第1章➁

『結局、ほんのうよもやま話で一時間終わっちゃったね』

 ミキが可笑おかしそうに笑う。

あきやまセンセー戦国大好きだもん。ま、おもしろいからいいけど』

『進行おくれておこられないのかな』

 秋山先生の日本史は話がだつせんしまくることで有名だ。

 今日は〝本能寺の変はなにゆえ起こったのか〟の考察だけで終わってしまった。どんなに議論したところで結局正解はわからないのにね。先生が『タイムマシンができたらまずあけみつひでに会いに行きたい』とめて今日の日本史はしゆうりよう。そんな締めってアリ?

『センセーは明智光秀に会いたいって言ってたけどさ、私はやっぱ織田信長が良いなあ』

『え、会ってみたいの?』

『本能寺は危ないよー、光秀を信用しちゃダメだよーって忠告してあげたいじゃん?』

『先にミキのほうが手打ちにされそう』

『えっなんでぇ?』

『ほら、無礼者! とかって。織田信長って短気なイメージでしょ』

 鳴かぬなら殺してしまえホトトギスだもん。私は出しっぱなしの資料集をパラパラとめくる。

 づちももやま時代、織田信長のしようぞう画のページで、私は手を止めた。

『えっ』

『なになに、どした?』

『これ、織田信長の肖像画が……』

 教科書の信長が、王子様みたいなきんぱつへきがんの外国人になっている。指さすと、ミキは肖像画を見て、それから不思議そうに私を見上げた。

『なんか変?』

『ヘンだよ。だって、織田信長だよ? なんで金髪? これ、明らかに外国人じゃん!』

『何言ってんのヒナ。おかしいのはあんたのほうだよ。これが織田信長。小学校でも中学校でも、そう習ったでしょ?』

『そんな、』

 そんなはずない。織田信長は卵型のりんかくうすあじな顔立ち、ちょっと神経質そうな印象の武将だ。

『なあにヒナってばぼけてんの?』

ちがう、これ、ちがってるよ!』

『あのねえ、学校の教材にそうそう間違いなんてあるわけないじゃん』

 ケラケラとミキが笑う。間違っているのは私のほう?

 確かに金髪碧眼には見覚えがある。にらんでも、肖像画は変わらない。これが織田信長?

 そんな、そんなことって……。

    

「ありえない!」

「何がありえないんです?」

 たずねられてはっと目を開けた。あれ、ここはどこだっけ?

 きょろきょろと見回す。見慣れたかべ、見慣れた家具、見慣れた顔。

「私……、寝ちゃってた?」

「仮にもはくしやくれいじようがソファでうたたねとか、褒められたものじゃないですよ」

「やだわ、つかれてるのかしら」

 もういちどこうべめぐらせると、アルがちんじゆうを見るような目でこちらをながめていた。

 アルことアルフォンソ・スタンバーグは私のきようだいで、おさなじみで、従者というよりはほぼ身内。お茶のたくからマキ割りまでなんでもこなす有能な若者だ。えんりよがないのは仕方ないけど、一応私はおじようさまですのよ?

「ところで、オダノ…なんとかって、どういう意味です?」

「えっ」

 オダノ……、織田信長? どうしてアルまでその名前を知っているの?

「どっ、どこでその名前を…」

「どこでって、お嬢様がごとで何度もり返していましたけど」

「……そういうときは起こして」

「いや、面白かったんで」

 にやにやするアルにはムカつくけど、話をきいて欲しいのでここはおさえておく。

「夢を見ていたの」

「ああ、いつものですね?」

 小さいころからアルは私の、一番の相談相手なのだ。前世のことを打ち明けているのはアルひとり、だけど彼はいまだに〝前世〟という観念を受け付けず、〝いつものみような夢〟としか思っていない。

