七:まだ脚は3本ありますよ

 コクピット背後の機関が動力を振り絞り、恐らくはセンの意思の迸りに瞬きほどのラグもなく動作して、信じがたいアジリティを産み出している。

 自動操縦オート・パイロットはおろかマニュアル操縦でも、こんな機動はできない。

 これが、神経系接続機構の機動なのか。


 進行方向には、“クラウド”職体4体が緩やかな縦列を組みながら山肌を駆けている。その後ろにはややあって、もう4体の縦列が続いている。まるでキャラバンのよう。

 ほぼ同一の等高線上まで到達した“コクーン”は再びスラスターを爆発的に噴射し、先頭個体の斜め前方からドリフトするように急速接近。奴らの縦列先頭へ、突入角度を巧みに調整する。一歩間違えれば敵に取り囲まれてしまう――が、主導権を握り各個撃破を成すための、リスクを厭わない先制行動。

 センにはこのぎりぎりの制動を為すだけの技量と度胸がある。ただ、彼女のチャレンジには、わたしが今まで体験したことのない高速機動が伴っていた。


 頭蓋骨の中が、お腹の中のいろんなものが乱れる。巨人の掌に鷲掴みにされて思い切りスイングされているみたいだ。

 重力の激流に意識と身体が弄ばれるのを懸命に堪えて、必死で見つめるモニターの中で、前方の職体がみるみる近づいて大きくなる。みるみる、みるみる、みるみる――。

(ぶ、ぶつかるっ!)

 声にならない悲鳴が漏れた刹那、側面スラスターがバースト。

 機体は水平方向へつむじ風のように弧を描いてランディング。かくして、“コクーン”は先頭職体の側方を完璧に取った。

 目の前にはその無防備などてっぱらがある。どうすればいいか、センに言われるまでもない。ちぎれかけた意識を手放さないよう歯を食いしばり、わたしは前脚付け根の12.7mm機銃の射撃を実行した。 

 多少威力不足でも、ゼロ距離で叩き込めば効き目はある。体組織を水飛沫のように散らし、コントロールを失って斜面を転がり落ちていく。

 なるほど、足場の悪いこの急斜面も、敵を滑落にさえ追い込めば弾薬を節約することができる。


「次!」

 喜ぶ間もなくセンが叫び、“コクーン”をその場で急旋回。標的は今始末した先頭個体に後続する2番手の敵個体、そいつに背を向けるようにスピンする。

 そこから後ろ回し蹴りの要領で振り上げられた後脚が、巨大なハンマーのごとく突っ込んできた職体の横っ面をぶん殴ったので、ホームランボールのように谷底へ吹き飛んでいく。


 至近に迫るのはあと2体。“コクーン”は後続個体と正面切って相対したところでスラスターを前方へ噴かし、バックで斜面を滑り降りた。こちらの誘い込みに、敵はしっかり食いついて直進してくる。3、4秒ほどの急速後退でわずかな間合を確保すると、機体が「がくり」と激しく揺れて急停止。身体が座席から放り出されそうになるのを限界まで伸びたシートベルトが繋ぎ止めた。

 その急停止は意図的なものだった。岩場の凸凹に四つ脚をうまく嵌め込んだようだ。そして、威嚇する猫のように“コクーン”は前傾姿勢を取る。


 センがわたしに何を促しているのか、すぐに理解した。


 機体背面のバックパックの装甲展開。そこに格納されていたのは主兵装の25mmロータリーキャノン――GU-16“DIVA”。機体の肩に担ぐように砲座が固定され、本体部に比べてやや短い多砲身が環状に束なる砲身が自動的に組み上がっていく。展開所要時間は2.4秒――遅くないが速くもない、稼いだ間合とほとんど収支が均衡する。

 それでも、間に合ったのはこちらだ。

 目前の3体目の職体を射線に捉え、射撃実行。

 束状の多砲身が高速で輪転し、獰猛なバイブレーションがコクピットを震わせた。わずか約2秒の間に戦車をも粉砕する25mm砲弾が100発近く速射される。高速砲撃に伴う反動を“コクーン”は4つ脚で受け止める。職体はその場で爆発したように組織片と体液を飛び散らし、まさに木っ端みじんとなって果てた。


 続いてその直背後にいる4体目も――と向けた照準の先に、何もいない。

 3体目のすぐ背後にいたはずの4体目が、消失ロスト

「どこ!?」

 思わずがなった。レーダーは自機とほとんど重なる位置に反応を示した。

「上だ!」

 センは叫ぶと同時に、非常用クイック・スラスターを緊急噴射。座席に押し込まれる猛烈なGの瞬間。恐らくほんの数センチほどの差で“コクーン”のお尻をかすめて職体が真上から落ちてきた。

