第1章➁
『結局、
ミキが
『
『進行
秋山先生の日本史は話が
今日は〝本能寺の変は
『センセーは明智光秀に会いたいって言ってたけどさ、私はやっぱ織田信長が良いなあ』
『え、会ってみたいの?』
『本能寺は危ないよー、光秀を信用しちゃダメだよーって忠告してあげたいじゃん?』
『先にミキのほうが手打ちにされそう』
『えっなんでぇ?』
『ほら、無礼者! とかって。織田信長って短気なイメージでしょ』
鳴かぬなら殺してしまえホトトギスだもん。私は出しっぱなしの資料集をパラパラとめくる。
『えっ』
『なになに、どした?』
『これ、織田信長の肖像画が……』
教科書の信長が、王子様みたいな
『なんか変?』
『ヘンだよ。だって、織田信長だよ? なんで金髪? これ、明らかに外国人じゃん!』
『何言ってんのヒナ。おかしいのはあんたのほうだよ。これが織田信長。小学校でも中学校でも、そう習ったでしょ?』
『そんな、』
そんなはずない。織田信長は卵型の
『なあにヒナってば
『
『あのねえ、学校の教材にそうそう間違いなんてあるわけないじゃん』
ケラケラとミキが笑う。間違っているのは私のほう?
確かに金髪碧眼には見覚えがある。
そんな、そんなことって……。
「ありえない!」
「何がありえないんです?」
きょろきょろと見回す。見慣れた
「私……、寝ちゃってた?」
「仮にも
「やだわ、
もういちど
アルことアルフォンソ・スタンバーグは私の
「ところで、オダノ…なんとかって、どういう意味です?」
「えっ」
オダノ……、織田信長? どうしてアルまでその名前を知っているの?
「どっ、どこでその名前を…」
「どこでって、お嬢様が
「……そういうときは起こして」
「いや、面白かったんで」
にやにやするアルにはムカつくけど、話をきいて欲しいのでここは
「夢を見ていたの」
「ああ、いつものですね?」
小さいころからアルは私の、一番の相談相手なのだ。前世のことを打ち明けているのはアルひとり、だけど彼は
「でね、その夢に
「王子様が? よっぽどお茶会が強烈だったんですね。そういえば、王宮はいかがでしたか?」
「そうねえ、お茶はとびきり
「まさか、王子が手ずからお茶を
「違うわよ。お茶を淹れてくれたのは
たぶん、あの子は異国の生まれだろう。アシュトリアでは
「まだ小さいのに、すごく
「急に
「茶葉の
「なによう! 本当に美味しかったんだから」
「はいはい。けど、一応お見合いですからね。給仕の話より、王子はどうでした?
「あなたねえ、不敬罪で
「
王子様のことなんて聞くまでもないはず。
「……言われているほどでもなかったわ。服装も
「あれ、意外と高評価ですね?」
「うーん……それはどうかな」
顔は良い、背は高い、それに
しかし現状、長所よりも悪評のほうが断然うわまわる。公務はすっぽかす、会議はサボる、お城は抜け出す。真っ昼間から市中でふらふら遊んでいる。勤勉で
さておき、お
「噂によれば、王子は政事に興味が無いとか」
「ええ、そうかも」
「しかも相当な変わり者で怒りっぽくて、
「まあ、変わった方ではあったわね」
そういえば自分の国には興味がなさそうだったなあ。前世が織田信長じゃ、地位も権力も約束された今生は物足りないのかも。せっかく
考えながらティーカップをテーブルに置くと、アルはまじまじと私の顔を
「万が一王子と
「ムリ無理、絶対無理。私みたいな
考えるだけで
「ま、眺めるだけなら
「王宮で王子様とお茶なんて、
「そうそう。お菓子も美味しかったし。とくにあのチョコレートケーキ、また食べたいなあ」
本音を言えば割と楽しかった。前世の
「それで、殿下とはどんな話をしたんですか?」
「うーん、前世の話?」
訊かれたので正直に
「ゼンセって、アリア様の夢のお話でしょう?」
「この世界に生まれる前の話よ」
にっこりとっておきの
「お嬢様、王宮より、お客様がお見えでございます」
お茶会から三日後のお昼時、
「お城から?」
一瞬、チラッと王子様の顔が浮かぶ。そんなはずない……とは思うけど可能性を捨てきれない。
「良いわ、お通しして」
「それが、お嬢様……」
「お城からでしょ? 失礼があったらお父様に
未だ困惑した表情のままトマスは一礼して部屋を出ていった。すぐに
「いるじゃないか、ええっと……、マリア?」
あっはっは、いきなり名前を
「アリアです。アリア・リラ・マテラフィですわ、ユージィン殿下。先日は素敵なお茶会にお招きいただき、ありがとうございました」
現れたのは予想通り王子様だった。びっくりするくらいの軽装だ。王子というよりは酒場にたむろしている
「そう、アリアだったな。
「迎えに、ですか?」
そんな約束をした覚えはない。反応できずにいると、殿下はつかつかと私に歩み寄って
「グズグズするな、出かけるぞ」
「出かける? これから? 殿下と
「そうだ。どうせお前、
あーこの人、ほんっとうに駄目だ。こら、みだりに
「お待ちください。私にも予定というものが……」
「予定? 何の予定だ?」
「それは……、午後には仕上げてしまいたい
「刺繍と俺とどちらが重要だ?」
「……」
ですよねー。どうしてここにきたのかとか、その格好はどういうことなのかとか、色々言いたいことはあったけどたぶん
「わかりました。すぐに準備いたします」
「準備なぞ必要ない。行くぞ」
えええ、ちょっと、今
不満はあれど逆らえるはずもなく、私は部屋の外へと引っ張り出された。廊下に心配顔のトマスが
「お嬢様……、」
「大丈夫よ、心配しないで。夕方には
戻りますよね、たぶん。そう念じながらユージィン様を見上げると、彼は私をチラリと見おろして
「ユージィン
「外にいるときに殿下は
「では、ユージィン様。
心の底から
「これまでも何人もの女を
「普通乗りませんわ」
あー、頭が痛い。普通のお屋敷ならきっと、ご
「アリア、この前の話を覚えているか?」
「前世のお話ですか? もちろんです」
「では、前世での俺の名は?」
「名前……ノブナガ様ですか? 織田信長様」
王子様は感心したように軽く目を見開いた。
「……よくも一度で記憶したな」
そうですわね。この国の言葉では発音がやや難しい。だけど私には
「お前、変わり者だと言われないか?」
「学校ではよく、田舎者だとからかわれましたけれど」
「は、くだらん
馬車が
「さて、行くか」
「もしかして、市場ですか?」
「そうだ。今日は面白い店が色々出ている」
降りる時には、ユージィン様が自然に手を貸してくれた。所作自体はびっくりするくらい洗練されている。王子様っぽくふるまおうと思えばできるんだね、びっくり。
「ヤムル、お前はここで待て」
と、ユージィン様は御者に声をかけた。ヤムルと呼ばれた少年は、表情をかえないままでわずかに首を
「お二人だけでは、キケンでは?」
「
「かしこまりました」
ええ、じゃあ私と王子様、二人で行くの? 王子様が市場で護衛無しって
「行くぞ」
しかし口を
「あっ、あの、申し訳ありませんがもう少し、ゆっくり」
「ああ……、なるほど、そうか」
通りに出たところでようやく王子様が私を
「あと、子どもではありませんので、手を
「はぐれると
「はぐれません!」
「は、そうか。それは失礼した」
要求通り手を離して、
「では、エスコートしてやろうか」
「今日はお
市場で優雅に手を引かれるところを想像して、思わずふるふる首を振る。
まずいな、とにかく悪目立ちだけはしないように私が気を付けなきゃ……。
教会前の通りから広場にかけては王都で一番
並んで歩きながら
「市にはよくいらっしゃいますの?」
「そうだな、ほぼ毎週だ。日曜は特に、
そんなにかー。でも国内外の古道具や
「いらっしゃい」
「
「そうそう。ずっと南にある小国の名産。お買い得だよ」
「おい、何をしてる?」
しかし呼びかけてくる王子様の声に、私は我に返った。そうだった、今日はゆっくり商品を選べるような
「来週もここに出店する?」
「市の出店は順番待ちだから、たぶん来週は無理ですねえ。
「じゃ、また来るわ。その時はきっと買うから」
「お待ちしてます、またどうぞ」
店主は私
「フラフラするな、本当にはぐれるぞ」
「はい、申し訳ありません」
「お前も市にはよく来るのか?」
「ええ、時々従者を連れて。ユージィン様の
「そうだな。だが、まだ足りない」
「え?」
「もっと外国の品物が入って来ても良いはずだ。このところ、市場の出店は代わり
なるほど、さすが毎週通っているだけのことはありますわね。しっくり馴染むのも
「日曜日は
「
ゆるい習わしとはいえ、日曜日は基本休息日。野菜や果物を売っているお店の多くはお休みだ。その空いた場所を一日買い取って店を出すのが辺境や異国の品を
「でも、さっきのお店では出店は順番待ちだと言っていました。場所が余っているのにもったいないですよね。日曜日だけ商いをしたい店はたくさんあるでしょうに」
「そうだな……、平日と日曜の出店権を別に
「あ、それができれば名案ですわ!」
うまくいけばあの布地の店も毎週出店してくれるかもしれない。ただし商工協会が動くかどうかは
「ところで、普段は何を買うんだ?」
「そうですね……さっきのような珍しい布地とか、装飾用の小物とか、あとは食べ物が多いです」
「ああ、丁度昼時だな」
日曜日は
「あのう、何か食べてもいいですか?」
「市に来たんだ、好きにしろ。ただし、あまり離れるなよ」
「はーい」
すでに
「あのお店にします」
「おじさん、この、サーモンのパニノくださいな」
「はい、まいど。お
「うわあ、ありがとう」
ほくほくしながらポケットを探して、はたと思いついた。しまった、急に連れ出されたからお金……お金を持ってない。てことは、ここまで来て何も食べられないってこと? おなかぺこぺこなのに?