「でね、その夢に殿でんが出てきたのよ」

「王子様が? よっぽどお茶会が強烈だったんですね。そういえば、王宮はいかがでしたか?」

「そうねえ、お茶はとびきり美味おいしかった。もちろん、おも」

「まさか、王子が手ずからお茶をれたとか?」

「違うわよ。お茶を淹れてくれたのはきゆうの男の子です」

 たぶん、あの子は異国の生まれだろう。アシュトリアではめずらしいので印象に残っている。

「まだ小さいのに、すごくていねいな仕事だったの。アルも少しは見習って……ああっ!」

「急にさけばないでください」

「茶葉のめいがらこうと思っていたのに、すっかり忘れてた!」

 つうこんのミスに頭をかかえると、アルはすっと目を細めてあわれむように私を見た。

「なによう! 本当に美味しかったんだから」

「はいはい。けど、一応お見合いですからね。給仕の話より、王子はどうでした? うわさ通りの王子ですか?」

「あなたねえ、不敬罪でつかまるわよ」

だいじようです。ここには俺とお嬢様しかいません」

 王子様のことなんて聞くまでもないはず。

「……言われているほどでもなかったわ。服装もつうに略装だったし、普通に話も続いたし」

「あれ、意外と高評価ですね?」

「うーん……それはどうかな」

 顔は良い、背は高い、それにけんじゆつにはけているという評判。

 しかし現状、長所よりも悪評のほうが断然うわまわる。公務はすっぽかす、会議はサボる、お城は抜け出す。真っ昼間から市中でふらふら遊んでいる。勤勉でな現国王と、病弱ながら美しくやさしいおう様、そして天使のような妹ひめと比べられるのでよけい旗色が悪い。

 さておき、おぎである王子様のお相手がいつまでも決まらないのは問題だ。ごうやしたのか、王宮は下手なてつぽうも数打ちゃあたる作戦に打って出た。みようれいの貴族のご息女が次々と〝王子様のお茶会〟に招かれているという噂を聞いたのは、夏の初めのこと。そして今は冬、半年以上が過ぎてようやく私まで順番がまわってきた。つまり、ここまで王子様のお見合いは失敗続きだったということになる。

「噂によれば、王子は政事に興味が無いとか」

「ええ、そうかも」

「しかも相当な変わり者で怒りっぽくて、へんくつだって話ですけど」

「まあ、変わった方ではあったわね」

 そういえば自分の国には興味がなさそうだったなあ。前世が織田信長じゃ、地位も権力も約束された今生は物足りないのかも。せっかくめぐまれた立場なのにもったいない。

 考えながらティーカップをテーブルに置くと、アルはまじまじと私の顔をめた。

「万が一王子とけつこんしたら、アリア様はいずれ王妃になるってことですよね」

「ムリ無理、絶対無理。私みたいな田舎いなかむすめいじめられて追い出されるのが関の山だわ」

 考えるだけでおそろしい。そんなうつわじゃないことは自分が一番良くわかっています。

「ま、眺めるだけならてきな王子様だったから、美しい思い出にするわ」

「王宮で王子様とお茶なんて、めつなことじゃできない経験ですからね」

「そうそう。お菓子も美味しかったし。とくにあのチョコレートケーキ、また食べたいなあ」

 本音を言えば割と楽しかった。前世のおくを持っている人と会うのは初めてで、やっぱりうれしかったし、時代は違うけど同じ国の人だったのもおどろいたし、その上〝織田信長〟って、歴史上のじんだもの。久々に見た前世の夢があんなに鮮明だったのも、王子様からげきを受けたからだと思う。

「それで、殿下とはどんな話をしたんですか?」

「うーん、前世の話?」

 訊かれたので正直にこたえたら、アルはしぶい表情をかべた。

「ゼンセって、アリア様の夢のお話でしょう?」

「この世界に生まれる前の話よ」

 にっこりとっておきのみを浮かべてみせる。アルはいつしゆんだけまゆを寄せたけど、それ以上追求してこようとはしなかった。いつだって彼の引きぎわに間違いはない。



「お嬢様、王宮より、お客様がお見えでございます」

 お茶会から三日後のお昼時、しきを仕切っているトマスがこんわくした表情でやってきた。

「お城から?」

 一瞬、チラッと王子様の顔が浮かぶ。そんなはずない……とは思うけど可能性を捨てきれない。

「良いわ、お通しして」

「それが、お嬢様……」

「お城からでしょ? 失礼があったらお父様にめいわくがかかります」

 未だ困惑した表情のままトマスは一礼して部屋を出ていった。すぐにろうからカツカツと足音が近づいてくる。あわてて立ち上がると、ほぼ同時にドアが開き、背の高いかげが入ってきた。

