第1章③

「手が足りん。ヤムルお前、文字は書けるな?」

 シツムシツに入ると、書類にもれた殿でんがいきなりそう言った。

「はい、一応は」

 馬番として働くぼくに、文字を覚えろと言ったのは殿下だ。ぼくは殿下に助けられた。こうして生きていられるのは、殿下のおかげだ。だからぼくは殿下の命令なら、なんでも従う。


「よし、ではそこに書いてあるものをそのまま写せ。とりあえず二十部ずつだ」

「かしこまりました」

「そっちの椅子いすと机を好きに使え」

 殿下はご自分の机に積まれた書類を読んでいた。ものすごいペースで、どんどん紙をめくっている。

 ぼくはあたえられた席にすわり、積み上げられた紙の山に向かった。なにが書いてあるのか半分くらいしかわからないけれど、そのまま写すなら、ぼくにもできる。だれかの名前と番号、それから金額? ええと……、市場のと、出店料について。

 一枚ずつめくってかくにんしていると、殿下が顔も上げずに言った。

「急げよ、ヤムル。明日あした朝一番の会議で使う資料だ」

 あした、朝いちばんの会議でつかう──、会議で?

 そんな大事なものをぼくが写してもいいんだろうか。そもそも、間にあうかどうかがとても不安だ。

「議会のほうども、今までなにをしていたのか」

 ペースを変えずに書類を読みながら、殿下が不機嫌につぶやいた。不機嫌……だけど、いつもとはなんだかちがう。こんなに集中している殿下はめずらしいし、少し楽しそうにもみえるのが不思議だ。

 うん、そうだ。最近殿下は楽しそうだ。たぶんマテラフィはくしやくれいじようとのお茶会からだと思う。アリアという名前のあのごれいじようも、なんだかふしぎな人だった。異国人のぼくがきゆうをしていてもいやな顔をしなかったし、ケーキを持っていくと『ありがとう』って笑ってくれた。殿下が、よくわからない〝ゼンセ〟の話をしても、あたりまえに話が続いた。それに。

 ぼくは書類に目を落とす。市場の、出店、ケンリについて。

 そう、殿下のさそいをうけて、市場まで出かけたご令嬢はアリアさまがはじめてだった。そして帰ってすぐ、殿下は調べ物をはじめたのだ。やっぱり市場でアリアさまと不思議な話をしたのだろうか。

「急げよ、ヤムル」

「はい、殿下」

 いけない、いまはこの仕事をおわらせなければ。あしたの朝いちばんって、何時くらいだろう。馬たちの世話もしなければならないから、今夜はねむれないかもしれない。


 おそれ多いことに、会議におともすることになった。こんなことははじめてでとてもきんちようした。『今日のお前は俺の官だ、胸を張れ』と殿下は言ったけれど、異国人のぼくを見て会場はざわついた。だけど殿下はまゆひとつ動かさず、つかつかと自分の席につく。ぼくはその後ろに従った。

「今日は俺が議長をつとめる」

 よくひびく声に、会場がしんとする。もちろん文句を言うひとはいない。

「まずは資料だ。ヤムル、配れ」

 言われたとおり、眠らずにつくった資料を左右の机にわたす。みんななつとくのいかない顔をしていたけれど、資料がいきわたってしばらく紙をめくる音が続くと、だれもかれもしんけんな表情になった。

「議題は市場の出店権利について」

 と、殿下が切り出す。

「俺が知る限り、一年半ほどり返し議論され、結論が出ないまま先送りされているな?」

おそれながら殿下」

 と、手をあげたのは一番近くの席の老人だ。

「この件は、商工協会の同意が必要となります」

「同意など待っていては、百年あっても足りん」

 長くなりそうな話を、殿下がばっさり切り捨てた。

「出店権は一年けいやく。しかし店の多くは休息日、すなわち日曜日は店を出さない。そうだな?」

おつしやるとおり、休息日は国の内外の行商人たちが一日ぶんの権利を買う仕組みです」

「だが、日曜日の市は二、三割が空いている。しかも、みたところ日曜に出店する行商人の多くがバルティアから来た連中だ」

「そ、それは、単にバルティアからの商人が多いというだけの話では?」

「ふん、そうか?」

 殿下はこんどこそ、年長者の発言を鼻であしらった。

「日曜の出店は早い者勝ちの個人取引だ。むろん、たいした額ではない。しかし空きスペースがあっても出店できないという行商人も多い。何故なぜだろうな?」

 場所はあいている、出店したい行商人はたくさんいる。

 なのに場所は埋まらず、店を出しているのはバルティアからの行商人が多い?

