epilogue 2
「昔から何か辛いことがあるとそうやって式神にして逃げてきたんでしょうね。だから貴方は内心を隠すのがとても下手です」
自身や他者の感情を切り離して式神にする……そんな力を持っていると知った今、私に下手な嘘は通じない。
「なんでもないったら」
「なんでもない? それ、嘘の代名詞みたいなものじゃないですか」
何かあるのに言わずに曖昧にして、そのまま意味が消失してしまう言葉。
「そんな顔をする人が、何も抱えていない訳が無いでしょう」
素早く顔を俯ける鴟蛇さんの身体から、黒い獣が湧き出ようとする。それを掌で包み込むようにして押しとどめた。
逃がさない。
この行為に意味がなくとも、この意志を伝えるために、私は彼を戒める。
「う、うるさい。用が済んだなら早く行けよ。キミと違って僕は暇じゃないんだ」
何度捕まえても、彼は逃れる。黒い獣は生じ続ける。しかし私は諦めない。彼がこちらを見るまで……心の内を見せてくれるまで、何度振り払われようとも、しつこいと言われようとも、離さない。
人は七回転べば八回起き上がれる。そう教えてくれたのは、貴方だったはず。
「じゃあ良いんですね!?」
肩を掴む。偽物じゃない、本物の肩を力強く。
「もう行っても!」
手から強い震えが伝わってきた。短く息を吸った音が聞こえる。
「今私が帰っても、後悔しないんですね!?」
鋭い声が空気に溶ける数瞬間、彼は何も言わず、何も動かず、ただ固まっていた。俯いた顔に髪がかかって表情を隠している。
ゆるゆると伸ばされた手が、私の服の裾を掴む。
「……まって」
吐息と紛う程の弱々しさで呟かれた言葉を、逃がさない。
「……ええ、はい」
「いかないで」
「はい」
黒い獣はもう出てこない。彼が内心を見せようとしてくれている証拠だった。
震える身体を抱き締める。肩口に押し付けた目元からじんわりと熱さが広がってきた。
「泣いてるんですか?」
「うん」
「泣いてたんですか?」
「うん」
だから、ライオンちゃんの鬣が濡れていたのか。霊異であって体温もない彼には、汗も皮脂も無縁のものだろう。だからそれは確実に外的な要因からくるものだ。雨も降っておらず、鬣の一部分だけが僅かに濡れているのなら、考えられるのは他者の汗か、涙くらい。
「全く見栄っ張りなんですから。隣に座ってくれないし顔も見せてくれないし……嫌われたかと思ったんですよ?」
「ごめん」
「いいですよ、もう。気持ちは分かります」
涙を見せたくないと思うことも、内心を隠そうとすることも、当たり前の心の動き。
それを許すかどうかはまた別の話だけれど。
「ごめん」
「いいですって」
「男だって、黙ってて」
「それ蒸し返します?」
苦笑しながら言う。彼には見えていないだろうが。
「こんなに深く関わると思ってなかったんだ。別に間違われたままでも困らないから、普段も黙ってる」
「そうなんですか」
むしろ女装男子だと分かると話が拗れそうだし、その判断は間違ってないと思う。
「キミが僕を女の子だと思ってることも分かっていた。だからお風呂に誘われた時、本当は言おうと思ったんだ。キミは勘違いしている、僕は男だって。でもバレたくないと思ってしまった。女の子だと思われていたかった」
「どうしてですか?」
彼は何度か深呼吸した。背をゆるく叩く。一際大きく息を吐いてから、すっと身体が離れて顔が上がる。
「男だと、友達になれないから」
上げられた顔は、くしゃくしゃに歪んでいた。眉間には皺がより、鼻と目尻は赤く、唇は小さく震えている。
「友達になりたいと思ってしまった。霊異なんて関係なくキミといたいと思ってしまった。僕はこんななのに。願うだけ、無駄なのに……!」
縋り付くように掴まれた裾がギチリと悲鳴をあげる。力加減が上手くいかないほどに感情的になっているらしい。
そんな彼に私は言った。
「どうしてですか?」
「え?」
力の抜けた手から服を抜き取る。行き場の失っているそれを私の両手で包み込んだ。
「私、もう一方的にお友達のつもりでいました」
「ぼ、僕は女の子じゃない」
涙声で尚も性別の話をする彼を見て、ようやく合点がいった。
大人びてはいるが、彼はやはり私よりも幼く、そして人間関係において不器用なのだ。
「男女の友情は成立しないと思うタイプですか? 相容れませんね。私は問題ないと思いますが」
「生まれつき、四肢が無い。半分が偽物で、人かどうかも分からない……僕は化けも」
「人ですよ」
きっぱりと言い放つ。
呆然とした瞳からまた涙が零れ落ちた。それを指ですくいとって、また強く抱き締める。
「こんなにも温かいのに、霊異だなんて嘘ですよ。それに、霊異だとしても関係なくないですか?」
だって、と私は言う。
「鴟蛇さんは、私が男だったら助けてくれなかったんですか?」
彼は黙って首を横に振る。
「本当に女の子だったら私を助けてくれなかったんですか?」
首を横に振る。
「なら、それが答えでしょう。男か女かなんてどうでも良いんです。人か霊異かなんて些細なことでしょう。私が好きなのは他でもありません、
だらりと垂れ下げられていた腕が私の背に回された。力強く。私の温度を感じようとしているかのように。或いは、己の温度を感じさせようとするように。
「……なんで」
湿り気を帯びた声に、背を叩くことで応じる。
「誰もが僕を見ることすら嫌がったのに……善人も悪人も関係ない。みんな僕から目を逸らした。そりゃあそうだよ、醜いもの。人が辛いのを見るのは辛いもの。四肢がないんだ。四肢がないんだよ? こんなに醜悪で可哀想な生き物、他にはいない」
そうやって、誰にも認識されずに、ずっと生きてきたのか。
認識されないのに自分じゃ何も出来ないから、景色を見るような目に、異物を見る目に、ずっと耐えながら生きてきたのか。
誰かの手によって生き長らえながらも孤独に、一人じゃないのに独りで、血の繋がりはあるのに何とも繋がれないまま。
「なのに、なんでキミは、そんなに真っ直ぐ僕を見るんだ……!」
また肩の辺りが濡れるのを感じた。彼が泣く一方で私は笑う。種類は、照れ笑い。
「鴟蛇さんが、大好きだからですよ」
鴟蛇さんの顔は見えないが、どんな表情をしているかは何となくわかる。彼は笑っているはずだ。
種類は多分、泣き笑い。
「ほんとう、考え無しのバカ女……! 人を疑うってことを知らないのかい……!」
「言ったでしょう? もう二度と、恐れるモノを違えないって」
彼の中で堆積していた負の感情は、黒い獣じゃなく、透明な雫となって外に出ていく。
慟哭の声をかき消すように風が吹く。風は濡れた私の肩を冷ますけど、腕の中にいる鴟蛇さんの身体は熱いままだ。誤魔化しようのない現実だ。
桜色の風が渦を巻く。
春はそうして別れを告げて、幾分か高くなった空に消えていくけど、私の腕の中の桜はきっともうすぐ満開に咲く。
もし、いつかまた桜が散ろうとした時は、O・ヘンリーの『最後の一葉』のように、どんな手を使ってでも止めてみせよう。
だって私は風流なんて分からない。
桜は散るより咲いている方が綺麗に決まっている。
「ねえ、鴟蛇さん?」
返事は無かった。泣く彼には聞こえていないのかもしれないが、それでも良かった。独り言でも構わない。これは、自分に言い聞かせるために口にすること。
「私は、かぐやの名前に相応しくはなれないかもしれませんが、庭月野の方は意外となれる気がしませんか?」
自分じゃ輝けなくとも、人が自分を見失わないくらいの光は提供出来る、傍に置くには最適な衛星に。
ねえ鴟蛇さん。
私はあなたの、枝葉の如く複雑な気持ちを身代わることは出来ないけれど、それでもあなたを暗闇に放っておきはしないから。
「だからずっと、
――身代わり人形・了――
Sacrifice 南川黒冬 @minami5910
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