 奇襲に成功した4体目の職体は即座に“コクーン”の右後脚に絡みつく。脚部フレームの『めきゃり』という悲鳴。

「この野郎――!」

 センが呻き、背面スラスターを職体に向けて点火。バーナーの直撃を受けた職体が慌てて機体から離れた隙に“コクーン”は方向転換を済ませ、機体ごと体当たりを食らわせた。敵は支えきれず、谷底へ転がり落ちていった。


 これで、山の斜面を駆け抜けようとした4体は片付けた。“コクーン”はひと息ついてその場に静止するが、わたしの息はすっかり切れている。“クラウド”との格闘戦という極限の集中を求められた疲労感に襲われている。

 たった1機で4体の“クラウド”を葬った。本来なら表彰ものの大戦果でも、機体レーダーは“コクーン”に這い寄る多数の敵影を認めている。たった今始末した4体の後方から山の斜面を駆けてくるのが4体。そして、谷底の炎のカーテンを抜けてこちらへよじ登ってくるのが10体。

「……動体反応、あと14体!」

 我ながら気が遠くなる報告だ。ただでさえ、常軌を逸した高機動の連続で、酔いと吐き気を覚えているのに。「――セン、ほんとにどうにかできるの!?」

「右の後脚が今のでやられましたね。機動性は落ちますが、まぁでも、まだ脚は3本ありますよ!」

 楽しくて仕方がないといった声。まるでトリガーハッピーだ。


 秒単位の休息を終えて再び“コクーン”を始動させようとするセンに、「――ま、待って!」と異を唱えた。

「こんな戦い方であと10体以上もやるなんて無茶だ! せめて25mmロータリーキャノン"DIVA"で敵を削って……」

「それは無駄です」

 センの冷静沈着な返答に、わたしはぐっと言葉に詰まった。「中長距離からの砲撃はどうせ躱される。25mmロータリーキャノン"DIVA"の弾薬だってせいぜい1000発。結局、肉弾戦で蹴りをつけるしかない」

「だ、だけど、あと14体もなんて。4体やるだけで脚1本やられたのに、機体が、」

「あたしを信じてください」

 戦闘が始まって初めてセンが振り返った。

 センに、そう言われて、そう見つめられてしまうと、わたしにはもう何も言えない。「――次、行きます」


 今度は谷底から這い上がる職体の先頭に狙いを定め、“コクーン”は突き進んだ。歩行すらしない、スラスターの推力と上から下へくだる単純な運動エネルギーだけで、接地面から火花を散らしながら、スキーのように滑っていく。

「は、速すぎる! 減速っ! 減速しないと!」

「衝撃に備えて!」とセンは応じただけ。減速は一切しない。

 先頭個体を一直線に目掛け、トップスピードに達した。恐怖を覚えるほどの速度。そして繰り出した攻撃方法はあまりに単純明快、“コクーン”は自身のその質量を“クラウド”に衝突させたのだ。

「きゃあ!」

 有機物である“クラウド”の身体はクッションのように押し潰れる。こっちも無事じゃ済まない、コクピット内の何かがばきりと剥がれ落ち、シートベルトが引きちぎれるほど前へ揺れ、胸と腹が締め潰される。

 激突と同時に、逆噴射をかまして“コクーン”は急停止。前脚を懸命に突っ張って山肌に踏み留まる。一方、体当たりを食らった個体は谷底へ転がっていった。

「き、機体を労わって、セン!」

「これしきで壊れる“コクーン”ならとっくに棄ててますよ!」

「――つ、次は右から!」

「はい!」

 センは右前方から斜面を這い上がってくる職体に対して、前脚を大きく直上へ振り上げた。そして職体の体当たりを食らう寸前に振り下ろす――かかと落としだ。「ぶちぶちぶちぶちっ」と敵の頭部が圧潰し、飛び出た薄黄色の体液が外部モニターのレンズをしとどに濡らす。