「いるじゃないか、ええっと……、マリア?」

 あっはっは、いきなり名前をちがえられましたわ。

「アリアです。アリア・リラ・マテラフィですわ、ユージィン殿下。先日は素敵なお茶会にお招きいただき、ありがとうございました」

 現れたのは予想通り王子様だった。びっくりするくらいの軽装だ。王子というよりは酒場にたむろしているぼうけん者だと名乗ってくれたほうがしっくりくる。なるほどトマスも困惑するわけだ。

「そう、アリアだったな。むかえに来た」

「迎えに、ですか?」

 そんな約束をした覚えはない。反応できずにいると、殿下はつかつかと私に歩み寄ってうでつかんだ。

「グズグズするな、出かけるぞ」

「出かける? これから? 殿下といつしよに?」

「そうだ。どうせお前、ひまだろう」

 あーこの人、ほんっとうに駄目だ。こら、みだりにこんの女性にさわるものじゃありません。

「お待ちください。私にも予定というものが……」

「予定? 何の予定だ?」

「それは……、午後には仕上げてしまいたいしゆうがありますし」

「刺繍と俺とどちらが重要だ?」

「……」

 ですよねー。どうしてここにきたのかとか、その格好はどういうことなのかとか、色々言いたいことはあったけどたぶんだとさとってかくを決める。

「わかりました。すぐに準備いたします」

「準備なぞ必要ない。行くぞ」

 えええ、ちょっと、今だんだし、まだお昼ごはんも食べてないんですけど。

 不満はあれど逆らえるはずもなく、私は部屋の外へと引っ張り出された。廊下に心配顔のトマスがひかえている。たのみのアルはお父様の従者として外出中だし、間が悪い!

「お嬢様……、」

「大丈夫よ、心配しないで。夕方にはもどりますから」

 戻りますよね、たぶん。そう念じながらユージィン様を見上げると、彼は私をチラリと見おろしておもしろそうに笑った。えー、もう、意味がわからない。


 もんしよう入りの馬車のぎよしやは、見覚えのあるきゆうの男の子だった。トマスが心配するわけだ。

「ユージィン殿でん

「外にいるときに殿下はめろ。さわぎになるとやっかいだ」

「では、ユージィン様。だんからこんなふうにお出かけをされていますの?」

 心の底からあきれていたので、たぶん顔に出ているだろう。向かいの席の王子様はしかし、くもりのない笑顔で私の問いを受け止めた。

「これまでも何人もの女をさそったが、本当に馬車に乗り込んで来たのはお前がはじめてだぞ」

「普通乗りませんわ」

 あー、頭が痛い。普通のお屋敷ならきっと、ごれいじようへの面会すらかなわない。いえ、我が家のしつゆるいというわけではありませんわ。トマスはこうれいで殿下のとつげきを止めるのは無理だし、それ以前に『王族』というけんに最大限の敬意をはらっている。

