後日談

 眠り姫は十一年後に目を覚ます

「……いい天気」


 病院の一室。一人の少女は窓の外を眺めている。


 眩しい陽射しは暖かく、開いた窓から心地の良い風が舞い込む。


「今日も来る……よね?」


 ベッドの上で、ある人の顔を思い浮かべた。


 まだ慣れないその顔を、微かに感じた面影から、自分の『友達』であると納得させる。


「あら? 今日も来てくれたのね」


 病室の扉の先から看護師の声が聞こえた。


(来た)


「はい 今日の様子はどうですか?」


「がんばってたわよ〜? もしかしたら今は寝ちゃってるかも知れないからそっと入ってあげてね」


「ご両親は?」


「朝はお母さんが来てたわね 一九時ぐらいにお父さんと一緒にまた来るそうよ」


「ありがとうございます」


 一人の足音が離れて行く。これは看護師の足音。


 もう一人の足音はしない。部屋の前に立っているからだ。


(来た!)


 咄嗟に布団を被って寝たフリをする。


 決して驚かそうとしている訳では無い。ただ、どう顔を合わせて良いのかわからなかったのだ。


 扉を開けてその男は入ってくる。


 いつものように、好きだったお菓子をお土産に、お見舞いにやって来た。


「……寝てるのか?」


 返事はしなかった。


 何度も会っているはずなのに、どうしても目を合わせられない。


「……また来るよ」


 そう言って部屋から出て行った。


 足音が聞こえなくなるまで、布団に包まってやり過ごす。


「……毎日来てたんだよね?」


 ここにいる『白羽シラハ ユキ』は五歳から十六歳になるまでの十一年間、入院し続けている。


 その間の記憶は無い。


 何がきっかけだったのか、どうしてこうなったのかすら。


「本当に……リンなんだよね?」


 ユキはずっと『眠り続けていた』からだ。


 目を覚ました時、訳がわからなかった。


 身体がおかしい。声が出ない。見える景色が信じられない。


 眠りながらも少しずつ成長をしていた身体。十一年もの間使われる事の無かった声帯。過ぎ去ってしまった時間。


 それらが一斉に、現実として襲ってきた。


「大丈夫……大丈夫」


 自分に言い聞かせる。


 目を覚ました時の両親の、心の底からの笑顔と涙。


 抱き寄せられた時の暖かさは、たとえ十一年経ってしまったとしても、変わらないものだった。


 だからこそ、ここで折れる訳にはいかいない。


 あの顔を曇らせるような事が、あってはならない。


「……よし! 練習練習!」


 枕元に置いてあった手鏡を持って、自分の顔と向き合う。


 強張った顔の筋肉を動かす為に、笑顔で顔を揉みほぐす。


「ただいま〜ユキ! おっ? 早速やってるな〜」


「今日もリハビリ頑張ったんでしょう? 何か欲しい物ある?」


「パパ! ママ!」


 仕事が終わって、愛娘のいる病室にユキの両親がお見舞いにやって来る。


 これもユキが眠っている間、ずっと続けられてきた事だ。


「うんうん! 昔の笑顔に……いやそれ以上の笑顔になってきたな!」


「おおげさだよ〜」


「本当に良かったわ……ユキが目を覚ましてくれて……」


「ママ……」


 この日をどれだけ待ち侘びた事だろうか。


 いつ目覚めるのかわからないと言われた時の絶望。もう二度と戻ってくれないのではと考えさせられる不安。


 地獄に耐え続けた日々。無駄ではなかったと娘を見て安堵する両親。


「このお菓子……って事はリン君も来てたんだね 何かお話したかい?」


「ううん 寝ちゃってたから」


「あの子もずっと心配してたのよ?」


「リンも……」


 今日お見舞いに訪れていた『優月ユウヅキ リン』もまた、この日を待ち望んでいた一人。


 十一年前、二人だけでお祭り行く約束をした。


 たった五歳の子供が二人。人混みの中、繋いでいた手が離れてしまった。


 その後どうなったのかをユキは覚えていない。その後の記憶は、病院のベッドの上で始まっているからだ。


「ねえユキ? リン君と最後にお話ししたのいつ?」


「……私が起きた時に一言だけ」


「じゃあもう三ヶ月ぐらい話してないのかい?」


「うん……」


 目を覚ました時に一度だけ、リンとは会っていた。


 その時のリンの驚いた顔は、すぐに喜びに満ちた顔に変わったのを覚えている。


(気づいてるのかな……?)


