下着を巡る聖夜

平賀・仲田・香菜

下着を巡る聖夜

「狙えい!」

「はっ!」


 隊長と呼ばれる男の号令に従い、黒衣と夜の闇をまとった三人の男たちが目標へ向かって走る。狙われたるは、悪意なく周囲へ幸せを撒き散らすカップルの片割れ。上がった口角をまるで隠そうともしないだらしの無い表情を浮かべるその男である。


 放たれた三人の一人は、男の身体を持ち上げる。

 一人は男のズボンと下着を一度に下げる。

 一人は男に新たな下着を履かせる。それは薄桃色のトランクスに真赤な顔をした天狗の面がでかでかと真正面に描かれた何とも破廉恥な下着であった。

 後、ズボンを戻し、温もりと湿り気を帯びた男の下着を片手にその場を立ち去る。


 この間僅かにコンマ二秒。周囲の人間はもとより、カップルの女にも、男にも気付かれることなくその作業は為された。正に神業という他ない。


「隊長、お納めください」

「うむ」


 隊長は火バサミで男の下着を摘み、大切そうに大きな白い布袋へと仕舞いこむ。大人が一人潜り込めるほどの大きさになるまで体量の下着で満たされた袋の重さに、いやらしい満足気な顔を浮かべる。

 隊長を含めた男たちは皆、年若い大学生であった。年相応とは云えない幼い顔立ちの彼らは、師走の夜になると毎年の様にこの作戦を行なっていた。


「ご苦労であった。また新たな贄が生まれた、彼奴らは今晩にも破局するであろう。この調子でいけば、いずれ憎きクリスマスの奴も鳴りを潜めるに違いない」


 隊長の言葉は実に至言であった。あのカップルが向かう先は愛あるホテル、二人は服を脱ぎ捨て互いに下着姿を見せる。そう、破廉恥極まりない薄桃色の天狗トランクスである。本来ならば嬌声が上がるべきその一室では、女の悲鳴と、破廉恥と男を罵る言葉が響き、二人の関係は終わりを告げるのであった。

 隊長たちの犠牲となったカップルは実に八千飛んで九人。先ほどのカップルを含めて八千と十人である。彼らの存在は今や都市伝説と化しつつあった。


 ーークリスマスにカップルでいちゃつくと破局するーー


 浮ついた気持ちで都市伝説を恐れぬ愚かな二人こそよく狙われた。独り身の怨み、辛み、嫉み。全てのモテない男の代弁者と銘打つ彼らは、クリスマスを滅ぼすべく実に五年間も活動を続けていたのである。