「アリア、この前の話を覚えているか?」

「前世のお話ですか? もちろんです」

 とうとつな話題てんかんに、私はそくうなずいた。満足したのか、ユージィン様はくちびるななめにする。

「では、前世での俺の名は?」

「名前……ノブナガ様ですか? 織田信長様」

 王子様は感心したように軽く目を見開いた。

「……よくも一度で記憶したな」

 そうですわね。この国の言葉では発音がやや難しい。だけど私にはみ深いひびきなのです。

「お前、変わり者だと言われないか?」

「学校ではよく、田舎者だとからかわれましたけれど」

「は、くだらんくくりだ」


 馬車がまったのは、教会のしきはしだった。教会前の通りでは、毎日市が開かれている。

「さて、行くか」

「もしかして、市場ですか?」

「そうだ。今日は面白い店が色々出ている」

 降りる時には、ユージィン様が自然に手を貸してくれた。所作自体はびっくりするくらい洗練されている。王子様っぽくふるまおうと思えばできるんだね、びっくり。

「ヤムル、お前はここで待て」

 と、ユージィン様は御者に声をかけた。ヤムルと呼ばれた少年は、表情をかえないままでわずかに首をかしげる。

「お二人だけでは、キケンでは?」

たいけんしている、問題ない」

「かしこまりました」

 ええ、じゃあ私と王子様、二人で行くの? 王子様が市場で護衛無しってだいじよう

「行くぞ」

 しかし口をはさむ暇もなく、ユージィン様は私の手首を掴んですたすたと歩きだした。ちょっと、引っ張らないでください。

「あっ、あの、申し訳ありませんがもう少し、ゆっくり」

「ああ……、なるほど、そうか」

 通りに出たところでようやく王子様が私をり向いた。急激に速度が落ちてほっとひと息。

「あと、子どもではありませんので、手をはなしていただけません?」

「はぐれるとめんどうだろう」

「はぐれません!」

「は、そうか。それは失礼した」

 要求通り手を離して、ゆうに一礼。んんんっ、イケメンが過ぎる!

「では、エスコートしてやろうか」

「今日はおしのびでいらっしゃるのでしょう?」

 市場で優雅に手を引かれるところを想像して、思わずふるふる首を振る。

 まずいな、とにかく悪目立ちだけはしないように私が気を付けなきゃ……。


 教会前の通りから広場にかけては王都で一番にぎやかな市場だ。今日は日曜日なので各地をわたり歩く行商人の店がたくさん出ていた。まさにぎよくせきこんこう。普段は実用品や食料品の店が多い市だけど、日曜日だけはこつとう市に近い。

 並んで歩きながらだまっているのも気づまりなので、あたりさわりのない話を振ってみる。

「市にはよくいらっしゃいますの?」

「そうだな、ほぼ毎週だ。日曜は特に、めずらしいものがあるからな」

 そんなにかー。でも国内外の古道具やそうしよく品が並ぶ店は、普段はこんなに見られない。あら、あのお店の布地結構良いかもと、れのなかに目を引く色合いを見つけて私は思わず立ち止まった。

「いらっしゃい」

れいね。これ、南の織りかしら」

「そうそう。ずっと南にある小国の名産。お買い得だよ」

 なつかしい感じ。この国にはない模様は、少しだけ和風にも見える。

「おい、何をしてる?」

 しかし呼びかけてくる王子様の声に、私は我に返った。そうだった、今日はゆっくり商品を選べるようなじようきようではない。

「来週もここに出店する?」

「市の出店は順番待ちだから、たぶん来週は無理ですねえ。再来さらいしゆうになるか、その次になるか……」

「じゃ、また来るわ。その時はきっと買うから」

「お待ちしてます、またどうぞ」

 店主は私しに王子様を見て、ぬるいみをかべた。後ろがみを引かれつつ、ユージィン様に追いつく。

「フラフラするな、本当にはぐれるぞ」

「はい、申し訳ありません」

 なおに謝ると、ユージィン様はいつしゆんきまり悪そうに視線をはずした。

「お前も市にはよく来るのか?」

「ええ、時々従者を連れて。ユージィン様のおつしやるとおり、日曜日は珍しい品も出ていますから」

「そうだな。だが、まだ足りない」

「え?」

「もっと外国の品物が入って来ても良いはずだ。このところ、市場の出店は代わりえしない」

 なるほど、さすが毎週通っているだけのことはありますわね。しっくり馴染むのもなつとくですわ。

「日曜日はかせぎ時なはずだというのに、空きスペースが目立つだろう」

つうのお店はたいてい、日曜日は休みですから」

 ゆるい習わしとはいえ、日曜日は基本休息日。野菜や果物を売っているお店の多くはお休みだ。その空いた場所を一日買い取って店を出すのが辺境や異国の品をあきなう行商人たち。個人取引なので、すべてのスペースをめるのは難しいだろう……というのはお父様からの受け売りだ。あれ、だけどそれ、ヘンじゃない?

