第58話 禁域

 次の満月を待たずに都市へとやってきたハルを、トキタはさほど驚いた様子もなく迎え入れた。

 いつものようにコーヒーを入れようとキッチンに向かうトキタを待つ時間も惜しく、


「モリオ・ミチコさんに会ったよ」


 挨拶もそこそこに切り出すと、トキタはそこで初めて驚いたように目を見張る。


「モリオくんに……?」

「うん。トキタさんによろしくって」


 キッチンへ足だけ向けたまま、トキタは動きを止めていた。


「今は南のほうのオオイの村で、村の人間として暮らしてるんだ。結婚して、オオイの村の中じゃ有力者になってるみたいだよ」


 ミッコから聞いた彼女の現在の境遇をかいつまんで話すと、


「そうか……」

 驚きを浮かべたまま、トキタの表情は、懐かしさと喜びと安堵とそんななんやかやが複雑に混ざったように歪む。

「無事で暮らしていたか。そうか」


 ほんの少しの間、トキタが感慨に浸るのを待って――と言っても、ハルにはあまり時間がない。長々と待ってもやれず、すぐにマントの内ポケットから、ミッコがくれた通信機を取り出して、


「それで、これもらったんだ。哨戒ロボット除けの通信機? これ、充電したらまた使える?」


「うん?」

 ハルの手からそれを受け取って、トキタは軽く検分するとすぐに、

「見た目には問題はなさそうだな。やってみよう」


 机の背後の棚のあたりをあさって、周囲に積んであったモノを豪快に崩しながら機械やケーブルを取り出すと、通信機を繋ぐ。

「うむ、大丈夫そうだぞ。充電している」


 機械に小さな赤いランプがともった。


「……故障がないかどうかは、見た目では何とも言えんがなあ。使ってみんと」


 本当に哨戒ロボットから攻撃されないのかどうかは、実際に外に出て試してみないと分からないということか。


(やっぱり壊れてたってことになったらどうすんだよ)

 ハルは内心で舌打ちをする。命がけの実験じゃないか。


「充電にどのくらいかかる?」

「そうさな、小一時間もあれば完了すると思うが」


 かすかに安堵の息をついていた。それなら、昼にはここを出られる。日暮れまで、時間は十分にある。


「壊れてなきゃ、帰りはそれがあればロボットから攻撃されないんだよな」

「おお。入る時はどうだった? 鉢合わせたかね?」

「一体壊した」


 マントを捲って、腰のホルスターの拳銃を見せる。

 トキタはまた驚いたように軽く目を見開き、それから肩をすくめた。


「無茶なことをする。次の満月を待てば良かったのに」


 実際一体しか現れなかったのは幸運だったし、どうにか顔に当ててロボットを倒すことができたのも、ハルの射撃能力から考えればかなりの奇跡に近い。はっきり言って、無謀だったと思う。


 けれどハルは、次の満月まで待てなかったのだ。


(早くサヤを探さないと)




『おれも、探しに――』


 あの日。村の内外を、サヤを探すためにバタバタと動き回っているアスカの人々を横目に見ながらナギに言ったが、


『きみは、また命を狙われる危険があるだろう』

 言下に否定された。


 サヤの暴挙は、ほかのどこかの村の者に脅されたから、ということにはなっているのだが、確証のあることではないし――実際それはちょっと違うのだし――、サヤを脅したという人間も分からない状態では、ハルとしても「その心配はない」と言うこともできず、座って報告を待つことしかできなかった。


 やがて村の外まで見に行っていた者たちが戻りだし、周囲にサヤがいないという報告が集まってきた。


『朝、起きだしてこないので村の者が見に行ったら、すでにいなかったのだ』

 ナギは顎に手を当てながら、深いため息をついた。

『昨夜のうちに出ていったのだとしたら、もう村の周辺にはいないかもしれないな』


 ハルの個人的な心配を抜きにすれば、アスカに滞在してまでサヤの捜索の結果を待つ理由はなく、見つかったら知らせるからと言われてその日のうちにグンジとともにヤマトに帰ってきた。


 翌日から、ハルは新宿の外周を馬で何周も回ることになった。

 サヤが単独で新宿に向かった可能性を考えて――。


 まさかとは思うが、彼女の「行きたいところ」と言ったらそれしか思い浮かばない。

 そして、アスカの人間が決して探さないであろう場所も。


 新宿に行くような土地勘が彼女にあるとも思えないけれど、特に道などない砂漠の中だ。適当に南のほうに歩いていけば、いずれはたどり着けるのだろう。

 しかし砂漠には盗賊も毒虫もいるし、上手く行って新宿に近づいてもあの哨戒ロボットがいる。地下通路の入り口だって、分かりっこない。砂の地に浮かび上がるこの巨大なシェルターを遠目に見つけることができたとして、侵入どころか接近することも不可能だ。


 どこかで倒れているのではないかと不安を抱えながら探したが、ハルとしても哨戒ロボットが邪魔でそれ以上都市に近づくことができない。村人たちに無駄に倒して強行突破しないように釘を刺した手前、そして今後のことを考えれば、一体でも余分に倒したりするべきではなかった。




