コインランドリー
園長
コインランドリー
近所にコインランドリーの店ができたらしい。
そんな話を聞いてどんな所か見に行ったのは今からもう3年も前になる。その時私はまだ小学生だった。
内装が木目調で統一されたおしゃれな雰囲気のお店で、靴が洗える洗濯機や大きくてピカピカのドラム式洗濯機が並んでいた。
隣にはクリーニング店が併設されていて、そこの人が新しい漫画雑誌やファッション誌を置いたり、こまめに掃除をしているらしく、清潔さを感じる店だった。
とはいえ家に洗濯機がある我が家ではほとんど利用することはなく、へぇ新しいお店ができたんだな、ってぐらいの関心しかなかった。
あの日までは。
それは梅雨のじっとりとした雨が何日も降り続き、誰しもが陰鬱な空気の中で晴天を待ち望んでいた頃。
忘れもしない、土曜日の夕方だった。お母さんに「お願い!」と拝まれて仕方なくお父さんのシャツをクリーニング店に持って行った。
しずくが滴る傘を傘立てに入れてお店に入ると、ベンチに足を組んで座っている男の子が目に止まった。
漫画雑誌を読みながら退屈そうに大きなあくびをしている。雨に降られたのか、彼の肩と髪の毛は少し水を吸ってしっとりとしていた。
よく見ると2組の
普段は絶対、知ってる子に学校以外で会っても話しかけたりしないのだけど。
その時の佐治くんの表情は、学校の時とは全く違って見えて、なぜだろう、私は声を掛けずにはいられなかった。
「ねぇ、何してんの?」
ゆっくりと顔を上げた彼は、少し驚いたような顔をした。
「え、何って? 乾燥機終わるの待ってんだけど?」
そりゃそうだ。私が佐治くんの次の言葉を待っていると「あー、毎週ここに来るのが俺の仕事なんだよ。洗濯は俺の係だからなー」と答えてくれた。
ちょうどその時、ピーピーと乾燥機の終わる音がした。
佐治くんは「よっこらせ」とおじさんのような掛け声で立ち上がると、大型の乾燥機の蓋を開けて中身を取り出した。
中からはかなり大量の洗濯物がネットにつつまれて出てきた。
女性物の衣類と佐治くんのだと思われるTシャツや体操服なんかが入っていて、机の上でそれを次々にネットから出して大きな山を作った。
そこから抜き取った洗濯物の上を佐治くんの手が通ると、そのたびにしわが伸びて次々と折り畳まれて小さくなっていく。
畳まれた洗濯物は、ビルの建設を早送りしたかのように下から順番に積みあがっていく。それは見ているだけで清々しい気持ちになるような、手際の良い動きだった。
「あのー、何? 俺がパンツ畳んでるの見るのが趣味なの?」
そう言われて、初めて自分が佐治くんをじろじろと見ていたことに気付く。
「あっ! えっと……ごめん!」
私はそれだけ言って逃げるようにして自動ドアをくぐってお店を出た。
道路を歩きながら胸に手を当ててみると、まだ強く鼓動しているのが分かった。
まさか初めてかっこいいかもと思った男の子の姿が洗濯物を畳むところだなんて、誰が想像できるだろう。
おかげでうっかりお父さんのシャツを出し忘れてきて「あんた何しにでかけたの」と家に帰ってからお母さんに呆れられてしまった。
次の土曜日も、まだぎりぎり梅雨は明けていなかった。
思った通り佐治くんはお店にいた。どうやら毎週ここに来る時間は決まっているみたいだ。
私は部屋干しする予定だった洗濯をお母さんに強引に頼み込んで持ってきて、勇気を出して声をかけた。
「また会ったね」
「おー、俺のパンツを見るのが趣味な人」
なんて覚え方。
「隣のクラスの清水だよ」
ちょっと怒った風に言うと、「知ってるよ」と笑われてしまった。
腹が立っているような、覚えていてくれて嬉しいような。この人が何かを言うたびに、私の心の色がころころ変わっていく。
その佐治くんの目の前には今日も山盛りになった洗濯物が置いてあった。4人家族の私の家の洗濯物よりも圧倒的に多い。
「大量だね」
「母さんと俺の分だよ、一気に1週間分やっちゃうんだ。その方が時短になるだろ?」
と話してくれた。
「うちの洗濯機壊れててさ。新しいのは買うつもりなんだけど、母さんにこだわりがあって今は貯金中ってわけ。まぁ俺はこっちのほうが一気にできるから楽でいいけどなー」
佐治くんの話からはお父さんの存在は感じられなくて、逆に、聞けば聞くほどお母さんとの2人暮らしの様子が想像された。
学校ではそんなに話をしたことなかったし、ここで会わなければそんな事情、きっと知らないままだったんだろうな。
「清水は?」
「え、私? 乾燥機かけにきたの。ずっとこの天気だからね」
佐治くんはガラス戸の向こうに見える空を見上げて「そうか」とだけ呟いた。