「でも、さっきのお店では出店は順番待ちだと言っていました。場所が余っているのにもったいないですよね。日曜日だけ商いをしたい店はたくさんあるでしょうに」

「そうだな……、平日と日曜の出店権を別にあつかうべき、ということか」

「あ、それができれば名案ですわ!」

 うまくいけばあの布地の店も毎週出店してくれるかもしれない。ただし商工協会が動くかどうかはみようだ。良くも悪くも商売人の集まり、彼らは自分の利益にならないことはしない……というのも全部お父様の受け売りです。国境沿いの領地を治めているので、お父様は行商人の情報には明るい。


「ところで、普段は何を買うんだ?」

「そうですね……さっきのような珍しい布地とか、装飾用の小物とか、あとは食べ物が多いです」

「ああ、丁度昼時だな」

 日曜日はえんにちのような軽食の店が多い。良いにおいがただよってきて、急におなかいてきましたわ。

「あのう、何か食べてもいいですか?」

「市に来たんだ、好きにしろ。ただし、あまり離れるなよ」

「はーい」

 すでにていねいしやべることすら面倒で、間延びした返事をする。さあて、何を買おうかな。卵かスモークサーモンのパニノ? ジャガイモと魚のフライも良いなー。うーん、よし、決めた。

「あのお店にします」

 ななめ前の屋台にねらいを定めて、近づいていく。

「おじさん、この、サーモンのパニノくださいな」

「はい、まいど。おじようさん可愛かわいいから十リルに負けておくよ」

「うわあ、ありがとう」

 ほくほくしながらポケットを探して、はたと思いついた。しまった、急に連れ出されたからお金……お金を持ってない。てことは、ここまで来て何も食べられないってこと? おなかぺこぺこなのに?

「……おい、二つにしてくれ」

 あまりの悲劇に固まっていると、上からあきれた声が降ってきた。

「まいど、じゃ、二つで二十リルだ」

 ユージィン様がぜにを渡す。代わりにうすがみに包まれたパニノを差し出して、おじさんはにやっと笑った。

「仲良くな、お二人さん」

「どうも。おい、行くぞ」


「え、ええ」

 パニノの包みを持って歩きながら、王子様は横目で私を見た。口元がゆるんでいる。

「市場に来るのに金を忘れるとは、けな女だな」

 は? 間抜け? 間抜けって言いました?

「急に引っ張って来られたのですから、仕方ないでしょう?」

「わかったわかった、ムキになるな。だれにでも失敗はある」

「ですから、誰が原因だと思っているのですか?」

「なにか飲み物を買って昼飯にするか」

「あの、ユージィン様、聞いていらっしゃいます?」

 当然全然聞いていない。だけど私がむくれている間に王子様はオレンジジュースも買ってくれた。広場の周辺はんでいたので、通りのはずれまで歩いてようやくベンチに座る。ああ、もう、お腹空いた!

「……いただきます」

 そう、えんりよする必要なんて無い。連れてきたのは向こうなのだ。しかも王子様なのだ、パニノとジュース、合わせて十四リルなんて痛くもかゆくもないはず。決して間抜けと言われたことを根に持っているわけではありません。ええ。

 だけどパニノを一口かじったとたん、人の話を聞かない王子様のことなどどうでもよくなった。

美味おいしい!」

「ん、なかなかいけるな」

 となりでユージィン様も満足げにもぐもぐしている。通りのベンチでパニノにかぶりつく王子様……レアだな。まあ、人のことを言えた義理ではありませんわね。私は仕方なくユージィン様を見上げた。

