3
先程まで自分のいた謁見の間が大荒れしているとも知らず、篝は神殿の最北──
殯の宮とは、死者を
それゆえに、覚悟はしていた。桐花が、自分の知る姿ではないかもしれないということを。
(……俺は臆病者だ)
それなのに、足取りは次第に重くなり、殯の宮に到着することを恐れている。その事実が、篝を苛立たせる。
間ノ瀬桐花──テクラに弾丸を撃ち込んだのは、他でもない自分自身なのだ。自らの行為から、目を背けてはいけない。
だが、どう足掻こうと恐れは消えてくれなかった。間ノ瀬桐花は取り返しのつかない状態かもしれないと思うと、否が応にも足が
「どーん」
「っ……!?」
不意に、背後から衝撃が加えられる。
思わずよろめいた篝だったが、どうにか体勢を整えて後方を振り返った。声から何となく察しはついているが、だからといって黙認出来ることでもない。
「病み上がりに何をするんだ、夜霧」
「おや、そう言う割には元気そうだがね。……ああ、でも、精神的には結構参ってるって感じかな」
振り返った先にいたのは、夜霧とかよだった。二人とも清潔な着物を纏い、顔色も良い。
相変わらず他人を
「篝兄ちゃん、これから北の宮さ向がうんだが?」
苦笑いしつつ問いかけてきたのはかよである。金峰村で出会った頃と比べれば、幾分か顔付きが大人びた気がする。
「ああ。長より許可も下りたのでな。お前たちはもう訪問したのか?」
「いやいや、まさかあ。おらだは篝兄ちゃんに会うだけって決まってっから、此処以外は立ぢ入り禁止だあ。本当は篝兄ちゃんのお部屋さ行ごうって話だったんだげんと、夜霧姉ちゃんがこの辺りで待ぢ伏しぇすてようって」
「おや、ネタばらしされてしまった」
かよってば種明かしが早いよ、と夜霧は軽くかよを小突く。心なしか、表情も柔らかい。
身寄りもなく、ただ売られるがまま舞い手にされた少女二人。彼女たちはホフリの君の
じゃれ合う二人を眺めていると、不意に夜霧が顔を近付けてきた。
「な、何だ。どうしたんだ」
色素の薄い瞳に見つめられ、篝は戸惑う。見知った仲とはいえ、此処まで近付かれることはなかったのだ。同年代の女性と接する機会の少なかった篝としては、どう反応したものか困ってしまう。
そんな篝を前にして、夜霧はにんまりと笑った。面白いものを見かけた時にこういった顔をするのだと、彼女と共に過ごしてきた今ならわかる。
「いいや? お前があまりにも
「そんなとんちきな治療法を利用するんじゃない」
「冗談に決まっているだろう、まったく。つまらない男には嫁が来ないぞ」
「余計なお世話だ」
微笑んでいた自覚はないでもないが、こうも
「まあまあ、篝兄ちゃん。間ノ瀬の姉ちゃんに会いに行ぐんだべ? だったら、ほだなすかめっ面は良ぐねよ。あっちは篝兄ちゃんのごど、ずっと待ってるんだからよ」
喧嘩すねで、と間に入ったかよだが、何を思ったかあざとく片目を
しかし、かよの言葉は正論だ。
篝は、一月近く桐花を待たせている。彼女が何を考えているにせよ、顔を出してやらねば話のひとつも出来やしない。
「すまない、話をしたいのは山々だが、早いところ桐花のもとへ向かわなければ」
「うんうん、寄り道は良くないよ。女の子は待たされるのが苦手な生き物なんだ。早く行っておいで」
「絡んできたのは何処のどいつだ」
「さあ、誰だろうね。──とにかく、行ってらっしゃい。話ならまた後でしてやるから、用件を済ませてきなよ」
「篝兄ちゃん、頑張ってにゃあ!」
ひらひらと手を振る二人に心中で礼を言いつつ、篝は再び殯の宮に向けて歩を進める。
そうだ。まずは桐花に会わなければ。顔も合わせないままでは、彼女の言葉を聞くことなど出来ない。
殯の宮を訪れる人は多くないため、篝が到着した時に同室する者は一人もいなかった。もしかしたら人払いをしているのかもしれない──と思わせるだけの静寂に包まれている。
其処に、かつて語らい、共に村祭りを成功させようと願った少女はいない。
「……桐花」
篝は一歩、また一歩と歩み──ある一点にて立ち止まり、膝をついた。
祭壇の上に置かれた、正方形の白い箱。篝はそれを手に取り──紐を解き、
その中には、骨が入っていた。
頭蓋骨はなかった。だが、恐らくそれ以外の部位は揃えられているだろう。箱は重く、ずしりと篝の手にのし掛かった。
この骨は、桐花のものなのか。桐花の肉体は焼かれ、こんなにも小さくなってしまったのか。
知らず、涙が
『もう、何て顔をしているの』
はっとして、篝は顔を上げた。
それは、たしかに桐花の声だった。ついに幻聴でも聞こえ始めたか──と思うより先に、手が伸びていた。
「お前、桐花なのか」
祭壇の上──箱の横に隠れるようにしてあったもの。
それは、一枚の木の葉だった。
瑞々しい緑のそれが、動くことはない。しかし、篝の脳内に直接、懐かしい少女の声が響く。
『そうよ。
「桐花、お前、生きているのか」
『まあ、生きている……ってことにはなるのかもしれないわね。でも、あんまり長くはないみたい。もとの体はこの通り死んでしまったから、もう動かせない。陽向様によれば、ホフリの君の御神体から得た葉っぱに私の魂を移し替えたらしいのだけれど……。持って一月ってところのようね。だから、残念だけどずっとこうして話していることは出来ないの』
でもね、と桐花は後ろ向きな風を否定する。
『私、きっと幸せ者なんだと思うわ。私が鬼女と体を共有していなければ、ホフリの君の一部を借り受けることも出来なかったし、こうして篝さんに会って話すことも出来なかった。本当は村祭りもいっしょに歩きたかったし、篝さんの舞も見てみたかったけれど……
「桐花、目は見えるのか」
『一応ね。限られた範囲ではあるけれど……』
「それなら構わない」
篝は箱に蓋をしてから、その上に木の葉を乗せた。そして、目元を拭ってから立ち上がる。
「だいぶ
『良いの? 此処では雅楽も奏でられないし、採物もないのに……。それに、篝さんの体調は大丈夫なの? 無理はしないで』
「大丈夫に決まっているだろう。小道具がないのは面倒だが、俺はこの通り元気だ。案ずることはない」
『でもさっき泣いていたわよね?』
「あれは汗だ。まだ暑いからな」
ふふ、と笑う桐花はわかっているのだろう。突っ込まない辺りに優しさを感じないでもない。
気を取り直して、篝は目を瞑る。神楽を舞ってから随分と時間が経ってしまったが、忘れた訳ではない。いつか桐花に見せることもあろうと思い、密かに練習していたのだ。
目を開く。足を踏み出す。
手に持つものは何もない。それでも、其処に在るように動かし、舞う。桐花が望むのは、村祭りにて舞った神楽に他ならないのだから。
袖を揺らし、髪の毛を
『……すごいわ』
つ、と足を止めた直後に、篝の脳裏に震える声が入った。
顔があったら、桐花は泣いていただろうか。それとも、瞳を輝かせていただろうか。
どちらにせよ、篝にはわからない。今の桐花に顔はないのだから。
『篝さん、神楽舞、とってもお上手になったのね。私や苅安さんが助言したからかしら』
「……ああ、そうだな。お前たちのおかげだ」
『嫌ね、篝さんってば、今日はやけに素直じゃない。篝さんは少し意地っ張りな方がそれらしいわ』
桐花に悲嘆の色はない。全てを受け入れたことによる諦めなのか、それとも吹っ切れてしまったのか。篝にはわからなかったが、桐花の態度は彼の心に寂寥感を募らせて仕方がなかった。
桐花は、もうじき生を終える。それまでに、出来ることをやらなければ。
『篝さん、何処へ行くの?』
桐花の骨が入った箱と木の葉を抱えて、篝はずんずんと歩き出す。木の葉の姿をした桐花は、戸惑いがちに問いかけた。
「何、まだお前の望みを叶えていなかったからな。それを済ませなければ申し訳が立たん」
『私の、望み』
「忘れたのか? 間ノ瀬の屋敷で、自信たっぷりに話していたじゃないか」
急ぎ足の篝からそう促されて、桐花は暫し沈黙する。
やがて桐花は解を得たのか、そうね、と頼りなさげな声で相槌を打った。そして、はきはきした口振りだった彼女にしては珍しく、ぼそぼそと篝に話しかける。
「──。わかった、ならお前の言う通りにしよう」
篝は些か驚いたようだったが、すぐに納得してうなずく。
急がなければ。この木の葉が朽ち果てる前に、桐花の望みは叶えられなければならない。
ただ前だけを見据えて、篝は大股で歩む。決して落とすまいと、箱を強く抱きながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます