第7話 令和三十一年十一月一日

私はすべてを理解した。

今井さんのおばあさんを、友だちの理沙絵も百合絵叔母さんも妹の優茉も見えなかったのはあの庭が闇の中にあるからだ。そう思っていた。

間違いに気づいたのは、なお美の存在。

母親になった未来が見えた事で、闇に一つだけない物が分かった。

風を感じなかったのはそのためだ。

闇には時間がない。後も先もない。

だから生きている限り今井さんのおばあさんを見る事はできない。

今井さんのおばあさんから見れば、この世はあの世だけどね。

命は闇から始まる。時が流れる世界に放り出される。手足をばたつかせ全身をよじり泣き叫びもがくのは、闇の記憶が消えていく苦しみだ。

人間だけじゃない、犬や猫も鳥も虫も魚だって命のカウントダウンが始まった事に全身で抵抗している。闇に溶け込んで自分という概念がなかったのに、親や周りの人間と関わり社会という光の中で私という人が出来上がっていく。

かわいい子、賢い子、どうしようもないバカな子、他人の評価で自分が出来上がる。

かっこいい、やさしそう、面倒な奴、闇の世界では見ることが出来なかった自分の姿を自分で見る時は必ず左右が逆に見える。

だけど私は自分を知っている。

闇とこの世を結んだ最初の命と繋がって居るからだ。

八百八十八回の変化をしてまた八百八十八回の変化を始める長女だからだ。

私から八百八十八代さかのぼれば、それまで全身を覆っていた体毛が抜けた長女がいる。その八百八十八代前に二足歩行をした長女、もっともっと前は海から出た最初の長女がいて、いいえまだ形は人間じゃないわ、足の短い魚だったはず。さらに海の底から湧いて出た泡の長女、雲の中で光と出会った長女、八百八十八回繰り返して初めて変化が起きる。

遠い昔で長い時間に思うけど、闇には時間がないの。

未だに解明されていない生命の起源も闇の世界では分かっている。

背中合わせになっている闇の世界とのわずかな隙間からこぼれ落ちた欠片が闇に戻ろうと動いた。

すべてはそれから始まった。

成長と増殖を繰り返し八百八十八回目でまた闇に戻ろうと試みる。失敗するが進化もする。

その時が迫っていた。

日本の元号で令和。あと四分で十一月二日を迎える令和三十一年。

今度こそ、闇に戻れる。それですべてが裏返る。

なお美が新しい世界を作り始める。

だからなお美にだけ今井さんのおばあさんの竹箒の履く音が聞こえたんだ。

わずかな隙間から、なにもこぼれ落ちないように今井さんのおばあさんは掃き清めている。

今はもう消えてしまった今井さんのおばあさんが、無に戻すための方法を選べと竹箒を握って迫った事を思い出した。

隕石と噴火と津波を見せられた。残忍に思えて選ばないまま誕生した世界は感染症に冒されていた。だけど私は今もこうしてここにいる。

あと四十五秒で世界は、今度こそ闇に変わる。

待てよ、あの隕石の衝突や火山の噴火や大津波って見えていた。闇ではないぞ。今井さんのおばあさんも闇ではなく無にしろと言っていた。闇と無はまったく違う。

あと三十七秒。

闇さえも無くせと言う事か。

稲光からの光でベッドが見えた。誰も寝ていないベッド。私が寝ていたベッド。

私は自分の姿が消えているのが分かった。その思いも薄れてきた。

いよいよ闇に戻れるのか、記憶も無になるのか、もうすぐ明日になるのか、いや、時間も消えたのかもしれない。

なにもないのが見えた瞬間、サッと掃くような音だけが聞こえた。

それが最期だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七時前の通学路 六条菜子 @uchari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