「あの、先ほどはおはらいをありがとうございました。お金は後で必ずお返しします」

らん。お前の言う通り、引っ張って来たのは俺だ」

「でも、ユージィン様の使っていらっしゃるお金は国民が納めている税ですもの」

 言い返すと、王子様は一瞬だけジュースのびんに視線を落とす。そう、そのジュースの代金も、もとを正せば国民の税金で支払われたのです。お金はどこからともなくいて出てくるものではありません。

「……そうだな」

「ご自身のためにお使いになるのは良いとして、私が消費するわけにはまいりません。ですからお金はお返しします。もちろんご好意には心から感謝しておりますわ」

 王子様はオレンジジュースを一口飲んだ。

「そうか、考えたことがなかった」

「え?」

「俺が使う金は、税として納められたもの、か」

たみが国に納めるお金は、すなわち王家のものですから」

「ああ」

 うなずいて、ちよう気味な笑み。ちょっと待って、この人前世は織田信長って言ったよね。

 確か信長って流通にも力を入れた人だったはず。えっと、らくいちらく? そもそも一国の領主だったのだから、国の財政のいしずえが領民の納めるねんだってことくらいはご存じですよね? さすがにぶしつけにはけなくて顔色をうかがっていると、ユージィン様はいびつなガラス瓶をながめたまま、ぽつりとつぶやく。

「……この国は平和だ」

 何故なぜゆううつそうな王子様の横顔をぬすみ見ながら、私は頷いた。

「ええ、ありがたいことに」

「前世の俺は、明けても暮れてもいくさばかりの毎日だった」

「はい。先日もそうお聞きしました」

「戦に勝つことが生きている意味だった」

 ああ、そっか。公務がきらいで型破りで、やる気の無い王子様。前世は戦国武将だもの、織田信長として戦国時代を生きていた彼にとって、『平和な国の王子様』という役割はきっと退たいくつでしかないんだ。

「……ユージィン様は、前世では何のために戦っていましたの?」

「なに?」

「何のために戦をしていたのでしょう?」

「それは……天下を統一するためだ」

「統一したら、戦は無くなりますわよね? 戦が無くなったあとはどうするおつもりでしたの?」

すべきことは山ほどある。戦乱に苦しんできた民の暮らしを楽にしてやらねばならん。制度を定め、守らせ、まつりごとを安定させなければ再び争いが起こるだろう」

「この国も同じことではないでしょうか」

 王子様がこうべめぐらせて私のほうを見た。よし、ここは貴族のおじようさまらしくゆるふわで笑っておこう。

「私の父の領地は、南の国境沿いにあります」

「バルティアとの国境か……そう遠くはないな」

 そう、南の国境は王都から近い。昔、りんごくバルティアとの戦では戦場になった場所だ。その戦のくんこうで、お祖父じい様はしやくと領地をたまわった。その名残なごりなのか、我が領地には王国の部隊がじようちゆうしている。

「争いはなくとも、領地には王国の兵士の方々がいらして、しんなものが出入りしないか見張ってくださっています。土地の名産はどうで、良いワインができますのよ」

「何が言いたい?」

「先ほどユージィン様もおつしやってましたでしょう? 戦は無くても、平和で豊かな生活をするためにするべきことはたくさんあるって」

「……」

「国王陛下をはじめ、国を平和に治めてくださっているみなさまに、私たちは感謝して暮らしています」

「……そうか」

「私は、この国が好きですわ」

 王子様の視線がわずかにらいだ。

 前世では、〝織田信長〟だった人。平和な世界にめないのも無理はない。でもね、このねんれいになるまでずっと前世にとらわれっぱなしって、ものすごく損をしていると思う。

「ユージィン様は、この国がお嫌いですか?」

 王子様は、私の問いに答えなかった。



 帰りの馬車の中、王子様は無口だ。

 ああ、やっちゃったかなー。言い過ぎたかなー。でも、同じ前世持ちとしてはこのままじゃマズイって気がしたんだもの。お昼の代金を返さなきゃ……と、気になってはいたけれど言い出せるふんでもなく、やしきとうちやくしてしまう。王子様は礼にのっとって、馬車を降りる私に手を貸してくれた。やきもきして帰りを待っていたらしく、門の前でアルが私をむかえる。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいま、アル」