でも結局その後は会話が続かずに、佐治くんが洗濯を畳んでいるのを横目で見ていることしかできなかった。
だって共通の話題がないんだもの。男の子っていつもどんなことを話してるんだろうと考えてしまう。
それでも私は佐治くんと一緒にいれたことが嬉しかったりもした。
学校では見せていない私だけが知っている佐治くんが、このコインランドリーにいるような気がしていたからだ。
ここにいる佐治くんの顔はなんだか寂しそうな、憂いを含んだように見えるときがあって、その顔を見るといつもなぜだか胸が苦しくなった。
私はその理由が知りたかった。
それなのに、その日を境にして雨は止んでしまった。
もうコインランドリーに行く理由が無くなってしまった。
真上から降り注ぐ強烈な太陽の光を浴びながら、うちの洗濯機も壊れないかな、なんてため息をつく日が続いた。
ついに学校は夏休みに入って、佐治くんの顔も見れなくなった。
ところがそれから数日たったある日、テレビで最新コインランドリーの特集があった。
流されやすいお母さんは「やっぱり乾燥機はガス式よね」などとあっさり番組に説得されていた。
すかさず私は「洗濯物、溜めといてくれたら私が土曜日の夕方にでもやっとくよ」と提案した。
「うっそー、
そこまで言われると傷つく……まぁいつも手伝いなんかあんまりしてないけどね。
「まぁまかせてって、大丈夫だよ」
「なにその自信、逆に怖いんだけど……」
お母さんに若干怪しまれながらも、私は晴れて堂々とコインランドリーに行く口実を作ったのだった。
とはいえ、別に私たちはコインランドリーに行く時間を合わせているわけじゃない。
私と佐治くんは1週間ごとに会うときもあれば、私が行ったときには彼は帰っていて1ヶ月以上会わないこともあった。
一言二言だけ話すときもあれば、洗濯を畳み終わった後も修学旅行やテレビのことを話し込むこともあった。
お互い中学生になった後も、土曜日の夕方になると家族の洗濯を持ってお店に向かった。
あれから変わったことと言えば、佐治くんの洗濯にサッカー部の土の汚れがついたユニフォームが混じるようになったことと、上の段の洗濯機から洗濯物を出す時でも、背伸びをすることがなくなったことぐらいだ。
いつも毎週土曜日の夕方が来るのが楽しみだった。逆に佐治くんに会えない土曜日はどこかぽっかりと穴が空いたような、寂しい気持ちになった。
とはいえ別に時間を決めてまで会おうとはしなかった。だってなんか恥ずかしいし。コインランドリーでたまたま会って話をするぐらいが、私達の関係はちょうどいいような気さえしていた。
そしてそんな中途半端な関係のまま、気づけば3年が経っていた。
気づけばまた梅雨の季節がまたやってきていた。
今日もお母さんはわざとらしく「誰かさんがなぜか進んで洗濯をしてくれるようになってから楽になったわー」と含みを持たせた笑顔で私に洗濯物の入った大きなかばんを渡した。
私はニヤついてしまいそうになる自分の頬に力を入れて「そういうのいいから」と冷たく言い放って洗濯物の入った鞄を受け取った。どうして人はおばちゃんになると下世話なことに首を突っ込みたがるのだろう。たぶんお母さんはきっと私達が付き合っているものだと勘違いしてるんだろうな。
傘を差して歩いていても、せっかく乾かした服やスニーカーが湿気を含んでいくのがわかる。
私がお店に着くと、すでに彼はベンチに座って漫画を読んでいた。
自動ドアが開いて中に入る。お店の奥を覗いてみると佐治くん以外にお客さんはいなかった。乾燥機の残り時間を示すデジタル表示は既に5になっている。
「あのさ、なんでいっつもそんな不審者みたいに入ってくるわけ?」
「な……不審者?」
私は続けて出てきそうになる言葉をぐっと飲み込んだ。これは彼なりのコミュニケーション方法だと思ってそれ以上触れずに切り返す。
「私に会えて嬉しいくせに」
きょとんとした顔をした佐治くんは、ため息をついた。
「えーっと、自意識過剰って言葉、知ってる?」
「知ってるよ、お習字にしてあげようか」
「……いや、いいよ。莉子、字汚ねぇじゃん」
いつからだろうか、こうやって軽口をたたいているとたまに下の名前で呼ばれることがあって、そのたびに恥ずかしさと嬉しさで私の心臓は勝手に飛び跳ねて、顔が熱くなってしまう。
うーん、でも、これって仲良くなったって言っていいんだろうか。
「ねぇねぇテスト勉強すすんでる?」
「ん? まぁまぁ、かな」
佐治くんは漫画を読みながら顔も上げずに返事する。
「英語の出題範囲エグくない?」
「うーん、まぁなー」
「数学もやばくない?」
「そうだなー」
「こないだ理央から告白されたらしいね」
「……」
ようやく顔を上げた、と思ったら再び視線は漫画に落ちた。
