六:尊厳を守るってのはね

 7機の戦術機動機甲T.M.Aと2台の装甲車が、水の枯れ果てた砂礫の山々の谷底をくねくねと曲がりながらこちらへ迫ってくるのを機体レーダーが捉えた。

 機外カメラを通じて、遠くかすかにモニター上でも視認される。壊滅したアーヴィクス基地から逃げ延びた基地要人とそれを護送する208機団。2台連なる装甲車は土煙をあげて爆走し、その前後左右にぴたりとついた戦術機動機甲T.M.Aは、2脚の逆関節型脚部フレームで一歩一歩ばねを利かせ、水面を跳ねるように趾行している。

 そもそもあれが走って移動しているということは、要は輸送機が足りなかったか、やられたか、離着陸ポイントを確保できなかったかで、取るものもとりあえず退却してきたのだろう。アーヴィクス基地がどんな目に遭ったかは推して知るべしか。


 進路を塞がないよう、“コクーン”は谷底の微かにそれとわかる道路の端っこに寄って立ち止まる。すると、先方から交信が入った。

『……そこの機体、アスカシアルだな……』

 スピーカーから聞こえる、野太いが憔悴した男の声。先ほどのレヴィットと名乗っていた兵士のそれに、センは砕けた口調で応じた。

「しばらくぶりだな、レヴィット

『……もう大尉だ。敬語を使えよ……』

 はにかむような微笑が漏れ伝わる。センもレヴィット大尉もお互いを懐かしんだけれどそれは一瞬のことで、すぐに大尉は心配そうに訊ねてきた。『……周囲に僚機が見当たらないようだが、まさかお前だけか……』

「しっかり者の相方も一緒だよ。それじゃ心細いか?」

 何気なく、センはわたしのことをそう言った。そうだろうか、と思った。

『……いや、しかし、たった1機では。敵が何体いるかわかってんだろ? ……』

「あいにく上から情報封鎖を食らっていてね。なんにも知らない」

『……お前も相変わらずだな、今度は何やらかしたんだ……』

「何にせよ無駄に死ぬつもりはない。手立てがあるからここへ来た」

 センは強気なぐらいきっぱりと言い放った。たぶん、ただのはったりだ。それでもあのセンがそう言うのなら、不思議と不安が薄れた気がした。「――それよりも状況は?」

 レヴィット大尉は困惑した様子でしぶしぶ答える。

『……追ってくる職体は20体、少し後ろにもう10体。戦闘になれば3、4体1チームで必ず1対多の局面を作ろうとする。まるで戦術機動機甲T.M.Aチーム同士の模擬戦みたいだ。標的が目移りするとやられるぞ……』

 30体もの職体――アーヴィクス基地を呑み込んでなお、それだけの数が残っている。血の気が引くほどの大群。

 生唾を呑み込むわたしの前方で、センは「ひとつ聞きたい」とマイクに語りかけた。

「もし、神経系接続機構が使えれば、何とかなりそうだと思えるか?」

『……あぁ? 今、そんな妄想をして何になる……』

 少しむっとした声。でも、ため息を挟んで彼は言う。『……お前もご存知の通り、今の統合総軍はが使えない中でベストを尽くしている。俺もないものねだりは趣味じゃない。――だがまぁ、心情は察してくれや……』

「ありがとう。逃げてくれ」

 今のやり取りでセンは確かめたようだ。神経系接続機構があれば闘える、と。


 直後、“コクーン”のすぐ横を208機団が通過していった。時速100キロに迫る速度にも関わらず、驚くほど静か。さすが最新鋭機だと感心する。

 あの機体を以てしても、神経系接続機構の搭載機体には及ばないというのだろうか。


 離れていくレヴィット大尉から再び交信が入った。

『……ところで、その四つ脚の機体、“黒後家蜘蛛ブラック・ウィドゥ”にそっくりだな。まだそんなものが民間にあったのか? ……』

 センは鼻で笑った。

「この機体は“コクーン”だ、あんな悪趣味な名前でなぞらえるなよ」

『……そうかい。幸運を祈る……』

 最後にそう言い残し、レヴィット大尉らの一団は雲を霞と逃げ去った。そうして“コクーン”だけが路上に取り残された。





「本当に使うのよね、神経系接続機構」

 座席手元のコンソールをいじっているセンの後頭部に訊ねる。

「まぁ、使わないとどうにもなりませんし」

 何でもないように答えた。「本来は後席のオペレーターも接続端子を着けるんですけどね。火器管制はそちらになるので」

「わたしは……遠慮させてもらうわ」

「はい。強いるつもりはありません。装着しなくて結構です」

 それはちょっと拍子抜けするようなレスポンスだった。あまりにきっぱりとした返答に、嫌味なのかと思うほど。

「……あ、いや」

 わたしが黙るのを感じ取ってか、センはすぐに釈明した。「当然、2人で使った方が性能は倍増します。でもそれだとカルハさんもあたしと共犯になってしまうし――それに変な話、この機体にはジンクスがありましてね」

「ジンクス?」

「“この機体でオペレーター2人が揃って神経系接続機構を使った時、どちらか片方が死ぬ”――」

「……ふっ。何それ」

 わたしは鼻で笑った。子ども騙しの迷信じゃないか。

 でも、センからは少しの笑いも漏れてこない。

「さっきレヴィット大尉が口走ったように、以前この機体は“黒後家蜘蛛ブラック・ウィドゥ”と呼ばれていたんです」

「まぁ、黒い蜘蛛に似てるものね」

「どちらかと言えば、そうじゃなく。この機体を操縦したとある戦術機動機甲乗りT.M.Aオペレーターを揶揄する通り名ですよ。――クリスティ・ホワイトリリー中尉、統合総軍の伝説的な女オペレーターで、あたしにとっては師匠みたいな人。カルハさんはご存知で?」

「いや……詳しくは」

 名前ぐらいは聞き覚えがある。軍人じゃないわたしでも耳にするぐらいだから有名人ではあるのだろう。

「ホワイトリリー中尉は、旦那さんとバディを組んでこの機体に乗っていました」とセンは呟いた。「当初、中尉は神経系接続機構の扱いに不慣れだった。だからいつも旦那さんだけが使用していたんですが、ある闘いで初めて2人同時に使用した。相当無理な戦闘をしたんでしょうね、ボロボロになって帰投した機体の中で、同乗の旦那さんは亡くなってしまった。皮肉なことに、中尉の並外れた戦闘適性はその時に開花したんです。戦列復帰後、中尉が鬼気迫る闘いぶりで“クラウド”を薙ぎ倒していく様子に、いつしかこの機は“黒後家蜘蛛ブラック・ウィドゥ”と囁かれるようになったんですよ」

 ろくでもない、失礼な通り名でしょ? と一度だけ振り返ったセンが言った。

「……で、中尉もゲンを担ぐようになりました。たまたまであっても、『神経系接続機構の同時使用普段と違ったことをした時』に最愛の人を亡くしたわけで――そりゃ心にひっかかりますよね。だから自分と組んだバディには神経系接続機構の使用を禁じたんです。自分ひとりが使うから余計なことはするな、と。でもある時、馬鹿なオペレーターがその言いつけを破った。“黒後家蜘蛛ブラック・ウィドゥ”はどうにか生還したけれど、深傷を負ったホワイトリリー中尉はその時亡くなりました」

 センの語りの終わり際は、ちぎれていくように消えいった。センチメンタルな何かがそこにあるのを、堪えるようにして、センは続けた。

「――この世界じゃ、2度あることは3度ある。この程度のゲン担ぎや迷信よりも、ずっといい加減で不確かな出来事に、人の生き死にが弄ばれるんです。だから、カルハさんはこの機構に接続する必要はありません。そこに確固たる意志があるのでもないのならね」


 センはそこでコンソールをいじっていた指をはたと止める。

 そして再びこちらへ振り返った。

「カルハさんは、どうしてそこまで神経系接続機構を恐れるのですか?」

 その眼は穏やかで、静まりかえった池のよう。

 あの機構を忌避する理由なんて、わざわざ考えるまでもない。

「わたしはこの身体を、この意思を、“クラウド”に侵されたくない。奴らの苗床にされるのも、思考を盗まれるのも、まっぴら。わたしはわたしであることを守りたいだけ。理由なんか、それで充分でしょ」

「……あれを使えば、別格の力が約束されるとしても?」

「関係ない」

 目を閉じて、かぶりを振る。「人間としての尊厳を、わたしは失いたくないだけ」

「尊厳、ですか」

 センは一応こちらの返答を受け止めたが、恐らく納得はしていない。「カルハさん、あたしの考えは少し違うんですよ」

 そう吐露し始める。かすかに水がこぼれていくように。「確かにあの機構が運用されて、たくさんの戦術機動機甲乗りT.M.Aオペレーターが寄生されました。それは事実です。でも、あたしの知る限り利敵行為をした連中は誰もいなかった。寄生されていようがいまいが、この第6世代機に乗った者はみんな“クラウド”とは死にもの狂いで闘っていたんです。なのに、司令部はいきなり神経系接続機構を一切合切封印することに決めた……」

「何が言いたいの?」

 センが何を疑問視しているのか理解できなかった。「いくら個々の第6世代機の性能が上がって局面で勝てていたとしても、こちらの情報を盗られて敵の学習を促してしまうなら何の意味もない。軍の判断は妥当だと思うけれど」

「背広の連中はみんなそう言いますよね。『“クラウド”の知的進化や戦術性の向上は我々から吸い出された情報に拠っているはずだ』――でも、そんなのはあまりにも傲慢じゃないかって、あたしは感じるのですよ」

「傲慢? それのどこが」

「考えてみてください。機構の運用を禁じた後も、“クラウド”は弱体化などしていないじゃないですか」

 彼女の言葉がしなやかな鞭のように耳を打ち、わたしの唇を閉じさせる。「寄生された戦術機動機甲乗りT.M.Aオペレーターはあらかた追放されて、情報供給経路は遮断されたはずです。なのに、“クラウド”はますます手強くなっている。ということは、考えられる可能性は3つ」

 センはその細長い指を1本ずつ順番に立てていく。


 一、“クラウド”は既に自律学習を深めている。

 二、現場のオペレーターよりももっと上層部の重要人物が寄生されている。

 三、“クラウド”は今までこちらの知能レベルに合わせて、生かさず殺さずで


「――案外、3番目なんじゃないかって気がするんですけどね」

 おぞましい可能性をセンは笑いながら口にした。「……まぁ真相はわかりませんが、奴らは別にいくらでも賢くなれるんですよ、

 彼女は寂しく笑う。どうにもならない何かを嘲るように。「あの機構があれば勝てた戦いも、死なずに済んだ人もたくさんいたはずです。今のアーヴィクス基地だって、もしかしたらこんな羽目には。――こんなの、いったいどっちが利敵行為なんだか」

「……だったら、感染の蔓延に目をつぶってそのまま使い続けていればよかった、とでも?」

 そう投げかけると、センは答えた。

「そもそもあたしは、この戦争に人類が勝利できる日が来るだなんて、これっぽっちも信じてないんですよ」

「……そんなこと、」

 言いかけた。でも言葉が続かない。


 ようやく理解できた。わたしとセンのやり取りが絶望的なまでに噛み合わないのがなぜか。

 その答えがぎっしりと詰まっているのが、今の返答なのだ。


「あなたは、つまり敗北の美学の話をしているわけね?」

 センの口から漏れたのは失笑だった。

「……だって、種としてのあたしらが、“クラウド”よりも優れているところが何かひとつでもありますか?」

 センは逆にわたしに問い掛ける。「“クラウド”は大陸中の空間に瀰漫する、莫大なひとつの脳みそです。まさしくワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンを地で行く生き物。それに引き換え、あたしらときたら?」


――知性、勇気、優しさ。

――信頼、友愛、理性。

――そんな美しく高潔な気質があると、おこがましくも自負しているくせに。

――頭蓋の器にセパレートされた、ほんの1リットル少しの脳みそを何万何億と並列しながら、互いにわかりあうことも信じ合うこともできやしない。

――どこまでいってもスタンドアローンでうごめきながら、ひ弱なコミュニケーションで上辺をこすり合うだけの小賢しい群れ、それがあたしたちの程度じゃありませんか。


「……それでもまだ背広連中はこう思ってる。“クラウド”のような下等生物の化け物に負けるわけにはいかない、情報を渡すわけにはいかない、奴らと違って我々には知性と勇気と優しさと、他にも素晴らしい何それがあるんだって。……ふふっ、とぉっても滑稽だと思いませんか? あたしらは、最初からどこにもありはしないもののために闘わされているわけです。――手足を縛られながらね」

 わたしの顔を覗き込むセンの瞳が、蒼い光を灯すように煌いた。


「じゃあ、どうしろと?」

 歯を噛み締める。「勝ち目がないからって、おとなしく、美しく、これ見よがしな憐憫と共に敗れ去れ、と? 負けることを正当化したいの? そんな態度は卑屈な敗北主義でしかないわ。セン、あなたにとっての尊厳は、本当にそんなところにあるの?」

「――あたしは敗北主義になんか染まった覚えはありませんよ」

 思わず、背筋が伸びるようなきっぱりとした声で、センは宣言した。


「尊厳を守るってのはね、“自分を舐めた奴をぶっ潰す”、それをやるかやらないかの問題です」


 鋭利な、そして闘志に溢れた回答と共にセンは顔を上げた。「“クラウド”は知恵が通じない相手です。だからいつも言っているように、意志で殴らなきゃだめなんですよ。情報だの機密だの、くだらないものをこそこそ守りながら慎ましく滅びる前に。Even a worm will turn虫けらであっても歯向かう――あたしらはもう、そうすることでしか、その尊厳を示すことはできないんです」





 コクピットの全てをかき消すように、再びアラートが鳴り響く。208機団を追ってきた“クラウド”の職体が間近まで接近したことを訴えている。

「無駄撃ちの必要はありません。弾は大事にしてください」

 センは見計ったようにコンソールを素早く叩く。計器類の狭間から取出口が開いて、小ぶりのコーヒーコースターぐらいの六角形をした1枚の薄型機器が現れた。その中心に、針状端子の突出が見えている。

 何の躊躇いもなく、センはその端子をうなじあたりの頸椎部に押し付けた。ぷつっと小さな音がしたかと思うと、その端子の表面にエメラルドグリーンの綺麗な光が浸透するようにじんわりと浮かぶ。その上からセンは分厚いクロワッサンのような防護バンドを巻いた。

『……神経系接続を確認。認証コード H-289:946:54、生体接続の検証を完了しました』

コクーン”のシステムの発声が、コクピットに響いた。


 火器管制を任せます、と言われても、正直なところ戦闘機動には慣れていない。そういう荒事は今まで統合総軍マターで、矢面に立った経験はほとんどなかった。

 記憶を辿りながら、射撃統制システムを起動し、設定を確認する。OSの違いに戸惑う。前回にやった時の機体は、この“コクーン”ではなかった。


 そうしている内に、谷底を猛スピードで“クラウド”職体が這い寄るのがモニターから視認できた。

 レヴィット大尉の言った通りだ。先頭は4体が矢尻状の隊形を組んで1グループ。その後ろにやや距離を置いて8体ほどが見える。いずれも小さな装甲車ぐらいに育った大物だ。

 何度見てもあの姿は生理的に受け付けない。ツジツボのようなぶつぶつの殻が表皮全体にびっしりと形成され、蜘蛛のように頭胸部と腹部の2体節に分かれ、体幹から棒切れのように突き出たいくつもの脚をダイナミックに回転させて滑るように移動している。


 残りの半分は“コクーン”から見て比較的なだらかな右手の斜面を、一群になって直進している。距離はややあるが、“コクーン”が今すぐ全力で移動すれば進路上を立ち塞ぐこともできるかもしれない。でも、そうすると谷底の一群は無傷で208機団を追うことになる。小賢しい真似を。


 センはまだ動こうとしない。

 あなたなら、何から考えるのだろうか。


――わたしは照準を即座に確定させ、“コクーン”本体部の両側にそれぞれ備わるロケットポッド2基の射出コマンドを実行。

 10発装填のポッドから各3発――計6発の集束焼夷ロケット弾が火を噴いて、高い放物線を描くように空へ飛ぶ。そしてある地点でぱっと砕けて、下向きに放ったパーティ・クラッカーのように大量の焼夷弾を直下の谷底へ雨あられと降らせた。

 先頭を走る4体の職体は、降り注ぐ火焔をもろに浴びてのたうち回り、後続の職体たちも辺り一面に咲いた火焔に右往左往。

“クラウド”は火を嫌う。その火で、谷底にカーテンを敷く。これで一時的にしろひとつの進行路は塞げる。

「景気いいですね!」

 口笛をぴゅうと鳴らしたセンに、わたしは釘を刺す。

「効果は長く保たない」

 火はすぐには消えないが、いつまでもは燃えない。それに、行く手を阻む炎があるなら迂回すればいいだけのこと。“クラウド”の職体がいつまでも気づかないはずかない。「さぁセン、斜面の敵を始末して」

「言われなくても」

 センが答えるや否や、“コクーン”の背面スラスターが一気に全開に噴き上がった。

 座席背後へ身体が力づくで押し込まれるほどの加速度、そして“コクーン”は職体の一群を視野に捉え、斜面を一気に駆け上る。重厚な4本の鋼鉄の脚が自在にうねり、岩だらけの斜面をまるでスキップするように。


――わたしにはすぐにわかった。なるほどこの機動力は、じゃないということが。

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