さっしぃのかるた
一帆
第1話
「さっしぃ、あいつ、また、きているよ」
三つ前の席に座っていたなっちゃんがわたしのところにやってきて、肘をつついた。なっちゃんは三好君を見つけるのが早い。理由はわかってる。なっちゃんはいつも三好君のことを追いかけているからだ。そして何故かいつもわたしに、三好君のことを報告に来る。
五年一組の三好君は、休み時間になるとよく五年二組にやってくる。ちょっと背が低いけれど、かっこいいし、優しいし、女子の間では人気者だ。たぶん、五年生の人気投票を行ったら五本の指に入るんじゃないかな? 二組に来ても大抵は、同じバスケットボールチームの男の子たちと話している。でも、今日は違った。わたしが先生に管理を頼まれている学級文庫の本棚で本を見ている。わたしは、むうっと頬を膨らませると、教室の窓側になる本棚に向かった。何故か嬉しそうな顔をしてなっちゃんがわたしにくっついてくる。そして、背の高いわたしの背中に隠れるように立った。三好君側から見るとツインテールの片方の髪だけが見えるんじゃないかな?
「三好君! ここは一組じゃないんですけど!」
「そーだ、そーだ」と、わたしの背中からひょこっと顔を出すと、わたしにしか聞こえないような小さな声でなっちゃんが言う。
「あっ……! いいじゃん、減るもんじゃないし」
ぱらぱらっと読んでいた三好君が顔を上げた。三好君が手にしているのは、『百人一首』のことが描いてあるマンガだ。担任の西岡先生が『俺のマンガだけど、特別に学級文庫に置いてやろう』と言った大事なもの。マンガということもあって、休み時間いつも誰かが読んでいる。だから、わたしは休み時間ごとに、破れていないかとか書き込みがないかとか中身をさっとチェックしている。
「でも、他のクラスの人が学級文庫を見るのは困るんですけど!」
「見るだけならいいじゃん。ドーナツみたいに減るもんじゃないし。一組はえぶりばでぃ、おっけーだぜ?」
三好君は、ちょっとだけ肩をすくめ両手をひろげおどけるような身振りをした。わたしの後ろに隠れるように立っているなっちゃんがくすりと笑う。三好君って笑いをとるのが上手だ。わたしも思わずくすりとしそうになって、慌てて顔を引き締める。
「一組はよくても、二組はだめなんですけど!」
「そこをなんとか!」
三好君が、両手を顔のあたりでハエのようにすり合わせながら、こんどは上目遣いでわたしの後ろに立っているなっちゃんに助けを求める。なっちゃんがくすくす笑いだした。
「な、いいじゃん? 夏川からも言ってくれよ」
三好君に呼ばれて、ぽっと、なっちゃんの顔が赤くなる。もじもじっとわたしの袖を引っ張った。
「…… さっしぃ…… どうする?」
「どうするって言ったって、学級文庫だし、そのマンガは西岡先生のマンガで大切なものだし……。休み時間ごとに中身を確認していること、なっちゃんも知っているでしょ?」
わたしは後ろに立っているなっちゃんと顔を見合わせた。
「じゃあ、オレが見ている間、お前らがオレを監視していればいいじゃん?」
三好君が妥協案を提案してくる。確かに見張っていれば破いたり書き込みをしたりしないと思う。でも、何かあった場合、責められるのはわたし。わたしは困ってしまって外を見た。青い空が見える。中休みだから、校庭でおにごっこをしている子の『きゃー』という声が聞こえてきた。へんな沈黙が三人の間に流れる。気まずい雰囲気を破ったのはなっちゃんだった。
「……どうして、そんなにそのマンガをみたいの?」
なっちゃんがおずおずと三好君に尋ねた。三好君が目を少し泳がせながら、言い訳を始めた。
「……五色百人一首のかるたを来週の火曜にするって、昨日言われたじゃん? オレ、全然覚えていなくてさ。青色札にするか、ピンク札にするか悩んでんだ」
「なぁるほど……」
なっちゃんが腕組みをしながら大きく頷いている。西岡先生の真似をしているのがわかった。わたしは、ぷっとふきだした。三好君もほっとしたような表情をする。
「二組はその話出た?」
「うん。昨日、西岡先生が帰りの会で言ってた」
二学期に入ってから、青、ピンク、黄色、緑、オレンジの紙に二十首ずつ印刷された百人一首が配られた。百首を五つのグループに分けた五色百人一首というものらしい。授業では、青色の紙に印刷された二十個の札を切り取って、青色札を作った。西岡先生は、『今回は青色札とピンク札のかるたを行う。金曜日までにどちらの札で参加するか決めてエントリーを行うこと。覚えるのに自信がない人は授業で扱っている青色札がおすすめだ。しかし、出来る人はぜひともピンク札に挑戦して欲しい』と言っていた。
「一組には百人一首の本ないの?」
「チョー難しいのが一冊あるけど、こっちのほうがわかりやすい」
「フフ……確かに安芸先生だったら参考書置きそう」
「だろ? …… でも、一組の人間が押し寄せて、マンガの取り合いになっても悪いなぁ」
