君の手を離さないように

詩村巴瑠

君の手を離さないように

 俺はいつだって、君を繋ぎ止めることに必死だった。幼馴染という肩書きをもってしても、ツバメの目を向ける世界は広くてうかうかしてるとおいていかれてしまう。君の手を離さないために俺は何だってした。



 ツバメ、こと燕屋灯子つばめやとうこ四谷零よつたにれいの幼馴染だ。四谷よつたにはずっと彼女に不毛な恋をしている。いつも一番近いところにいるが、だからこそ彼の想いは届かない。灯台下暗しなんて言葉がぴったりだ。叶わない恋募ならそんな感情、いっそ手離したほうが楽なのにそれが出来ないから本当に愚かだ。そうして今日も四谷は、ツバメの一番近くで、想いの炎に身を焦がしている。


 高校の昼休みの教室。クラスの半分くらいの生徒が食堂へ行って昼食を取るため、教室の席はがら空きになる。隣のクラスから、やってきたツバメは空いていた四谷の前の席に腰かける。


「ヨツって、今日は塾ない日だよね?」


 ツバメ以外に自分をヨツと呼ぶ者はいない。名字の四ツ谷から取ってヨツ。彼女の若干不思議なネーミングセンスのあだ名が好きだった。


「あぁ。」


 おざなりな返事を返すと、ツバメはぱぁっと表情を明るくした。


「ランクマ回したい!」


「……またか。」


 重度のゲームオタクであるツバメは、よく零を誘ってゲームをした。先月からは、APEXというバトルロイアルシューティングゲームにはまっていて、先週はそのゲームの強さの指標である「ランク」を上げるまで十時間近くも付き合わされた。ランクを上げる試合マッチ、略してランクマ。


「お願い!あとほんのちょっとでダイヤなんだよ。」


「仕方ないな。」


「やったぁ。ありがとう!」


 嫌々付き合ってやってる感を出してはいるが、実は半分は俺が仕組んだことだ。ツバメがゲームにどっぷりとはまり出したのは中学生になったばかりの頃だ。なんでも、夏休みに遊びに来た従弟がゲームに詳しかったらしく、おすすめされたゲームを一緒してすっかりはまってしまったらしい。それからというもの、ツバメは毎日のように俺をゲームに誘った。まぁ、確かに女友達でシューティングゲームをやる人なんてなかなかいないだろうが、当時はゲームにまったく触れてなかった俺を誘うのもどうかと思う。結論から言うと、俺は毎日ゲームをするようになった。ツバメと遊べる時間が増えるなら、という単純な理由ではない。


 それはツバメの誘いを断り続けてしばらくたった頃のことだった。学校からの帰り道を歩いていた時、気になっていたことを切り出した。


『最近は誘ってこないんだな。』


『ん、なんのこと?』


 ツバメは両手に抱えるようにして持ったおしるこの缶を傾けて、器用に飲みながら歩いていた。


『いや、ゲーム……。いつもお前、俺が折れるまで誘ってくるだろ。』


 ゲームじゃなくても、何事においても、ツバメは諦めが悪い。それは彼女の短所でもあるが、少なくともそういうところが四谷は好きだった。そんな彼女が今回はやけに折れるのが早いような気がした。


『あぁ、一緒にやる人見つかったんだ~。』


 四谷の追及の視線を受けたツバメは、こともなげに言う。驚いた。ツバメの交友関係にゲームが好きそうな人はいないように見えたのに。


『……そうなのか。』


『Twitterでね、ゲーム仲間探したらいいよって従弟が教えてくれてね、フォロワーさんと一緒にやってるんだ。』


『え、お前Twitterやってたの?』


『うん。ついこの前始めた。』


 笑顔で頷くツバメは、四谷の胸の中に暗い影を落とした。ツバメのことは全部知っていたい。自分の知らない顔を他の誰かに見せているのかと思うと一気に醜い感情が湧いてくる。


