く。でも崎本は早足でぼくから遠ざかる。無視されるとは思わなかったので、ぼくは崎本の前に回り込んだ。

「無視すんな、崎本」

 しかし、ぼくはもう文句が言えずに目を見張った。崎本の顔色が悪い。

「昨日、どこ行ってた?」

 静かに聞くと、崎本はくちびるを震わせて、息を飲み込んだ。そして、ゆっくり時間をかけて答えた。

「……電信柱」

「やっぱりか。それで、どうだったんだよ。『異界の自分』に会ったのか?」

 面食らっていたこともあり冗談半分で聞くと、崎本は大げさに肩を震わせた。明らかに様子がおかしい。

「……どうしよう、奥田。わたし、殺される」

「え? なに言ってんだよ」

「いや、だってね。わたしも冗談だって思ったんだよ。現実に起こるはずがないって。でも違った。いたよ。会ったよ。だから、わたし、殺される」

 そこまで一息に言うと、崎本はぼくを突き飛ばして走っていった。

「おい、崎本!」

 慌ててあとを追いかける。崎本はなにかから逃げるように。

 でも、ぼくのほうが足が速く、崎本の腕をつかんで立ち止まらせる。学校の裏手の道で、電信柱がへいにくっつくようにして伸びている。向こう側の正門では多くの生徒が登校する最中だった。

 ぼくたちはしばらく息を整えた。

「……崎本、大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

「じゃあ、どうしたんだよ。ちゃんと話せよ」

 怒って聞くと、崎本はゆっくり顔を上げた。そして、ぼくの背後を見て「ひっ」と短く悲鳴をあげる。

「あ、あしちょうだいって」

「足?」

 崎本はガクガクと首を縦に振った。

「だから、『ダメだよ』って言った。でも、ずっとついてくる。後ろにいる。ずっと、あしちょうだい、あしちょうだいって」

 崎本はおびえきっていた。地面に座り込んでしまう。そして、ぼくの腕をつかんで、うわごとのように言葉を繰り返す。

「あしちょうだいあしちょうだいあしちょうだいあしちょうだいあしちょうだいあしちょうだい」

「崎本……」

「あしちょうだい、あし、ちょうだい、あなた、し、ちょうだい」

 言葉がわずかに変化する。

 目の前の崎本は、本当に崎本なんだろうか。そんな不安がよぎり、頭を振る。いまは、目の前の崎本を安心させなくちゃ。

「なぁ、大丈夫だって。ほら、電信柱くぐってもなにもないから」

 ぼくは傍にあった電信柱と学校の塀の隙間に手を突っ込んだ。

「な? なんにもないから。おまえ、そういうの面白がるから、変な夢でも見たんじゃない? バチが当たったんだよ」

「あ、ダメ……奥田、そこから離れてッ!」

 崎本の声がつんざき、ぼくは電信柱から一歩離れた。崎本は半狂乱になりながら、頭を振ってうめく。ぼくは不気味に思いながら後ずさる。

「うぅ……ダメ、ダメダメダメ。こないで。怖い。やだ。もうやだ」

 そのうわごとの合間に、ぼくの後ろから冷たく細い空気が流れてきた。

『ア、シ、チョウダイ』

 後ずさりすると、背中がなにかに当たる。

 振り返ると、そこには穏やかに笑う

「え?」

 どうして。崎本が。二人いる。

 ぼくの頭は混乱し、交互に二人を見やる。怖がる崎本と、笑顔の崎本。どちらも同じ崎本。

『アシ、チョウダイ』

 でも、後ろにいる笑顔の崎本は声がおかしい。金属をこすったような高い声だ。

『アシチョウダイ』

『ア、シ、チョウダイ』

「やだってば! もう帰って! お願い! 帰ってぇッ!」

『ア、シ、チョウダイ』

『アナタ、シ、チョウダイ』

『アナタ、死ンデ、チョウダイ』

 その時、怯えていた崎本がふらりと立ち上がった。そして、仰向けに倒れていく。

「崎本……?」

 体がぶるぶると震え、そして、崎本は動かなくなった。頭から血がドクドクと流れ出していく。

 呆然ぼうぜんとするぼくの後ろで、あの異様なもうひとりの崎本が愉快ゆかいそうに体を引きつらせて笑った。ゆっくりとぼくの横を通り過ぎる。

『アハハ。死ンジャッタネ』

『コッチノ、アナタガ、死ンダカラ』

「今日から、わたしが、アナタになってあげる」

 そいつが崎本の体にさわった瞬間、ぼくはその場から逃げ出した。

 教室までの道が遠く感じる。逃げて、逃げて、足がちぎれそうだった。

 なにが起きたのかわからない。頭の中は倒れた崎本の映像がはっきりこびりついている。校舎に入って、誰かに助けを求めよう。階段をのぼって、自分のクラスまで来て、ようやくぼくは声が出るようになった。

「助けて!」

 勢いよく教室の中へ飛び込む。すると、ほとんどの生徒が登校しており、ぼくの様子を見て驚いた。

「誰か助けて……! どうしよう、崎本が……!」

 息を切らしたまま咳き込んで言うと、近くにいた山下が不思議そうに言った。

「崎本? 崎本がどうかしたの?」

「道路で倒れて! なんか、もうひとりの崎本がいて! それで、崎本が……」

「奥田、落ち着けって。崎本なら、おまえの後ろにいるよ」

「え?」

 振り返ると、崎本が笑顔で立っていた。

 ニコニコと笑う崎本ひさきが、そこにいる。

 ぼくは教室を見渡した。全員がニコニコとぼくを見ている。昨日はとても具合が悪そうだった山下も、穏やかな表情でぼくに笑う。

「お、黒川ー」

 山下はぼくの横をすり抜けて教室を出る。そして、しっかり足がある黒川と一緒に二組の教室に入っていった。足がないはずの黒川が。

 いったい、なにが起きてるんだ。

 立ち尽くすぼくは、ふいに廊下の窓を見る。

 ガラスに映るぼくが、笑顔で手を降っていた。

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あしちょうだい 小谷杏子 @kyoko

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