三好君はそう言うとマンガをもとの本棚に戻した。ちょっと名残惜しそうに見ていたけれど、わたし達の方に向き直った。
「そうそう……、おまえら、青色札とピンク札どっちにするんだ?」
「わたし、青色札!」
なっちゃんが片手を上げて大きな声で即答する。ツインテールがぴょこっと揺れる。まるで、なにかの宣誓みたいだ。クラスの大抵の人は、なっちゃんみたいに青色札を選ぶんじゃないかな。授業で扱っているのは青色札だけだし、決まり字の説明とか、「ももひきなほ」とか覚え方も教えてくれたから。
でも、昨日、西岡先生の話を聞いていて思ったんだ。どうせ覚えるのなら、わたしは好きな句があるほうを覚えようって。だから、昨日、家に帰ってから、青色札とピンク札合計四十枚の札を並べて読み比べてみた。どちらが好きか。それで、決めたんだ。
「青かあ。……おまえは?」
「……ピンクにしようかな」
「なんで? 青の方が簡単だってみんな言っているぜ」
三好君が不思議そうに聞いた。
「好きな句があるからかな……?」
自分で決めた理由を口にすると、顔が火照ってしまいそうになった。あわてて、三好君の視線を外して床を見る。変な疑問形で答えても許して欲しい。どうか気づきませんように、一生懸命祈る。いつのまにか、わたしの隣に立っていたなっちゃんが訳知り顔で得意そうに言った。
「ピンク札ってさっしぃの札があるものね!」
「さっしぃの札?」
「えっとぉ『かく』で始まる札だよ。『さし』という言葉が何度も出てくるから、クラスではさっしぃの札って呼ばれている。でも、ピンクって難しいんでしょ?」
「そうでもないよ。覚えるのはピンク札も二十枚で同じだよ」
わたしは小さく手を振って否定する。青色札とピンク札の句。覚えるのは同じ二十句。ピンク札の句は覚え方をネットで調べなきゃだけど、大丈夫じゃないかな? だって、好きな句があるもの。覚えるのもしんどくないはず。
「なんていうやつだよ?」
「もう、しょうがないなあ」
なっちゃんはすっと三好君の横に並ぶと、三好君に見えるように本を開いて探し始めた。頭をくっつけてくすくす笑いながら探している二人はとても楽しそうだ。わたしは拳を握りしめると、すぅっと息を吸うと目を閉じた。ちょっとだけ、教室の音が小さくなったような気がする。覚えたての句はすらすらっと口に上がってきた。
「『かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを』」
「さっしぃ、もう覚えちゃったの? さすがさっしぃだね!」
三好君から離れるとなっちゃんが「すごいぞ!! わたしのさっしぃ!」と言って、背伸びをしてわたしの頭を撫でた。わたしも、誉めてもらって嬉しくて、えへへっと照れ笑いをする。それを見ていた三好君がげんなりした顔で本を差し出した。そこには、『かくとだに』の句が載っていた。
◇
「まさか、三好君がピンク札を選ぶとは思わなかった」
「おまえが『好きな句があるほうを選んだ』と言ったのを聞いて、オレも考えたんだ。オレもピンク札の方が好きな句があるからピンク札を選ぶことにした」
「ふーん。そうなんだ」
わたしと三好君は、五色百人一首大会当日、ピンク札を選んだ人の中にいた。ピンク札を選んだ人はかしこい人ばかりで、わたしと三好君はちょっと浮いていた。初めに青色札のかるたをするから、ピンク札の人は二組の教室の中で自習だ。一組から西岡先生が札を読む声が聞こえてくる。読み始めると、バンバンと札をとる音がする。『あー』とか『ぎゃあー』とか意味不明な声もする。教室の中を見まわすと、みんな、ぶつぶつ暗記シートとにらめっこしている。わたしは、偶然隣に座った三好君と肩をすくめ合った。
「おまえさぁ、『かくとだに』、ほんとは好きじゃないだろ?」
「え?」
わたしは、なにげない三好君の言葉に心臓が飛び出そうなくらいびっくりした。親友のなっちゃんでさえ、『かくとだに』はわたしの句で大好きだと思っている。三好君は頭をぽりっと掻くと下を向いた。
「おまえさぁ、大阪から引っ越してきたころさぁ……『定規』のこと『さし』って言ってオレに大笑いされだろ? それで、しばらく学校に来れなかったろ?」
「あれはもういいよ。三好君、わたしが学校に行けるようになるまで毎日呼びに来てくれたじゃん?」
「でもさ、さっしぃって呼ばれるようになったのはそれからだろ?」
「まあね。……でも最近、慣れたよ」
「三年生の時、おまえ、さっしぃって呼ばれる度に眉間に皺が寄ってた。嫌だったんだろう? そんなおまえが、『さし』がつく句を好きになるとは思えなくてさ……」
「……」
「だからさ、おまえが好きな句ってどれだろうって思ったんだ」
「……教えないよ」
顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしくなってきた。わたしはあわてて暗記用のシートを取り出す。でも三好君はまだ話したそうに机に顔をつけながらこっちを見ている。これは別の話題にするしかない! わたしは全然頭に入ってこない暗記用のシートとにらめっこした。
「じゃあさあ、三好君の好きな句ってどれなの?」
「『かくとだに』……かな? 最初、夏川におまえが『かくとだに』が好きだって聞いて、意味を調べたんだ。そうしたら、さしも草ってよもぎのことで、お灸に使うもぐさなんだってな」
「えっ、そうなの?」
「てか、おまえ、意味調べとかしなかったのかよ?」
三好君の声が大きくなり、他の人からじろっと睨まれた。『すまん、すまん』と三好君が手を合わせて謝っている。そのしぐさもちょっとだけおかしい。周りのみんなもくすくす笑いだした。三好君のそういうところ、いいなっていつも思う。
「うん。覚えるので精いっぱいで……」
「そっか。オレは二十句のうち三句は調べた」
「はあぁ? それって、自慢できること?」
「全然調べていない奴に言われたくない」
三好君がぷうっと頬を膨らませた。そして二人で顔を見合わせて小さくフフッと笑った。
「それで、この句はオレの気持ちにちょっと似ているって思ったんだ」
「へえ、どんな気持ち?」
「教えない。おまえが好きな句を教えてくれたら教えることを考えてもいい」
「えー。なら、いいや」
わたしが興味なさそうに言うと、三好君は急にあたふたし始めた。
「いや、それは困る」
「なんで?」
「それは……」
三好君が言いかけた時、二組の教室の扉が開いた。西岡先生だ。
「今、青札の試合は終わって、一組の安達が優勝した」
「だろうね」と声が上がる。安達君は五年生の中で一番頭がいいという噂の人物。御三家でも行くんじゃないかってもっぱらの噂だ。青色札にした理由も、『絶対優勝したいけどあまり時間を割きたくないからだ』と言ったとかなんとか。二組ではその噂が昨日飛び交っていた。予想通りの展開にみんなしらけムードだ。
ふと見ると、隣で三好君が口を開いたり閉じたりしていた。自分達の順番が来て緊張しているのかな? どう声をかけようかと考えていると、三好君がぎゅっと拳をにぎって、わたしの方をみた。
「……オレさ、『かくとだに』の中にさ・え・ぐ・さを見つけたんだ」
「はぁ?」
三好君の言葉が唐突すぎて、わたしは目をぱちくりさせた。
「『さしもぐさ』から さとくさ。あとは『えやは』からえ」
「えはこじつけやない?」
三好君が、がたんと椅子の音をたてて立った。そしてびしっとわたしを指さした。
「いいんだ。と、とにかく、さえぐさって字は『かくとだに』の中にある。だから、『かくとだに』は佐枝の札でいいんだと思う」
「へ?」
今度はわたしが変な声をあげる。三好君は笑って一組に戻って行った。
わたしは、三好君に言われたことを反芻してみる。確かに、『かくとだに』の中に、『さ・え・ぐ・さ』という文字が入っている。自分の名前が入っていると知っただけで、その句が好きになるだから不思議だ。また、三好君に助けられたみたい。わたしの中の三好君がどんどん大きくなる。わたしは思わず、両手で自分を抱きしめた。
「どうした? 佐枝、具合が悪いのか?」
教壇に立っていた西岡先生が声をかけてきた。わたしは頭をふった。
「まあ緊張するのも無理ない。しかし、佐枝、お前なら大丈夫だ。今からの相手は一組の三好だしな! 気負わずにいけば勝てるぞ!」
「えっ?」
わたしの対戦相手が三好君だったの? 当たるといいなくらいには思っていたけれど、一回戦で当たるとは思いもしなかった。
三好君との会話を思い出す。三好君は、ずっとわたしのこと気にしていてくれたんだ。”さっしぃ”というあだ名が苦手なこと、”『かくとだに』”が好きじゃないこと……。
そして、わたしは気づいてしまった。いつも、三好君のおかげで苦手なものが好きなものに変わっていく。三好君にはわたしの世界を変える凄い力がある。でも、三好君は気づいていない。わたしがいつも三好君を見ていること、わたしの中の三好君の存在が大きいこと。
これは、チャンスなのかもしれない。わたしにだって三好君をあっと驚かせるような奥の手があるもの。
わたしが好きな札を朝からそっとポケットに忍ばせている。わたしはポケットの上からその札を触った。『うしとみしよぞ いまはこひしき』を『みよしぞ』と読み間違えて、好きになった句。
―― よし! 勝ったら、三好君に見せて、三好君のことが好きだって言おう。
どんな顔をするだろう? そう思ったら、絶対勝ちたくなってきた。ポケットの中の札が私に力をくれる。
―― 覚悟してね! 三好君!
わたしは楽しくなって、ふふふっと笑った。
さっしぃのかるた 一帆 @kazuho21
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