 リンには話したい事がある筈。


 でもユキは、どうしてもリンを避けてしまう。


「ゆっくりで良い ユキにできることから少しずつやっていこう」


「……うん」


 起きてからの三ヶ月の間ずっと、リンは会いに来ている。


 毎日欠かさず、いつも寝たフリををしているユキを見て、何も言わずに帰っていく。


(がんばらないと……)


 リハビリに励む毎日。


 未だに思うように歩けない身体。これでも最初の頃と比べれば、随分と歩けようになっていた。


 食事も喉を通るようになった。痩せ細っていた身体に、健康的な肉が付き始める。


 勉強も始めた。小学校も中学校も行けなかった為、内容も小学校低学年の問題から解いていくしかない。


(がんばらなきゃ……)


「ユキちゃんは頑張るわね〜」


 そんなユキを周りは褒める。


 真面目に努力する姿を見ていれば、誰もがそう思う。


「ありがとうございます!」


 ユキが目を覚ました理由はわかっていない。


 奇跡だと言われた。何の障害もなく、こうして回復している状況を。


「でも無理はダメよ? 焦らずゆっくりとやらないと身体壊しちゃうからね」


 当然健康だからといって、ずっと寝たきりだったのだからその分の運動などしなくてはならい。だからユキは頑張る。


「はーい」


 頑張ったのなら時には休息も必要だ。


 それは言われたままの意味である。体力は限られているもので、無理をすれば限界を迎える。


(……でも)


 無理をしなくてはないない。何もかもが遅れているから。


 今無理をしなくては、絶対に追いつけない・・・・・・・・・のだと、ユキは理解していた。


(やらなきゃ……)


 歩く事など造作もない。


 食べる事など当たり前。


 勉強も必要最低限覚えさえすれば、生きていくだけなら問題ない。


 そんな当たり前が、苦しかった。


「ユキちゃん!?」


 リハビリの最中に気を失った。


 原因はただの疲労である。


(もう……いやだよぅ)


