大岡裁きかと思ったら

烏川 ハル

『子争い』『三方一両損』

   

 その日、彼は一人で、山奥の川まで釣りに出かけた。

 緑豊かな自然の中、美しい空気を吸いながら、という魚釣りだ。たとえあまり釣れなくても楽しいだろう。

 そう思って来てみたら、予想外に良く釣れる。他の釣り人の姿は全く見かけないので、魚もスレてないのかもしれない。

「凄い穴場を見つけたもんだ」

 自分を褒めたくなるくらいだった。

 そういえば、この近辺で行方不明になる人が多い、という噂があるという。それを怖がって、釣り人も訪れないのだろうか。

「でも、そもそも人が来ないのであれば、行方不明者にもなれないじゃないか」

 と、笑い飛ばしながら。

 彼は釣りを楽しみ続けた。


――――――――――――


 夕まずめといって、日没前後は魚が餌をよく食べると言われている。

 当然、それは彼も承知しており、ついつい遅くまで釣りを楽しんでいたら、すっかり暗くなってしまった。

「こんな山の中じゃ、泊まるところもないだろうけど……」

 幸い、彼は車で来ていた。夜のドライブが嫌なのであれば、車の中で眠る、という手段もある。

 そう思いながら、車を停めた場所――釣り場から少しだけ離れたところ――へ戻ると。

「……ん?」

 彼の車の周りをウロウロする、若い女が二人。

 双子なのだろうか。お揃いの白い服を着ている二人は、近づいてきた彼を見て、揃ってパッと顔を明るくする。

「あら! この車の持ち主さんですか?」

「そうですけど……。何か?」

「ああ、私たちは……」

 説明する娘たち。

 二人は地元の住民であり、見慣れぬ車を見つけて、心配になったのだという。

「暗い中、慣れない山道を走って、事故でも起こしたら大変です。どうでしょう、今晩一晩、うちに泊まりませんか?」

 よく見れば、二人とも、顔もスタイルも魅力的だった。こんな田舎ではなく都会の真ん中だったら、タレントやモデルにスカウトされても不思議ではないレベルだ。

「では、お言葉に甘えて……」

 頭の中で、少しムフフな想像をしながら。

 彼は、二人の誘いに乗るのだった。


――――――――――――


 山奥の一軒家に導かれ、畳敷きの部屋に通される。

「どうぞ、お座りください」

「あ、無理に正座はなさらないで。楽な姿勢でないと、血行が悪くなりますから」

 促されるまま、座布団に腰を下ろした途端、左右から二人に抱きつかれた。

「……えっ?」

 健全な一人の男として、そういう期待をしていたのは事実だが……。まさか、いきなりとは!

 驚く彼の両横では、二人が言い争いを始めている。

「あら、この獲物は、先に私が目をつけたのですよ」

「いいえ、私の方が早かったじゃないですか! なのに、いつも姉さまは、そうやって私の獲物を横取りしようとして……」

 魅力的な娘たちに取り合いをされるのは、男冥利に尽きる。

 そう思いながら彼は、ニヤニヤした顔で仲裁を試みた。

「まあまあ、二人とも落ち着いてください。大岡裁きの『子争い』って話、ご存知ですか? 母親を自称する二人が、子供の腕をそれぞれ左右から、思いっきり引っ張って……」」

 痛がる子供が泣き叫んだところで、手を離した方が本物。親の愛を説く、有名な逸話だ。

 説明するまでもなく知っているだろう、と思いながらも、一応は話してみるつもりだった。

 しかし。

 彼女たちは、彼に最後まで言わせなかった。

「あら、それは名案ね」

「それじゃいくわよ。せーの!」

 二人は同時に、最大限の力を込めて、彼の体を引っ張り合ったのだ。

 それは、とてもヒトとは思えぬ馬鹿力。いや、化物力バケモノぢから

 苦痛すら感じる暇もなく、一瞬のうちに真っ二つに引き裂かれて、彼は絶命するのだった。


――――――――――――


 バケモノの巣へ迷い込んだとは知らぬまま、死んでしまった男。

 その亡骸を前にして、

「あーあ。結局、半分こ……」

「一匹まるごと食べてこそ、美味しいのに……」

 若い娘の姿をした二匹のバケモノが、嘆きの言葉を発した時。

 ガラリと扉を開けて入ってきたのは、同じような姿をした、もう一匹だった。

「なんだい、お前たち。お前たちも獲物を見つけてきたのかい」

 三匹目のバケモノは、ぐったりとした人間を一人、肩に乗せて抱えている。うつ伏せのため顔はわからず、男か女かさえハッキリしなかったが、バケモノたちにとって、獲物の性別は重要ではなかった。

「おかえりなさい、お母様」

「せっかく見つけたのに、この有様です。姉様が引きちぎってしまって……」

「ちょっと! 私のせいじゃないでしょ!」

「では私が悪いのですか、姉様?」

 子供たちの争いを前にして、母バケモノは、苦笑いを浮かべた。

「まあまあ、二人とも。喧嘩はそうじゃないか。こういう場合の解決策は……」

 自分が抱えている獲物を、その場に下ろす母バケモノ。

 化物力バケモノぢからを駆使して、獲物の体から大雑把に1/3くらいを引きちぎった。それをさらに半分にして、1/6の塊を二つ作り出す。

「何をやっているのです、お母様?」

「いいかい。この1/6ずつを、お前たちに分けてやろう。そうすれば……」

 子バケモノ一匹あたりの取り分は、最初の1/2つまり3/6に、母バケモノからの1/6を加えて、4/6つまり2/3。

 母バケモノの食べる分も2/3になってしまったので、これで三匹とも同じ分け前ということになった。

「お母様は一匹まるごと食べられるはずだったのに、もったいない……」

「わざわざ私たちのために……」

「いいんだよ。母親ってもんは、そういうもんだ」

 子バケモノに対して、微笑む母バケモノ。

 大岡裁きの『子争い』とは少し違うが、これも親の愛なのだろう。

 いや、そもそも大岡裁きを言うのであれば、母バケモノが提示した解決策は、同じく大岡裁きに含まれる『三方一両損』を思い出させるものだった。

 もしも最初の男が生きていたら、そんなことを考えただろうし、口に出したかもしれないが……。

「それじゃ……。いただきます!」

 残念ながら、もはや彼は物言わぬ死体。ただバケモノの腹に収まるだけなのだった。




(「大岡裁きかと思ったら」完)

   

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