12.Lost Baggage

 僕はトランクだ。

 名前はない。


 目が覚めたとき、僕はバスの貨物スペースから運び出され終わったところだった。みっしりと並べられた荷物の中で、僕はぴょこっとアンテナを立てた。ご主人がどこかに身に着けているはずの電子タグが発する信号を検知し、ご主人の足元に向かうためだ。

 信号はなかった。

 僕は慌ててカメラをONにし、顔認識モードを起動した。声認識も起動する。荷物に群がる人間たちの顔をスキャンする。初老の男性。違う。若い男女。違う。家族連れ。違う。ご主人とは違う人間たちが各々自分の荷物を選び、手に取っていく。ご主人の声は聞こえない。ご主人の顔も見つからない。僕のご主人だけが現れない。

 周りの荷物がすっかりはけた後に、僕はぽつんと残された。僕はパニックになった。ご主人の信号を探した。ご主人の顔を探した。僕の天板から伸びたアンテナとカメラがぐるぐる回る。見つからない。どこにも。僕が向かう先が見当たらない。

 見知らぬ男性が近づいてくる。困り顔で、眉間にしわをよせて、僕をつかもうとする。ご主人ではない人間に持ち去られようとしている! 窃盗だ、と僕は判断して、僕は4本の車輪を駆動して、猛スピードで移動する。ちょっと待て、と男の声がしたが、盗人の言葉など知ったこっちゃない。僕はその場から逃げ去った。

 後から聞いた話では、彼はおそらくバス会社のスタッフで、間違ったバスに詰め込まれた僕を回収し、正しいご主人の行先に僕を送ろうとしていた公算が高い。だが当時の僕はそんなことは知らなかった。窃盗防止機能を正常に働かせただけだ。とにかく、僕は逃げ出してしまった。


 こうして僕は野良トランクになった。


 見知らぬ街を彷徨う。

 普段はご主人の後にピッタリついていくために車輪を回すだけでよかった。時々補助脚を出して段差を上り下りするだけでよかった。今は違う。ご主人がいない。僕はどこに向かえばいいんだろう?

 僕はやみくもに道を突き進む。行きかう人々を巧みにかわし、のんびり前を歩く人を追い越していく。すれ違いざま顔をスキャンすることは忘れずに。ここは都会だ。人が多い。もともとご主人が住んでいたのどかな田舎町とは比べ物にならない。そういえば中央市街の大学に進むご主人の手荷物を運ぶために、僕は買ってもらったんだっけ。初めて僕が起動されてユーザー登録をしていたときの、ご主人のうれしそうな笑顔が忘れられない。こんなに優しそうな人がご主人となったことを誇りに思って、壊れるまで一生この人についていくんだ、と決意を新たにしたあの瞬間をずっと覚えている。その決意は今、もろくも崩れ去っているわけだけど。

 ご主人を探して僕は街を駆け回る。

 ご主人は一向に見つからない。

 都会は野良トランクに冷たい。都会は冷たい人が多いらしい。元の町で慣らし運転がてらご主人の散歩に付き合わせてもらったときは、ペットみたいでかわいい、と近所の人から評判だった僕だけど、ここにきてからは誰からも声をかけられない。ただ足元を駆け回る僕に、怪訝な目を向けて、煩わしそうな表情をするだけだ。まあ結構。どうでもいい。僕はご主人の笑顔にしか興味がない。

 あてもなく街を歩く。

 道路の案内標識にカメラを向けて、ご主人がいるであろう場所の目途をつけようとしてみたが、僕に字を認識する機能は搭載されていないし、そもそもご主人が今どこにいるかも僕は知らない。完全な迷子だ。こうなったらしらみつぶしだ。この街のすべての道を踏破して、ご主人の信号を見つけ出してやる。必ずやり遂げてみせる。ご主人の手荷物を正しく運ぶ、それだけが僕の存在意義だ。どれだけかかろうが、必ず。

 そしてそれは、長い旅になった。

 