「タイチョー! 二時の方向に浮かれたおっさんが見えます! プレゼントを小脇に相引きへ臨むよう見受けられますがいかがしますか!」

「ふうむ。いや、狙わずともよい」


 隊員に動揺が走った。納得がいかないという顔を見せるが、隊長の指示に従う。しかし、一人が前に一歩踏み出し、言った。


「隊長殿! 僭越ながら、何故あのおっさんを狙わないのかご指導願えますか!」


 隊長は、隊員とおっさんを交互に下から睨む。その目は猜疑心に満ち、どろどろに濁っていた。


「俺にはわかる。あのおっさんはこれから意中の女性に会うだろう」

「だったら!」

「だがその相手は夜の住人だろう」


 隊員は、はっと何かに気付いたようでった。


「本質は仲間だ、あのおっさんと我々は。イブの夜に風俗やキャバクラを楽しむ漢《おとこ》を狙うべきではない」

「……失礼しました!」


 よいよい、と隊長は火バサミを鳴らしながらかかと笑った。


「隊長さん、ちょっといいかい」


 彼らに声をかける存在が現れた。ぎくりと彼らが振りかえると、そこには膝まで伸びた長いトレンチコートに、帽子を深く被った男が立っていた。隊長は目を泳がせた。


「隊長、とは、なんのことですかな」

「とぼけちゃあいけねえ。俺はお前らが何をやってきたのかよく知っている」


 まさか犠牲者に勘付かれたか? と、隊長たちは寒空の下で汗を滲ませる。コートの男は続ける。


「俺は……この俺は!」


 帽子を投げ捨て、コートの前を開く。


「未来から来たそこの隊長さんだ!」


 ブリーフ一丁の、壮年の男がそこにはいた。隊長たちは驚きを隠せなかった。


 ーー見覚えのあるその目。しわは寄っているが、隊長の目と瓜二つであった。違いといえば、濁りがなく澄んだ虹彩を見せていることだ。

 ーーそのブリーフ。ショッキングピンクに水玉に、あろうことか前面に天狗の面が二つ。さらにはその鼻で激しい鍔迫り合いをしている。さらにいえば尻はひょっとこである。


 隊長は無言でズボンを脱ぎ捨てた。

 壮年の男とまったく同じブリーフを履いた隊長がそこにはいた。このブリーフは自慢の一品もののはずなのに、だ。

 隊長は男に訊ねる。


「まさか本当に、だけどどうして」

「お前たちのクリスマス滅亡計画を止めるためだよ」


 隊員たちはどよめいた。その様を他所に、未来の隊長は話し続ける。


「お前たちの計画はそりゃあうまくいった。俺の時代ではクリスマスに性行為をするようなカップルはもうどこにもいない」

「いいことじゃないか」


 今の隊長の返答に、隊員たちは大きく頷く。


「お前たちの、いや、俺のお陰で、クリスマスのカップルといえば、公民館で天狗の面を木から堀ってお互いに送り合うなんていう色気のない行事へと鳴りを潜めた。」


 隊員たちはお互いに顔おを見合わせ喜んでいる。俺たちの勝利だ! 素晴らしい文化だ! 泣いている者までいる。

 しかし、今の隊長は一人、神妙な面持ちで口を開いた。


「そうか。俺には、どうしてお前が未来から来たのかがわかったぞ」

「ーーほう」

「お前には、未来の俺には……」


 隊長は二人、声を合わせて言った。


「彼女ができた」


 それもとびきり若いかわい子ちゃんだ、と未来の隊長は付け加えた。そして、怒号を飛ばした。


「なんで俺はクリスマスに彼女と天狗の面を掘らにゃならんのだ!」


 その声は冬の凍てついた空気を、イルミネーションに浮かれた町を震わせた。未来の隊長はへいこらと急に低姿勢で頭を下げる。


「だから、わかってくれるだろう? 俺も、この歳で初めてできた彼女とクリスマスにいちゃこらしたいんだよ、な?」


 これには隊員たちは面白くない。自分に彼女が出来たから一抜けた、その上今までの努力も水泡に帰そうというのだから堪らない。


「隊長、信じてますよ?」

「タイチョー! 女の影に騙されないで!」

「隊長殿……我らの心は一つであります」


 今の隊長は、手に持った火バサミと、男どもの下着がつまった布袋を強く握りしめた。その目は自らのブリーフと、未来のブリーフを交互に見つめた。未来のそれをよく見ると、ほつれ、破れ、色も少しあせていた。隊長は二人、目を見合わせて頷いた。


「皆……すまん!」


 ブリーフ一丁の若者と壮年の男二人は脱兎の如くその場から逃げ出した。呆気に取られたのも束の間、隊員たちは二人の隊長を逃すまいと追いかける。

 しかし、未来の隊長は壮年、年は三十の半ばといったところ。若者の体力についていくことが出来ず、すぐに捕まってしまった。


「行けよ! 過去の俺! 未来を、彼女とのイチャラブを掴むために走れ!」


 隊長は走った。哀れな男共の下着を担いで走った。火バサミは何処かで落としたが走った。ビビットピンクのブリーフ一丁で走り続けた。白い布袋を担ぎ、血が巡って紅潮したその肌はさながら赤い服のサンタクロースのようでもあった。


 走り疲れた隊長は一人、イルミネーションに彩られた噴水広場に佇んでいた。

 広場のベンチには、カップルにアベック。沢山ので溢れていたが、隊長の存在に気付く者はいなかった。それもそのはず、彼らは互いのパートナーしか見ていないのだから、ハレンチなブリーフ男など目にも入らないのだ。

 隊長はそれに不快を覚えた。クリスマスイブの夜、ハレンチなブリーフ一枚の男が広場を走っているというに誰も注目しないとはどういうことかと。やはり彼らには自分たちの粛清が必要なのではないかと訝しむ。

 しかし、そんな隊長を見つけることができる人間がこの場にいた。隊員たちだ。


「隊長、あなたのブリーフはよく目立つ」

「タイチョー、甘いよ。桜でんぶのように甘い」

「隊長殿、いや、裏切り者が!」


 隊員たちは、十字架に貼り付けた未来の隊長を運びながらも追いついたようだ。股間に天狗を携えた壮年の男がパンツ一枚で貼り付けられている様は、この場においてあまりに場違いであった。


「我々はあなた方二人を十字架に架け、イルミネーションを施す刑を執行する」


 今と未来、二人の隊長は背中合わせに、一つの十字架に架けられた。電飾を巻かれ、人工的な光を纏った二人はさながらクリスマスツリーのようでもあった。広場の中央に陣取らされ、彼らの周りには光に釣られたカップルも集まる。なのに、誰も半裸の男の存在には気付かない。恋人しか目に入っていないのだから。


「なあ未来の俺」

「なんだ過去の俺」


 隊長たちは背中越しに話をする。


「町のカップルたちは俺たちに気付かない。それでいいのか? 俺もそうなるのか?」

「いや、それは」

「俺はそんな未来なら、彼女なら……」

「よせ、それ以上言うな」


 隊長は、足元の布袋を蹴り上げた。五年に渡って集めてきた、哀れな男共の下着が宙を舞う。風に乗り、高く高く舞い上がるそれは都会の灯に照らされて彩り豊かに輝いた。きらきらひらひらと、八千と十枚のパンツが広場に降り注ぐ。

 隊長はそれを見て大声で笑った。ボクサーパンツが多いな、とか。やはりボクサーパンツを履くようなやつはいけ好かないな、とか。

 そう、思っていた。


 もっと沢山の下着を集めてばら撒いたらもっと綺麗だろうな、とか。明日は隊員たちに謝ろう、そしてまたクリスマス撲滅作戦を続けよう、とか。


 そう、思っていた。

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下着を巡る聖夜 平賀・仲田・香菜 @hiraganakata

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