「簡単だ。商工協会とバルティアの行商人の間になんらかの取引がある。出店が少なければ少ないほど、客をどくせんできてバルティアの商人がもうかる、というからくりだ。商工協会には相応の見返りがあるのだろう。もちつもたれつ──この中にもおこぼれを受けている者がいるやもしれんな?」

 部屋はすっかり静かになった。下を向いている人が多く、前をむいている人は数えるほどだ。たっぷりのちんもくのあと、殿下は手にもった資料を机においた。バサッとかわいた音がひびく。

 いつせいに注目を集めた殿下が、にやりと笑った。

「とまあ、これは推測の域に過ぎない。不正な取引が行われているのなら、かかわった者はしよばつしなければならん。だが、今はそれを調べる手間も時間もしい。そこで、新しい仕組みを提案する。きちんと運営すれば商工協会にも損はない話だ」

「しかし殿下、やはり商工協会の同意がなければ……、」

やつらをとりまとめるのは貴様たちの仕事だ」

 ひんやりした声がひびく。

「貴様らができんと言うなら、俺がじきじきに行ってくわしい話をきいても良いが、な?」

 ちがう、命令でもなかった。これはおどしだ。

「お話はわかりました、殿下」

 やがて後ろの席にすわっていた議員の一人が立ちあがり、殿下の問いかけに答えた。ここにいるなかでは、わりあいと若いほうにみえる。

「すぐに手分けして商工協会の長老たちに話を通し、招集をかけましょう。殿下のご提案は協会にとって悪い話ではありません。同意を得るのにそう時間はかからないかと」

「いいだろう。だが急げよ。新制度の試行はこの春からだ」

 そのひとことにおどろいたのか、たちまち部屋がざわざわする。

「そ、それは」

「早急に過ぎるのでは? 協会内部での折り合いもありますし」

「せめてあと一年、いや、半年お時間を──」

「急げ、と言っている」

 だけど殿下は表情を変えない。そのひとことで、部屋はふたたびしずまりかえった。

 殿下の声はおだやかにも聞こえるのに、誰も動くことさえできない。

「次の会議は三日後、同じ時間だ。それまでに結果を出せ」

 反対する人はもういなかった。


 我がアシュトリア王国は海に面した小国だ。

 三十年ほど前までは、たびたびりんごくバルティア皇国とのいくさがあったらしい。現国王フェルナンド様は先代とともに戦場に立ったことがおありだけれど、平和な世に生まれ育ったユージィン様は、私やアルと同様に戦争を知らない。前世で戦国時代を生きていた王子様の目に、この国はどう映っているんだろう。


「ただいま、アリア」

「お父様! 今日はずいぶんと早いお帰りですわね」

 王都に来て二週間ほど、お父様はずっといそがしい。

 国境に領地を構えるお父様のお仕事は交易関連が中心で、以前は領地と王都をひんぱんに行ったり来たりしていた。しかしここ二、三年、領地をお兄様に任せるようになってからは王都にたいざいする期間が長くなっている。ちなみに現在お兄様はしんこんほやほや、お義姉ねえ様にデレデレだ。とても見ていられないので、お父様と同行することを決めた私である。

「たまにはいいだろう。せっかくの王都なのに、あまり君に構ってやれなくてすまないね」

「お父様は大切なお仕事をなさっているのですもの、私のほこりですわ」

「ああ、アリアは良い子だ」

 ハグとともに、ほおずりされる。ちょっぴりひげがチクチクするけど、私はお父様が大好き、ひげの問題などささいなことだ。


 夕食はだんよりもごうだった。給仕を仕切るトマスも心なしか生き生きしてみえる。しよくたくについているのは私とお父様、そしてアルことアルフォンソ。彼は使用人というかたがきだけど、領地のごうのうスタンバーグ家の次男で、私にとっては大切なきようだいおさなじみで世話役で、時々お父様の部下。ぎよう見習いで預かっているため、食事の時はいつしよのテーブルを囲むことが多い。

