四月某日、東京に雪

きょうじゅ

名残り雪

 東京に季節外れの雪が降ったその肌寒い春の日の朝、わたしは三年間愛用したハードコンタクトのレンズを金槌で割った。


 そりゃあもう、木っ端微塵に砕けた。ハードコンタクトというのはガラスではなくプラスチックで出来ているのだが、ともあれその残骸の哀れな様と言ったら、まるで積もりもしない春の名残り雪のようでもあり、そしてその有様はその時のわたしにあまりにも相応しかった。

 私がそのコンタクトを使っていたのは、中学校の三年間だった。小学校に上がるくらいから近視がひどくなって、わたしは眼鏡を強いられた。コンタクトにしたかったのだが、医者が言うにはわたしの眼にはちょっと常人とは異なるところがあるのでソフトコンタクトは適しておらず、使うならハードにしなければならないと言われ、そしてハードコンタクトは中学校に上がるまで駄目だと親に言われたのである。で、わたしは待った。わたしは耐えた。小学校のクラスメイトにメガネメガネとからかわれても我慢した。すべての希望は未来にありと信じて。


 そして待望の中学校入学。わたしはメガネをタンスの奥深くに仕舞い、そしてオシャレにまで目覚め、自分で言うのも何だが、垢抜けた。入学からしばらくして、ボーイフレンドまでできた。彼もコンタクトだった。


 だが正直なところ、コンタクトはゴロゴロした。医者が言うには体質のせいだそうだから、どうしようもない。始終目薬を差していなければならない。デートの時もだ。最初のうちは何も言わなかった彼も、やがてそれに違和感を抱くようになっていった。わたしが目薬を取り出すと、ふっつりと黙ってしまうことが増えた。


 そして。彼は浮気した。いやこの言い方は正確ではない。浮気ではなく本気であり、つまりわたしは捨てられ乗り換えられたのだ。相手の女は、こともあろうに、グリグリのビン底眼鏡だった。わたしより度が強い。


 そのことを告げられたのは、中学校の卒業式の日だった。わたしは泣いた。わんわん泣いて、泣いている間だけはコンタクトがゴロゴロしないということがまた無性にむかついた。

 で、明日から高校生活が始まるという今日この日、ついにわたしは決意したというわけだ。粉々になった、名残り雪のようなコンタクトの残骸を燃えるゴミに放り込む。そしてわたしはタンスの奥から、かつて自分の一部だったものを取り出す。度は狂っていない。なんと自然に、これは顔に馴染むことか。


 これが、わたしの武装だ。


 


 


 

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四月某日、東京に雪 きょうじゅ @Fake_Proffesor

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