「やけに急くな。どうした? 何があった」


 何度も「充電はまだか」と訊くハルに、トキタは不思議な顔で首を捻った。

 仕方なく、ハルは上目遣いにトキタを見て。


「前にさ、アスカの村にいる、横浜のスリーパーの女の子の話したじゃん」

「ん? おお」

「彼女、いなくなっちゃったんだ。もしかしたら一人で新宿を目指したんじゃないかと思って。まさか、そのへんで……」


「ふうむ」

 コーヒーカップを右手に、トキタはあまり緊張感のない声を上げるとちらりとハルを見た。

「心配なのだな」


「そりゃ……村の人たちはこのシェルターの周辺は絶対に捜さないし……ここはおれが捜さないとって思うんだけど……ロボットが邪魔だし……」


 トキタの視線がなんとなく居心地悪く感じて、ごちゃごちゃと言い訳をしていた。


「っていうか、だいたい……そんな通信機があるんだったら、さっさとくれれば……」

「ああ、すまん。モリオくんの言う通り、それを新たに入手するにはきみが目を覚まして都市の住人となったことを登録しないとならないんだ。私が持っていたのは、最初に『外』に出した覚醒者に持たせてやってしまってな」


 申し訳なさそうに、こちらも言い訳めいた口調で述べるトキタ。


「あのさ、都市に人が近づいたり、もし……万一哨戒ロボットに撃ち殺されたりしても、中では全然分からないの?」

「中に知らされることはまずないな。たまたま入り口あたりにいて見かければ分かるだろうが――あるいはメイン・システムには何かしら記録があるかもしれないが、それは私の管轄外だからなあ」


 またこれか……とハルは唇を噛む。無理に管轄外のシステムにアクセスすれば、ハシバに気づかれる恐れがあるということだろう。サヤを捜すことよりも、計画を優先させなければならないのだろうか。

 いや。少なくとも外周を捜索することはできる。もしも――ロボットに撃たれて倒れたりしているようなことがあれば――だ。


(それだとしたら……見つからないほうがいいんだけど)

 気ばかりが急いて。充電を続ける小さな機械を睨みつけることしかできず、もどかしさを噛み殺した。




 挨拶もそこそこに都市を出て、馬を取ってシェルターの周辺をゆっくりと駆けていた。通信機は故障もなく機能しているようで、遠くに哨戒ロボットの姿が見えるもののハルのほうへ注意を向ける気配はない。

 おそらくハルは、都市に住む者以外で初めてここまでシェルターの周辺に踏み入ることを許される人間になるのではないだろうか。

 許されなかった者――踏み入ったきり、戻れなくなった者を除いて。


 シェルター周辺の、外壁からおよそ一、二キロ圏内。

 そこは思いのほか見通しのきかない場所だった。自然地形だけでなくかつての道路・線路やビル群の跡で、起伏や障害物が多い。立ち動いている人間がいれば目につくだろうが、そうでないとしたら――そう考えて嫌な予感に内心で首を振って――、くまなく捜すには何日もかかりそうだった。


 またため息をついて、馬上から周囲を眺め渡しながらゆっくりと馬を進める。


 南に向かって、午後の日の傾き始めるまで進んだところで、分断されてところどころ崩落したかつての高架道路が行く手を遮った。

 馬を降りると小銃を携えて、少し歩く。


 瓦礫の途切れ目から、マントのような質感の布の端が見えていて、ごくりと唾を呑み込んだ。

 崩れた建物の壁や何かに見えるコンクリのかたまりに手を付きながら、足場の悪い地面を慎重にたどって瓦礫を回り込む。マントの下に、ヒトのものに見える骨が見えて、ハルは銃を持たないほうの手で思わず口元を覆っていた。


 たぶん砂漠の村の人間の服装だ。行き倒れたか、毒虫にでも襲われたか、それとも。


(……都市に近づきすぎてロボットに撃たれたのか)


 砂漠の人々が、立ち入ったことのない――あるいは、立ち入ったきり帰ってくることのできなかった――禁域。だれにも発見されない死体がそこここにあるような気がして、身が竦んだ。

 ほんの少しの間そこで立ちすくんでいたが、意を決して瓦礫をよじ登って越え、またひとつ、ふたつと障害物を乗り越えながら少し先まで歩く。

 百メートルも進むうちに、もう一体の白骨死体と、ヒトの骨に見えるけれどなんだか分からない何かを二か所ほどで見た。


 ハルは、都市に住む者以外で初めてここへ安全に踏み入ることのできる人間――。


 世界が崩壊し、再びこの地上に人が暮らすようになってから今までの数百年だかという間に、シェルターの周辺で何人もの人間が死んでいるのだ。


 寒気を感じて、気持ち早足で馬に戻ると、馬をゆっくりと歩かせ馬上から周囲を見回ることにした。

 自分以外の生き物がいるだけ、まだ心強い。


「ごめんな、こんなことに付き合わせて」


 静かさに耐えられなくなって、馬に話しかけていた。馬の首を撫でると、生きているものの血の通った温かさに少しだけ落ち着きを取り戻す。


「こんなとこ、歩きたくないよな。頭がおかしくなりそうだよ。おまえ、大丈夫か?」

 馬は軽く鼻を鳴らした。


 周囲を荒らして、近づく者を殺して。

 数百年。あの都市は、何を守っているというのか。


(サヤ、どこに行ったんだよ……)


 サヤが、彼女の信頼している都市の文明に殺されたりすることがないように。

 もう祈ることしかできなかった。





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次回から新章です。

ちょっと今週と来週は忙しいので、新章まで少々間が空きます。

忘れてなかったら、引き続きお付き合いくださいませ。

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砂の丘、銀の墓標 潮見若真 @shiomi

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