 どうにかなってしまいそうだった。


 見えるもの全てがわからない。見えないものには不安しかない。


 目を覚ましたら先は、まるで『異世界』だった。


 この先どうなるのかが、何もわからない。


「……がんばりたくない」


 目覚めた最初の言葉がそれだった。


「言われたんだろ? 無理するなって」


「──ッ!?」


 不意に漏らした一言に、予想外の返事が返ってきた。


「リン……?」


 さっきまでリハビリをしていた筈なのに、いつのまにか自身の病室のベッドで寝ている。


 僅かに残った記憶から、ユキは倒れた事を思い出した。


「リハビリしてる最中に倒れたんだって? そのことを看護師さんが両親に伝え……」


「ダメッ!」


 余計な心配をかけたくなかった。


 漸く手に入れた二人の笑顔を、こんな事で失いたくないと、ユキは連絡する事を嫌がった。


「……って言うと思ったからまだ伝えないように言っておいた ユキに聞いてからでも遅くないって」


「あっ……ありがとう」


 リンとは目を合わせずにそう言った。


 わからなかった。


 ずっと一緒にいた筈なのに、接し方がわからない。


「どういたしまして」


 優しく微笑むリン。


 それを見て、改めて彼は自分の知っている『優月ユウヅキ リン』なのだとユキは思った。


「良かったな 今日両親遅くなるんだろ?」


「うん……ってリンも知ってたの?」


「言われてたからな」


「ゆっくり話すの……久しぶりだね」


「ああ……十一年ぶり・・・・だ」


 ユキにとっては三ヶ月前。


 リンにとっては十一年も前の事。


 その差はあまりにも大きい。


「背……伸びたね」


「ユキもな」


「全然……同い年の女の子に比べたら小さすぎるよ 体重も軽すぎるし勉強だって……ついていけない」


 本当なら、ここにはいない。


 普通に小学校、中学校を卒業して高校に通う。


 きっとリンと同じ学校に行っていた。だからこんなに話す内容に困る事なんてなかったのだろう。


 そんな現実は、叶う事のない夢に成り果てた。


「……どうして」


 何故こうなったのかわからない。


「わかんないの……どうすればいいかのわかんないの」


 ただひたすら頑張るしかない。それしか方法は無い。


 そんな事はわかっている。だがそれが辛かった・・・・・・・


「ユキね……がんばってるの がんばってるのにうまくいかないの」


 我慢が出来なかった。


 なんとか今の自分を保っていたのに、崩れていく。


「遅くても良い 少しずつで良いんだ」


「それじゃおいつけないもん! ユキはただみんなのあたりまえ・・・・・・・・・をしたいだけだもん!」


 自分には出来ない悔しさ。頑張りに応えてくれない身体。


 全てが嫌になる。


「きらいきらいきらい……ぜんぶきらい!」


「ユキ……」


「リンのかおみたくなかった……みたらほんとうなんだ・・・・・・・っておもうから」


 ユキは現実に逃げた。


 これが正しいからと、今に集中していれば真実を見なくていいからと、頑張る事で・・・・・逃げていたのだ。


「リンのかおをみて……リンをきらいになるじぶんが……だいっきらい」


 こうなったのは事故、運が悪かっただけ。


 そう言い聞かせても、リンが祭りに誘わなければと考えてしまう自分が現れる。


 顔を合わせられる筈などなかった。


「こわい……こわいよぅ」


 変わってしまった世界に一人、変わらない自分がいる事が、とてつもなく怖かった。


 現実を見れば見る程、受け入れる事が怖かったのだ。


「……良かった」


「え……?」


「ユキも……怖かったんだな」


 リンの手が、そっとユキの手に添えられる。


「俺も怖かった ユキが目を覚ました時は嬉しかったけど……その後が・・・・


 覚悟はしていた。


 十一年間という大事な時間を奪ったと、ユキに責められるのではないか、恨まれているのではないかとずっと考えていた。


「でもユキは何も言わずに頑張ってた どれだけ疲れてても続けた 誰にでも出来ることじゃない」


 ユキの手を握り、力を込める。


「ユキは誰よりも強いよ 『誰にも真似できない強さ』を持ってるんだ 逃げずに立ち向かう強さ持ってるんだ」


「にげてるよ……リンからずっと」


「そのおかげ心の準備ができた」


 ユキが寝たふりをしていた事は、リンも気付いていた。


 リンはそれに甘えていた。目覚めたユキとどう接すれば良いのかわからなかったから。


「笑えるだろ? 十一年もあったのに……ユキと何を話せばいいか思いつかなかったんだ」


「リン……」


 沢山考えた言葉も、いざ言わなくてはならない時には出てこない。


「わからないって言ってたな 俺も今はその答えは持っていない けど……『魔法の言葉』がある」


「まほうの……ことば?」


 自信に満ちた顔でリンは言う。


 内気で自分を出すのが苦手だった昔のリンからは、ユキは想像できなかった。


「それは……『迷ったら保留』だ」


「……ほりゅう・・・・?」


「そうだ 迷って迷って迷い続けて……それでもわからない時はそれで良いって……今答えが出せなくてもある日突然思いつく事があるって……そんな言葉だ」


 何も解決もしていないのに、わからない事をそのままにしても良いのだと言う。


「それにもしも出した答えが間違ってら……俺がいる・・・・ ユキのパパとママだっている……ずっとユキの側にいるから」


 リンから伝わる手の温もり。


「だから……一緒に答えを探そう」


 言葉に嘘は無く、優しさが込められていた。


「……おぼえてる」


 リンの優しく握っていた手を、ユキも握り返す。


「何を?」


「ユキがくらいなかにいるとき……パパとママがてをにぎってくれてた……ねむってるあいだずっと」


「そうか」


「……リンも・・・だよね?」


 この手の温もりを知っていた。


 ユキの父親とも母親とも違うこの手の温もり、寝ている間も感じていた。


 暗い闇の中でも、こうやって手を握ってくれていたから、ユキは救われていたのだ。


「ありがとう……そばにいてくれて」


 目覚めてから始めてリンと目を合わす。


 今はまだわからないのなら、リンの言った通り『保留』にする。


 これが正しいのかもわからない。けれど心はずっと楽になっていた。


「無駄じゃ……なかったんだな」


 微笑むリンの目には涙を浮かべている。


 ずっと待ち望んでいた事が叶った。ずっと不安だ事はリンの杞憂に終わった。


「もう……リンかわってないなぁ」


「これでも成長したと思ったんだけどな」


「おしえて? ユキがねむってたときのこと」


「色々あったよ……さっきの言葉も受け売りだしな」


「だれがおしえてくれたの?」


「驚くなよ? さっきの異世界の仲間の言葉なんだ」


「えぇ〜? ほんとう〜?」


「本当だって」


 二人は笑い合う。


 あの頃と変わらない。昔一緒に遊んだ時と同じように話す。


「他にも沢山仲間がいる……きっとユキが目を覚ましたのもそのおかげだ」


「おしえて! そのときのこと!」


「だったら……『プロローグ』から話そうか?」


「うん……いっぱいきかせて」


「それじゃあ──」


 リンはユキへ今までの苦難や葛藤、そして様々な経験をした色褪せない日々の出来事を語る。


 きっとこの物語であれば、十一年の空白を埋める事など容易であろう。

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こどくなシード 異世界転移者の帰還道 藤原 司 @fujiwaratukasa

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