第1章③
「手が足りん。ヤムルお前、文字は書けるな?」
シツムシツに入ると、書類に
「はい、一応は」
馬番として働くぼくに、文字を覚えろと言ったのは殿下だ。ぼくは殿下に助けられた。こうして生きていられるのは、殿下のおかげだ。だからぼくは殿下の命令なら、なんでも従う。
「よし、ではそこに書いてあるものをそのまま写せ。とりあえず二十部ずつだ」
「かしこまりました」
「そっちの
殿下はご自分の机に積まれた書類を読んでいた。ものすごいペースで、どんどん紙をめくっている。
ぼくは
一枚ずつめくって
「急げよ、ヤムル。
あした、朝いちばんの会議でつかう──、会議で?
そんな大事なものをぼくが写してもいいんだろうか。そもそも、間にあうかどうかがとても不安だ。
「議会の
ペースを変えずに書類を読みながら、殿下が不機嫌につぶやいた。不機嫌……だけど、いつもとはなんだかちがう。こんなに集中している殿下はめずらしいし、少し楽しそうにもみえるのが不思議だ。
うん、そうだ。最近殿下は楽しそうだ。たぶんマテラフィ
ぼくは書類に目を落とす。市場の、出店、ケンリについて。
そう、殿下のさそいをうけて、市場まで出かけたご令嬢はアリアさまがはじめてだった。そして帰ってすぐ、殿下は調べ物をはじめたのだ。やっぱり市場でアリアさまと不思議な話をしたのだろうか。
「急げよ、ヤムル」
「はい、殿下」
いけない、いまはこの仕事をおわらせなければ。あしたの朝いちばんって、何時くらいだろう。馬たちの世話もしなければならないから、今夜は
おそれ多いことに、会議におともすることになった。こんなことははじめてでとても
「今日は俺が議長をつとめる」
よくひびく声に、会場がしんとする。もちろん文句を言うひとはいない。
「まずは資料だ。ヤムル、配れ」
言われたとおり、眠らずにつくった資料を左右の机にわたす。みんな
「議題は市場の出店権利について」
と、殿下が切り出す。
「俺が知る限り、一年半ほど
「
と、手をあげたのは一番近くの席の老人だ。
「この件は、商工協会の同意が必要となります」
「同意など待っていては、百年あっても足りん」
長くなりそうな話を、殿下がばっさり切り捨てた。
「出店権は一年
「
「だが、日曜日の市は二、三割が空いている。しかも、みたところ日曜に出店する行商人の多くがバルティアから来た連中だ」
「そ、それは、単にバルティアからの商人が多いというだけの話では?」
「ふん、そうか?」
殿下はこんどこそ、年長者の発言を鼻であしらった。
「日曜の出店は早い者勝ちの個人取引だ。むろん、たいした額ではない。しかし空きスペースがあっても出店できないという行商人も多い。
場所はあいている、出店したい行商人はたくさんいる。
なのに場所は埋まらず、店を出しているのはバルティアからの行商人が多い?
「簡単だ。商工協会とバルティアの行商人の間になんらかの取引がある。出店が少なければ少ないほど、客を
部屋はすっかり静かになった。下を向いている人が多く、前をむいている人は数えるほどだ。たっぷりの
「とまあ、これは推測の域に過ぎない。不正な取引が行われているのなら、
「しかし殿下、やはり商工協会の同意がなければ……、」
「
ひんやりした声がひびく。
「貴様らができんと言うなら、俺がじきじきに行って
ちがう、命令でもなかった。これは
「お話はわかりました、殿下」
やがて後ろの席にすわっていた議員の一人が立ちあがり、殿下の問いかけに答えた。ここにいるなかでは、わりあいと若いほうにみえる。
「すぐに手分けして商工協会の長老たちに話を通し、招集をかけましょう。殿下のご提案は協会にとって悪い話ではありません。同意を得るのにそう時間はかからないかと」
「いいだろう。だが急げよ。新制度の試行はこの春からだ」
そのひとことにおどろいたのか、たちまち部屋がざわざわする。
「そ、それは」
「早急に過ぎるのでは? 協会内部での折り合いもありますし」
「せめてあと一年、いや、半年お時間を──」
「急げ、と言っている」
だけど殿下は表情を変えない。そのひとことで、部屋はふたたびしずまりかえった。
殿下の声は
「次の会議は三日後、同じ時間だ。それまでに結果を出せ」
反対する人はもういなかった。
我がアシュトリア王国は海に面した小国だ。
三十年ほど前までは、たびたび
「ただいま、アリア」
「お父様! 今日はずいぶんと早いお帰りですわね」
王都に来て二週間ほど、お父様はずっと
国境に領地を構えるお父様のお仕事は交易関連が中心で、以前は領地と王都を
「たまにはいいだろう。せっかくの王都なのに、あまり君に構ってやれなくてすまないね」
「お父様は大切なお仕事をなさっているのですもの、私の
「ああ、アリアは良い子だ」
ハグとともに、
夕食は
「ここ数日、
と、お父様が切り出した。
「まあ、なんでしょう?」
「アリアは、ユージィン
「はい。先週お茶会にお招きいただきました」
「どう思った?」
「どう……とは?」
ええ~、いきなり返答に困る質問をしないでください、お父様。向かいに座ったアルが笑いを
答えに
「名目はともあれ、一応見合いだ。父親として、まずはお相手への印象を
うーん、印象、印象かあ。織田信長の生まれ変わりってことばかりが先行しちゃって、ユージィン様ご自身のことはよくわからない。でも、
「そうですわね……、
「ほう、どんなふうに?
やけに
「ええ……、人の話を聞かないところはありますが、お話ししていて
なにせ前世は織田信長だもん。リーダーシップや発想力実行力は
「ふむ、興味のズレ……、か。なるほど、アリアは面白い」
「そうでしょうか?」
私のコメントが面白いとしたら、前世の
「実は今日、二年
「え?」
「市場への出店権の問題だ。改革を進めようとする我々と、変化を
市場への出店権? 商工協会との折衷案? 聞き覚えのあるキーワードなんですけど……。
「ある人物って、まさか……、」
「そう、ユージィン殿下だ。あの
「まあ……」
さすが元信長公、仕事はやっ! いや、この場合さすがユージィン殿下、と評価するべきかな。
「殿下が積極的に動いたのは初めてでね。いや、長老どもをやりこめた
「積極的に、ですか……」
「殿下はせっかちで、新しい制度はこの春から導入予定だ。導入後も定着するまではしばらくかかる。領地へ
「ええ、お父様。アルがいますし、王都の暮らしも楽しいです」
「そうか。ならばよかった」
まだこちらで会えていないお友達もいるし、もうしばらくなら王都にいるのも悪くはない。
「ところでアリア、この間、
のんきなことを考えていたら、不意打ちをくらった!
向かいのアルと目が合うと、彼は小さくフルフルと首を
「ええ……、はい、行きましたわ。申し訳ございません」
「
「
「ああ、頼むよ」
いやっ、もしかして一緒に
しかし
お父様はいつになく
しがない転生令嬢は平穏に暮らしたい 訳アリ王子に振り回されています!? タイラ/角川ビーンズ文庫 @beans
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