第二話 書く
私は元の大きさに手紙を折ると、私宛の白い封筒に丁寧に仕舞った。
宛名は詞の字じゃない。たぶん、私に連絡をくれた、妹さんの字だと思う。
詞の死を知っても、私は葬儀には行かなかった。行けなかった。
現実を直視できなかった。
高校を卒業して以来、ほとんど会ってはいなかった。けれども、ネット上で作品のやり取りはしていた。ずっと。
詞が私の作品をそんな風に思っていたなんて知らなかった。
私が書いた渾身の作品を「おっぱい小説」だなんて揶揄された事もあったから。
その後しばらく口を利いてやらなかったけど。
高校入学前から私には文章が総てだった。文藝部に入部したのもとにかく同世代の書く他作品に触れて学びたかったからだ。決して人付き合いしたかった訳じゃない。
無駄話なんて不要だった。
それなのに、誰の目にも明らかに他人を拒絶していた私の中に土足で踏み込んできた詞。
徹底的に作品を扱き下ろして拒絶してやろうと思った。けど、出来なかった。
出来るはずがなかった。
詞の作品はキラキラ輝いていたから。
私の書けなかった世界。
私が未だ書けない世界。
私の持っていないものを、あふれるほど持っていたのが詞だった。
そんな詞も、もういない。
私の作品を正論で殴りつけてくる奴は、もういない。
夜に突然目が覚めて、詞のいない現実に引き戻された。
私は小説投稿サイトを開かなくなった。
その小さな画面の中に、決してそれ以降更新されない詞の作品を見たくなかったから。
書けなくなった。書きたいという気持ちが湧いてこなかった。
誰とも関りを持ちたくなかった自分が、詞のいない世界で書けなくなるなんて、思いもしなかった。
春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、それを何回繰り返したのか覚えていない。
わからない。
ただひたすら時間を無駄に捨てていった。
目まぐるしく変化する寒暖の中で、心が麻痺して、再び小説投稿サイトを訪れたあの日まで。
詞からのメッセージが、更新の止まった作品のメッセージボックスに届いていた。
目を疑った。日付は詞の葬儀の翌日だった。
私は震える手でメッセージボックスを開いた。
そこには詞の妹からのメッセージが残されていた。
『兄が葵さんに手紙を残しています。お願いです。受け取ってもらえませんか』と。
そこから詞の手紙を手にするまでの事は、よく覚えていない。
まるで朧げな夢の中にいるような、そんな感じだった。
現実に引き戻された。情け容赦ない現実に。
私は何をやっていたんだろう?
なんで書かなかったんだろう?
私は書けるのに。
時には限りがあるというのに。
詞の手紙はなんて事ないただの思い出話ばかりだったのに、こんな時まで私を正論で殴りつけてくるんだ。詞はあの頃のまま、何も変わっちゃいなかったんだ。
私は書いた。
憑かれたように、書いた。
見えない詞の背中を追いかけるように書いた。
詞への想いで書いたんじゃない。目が覚めただけだ。私はどれだけ書いても詞には追いつけない。それでも書くことが私の総てだった。詞もそうであったように。
そして、私はここにいる。
目が眩むほどのスポットライトの光の下で、沢山の人たちに見上げられて、ここにいる。
自分の作品が認められた世界がこんなにもちっぽけだったなんて、詞には想像できただろうか?
私を見上げる人々の中に、詞の姿はない。どこにも、ない。
詞はきっと、今でもずっと書き続けているのだろう。
だから、私もペンを走らせよう。
詞が私に残した手紙を書いたであろう、あの頃の安い万年筆を使って。
詞がいる、空に向かって。
約束だ。私は詞を追いかける。どんな事があっても、負けたりなんかしない。
こんな場所は私の目的地じゃないんだから。
詞がいなくなって初めて流れた涙は、晴れの舞台に降る雨のようだった。
空に走る えーきち @rockers_eikichi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます