4
懐かしき山の緑に瑞々しさはなかれど、朝晩の涼しさからか色づき始めた葉が見える。
此処までの登山は大変なものだった。しかし、しばらく体を動かしていなかった篝にとっては良い運動になったかもしれない。
ふぅぅ、と息を吐いてから、篝は懐から何かを取り出す。そして、ふっと表情を
「まさか登山させられる羽目になるとは、思ってもいなかったぞ。きっと明日はまともに歩けまい」
『あら、そう? 篝さんなら、何だかんだ言いつつぴんぴんしていそうなものだけれど』
「お前は俺を何だと思っているんだ」
篝が苦笑した先には、
彼女が望んだのは、出雲の山々へ行くことだった。特に山地を一望出来る場所が良いと要望したため、篝は普段使わない筋肉を多分に用いて山頂まで到着したという訳だ。
「……しかし、意外だったな。お前が
眼前に広がる景色を眺めながら、篝はほうと感慨深げに息を吐き出す。
この山々を分け入った先に、金峰村がある。かつてホフリの君たる御神体が守っていた森へ帰りたい──そう、桐花は願ったのだろう。口に出すことはなかったが、その程度の行間を読むことは篝にも出来る。
桐花はかつて、金峰村の外に出たいのだと口にしていた。自分を閉じ込める檻から脱け出し、広い世界に羽ばたきたいのだと。そのために、篝へ協力を申し出に来たようなものだ。
それゆえに、篝は彼女が故郷に戻ろうと願うことはないと考えていた。外界に出ることを望んでいた彼女が、自分を縛り付けていた村を顧みることはなかろう──と。
桐花は、まあそれもそうだけど、と前置きに肯定してから続ける。
『やっぱり、どんなに退屈だったとしても、金峰村が私の生まれ故郷だもの。ホフリの君がいなければ今の私はいない訳でしょう? だったら、縁もゆかりもない土地よりも、良くも悪くも私を構成した神域に少しでも近付けたらなと思って。それに、私の骨自体は海にまいてくれるというのだから、お外に出たも同然よ。私としては満足だわ』
「今の金峰村はどうなっているかわからんぞ。まだ村人はいるかもしれないし、皆立ち去ってしまったかもしれない」
『村人の有無は関係ないわ。私、彼らに会いたい訳ではないもの』
人の姿をしていたら、きっと桐花は遠い目をしているのだろう──と篝は憶測した。それだけ
『……私はね。傲慢かもしれないけれど、ホフリの君や冬──金峰村に生きて、金峰村で死んで、公に出ることもなく忘れ去られてしまいそうな彼らへ、せめて弔いを送りたいの』
「……弔い、か」
『たしかに、生き残った村人はいるかもしれない。金峰村は、まだ残っているかもしれない。でも、かつてホフリの君や、鬼女──テクラを
現在の金峰村がどのような状況にあるのか、篝にはわからない。
残してきた村人たちのことが、全く気にならないと言ったら嘘になる。しかし、彼らの行く先を決めるのは彼ら自身であり、自分が口を挟んで良いことではない──ということは篝も理解していた。
『どれくらいの人が今回の一件を知ることになったのか……私にはわからないし、わかるはずもないと思うわ。だからこそ、私は帰りたいの。私を育み、そしてテクラを受け入れてくれたこの大地に、せめてもの恩返しとはいかないけれど……。でも、この村のことを知る者として、誰もが金峰村のことを忘れてしまってからも残り続けるこの大地の一部になりたい。そう、心から思うの』
「いずれこの地も風化して、人すら足を踏み入れなくなるかもしれないぞ。それでも良いのか」
『良いのよ。今の私は恐ろしい鬼女でも間ノ瀬の孫娘でもなく、ただの葉っぱの桐花なの。近いうちに朽ちてしまうけれど、それまで私は金峰村に息づいていた、人ならざるモノたちのことを思うから』
脳裏に響く桐花の声は、あまりにも優しい。それゆえに、篝は彼女を否定することそのものが無粋に思えてならなかった。
篝はそっと
『それじゃあ、篝さん。そろそろお別れね』
「……ああ」
『此処まで、私の我儘に付き合ってくれて、本当にありがとう。それに、ひとつも恩返し出来なくてごめんなさい。私、篝さんにはお世話になりっぱなしだったのに』
「今更気にするなよ、そんなことは。俺だって、お前に助けられた。おかげで今、こうして生きている。だからおあいこだ」
『ふふ、篝さん、相変わらずお人好しね。そういうところ、本当に眩しいわ。それに、温かい』
だから私もこうして話していられるのね、と桐花は穏やかに言う。
『篝さん、金峰村のこと、忘れたって良いからね。篝さんの人生は、此処で終わる訳じゃないもの。拉致されてごたごたに巻き込まれたことよりもずっと、楽しくて輝かしいことを考えて過ごした方が良いわよ』
「余計なお世話だ。金峰村での生活も、存外悪くなかったぞ」
『……そう。それなら、私も頑張った甲斐があったものだわ』
びゅう、と。
山頂を、一陣の風が吹き抜ける。それは薄く小さな木の葉を吹き飛ばすには十分な強さだった。
篝の手を離れて、木の葉は飛んで行く。向かう先は、海の向こうから流れ着いた一人の女と、人を好いた一人の少年を祀っていた土地。
其処に神はいない。新たな信仰が芽吹くかもしれない。篝の知る神は、もう何処にもいないのだ。
それでも。
「『
その言の葉は
神おわした地。かつての神奈備。
たとえ忘れ去られようとも。自然の流れに飲み込まれ、形を失おうとも。その地を踏んだ者として、弔いを送ろう。
篝は顔を上げる。その瞳は涙を
【完】
その神奈備に、弔いを 硯哀爾 @Southerndwarf
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