通学路

石濱ウミ

 犬の話


 この話、知ってるかな?


 聞いたことがあるって人もいると思うんだけど、しゃべる犬の話。


 ……うん。そう、それ。


 『おかあさん』とか『おとおさん』あるいは『おはよう』ってしゃべるってやつ。

 ウチの犬は、お喋りが上手でねって、言葉を教えた飼い主さんは言うけど。あれさ、実際じっさいは何て言ってるのか分からないけど『おああウあヌ』ってしか聞こえないよね?


 通学路で、ぼくたちの見守りをしながら犬と散歩さんぽしている人の中に、この手のことを自慢じまんげに話しているオジサンがいるんだ。

 

 ちなみに、ぼくの通う学校は町の中心部にある。


 そう言うと、にぎやかで人や車のあふれるところを想像するだろ? 


 ぜーんぜん。ちがう。


 確かに昔は、にぎやかだったかもしれない。けど今は、ね。人なんて、ほとんど見かけない。


 なぜなら町の外れに大型の商業施設が出来るとほぼ同じくして、昔ながらの商店街は店主の高齢化と共に、役目を終えたとばかりに店舗は次から次へと空き家ばかりになった。

 アーケード付きの商店街といえば聞こえが良いかもしれないけど、陽のさないその通りは、いつも薄暗うすぐらい。赤茶けたさびだらけの柱に支えられたアーケードの、何年か前の台風で屋根に開いた穴の下だけがすこし明るいのがまた、見窄みすぼらしさを引き立てている。

 軒並のきなみ閉まったままの、悪戯いたずら書きが目に付く紺色か灰色でっていう決まりがあると思われる店みせのシャッターは、今ではその落書きまでもが古臭ふるくさくなってしまった。

 さらにはさびだらけで文字の抜け落ちゆがんだ看板かんばんもこれまたそのままで、ゴーストタウンを絵に描いたような商店街なんだ。


 そんなわけで町の中心部は古いものばかりがそのまま残っていまだに手付かず。新しいものは、まるでそれをけるようにぐるりと周りにあるんだ。

 フライパンで焼いた不恰好ぶかっこうな目玉焼きの黄身と白身を思い浮かべてみて。まさにそんな感じだから。

 

 またその商店街は、ぼくの通学路にも含まれている。

 家を出てすぐ左に折れたらそのまま歩いて行くと、その幽霊しか住んでなさそうな商店街が見えてくる。

 これ。

 ここを歩かなくちゃならない。

 薄暗うすぐらい商店街を歩いて、ようやくそこを抜けたところ、ひとつ目の曲がり角をまた左に曲がって、車がすれ違うのもやっとの細い道を真っぐ行く。新しそうな家は、ちらほら。そりゃまあ、全然ないわけじゃない。学校近くの住宅街なんだから。でも、たいがいは雑草に荒らされた家や、これまたかたむいててそうな家。

 それを横目にしばらく歩く。

 すると、さびだらけの金網かなあみかこまれた校庭が見えて来るんだ。道を渡って所々穴の開いた汚い金網に沿って行けば、そこにほら、正門が見えるだろう?


 これがぼくの通学路だ。

 

 学校までの行き方は、もちろん他にもある。何通りだって、何十通りだってね。

 ぼくの家からいちばん簡単かんたんなのは、車道と並行に、信号のある大通りを通って行く方法がそれ。

 だけどさ、知ってるとは思うけど『通学路』っていうのは、決められた道を通らないといけない。今は以前まえとは違って、子どもの数がったとか、人の目が少ないとか、さびれていて危なそうとかそんなことは、おかまいなし。

 この学校が出来た時に決めたっきり、そのままになってるんじゃないかな。


 で、そのオジサンは朝に夕に、つまり通学時間に、商店街を犬と一緒に歩いている。見守りの腕章わんしょうはしていないけど、あちこちにいるボランティアをしている人のひとりみたいだ。


 ボランティアを引き受けてくれる人は、結構いる。むしろ積極的と言っていい。

 というのも数年前に、この町の近隣きんりんで子どもが相次いで行方不明になる事件があったからなんだ。


 犯人は、いまつかまっていない。


 あちこちのスーパーやコンビニに『この子を見かけませんでしたか?』って写真入りの貼り紙を見かける。服装や持ち物の特徴が細かく書かれたやつだ。ズボンやスカートの形、くつの色とかね。

 その笑顔の写真を見るたび、この子は今どこにいるんだろうって思うんだ。

 


 そうは言ってもいくらさびれた道でも通学路なんだから、朝の登校時間と夕方の下校時間には、ひとりだったり、何人か一緒だったり様々な子どもの姿を、ちらほら見ることが出来る。

 だからボランティアの人たちは、その時間に合わせて散歩をしたり、買い物に行ったりとかして目を光らせている。


 登校班とか通学班っていうのはないのかって? うーん。集団登校は学期の始めの一週間だけあるんだ。なんだか変な決まりだよね。でもそれすらぼくたちはわずらわしいって思ってる。登校班の中には誰だって一人くらいは、気の合わないヤツっているよね? だから自由登校ってぶ普段の日はみんな、決められた短い時間内に気の合う仲間や、ひとりで、思いおもいに登下校してるってわけ。

 

 そうそう。

 犬を連れた人は結構いる。

 でも自由にさわらせてくれる人は少ない。


 だから犬の好きな子どもたちは、オジサンの姿を見つけると、って挨拶あいさつをする。犬を自由にさわれるからね。


 オジサンは何匹か犬を飼っていて、連れて歩いている犬が違うことや、日によって二匹連れていることもある。

 たいていは小型の可愛らしい犬ばかりだから、犬が苦手だって言う子も、可愛らしいのが好きな女の子もオジサンには気軽きがるに声をかけて犬をかせてもらったり、でたりしてる。


 ウチの犬は、おしゃべりが得意とくいなんだよ。


 決まってオジサンは言うんだ。犬をさわらせてもらおうとって来た子どもにね。

 それを聞いて、まさかって、うたがい笑う子どもには見ててごらんと言うが早いが、犬におしゃべりするように仕向しむけける。

 感心する子。

 話してないよって笑う子。

 色んな子がいる。


 ぼく?

 ぼくはね、少しはなれてそれを見ていた子だった。


 そんなある日の下校中のこと。

 途中とちゅうで宿題のドリルを持って帰るのを忘れたことに気づいたぼくは、学校に引き返したせいで帰宅中の子どもなんて誰もいない商店街を、ひとりで歩いて帰ることになったんだ。


 雨が今にもり出しそうな夕方だった。


 商店街はいつになく薄暗うすぐらくて、気味悪い黄色いガラスのはまった街灯がいとうが、チカチカと細かくふるえている。

 ぼくは急ぎ足で、歩く。

 誰もいないのが、怖い。

 でも、誰かいたら、それもまた怖い。

 

 ……誰もいませんように。

 ……誰かいますように。




 突然の人影ひとかげに、ビクッとする。




 ああ、いつものオジサンか……。

 ぼくが、ほっとしたのもつかの間だった。

 よく分からない違和感いわかん


 あれ? 犬がいない。


 ぼくがそう思ったのと、オジサンがぼくに近寄ちかよって来たのは、同じくらいだった。

 

 どこかで犬を見かけなかったかい?


 オジサンはこまった様子で、ぼくにそう言ったんだ。

 聞けば、どうやらリードが外れて、逃げ出してしまったんだって。


 一緒に探してもらえないかな?


 知らない人じゃないし。

 まず最初にぼくが思ったのは、それだった。

 誰もいない商店街。仕方ない。いつも見かけるオジサンが困っているのを、助けるくらい良いじゃないか。

 それに、いつも遠くから見ているだけだったけど、ほんの少しだけ犬を触ってみたかったんだ。


 小さな犬だから、壊れたシャッターの隙間すきまに逃げてしまったのかもしれない。


 そう言って、オジサンが指をさした先を見れば、わずかにまくれたシャッターの扉。子どもがやっともぐれるくらいの隙間。


 のぞいてみても、暗くてよく見えない。


 ランドセルをけば、中に入れそうだねってオジサンが言う。ぼくはランドセルを置いて中に入った。

 中に入っても暗くて、よく見えない。

 もう少しだけ。

 中に進んで耳を澄ましても、犬のいるような気配はない。

 戻ろうと振り返った時。


  

   助かるよ。

 


 

 オジサンの声がすぐ近くで聞こえた。 

 どうして?

 狭くて中には入れないはずじゃなかったの? 


 ああ……。

 その顔はよく見えない。

 わずかな光は、オジサンの後ろから射しているから。

 やがてオジサンは手に持ったリードを軽く左右に振りながら、静かな声でぼくに言う。


 オジサンはね、犬のように素直な子が




だああぁぁぁい 好きなんだ。

 



 リードを、ぼくのそばで振りながら……。

 オジサンは低い笑い声をたてる。


 ……。

 …………。

  


 

 あれからどれくらい経ったのだろう。

 ぼくは、オジサンの何匹もの犬と一緒におりのような犬小屋に閉じ込められている。

 犬小屋の中には、犬のおもちゃになったぼくのランドセルのほかに、いつからあるのか、どこかで見たようなだれかのくつが片方。


 外に出してもらえるのは犬だけだ。


 だからぼくは、一生懸命に犬に言葉を教える。どこかで誰かに聞いてもらうために。誰かに助けてもらえるように。


 お願いがある。


 犬の言葉をどうかよく聞いて欲しい。

 君の近くにいる犬は、こう言っていない?



 『あウゔあ……。あウゔゔェあ!』


 ( 「 誰か……。助けて!」  )




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