『俺も、やってみようかな。』


 まるで、ただの気まぐれかのように呟いた。それを聞いて、ツバメはずいっと顔を近づけると四谷の手を握って喜んだ。


『やったぁ。私の好きなものを、ヨツにも楽しんでもらいたかったんだぁ!』


 天使のような笑顔に罪悪感からか、きりりと胸が痛んだ。


 そうして、四谷はツバメのゲームの誘いに乗るようになり、ツバメがTwitterに浮上することは少なくなっていった。一緒にやる人を探さなくてよくなったという理由の他に、四谷がアカウントを作って、ツバメに話しかけてフォロワーに幼馴染のマウントを取ったことも大きかっただろう。ツバメに気安く話しかける男が減った。プロフィールに女子高校生です、とか書いてあるのあれ、どうなんだ。飢えた男たちの格好の獲物だろう。


 まぁ、そうして今日も俺はツバメに付き合ってゲームをする。




 パソコンの中から、銃弾の音が響く。


「うわ、やば。漁夫めっちゃいるんだけど!ハイドしよ~。」


「了解。」


 ゲームの中で岩場の敵から̻死角になる位置に隠れると、ツバメがため息をついた。今までゲームをしてる時に楽しくないような素振りを見せたことがなかったので驚いた。


「どうした?」


「ううん……まだ、私の中で消化しきれてないことがあってね。」


 パソコンの画面の向こうで言い淀むツバメの顔が見たいと思った。静寂の中、次の言葉を待つ。


「今日、告白されたの。」


「誰に?……ってお前が?」


 声が動揺で揺れないように意識する。


「そうだよ。なにその反応。私だって告白されたことあります~。それでね、好きな人なんていないからお断りしたの。そしたら、『付き合ってみたら好きになることもあるじゃないですか』って言われてさ、」


「うん。」


「私それが全っ然わかんなくて。だって、好きじゃないのに付き合うなんて誠意のない行動出来ないよ!それをしてくれって言う気持ちもわからない。ヨツだったら、好きな人が気持ちはなくても付き合ってくれた方が嬉しい?」


 ツバメのマシンガントークに圧倒される。こういう眩しいくらいに真っ直ぐなところが好きで、だからこそこの想いは伝えられないものだと、改めてわかった。


「俺は……、好きな人が楽しそうなら付き合わなくてもいいかな。まぁ、でもそいつの気持ちもわからなくはないかもしれない。」


 誰かに取られてしまう前に、後から好きになってくれるかもしれないという希望にかけて付き合うという提案をする……。ツバメの幼馴染じゃなかったら四谷も同じことをしていたかもしれない。


 幼馴染だからこそわかる。ツバメが俺に一寸も恋愛感情を抱いていないことが。ツバメとまだ関係性が出来上がっていないだろう、告白した奴にはまだ数パーセントはこれからツバメが好意を持ってくれる希望があるだろう。だが、幼馴染という関係で十年来の付き合いをしている俺はというとどうだろう。これだけずっと一緒にいて、ツバメから恋愛感情を感じることが全くないのだ。これはもう、ツバメの恋愛対象に俺が入っていないということだろう。関係性が変化する希望が全く持てない。今の強固な関係が瓦解するときはきっと、俺が耐え切れずにツバメに告白して拒絶された時だろう。


「私にはこれっぽっちもわかんないなぁ。」


「だろうな。というかそもそも、ツバメは恋をしたことがなさそうだ。」


「そう!そうなんだよね。そもそも好きな人いたことないし。」


 好きな人いたことあるとか言われたら、丸一日は立ち直れないところだった。危ない危ない。


「修学旅行の時も、恋バナの話になったんだけど私だけ何も言えなくてさぁ。困っちゃったよね。」


「あぁ……確かにちょっとつらい空気だろうな。」


「そもそも恋ってなんなんだろう。私にはまだ友達の好きも、恋愛の好きも、区別がつかないや。」


 そう呟かれたツバメの声は明るく軽い調子ではあったが、四谷はその裏に真面目に悩んだ跡が残っているのを察していた。


「恋愛の方が友情の好きより偉い、なんてことはないからいいと思う。よく友達以上恋人未満、とか言うから勘違いするけど、あれだって本質は集合Aと集合Bの積集合に過ぎない。以上とかいう表現使うからあれだけど、恋人が友達よりも近しい関係とは限らないしな。」