「……おい、二つにしてくれ」
あまりの悲劇に固まっていると、上から
「まいど、じゃ、二つで二十リルだ」
ユージィン様が
「仲良くな、お二人さん」
「どうも。おい、行くぞ」
「え、ええ」
パニノの包みを持って歩きながら、王子様は横目で私を見た。口元が
「市場に来るのに金を忘れるとは、
は? 間抜け? 間抜けって言いました?
「急に引っ張って来られたのですから、仕方ないでしょう?」
「わかったわかった、ムキになるな。
「ですから、誰が原因だと思っているのですか?」
「なにか飲み物を買って昼飯にするか」
「あの、ユージィン様、聞いていらっしゃいます?」
当然全然聞いていない。だけど私がむくれている間に王子様はオレンジジュースも買ってくれた。広場の周辺は
「……いただきます」
そう、
だけどパニノを一口
「
「ん、なかなかいけるな」
「あの、先ほどはお
「
「でも、ユージィン様の使っていらっしゃるお金は国民が納めている税ですもの」
言い返すと、王子様は一瞬だけジュースの
「……そうだな」
「ご自身のためにお使いになるのは良いとして、私が消費するわけにはまいりません。ですからお金はお返しします。もちろんご好意には心から感謝しておりますわ」
王子様はオレンジジュースを一口飲んだ。
「そうか、考えたことがなかった」
「え?」
「俺が使う金は、税として納められたもの、か」
「
「ああ」
確か信長って流通にも力を入れた人だったはず。えっと、
「……この国は平和だ」
「ええ、ありがたいことに」
「前世の俺は、明けても暮れても
「はい。先日もそうお聞きしました」
「戦に勝つことが生きている意味だった」
ああ、そっか。公務が
「……ユージィン様は、前世では何のために戦っていましたの?」
「なに?」
「何のために戦をしていたのでしょう?」
「それは……天下を統一するためだ」
「統一したら、戦は無くなりますわよね? 戦が無くなったあとはどうするおつもりでしたの?」
「
「この国も同じことではないでしょうか」
王子様が
「私の父の領地は、南の国境沿いにあります」
「バルティアとの国境か……そう遠くはないな」
そう、南の国境は王都から近い。昔、
「争いはなくとも、領地には王国の兵士の方々がいらして、
「何が言いたい?」
「先ほどユージィン様も
「……」
「国王陛下をはじめ、国を平和に治めてくださっている
「……そうか」
「私は、この国が好きですわ」
王子様の視線がわずかに
前世では、〝織田信長〟だった人。平和な世界に
「ユージィン様は、この国がお嫌いですか?」
王子様は、私の問いに答えなかった。
帰りの馬車の中、王子様は無口だ。
ああ、やっちゃったかなー。言い過ぎたかなー。でも、同じ前世持ちとしてはこのままじゃマズイって気がしたんだもの。お昼の代金を返さなきゃ……と、気になってはいたけれど言い出せる
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、アル」
あなたがいなかったせいで今日は大変だったんだから。八つ当たり気味に
「ユージィン様、今日はお
「いや、良い。またな、アリア」
「え……、はい」
えっ、またなって言った? 社交辞令ですよね?
しかしユージィン様はそれだけ言うとさっさと馬車に乗り込んで去って行った。アルと二人で遠くなっていく馬車を見送る。
「お嬢様」
「なあに、アル」
「どういうことですか?」
「どうもこうも、市場に行ってお昼をご
「てか、まさかとは思いますけど、あれって……」
目が合う。あ、ヤバいなこの会話。周囲に
「と、とにかく
「……
「夕食の前にお
「心得ております」
うわー、敬語なアル、
アルは
「どういうことなのか、説明していただけますか?」
「え、説明って、さっきした通りよ?」
お風呂に入ってさっぱりしたところで、アルが
「さっきのアレが王子で、お嬢様を市場に連れていったというところまでは理解しました。問題は、その方法と理由です」
「そうね、少し常識外れなお誘いではあったわね」
「少し?」
「うーん、かなり……、かしら」
「客観的にみて
「お父様に? やめてよ、
「これから?」
「いえ……、まあ、次は無いと思うけどね」
話しながら思い返す。王子様、昼食後は不機嫌だったなあ。ま、色々言ったからね。やんわりとオブラートに包んだ(つもり)とはいえ、ちょっぴりやりすぎたかもという自覚はある。
「別れ
「社交辞令よ。あのね……私、王子様を
「
「
「違う話? 具体的に」
王子様との会話を思い出しながら、頭の中で簡単にまとめる。
「ええと……、国民の税金で
「はあ?」
「だから、そういう苦言をふんわりやんわりって感じ? さすがにストレートには言えないもの」
「当たり前です」
アルはどーしようもないなーと言わんばかりにかぶりを
「王子も異常ですけど、お嬢様も相当だってこと忘れていました」
「あら、忘れっぽいわね」
「混ぜっ返さない」
「はぁい」
間延びした返事をすると、アルは
「ね、お
「もうじき夕食です。間食は太りますよ」
うっ、それを言う?
ぐうの音も出ないので、私は大人しく紅茶のカップを
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