 あなたがいなかったせいで今日は大変だったんだから。八つ当たり気味ににらみつけると、アルは口をへの字にして私の背後のユージィン様を睨んだ。ちょっ、アル、この人王子様だから。おおあわてでユージィン様ににっこりしてみせる。

「ユージィン様、今日はおさそい頂きありがとうございました」

「いや、良い。またな、アリア」

「え……、はい」

 えっ、またなって言った? 社交辞令ですよね?

 しかしユージィン様はそれだけ言うとさっさと馬車に乗り込んで去って行った。アルと二人で遠くなっていく馬車を見送る。

「お嬢様」

「なあに、アル」

「どういうことですか?」

「どうもこうも、市場に行ってお昼をごいつしよしただけよ?」

「てか、まさかとは思いますけど、あれって……」

 目が合う。あ、ヤバいなこの会話。周囲におんみつでもいたらアルが不敬罪で連行されそうな予感。

「と、とにかくしきに入りましょう。つかれちゃった」

「……かしこまりました」

「夕食の前にお風呂ふろに入りたいわ」

「心得ております」

 うわー、敬語なアル、こわい!

 アルはげんの悪い時ほど上品になるけいこうがある。でもさ、私もがいしやなんだよ? 王子様が迎えに来て出かけるぞって引っ張られたら、田舎いなか貴族のむすめとしてはていこうのしようがないじゃない。心の中で言い訳を考えながら、私はアルに付きわれて屋敷へと歩いた。


「どういうことなのか、説明していただけますか?」

「え、説明って、さっきした通りよ?」

 お風呂に入ってさっぱりしたところで、アルがぶつちようづらのままお茶を用意してくれた。まあねえ……、アルにも心配かけちゃったし、トマスに至ってはなみだを流して私の無事を喜んでくれたし。

「さっきのアレが王子で、お嬢様を市場に連れていったというところまでは理解しました。問題は、その方法と理由です」

「そうね、少し常識外れなお誘いではあったわね」

「少し?」

「うーん、かなり……、かしら」

「客観的にみてゆうかいです。王宮の馬車でなかったら、はくしやくにお知らせするところでした」

「お父様に? やめてよ、おおごとになっちゃう。これからは気を付けるから」

「これから?」

「いえ……、まあ、次は無いと思うけどね」

 話しながら思い返す。王子様、昼食後は不機嫌だったなあ。ま、色々言ったからね。やんわりとオブラートに包んだ(つもり)とはいえ、ちょっぴりやりすぎたかもという自覚はある。

「別れぎわに『またな』とか言っていたのが聞こえましたが」

「社交辞令よ。あのね……私、王子様をおこらせたかも」

連れ出されたことにこうしたのなら、こちらに非はありません。だいじようです」

ちがうの、もっと違う話」

「違う話? 具体的に」

 王子様との会話を思い出しながら、頭の中で簡単にまとめる。

「ええと……、国民の税金でぜいたくに暮らしているんだから、フラフラ遊んでないでそろそろ国のために働くべきじゃないかというお話を」

「はあ?」

「だから、そういう苦言をふんわりやんわりって感じ? さすがにストレートには言えないもの」

「当たり前です」

 アルはどーしようもないなーと言わんばかりにかぶりをった。

「王子も異常ですけど、お嬢様も相当だってこと忘れていました」

「あら、忘れっぽいわね」

「混ぜっ返さない」

「はぁい」

 間延びした返事をすると、アルはあきらめたようにひょいとかたすくめる。どうやらご機嫌は直りつつあるらしい。ちょっと甘えても大丈夫かな。

「ね、おは無いの?」

「もうじき夕食です。間食は太りますよ」

 うっ、それを言う?

 ぐうの音も出ないので、私は大人しく紅茶のカップをかたむけることにした。

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