 円と円が真ん中で交わる図。それぞれの円が集合だ。どちらの円の中にも入っている部分を積集合という。


 ツバメは黙って四谷の言葉を咀嚼しようと頑張ったようだったが、しばらくして小さく唸り声を漏らした。


「うう~ん、なんか難しいね。」


「お前……、数1の内容だぞ。そんなんで受験大丈夫なのか。」


「私立の文系志望だから、数学要らないもん。」


 あっけらかんと答えて、ツバメは続ける。


「でもまぁ、ヨツが励ましてくれたのはわかるよ。いつか好きになる人が出来たらその時、恋愛については考えればいいのかなって思った。」


 少しでも、ツバメの心が軽くなったのならよかった。好きな子にはやっぱり、笑顔でいて欲しい。今、恋愛に興味を持っていないことは四谷にとって残念でもあり、心の平穏を保てる要素でもあった。彼女が恋を知らないうちは、誰かに取られることもないだろう、とそんなことを考えて、四谷は今日も自己嫌悪にさいなまれた。









 桜の蕾も膨らみだした三月、卒業式の日に、ツバメは少し離れたところから四谷の様子を眺めていた。四谷は校舎の影で一人の女の子と話している。私は知らない子だ。緊張しているのか、少し強張った横顔が見える。制服のリボンが緑なので、一学年下の後輩だとわかった。


「告白、だろうな。」


 呟いて俯いた。そこまで親しい間柄の女子がヨツにいたのが意外だった。部活にも入ってないのに。あぁでも、文化祭の実行委員の仕事は頑張ってたみたいだから、そこで仲良くなったのかもしれない。顔を上げると、四谷の指が学ランのボタンに伸びるのが見えた。


「あっ……。」


 第二ボタン、あげちゃうんだ。自分が欲しいわけでもないのに、上から二番目のボタンをちぎって後輩女子にちぎって渡した四谷を見たらなぜか心がざわついた。ぺこり、とお辞儀をして女の子は走り去る。それを目で見送っていると、四谷はこっちに近づいてきた。


「お待たせ、ツバメはもう友達と話してきたのか?」


「うん、写真もばっちり撮ってきたよ。それより、ヨツさっきのって告白?」


 ニヤリと笑って言うと、四谷はあっさりと頷いた。


「うん、文化祭の委員会で担当が一緒だった子。」


「ヨツって意外とモテるよね。」


「そんなでもないけど。」


「で、第二ボタンあげたんだ。」


「うん、付き合ってはあげられないけど第二ボタン上げるくらいなら出来るし。」


「優しいね~。」


 そんな軽い感じであげちゃうんだ。釈然としない思いを抱えたままそう言うと、四谷が顔を覗き込んでくる。


「なんか怒ってる?」


 そう問われた瞬間、ツバメは自分が腹を立てていたことに気が付いた。動揺をそのまま口に出す。


「え、なんで。」


「いや、なんとなく。」


 訝しげに見てくる四谷の視線から目をそらして、ツバメは正直に言った。


「怒ってる。私、ヨツが第二ボタンあげたのがなんか嫌みたい。でも、それがなんでなのかわからない。」


 それを聞いた四谷は目を大きく見開いた。


「それ、本気で言ってる?」


 そう聞いてくる顔が少し怖い。


「うん。」


 大きなため息をついて、四谷はツバメの両手を握って向かいあった。


「お前は第二ボタンだけじゃなくて、俺が告白受けてたのも嫌だったんじゃないか?」


「嫌……だったかも。」


 あれ、これって。ツバメは胸の中を覆いつくしていたモヤモヤの正体に思い当たり、途端に顔を赤くした。


「ははっ。」


 四谷はそれを見て、楽しそうに笑う。


「俺はずっと好きだったよ、ツバメのことが。」


 俯いていても、四谷がどんな表情をしているのか、ツバメにはわかった。顔を上げると、それを待っていたかのように微笑んで彼は言った。


「良ければ、お前の返事も聞かせてくれないか。」















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