「ここ数日、おもしろいことがあってね」

 と、お父様が切り出した。

「まあ、なんでしょう?」

「アリアは、ユージィン殿でんにお会いしたそうだね?」

「はい。先週お茶会にお招きいただきました」

「どう思った?」

「どう……とは?」

 ええ~、いきなり返答に困る質問をしないでください、お父様。向かいに座ったアルが笑いをこらえて肩をふるわせている。他人ひとごとだと思って、完全に面白がってるわね?

 答えにきゆうした私に、お父様はおうように笑いかけた。

「名目はともあれ、一応見合いだ。父親として、まずはお相手への印象をきたいね」

 うーん、印象、印象かあ。織田信長の生まれ変わりってことばかりが先行しちゃって、ユージィン様ご自身のことはよくわからない。でも、いやな感じはしなかったんだよね。

「そうですわね……、さとい方だなと思いましたわ」

「ほう、どんなふうに? えんりよらない、正直にたのむよ」

 やけにっ込んで来るなあ、お父様。こういう時はどう言いのがれてもだ。

「ええ……、人の話を聞かないところはありますが、お話ししていて退たいくつはしませんでしたわ。あとは、ええと……興味のズレを正して本気を出せば、らしい国王になるのではと感じました」

 なにせ前世は織田信長だもん。リーダーシップや発想力実行力はちがいなく持ってるはず。

「ふむ、興味のズレ……、か。なるほど、アリアは面白い」

「そうでしょうか?」

 私のコメントが面白いとしたら、前世のおくがあるおかげだ。ざんしんなひらめきがあるわけではない。しかしお父様は満足したらしく、ひとつうなずいた。

「実は今日、二年しで取り組んでいた仕事にめどがついた」

「え?」

「市場への出店権の問題だ。改革を進めようとする我々と、変化をきらう商工協会の間で長い間めていたのだが、とつぜんある人物がせつちゆう案を提示して、あっさり合意に至った」

 市場への出店権? 商工協会との折衷案? 聞き覚えのあるキーワードなんですけど……。

「ある人物って、まさか……、」

「そう、ユージィン殿下だ。あのごういんしゆわんと話術、そして見事なプランは本物だよ」

「まあ……」

 さすが元信長公、仕事はやっ! いや、この場合さすがユージィン殿下、と評価するべきかな。

「殿下が積極的に動いたのは初めてでね。いや、長老どもをやりこめたべんぜつは痛快だったよ。少なからず周囲の評価も変化しただろう」

「積極的に、ですか……」

「殿下はせっかちで、新しい制度はこの春から導入予定だ。導入後も定着するまではしばらくかかる。領地へもどる時期はおくれるが、アリアはだいじようかい?」

「ええ、お父様。アルがいますし、王都の暮らしも楽しいです」

「そうか。ならばよかった」

 まだこちらで会えていないお友達もいるし、もうしばらくなら王都にいるのも悪くはない。

「ところでアリア、この間、殿とのがたと外出したそうだね?」

 のんきなことを考えていたら、不意打ちをくらった! だれがお父様に報告したの?

 向かいのアルと目が合うと、彼は小さくフルフルと首をる。まあ、つうに考えたらトマスよね。彼は自分の職務に忠実で、お父様にうそはつかない、かくしごともしない。

「ええ……、はい、行きましたわ。申し訳ございません」

とがめているわけではないよ。出かけるのはかまわない。しかし相手のじようと行き先ははっきりさせたほうが良いな。トマスの寿じゆみようが縮んだら、私が困る」

きもめいじておきます」

「ああ、頼むよ」

 いやっ、もしかして一緒にけたのがユージィン殿下だと知っているの?

 しかしこわくてこちらからは訊けない。いっそ誰とどこへ行ったのかとついきゆうしてくだされば答えることもできるのだけど、この話題はそこで終わり。

 お父様はいつになくじようげんでワインを一びん空にしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しがない転生令嬢は平穏に暮らしたい 訳アリ王子に振り回されています!? タイラ/角川ビーンズ文庫 @beans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