 頭の潰れたそいつの図体をサッカーボールのように蹴り飛ばせば、谷底から迫るもう1体にぶつかって巻き添えで転がり落ちていった。

「――セン、今度は左!」

「はい!」

 今度は左側面から迫る職体あり。センの意識を向けさせる。矢継ぎ早に各スラスターを噴かし、脚部を振りかざしてセンは殴りかかっていく。

 同時に、反対方向からも複数の職体が接近していた。

 挟撃はまずい。センの技能がどれだけ優れていても、多方面からの同時的な複数攻撃を凌げるとは限らない。

 神経系接続機構の凄さのせいで感覚が麻痺しかけているが、本来なら“クラウド”の職体は戦術機動機甲T.M.Aの数的優位を確保した上でなければ勝ち目はない。レヴィット大尉も警鐘を鳴らしていた通りだ。


 なら、わたしがどうにかしないと。

 弾薬の消耗は避けたいけれど止むを得ない。兵装の中で唯一側面・後方への射角設定が可能な12.7mm機銃でそちらを斉射。

 でも、その弾幕はか細く頼りない。多少の傷なんか構わず奴らは突っ込んでくる。

「セン、――セン! 5時の方向! 12.7mm機銃12mmじゃ止まらない、早く!」

「ただちに!」

 センが正面の1体をようやく蹴り飛ばした。即座に方向転換、迎撃に移る――が、そのタイミングがわずかに遅い。

 破れかぶれでロケット弾を2発放った。爆炎を噴いて直進するロケット弾は幸運にも、眼鼻の先でまさに飛び掛からんとしていた職体1体にその2発がもろに直撃し、すれすれのところで弾き飛ばすことができた。

「助かりました!」とセンが叫んだ。

 せっかくの集束焼夷弾も近距離すぎて信管が作動せず、直接ぶつけただけ。もったいない使い方だが、仕方ない。わずか数秒の時間は稼いだ。さらに3、4体の個体が駆けてくるまでの。


 瞬間的な判断を要する場面だった。

 12.7mm機銃では威力不足だ。

 貴重なロケット弾を消耗したくない。

 いくらセンでも同時に複数個体は厳しい。


――消去法で、25mmロータリーキャノン"DIVA"しかない。圧倒的な破壊力と速射性を有するこの機関砲で切り抜けるしか。

 砲座は既に展開済、あとは砲身を速やかに組み上げ、射撃体勢に入るまで約1.5秒。

「砲撃する! セン、止まれ!」

 わたしの叫び声にセンは機動を一瞬躊躇った。

 さぁ、早く、早く、射撃しろ。

 敵がすぐ眼の前まで来ている。

 わたしが砲撃コマンドを実行したその時、センが絶叫した。


「――違う、そこは12.7mm機銃12mm!」


 その声を25mmロータリーキャノン"DIVA"のバースト音が掻き消していく。

 けたたましい破裂音と共に、まさに飛び掛かってきた職体1体を粉砕した――まではよかったが、照準が不思議な方向へずれ始めた。

 機体ごと、いや、足場ごとずれているのだった。

 センが射撃を制止した意味、そして自分自身の判断のミスに気づくと、思考がホワイト・アウトする。

 25mmロータリーキャノン"DIVA"の射撃に伴う反動を、この急斜面かつ後脚1本の潰れた“コクーン”が支えきれなかった。踏ん張れるだけの足場を確保しないまま砲撃を行ったせいで、バランスを崩した機体が斜面をずり落ちていく。

「まずいっ……!」

 センがスラスターをどうにかしてリカバリーを図りかけた。そこへ射撃をかい潜った“クラウド”の1体が蜘蛛のように這い寄った。


 モニター越しに、そいつののっぺりとした蜘蛛のような顔と、わたしたちの視線が合った気がした。


 そして、そいつはその触手を“コクーン”目掛けてフルスイング。何体もの仲間がやられた分をやり返す強烈な一撃がコクピットのある本体部に直撃。センの座る前席正面のフレームの一部が内側へひん曲がり、彼女の身体に迫った。

 同時に、“コクーン”はいよいよ山肌から剥がされて、宙に浮く。

 一瞬の無重力――そして、絶対的な重力が支配する、絶望の滑落が始まった。


「あああッ! だめ、だめ、だめッ!」


 わたしたちの悲鳴と共に“コクーン”は斜面を転がり始めた。山肌から突出した岩にぶつかり、その転落は完全に制御不可能なものになった。

 コクピットが天も地もなくぐるぐると回転し、固縛されていない備品が石つぶてのように暴れ回る。四方八方から機体フレームが砕け、屈曲し、破損していく音が続く。



 なす術なく谷底まで転がり落ち、ほとんど横倒し状態になってようやく全てが止まった。

 全身を揉みしだく強烈な鈍痛の中、わたしは意識を手放し、虚無の中へ沈んだ。

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