眼鏡の似合う人

尾八原ジュージ

眼鏡の似合う人

 写真で見る僕の父さんは、いつも眼鏡をかけている。


 僕には父さんの記憶がない。僕が二歳のときに事故で亡くなっているからだ。母さんはたまに昔のアルバムを出してきて、わざわざ僕に見せてくる。

 少し古くなった写真には、十年前のまだ赤ちゃんみたいな僕と、眼鏡の男の人が写っている。

「父さん、結構かっこいいでしょ。母さんねぇ、眼鏡の似合う人がタイプだったんだよね」

 未だに少し照れながらノロケる母さんの顔を見ると、父さんのことが好きだったんだな、と思う。


「一樹の目が悪いのは、父さんの血筋かもね」

 小学生になってからどんどん視力が悪くなった僕に、母さんはそう言ったことがある。

 確か眼鏡屋の店頭だった。それまでかけていたやつの度が合わなくなって、新しい眼鏡を買いに行った。そのときに言われたのだ。

「度がきっついなぁ。こんなのかけて、よく文字が読めるね」

 僕の新しい眼鏡越しに辺りを見ながら、母さんは呆れたように笑った。

「読めなきゃ中学受験できないよ」

「最近の子は大変だね」

 新しい眼鏡は楕円形の青いフレームだった。かけると、母さんは僕の顔をまじまじと眺めた。

「うん、あんたやっぱり父さんに似てきた」


 職場の歓送迎会だと言って出かけたある夜、母さんは珍しく酔っ払って帰ってきた。

 リビングのソファでグニャグニャになった母さんに、水の入ったペットボトルを渡すと、「ほんとに父さんに似てきたね」と言って、突然ボロボロ泣き出した。

「一樹、そんなに似なくていいよ。父さんみたいに早く死んじゃったら困るもん」

 いつも元気な母さんの、こんな姿を見たことがなかった僕は、すっかりうろたえてしまった。どうしていいかわからず、とりあえず眼鏡を外してみせた。

 ボンヤリした視界の中で、母さんが「そういう問題じゃないよ」と笑うのが聞こえた。

「でも、ありがとう」


 次の朝、サッパリした顔でトーストをかじる母さんに、「中学生になったら、コンタクトにした方がいいかな」と聞いてみた。

 母さんは僕の顔をチラッと見て、

「母さんはそのままがいいな。一樹、眼鏡似合うもん」

 と言った。普段通りの声だった。

 昨夜のことを覚えているのかいないのか。とりあえず僕はホッとした。


 リビングの隅に置かれた小さな仏壇の引き出しには、父さんが使っていた眼鏡が入っている。

 亡くなったときの事故でフレームが歪んでしまい、もう誰も使うことのできないその眼鏡を、母さんは時々取り出して、顔に当ててみている。

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眼鏡の似合う人 尾八原ジュージ @zi-yon

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