「まぁな」
「振ったらしいじゃん」
面倒くさいことを訊いてくるな、とでも言うように雑誌を机の上に無造作に置く。
「だったら何? 別にそんなことお前に関係なくない?」
確かにそうだ。確かにそうだけど。
「いいよ、別に嫌なら答えなくて。でもなんで振ったの? 理央かわいいじゃん」
首の後ろをぼりぼりと掻いて、言葉を探した後に口を開く。
「じゃあお前は見知らぬイケメンに付き合って欲しいって言われたらホイホイ付いてくのか?」
「そりゃぁまぁ、イケメン度にもよるかな」
そう答えると「……お前らしいな」と呆れたみたいに笑ってため息をついた。
「正直に白状するとさ、別に嫌じゃなかったんだ、『好きです』って言われたことも、むしろ付き合ってみることも悪くないとも思う」
意外な答えだった。てっきり「女と付き合うなんてめんどくせぇぜ」とか言うのかと思ってた。
「たださ……人間、口じゃなんとでも言えるだろ? 好きですとか、愛してるとか。でも、俺はなんか腑に落ちない。それって本当なのか? っていつも疑っちまうんだよな。だから何か真剣に告白してくれた人に申し訳なくってさ」
私は佐治くんが言いたいことがうまくわからないまま「ふーん」と応える。
「例えばの話だ、俺の父親が……まぁ元父親なんだけど。家から出て行った後も、たまに家に来るんだよ。で、俺に『元気してるか?』とか『背高くなって俺に似てきたな』とか笑いながら言うわけ。でもさ、そんなに息子のことが気になる奴が、よそに女作って家出ていくなんてことある? とか思うわけよ。母さんは母さんで勝手に彼氏作って家に呼んだりしてるしさ。マジで謎すぎ。だからまぁ、なんだかな、人間なんて口じゃなんとでも言えると思っちゃうわけ」
そう言って苦笑する佐治くんの顔を見て、パズルのピースがはまった時みたいに、あの寂しそうな顔の理由がようやく分かった気がした。
本当は、彼は他人というものを基本的に信じていないんだ。だからいつも疑っている。
学校で皆といる時はそういう自分を隠して、着ぐるみを被ったみたいにどこか取り繕っている。コインランドリーで見せるこの顔が、佐治くんの正体なんだ。
「あのさ、私が言うのもなんだけど、理央は本気だったと思うよ。けっこう落ち込んでたし」
「そういうこと言うなよ、申し訳なくなるだろ」
とはいえ、私としては2人の仲がうまくいってしまえば困るのだけれど。
「どうやったら本気だって信じられるようになるんだろうね。誰が『好きです』って言ったとしても信じないんでしょ?」
「うん? いや、莉子が言うならそれは信じるよ」
乾燥機の終わるピーピーという聞きなれた電子音が静かな店内に響く。
「……は?」
私が聞き返すと、鬱陶しそうな顔で「なに?」と逆に尋ねてくる。
「いやだって、さっき疑っちゃうって言ってたじゃん」
「そりゃさ、『雨が降り続いてるから』って理由でコインランドリーに来た人間が雨が降り止んでもずっと同じコインランドリーに来てたり、いつも不審者みたいに中に俺がいるのか確認して入って来るし、何かいつも話しかけてきたりチラチラ見たりしてくるし。何となく、俺のこと好きなんだろうなーって思ってたから」
いつのまにか私は口をぽかんと開けてしまっていた。傍から見たらすごい間抜けな顔をしていたと思う。
「えーっと、自意識過剰って言葉知ってる?」
「知ってるよ、お習字にもできるぞ……平仮名なら。でも、自意識過剰じゃないだろ?」
私は恥ずかしいのが耐えられなくなって手で顔を覆ったまま言う。
「じゃあ何、ずっと気付いてたの?」
「まぁな、でも気付かないふりしてるのもいいかなーと思って」
「なにそれ、ひどくない? 私のことなんだと思ってんの?」
「コインランドリーにやたら出没する変な奴……だった、最初はな。でも、別にこっちから無理に話さなくてもよかったし、待ち合わせを取り付けてくるわけでもなかったし、気を遣わなくてよかったから居心地がよかったんだ。だからかな、いつの頃からか会えないと寂しい気持ちになったし、他の子に告白されても莉子の顔が浮かんでたんだよな」
私は何も言えない。ただ心臓が耳元で大きく脈打って響いている音だけが聞こえる。
「そうそう、もう1つ白状すると、俺って洗濯するの嫌いなんだよ。でも莉子がいてくれて良かったよ」
そう軽く笑って言って立ち上がり、彼は乾燥機の中から洗濯物を取り出す。
その背中を見て、愛しいような悔しいような気持ちになった私は、絶対に今日、コインランドリー以外で会う約束をとりつけてやろうと心に決めた。
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます