三:煙草なんかじゃなくて
作戦室との通信を切るとむしゃくしゃした気分になって、「……ハッチ、開けるわ」とセンに断った。
「外に出るんですか? こんな時に」
「こんな時だから、よ」
センが困惑するのも構わず、コンソールに開封コマンドをタップする。「行き先が決まるまで煙草吸わせて、1本だけ」
“
だけど、今の機外の微生体濃度は基準値以下だ。そこに神経質になるよりも、この窮屈なコクピットに丸1日こもりきりの身体がもう限界だった。
ぷすーっと気の抜ける音と共に、わたしの座席の右側面にある直径1メートル弱ほどの巨大なコインのようなハッチがゆっくりと開いていく。
消灯中のコクピットに差し込んだ強烈な日差しが、視界をめちゃくちゃにかき回した。わたしは外に足を踏み出した。
ハッチのすぐ外には、4脚型の“
蒸し暑いお日柄だ。
機体後方は機関部の排熱で蜃気楼が揺れていて、日差しにあぶられた装甲自体の放熱が、パイロットスーツの背中を炙ってくる。
目の前に広がる禿山の向こうからは、今もまだ銃撃音がこだましている。
その中で、煙草の煙をじっくりと吸い込んだ。口、喉、胸、鼻腔を香りが爽やかに抜けていく。いろんな想いがその味にかぶさっていく。たぶん、格別だった。
「煙草なんて止めたらどうです」
そう言いながら、センも外に出てきた。手狭な踊り場はふたりも並べば一杯だ。わたしの肩と、背の高いセンのふっくらと鍛えられた二の腕が触れていた。柔らかくて、温かい感触だった。
「センも吸わない?」
「あたしはいいです」
センは軽く微笑んだ。「……正直ね、今どき流行りませんよ、戦場に突っ立って煙草吹かすだなんて。この空気の中にだって“クラウド”の微生体がうようよしているのに」
「肺を消毒してんのよ」
そんなことで微生体が死にますかねぇ、と呆れた様子でセンが呟いた。
そりゃ、煙草の煙で死ぬなら、誰も苦労して山をばかすか焼いたりしない。でも、そういうのは野暮ってやつだ。
「憧れだったの、わたしには」
肺に充填した煙を、ぷかーっと吹き出してみせた。
紫煙はまるで小川に浮かべた薄紙のように、細く緩やかに虚空を漂って、音もなく溶けていく。
それをゆっくりと見送りながら、もう一度唇に煙草を咥えた。「こういうところで、こういう気分の時に、こうやって吸ってみたかった。悪くないね」
「言ってることが完全におっさんですよ」
煙草の先端から立ち上る煙と一緒の方向へ、センの栗色の束ねられた長髪が、馬のしっぽみたいに風になびいた。
「センは、何も吸わないよね。お酒も呑まないし、葉っぱも噛まない」
勝手なイメージだろうけど、10年弱も統合総軍に在籍していたのが信じられないお行儀の良さだと思っていた。
「そうですねぇ。うーん、何つーかなぁ。ああいうのやってると身体が弱るじゃないですか。本番になった時、全力で楽しめなくなる。それが嫌なんですよね」
「真面目だね」
「と言うか、死ぬ時に言い訳したくないだけです。走馬灯が見えた時、あぁあと心肺機能が何%あったら、あぁあと何分間だけ集中力が持続していたら……なんて感じながら死ぬなんてやりきれないですね。それにそういう懐古趣味っていかにもオタクっぽいというか……」
言った直後、センははっとわたしを横目に見て、慌てて釈明を始めた。「……あ、いや、これはあれです、カルハさんの悪口とかじゃなくてですね」
「別にいいよ、気ぃ遣わなくて」
と言いつつ、わたしはむっとむくれた。「わたしは吸いたいから吸っているだけだし」
センと違って、わたしはこの会社以外の経歴がない。昔はこういう
軍隊を知らないのに軍隊のまねごとをしているわたしのような人間は、本職からは何かと軽蔑されがちな軟派者。統合総軍の連中からもいつも舐められてきた。
だから、煙草も酒もそれなりにわたしはやった。自覚がある分、良い子ちゃん呼ばわりが一番癪に障ったからだ。
「でもね、やっぱりそんなの吸うもんじゃないですよ」
何かを心に決めたかのようにセンは切り出した。「――あたしね、カルハさんには、長生きしてほしい。戦場で吸う煙草なんかじゃなくて、もっと正しいことに憧れてほしい。あたしのような人間が何を今さら、って思うでしょうけど。この戦いの先には、もう何もありはしませんよ」
銃撃音の響く禿山の向こうを眺めて、センはそんなことを言い出した。
「……急に何なの?」
吹かしていた煙草を、指に挟んで口から離した。
すると、彼女はからっとした屈託のない微笑みをわたしに向けた。
「今のは、あたしの遺言です。忘れないでくださいね」
その声色の妙な明るさと、軽やかな口調に全くそぐわない内容――けれども何のごまかしも遊びもなく、それはセンの本音の塊だと感じられて。
ぞっとするぐらい不自然で、不穏だった。
「……そんなこと、言わないでよ」
どうにか、そう絞り出すのが精一杯だった。
センがそんな言葉を言うものだから。
わたしも、今までずっと胸に封印してきた一言を、打ち明けた。
「ねぇ、セン。“
やはり、彼女の表情が、固まりついた。だけども、わたしは続けた。「ダン爺に罪を全部被ってもらって、わたしたちは最初から何も知らなかったことにする。そうすれば、センとわたしはお咎めなしか、軽い罰則で済むかもしれない。ほとぼりが冷めたら、新式の
「それは……あの、カルハさん、」
幼児のわがままをあやすみたいに、彼女は困り顔を浮かべた。「あたしには、“
沸々と、胸の奥底から、苛立ちが湧いてきた。
なんで、そんなことばかり覚えているんだ。
そんなことばかり。
「……『了解』って言ってよ」
わなわなと、口元が震えてくる。
「でも、」
なおも口応えしようとしたセンに、わたしはついに感情の堰が切れた。
「……『了解』って、言いなさいよ! セン・アスカシアル!」
わたしの両手は彼女の胸ぐらを掴んで、背後の機体外壁に押しつけた。「あなたは! わたしの! 部下でしょう!?」
あらん限りの声を出す。
出せる限りの握力を込める。
「わたしに『煙草なんか止めろ』って?! 莫迦にしないでよ! あんな“
涙が出そうになった。センに見られたくなくて、その胸に額を沈めた。
「――あなたは、今、ほんとに“セン”なの?」
顔を再びあげて、彼女からの返事を待ったけれど、何も、なかった。
ただ、扱いに困ったような表情を浮かべ、胸元のわたしの顔を見下ろすだけ。
でも、その眼の端から、一筋の雫が音もなく滑り落ちていった。ほんの1滴だけ、何かの間違いのように。
センは無言で、わたしの後ろを見遣っていた。わたしもそちらを見ると、“
シャープな羽根で舞う、「蝶」のシンボル。
呆然とその絵を見つめていた彼女は、ややあって、ようやく口を開いた。
「カルハさんなんですね。“
今度は、わたしが押し黙る番だった。
◇
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