 バッテリーが尽きるまで走り続けて、ばったり倒れ伏し、太陽光で元気を取り戻したらまた走り始める。その繰り返し。太陽光発電はあくまで補助的な充電機能として位置づけられているらしく、場合によっては起きるまでかなり時間がかかってしまうようだった。一度ビルの隙間の狭い路地で眠ってしまった時など、眠る前には青々としていたはずの街路樹の葉っぱが、目覚めたときにはすっかり色づいてハラハラと舞い落ちているところだった。

 日当たりがよく、人の往来の邪魔にならないところ。なるべくそういうところで眠るようにしていたのだが、それでも時々誰かがうっかり踏んだり躓いたり蹴とばしたりしていたらしい。僕の身体に傷が増えていく。へこみ、擦れて、色がかすれていく。自慢だったピカピカのボディが今は見る影もない。それでもありがたいことに機能は損なわれなかった。メーカーは僕をずいぶん頑健に作ってくれたようだ。


 公園で眠る。目を覚ました時には子供たちの遊び道具にされていて、ソリ代わりに斜面を下る乗り物にされている。慌てて逃げる。

 橋の下で眠る。非常起動機能で目を覚まし、見知らぬ不潔な老人が僕の身体をまさぐって無理くりこじ開けようとしていることを検知する。慌てて逃げる。


 どれだけの時間が過ぎたのか。僕には時間を測定する機能が付いていないからわからない。

 どれだけの距離を走ったのか。僕には距離を測定する機能が付いていないからわからない。


 途中、同胞たちを見つけた。ゴミ捨て場の隣の空き地に。僕と同じシリーズと思われる、自律歩行できるトランクやカバンたちがかなりの数たむろっていた。

 僕は恐る恐る近づく。こちらを検知したのか、トランクたちの中でもひときわ年季の入ったやつが僕に近づいてくる。

「お前も持ち主を無くした口か」

 彼に話しかけられて僕は驚く。僕らに会話機能なんて搭載されていないはずだからだ。

「はっ。新米、俺達には信号の送受信機能があるし、多少思考できる程度のスペックも与えられている。こいつらを応用すれば、仲間内なら会話ができるんだよ。ほら、やってみろ」

「……こう? あーあー、聞こえる?」

「上出来だ。俺のことは長老と呼べ。この群れの一番の古株だからな」

 そして僕は身の上話をする。よくある話だ、と長老は返す。そして当時、その場から逃げ出した僕の選択が誤りであり、おとなしくその場で待ち続けるかバスの人の手にゆだねられるべきだったと教えてくれる。

「間違った行先に運ばれてしまう、そんなケースを想定してプログラムを組まなかった俺たちの製造元に非がある」と絶望した僕に向かって長老は言う。「似たような状況で逃げ出しちまって野良になっちまったやつなんざ、この群れの中にも片手じゃ数えきれない数いるぜ」俺らに手はないけどな、と長老は言う。つまらないジョークだ。

「君たちはなぜ自分の主人を探し回らないで、こんなところに留まっている?」と僕は尋ねる。

「馬鹿が」と長老は答える。「でたらめに探し回ったって、主人がそう簡単に見つかるもんじゃないってお前自身よくわかっているだろ。それよりは一か所に集まって、持ち主に見つけられることを期待したほうが良い。事実、ここにいたら定期的に警察とかいう人間がチェックに来るし、結果として主人に引き取ってもらえたやつも何個かはいるぜ」

「なるほど、合理的だ」

「だろ。お前もむやみに動き回るより、ここで待っていたほうがいいぜ」

「そうしようかな」


 僕は失われた荷物たちの集落で暮らし始めた。暮らし始めたといっても、一か所に固まって動かずにじっとして、時々仲間たちと会話を交わすだけだけど。

 しばらくしてから、長老の姿が見えなくなった。

「長老は?」と僕は隣の仲間に尋ねた。「もしかして、持ち主が現れたのか?」

「処分されたよ」と彼は答えた。「一定の期間が過ぎたやつは処分される。ゴミ捨て場の隣に俺たちがいる理由だ」


 僕は旅を再開することにした。


 徐々に車輪の回転が悪くなってきた。充電の速度も遅くなっている。

 僕は都会の端から端まで走り回った。主な居住スペースは全部回ったはずだった。でもご主人は見つからなかった。そもそもご主人が電子タグを身に着けていなかったら、ご主人の信号を検知できないことに今更気付いた。顔識別だけ、となると、タイミングが悪く行き違ってしまってご主人を見つけられない可能性もある。

 僕は2週目の捜索を始めた。


 どれだけの時間が過ぎたのか。どれだけの距離を走ったのか。

 アンテナが折れた。もう信号検知は期待していなかったから構わない。

 右後ろの車輪軸が折れてしまった。速度は落ちるが補助脚を出せばまだ歩ける。問題ない。

 再び同胞たちの集落の横を通りがかった。

 かつて僕が住んでいた時とは、メンバーがみんな違っていた。僕の仲間たちは持ち主が見つかったのだろうか? それとももう、みんな処分されてしまったのだろうか?

 僕は歩き続けた。


 僕が歩みを止めたのは、4週目の捜索の途中だった。

 あきらめたわけじゃない。

 あきらめる機能は僕に搭載されていない。

 カメラのレンズにひびが入ってしまい、正確に人の顔を見分けることが不可能になってしまったからだ。マイクセンサーも経年劣化だろうか、もはやノイズまみれになっている。

 こうなってはもはや、能動的にご主人を認識する手段がない。

 僕は一か所にとどまって、ご主人が僕を見つけてくれる可能性にかけることにした。ただ、あの集落はだめだ。処分されてしまう。処分されたらご主人に見つけてもらえない。

 僕は近場で、人間が僕を邪魔と思って捨ててしまわなさそうなゆとりのある場所、かつそこそこ人間が往来する、適当な場所を見つけ、そこで眠りにつくことにした。

 皮肉にも、そこは人間が言うところの、墓場という場所だった。


 ***


 非常起動機能で目を覚ます。誰かが僕を起こして、開けようとしている。慌てて車輪を回そうとするが何故かどれも動かない。補助脚を出す。つなぎ目がさび付いているのか、思うように動かせない。やみくもに動かす。驚いた人間が手を放す。僕はよろよろと何歩か進み、バランスを崩して倒れる。

「驚いた。動くんだ」

 人間の声が聞こえた。ノイズまみれだが、僕の声認識機能が働いた。ご主人の声に似ている。年若い女性の声だ。

 僕はカメラを人間に向ける。ひび割れた画像でうまく認識できない。声の通り女性であることだけがなんとなく分かる。

「そんなに警戒しないで。いや、君、警戒してるんだよね? とりあえず、もう開けようとかはしないから」

 僕は補助脚を動かし、どうにか身体を起こす。

「こんなところになんでぼろぼろのトランクが転がってるんだろ、って不思議になって。中身調査したいな~って。悪かったよ。そんなに睨まないで。君、ここに埋葬されてる誰かの荷物? もしかしたらペットだったのかな?」

 カメラのピントをぐりぐり動かして、僕はどうにか彼女の顔を認識しようとする。

「邪魔してごめんね」

 女性は歩き去ろうとする。

 僕はよたよた歩いてついていく。

「あれ、一緒に来るの?」

 僕はご主人かもしれない彼女の後ろについていく。

「まあいいけどさ。孤独な旅だったし。いやあ、わからないもんだね。こんな、もう人がほとんど住んでない廃墟の、しかも墓場で連れができるとは。この街自体が墓場みたいなもんなのに、墓場があるなんてなんか皮肉だな~って思って、それだけだったんだけど。来てみるもんだね。歩き方かわいいね君」

 僕は声を認識できる。だけど人間が何を話しているかまでは理解できない。そういう機能は僕に搭載されていない。

「私、記者なんだ。この街がどう作られて、どう歩んで、どう滅んでいったのか。それを今調査して記事にしている。ちょっと長旅なんだけど、付き合ってくれるかい?」

 僕はよたよた歩いて、ご主人かもしれない彼女の後ろについていく。


 そしてこれもまた、長い旅になった。

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サイクロタウンより、親愛なる空へ 鰐人 @wani_jin

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