八:わたしにできること

 鳴り響く複数のアラートで目が覚めた。

 座席ごと横倒しになっている。

 まだ生きている、と無感動にそう思う。


 コクピット内の主照明は切れていて、代わりに頭上と手元からエメラルドグリーンの緊急灯がぼうっと薄暗く灯っている。ほとんど90度左に傾いているので、わたしの左側はおもちゃ箱をぶちまけた床みたいな有様だ。

 コンソールに灯る時刻を確認すると、最後の記憶から2分しか経過していない。


「……セン……」

 呼び掛けようとしたけれど、うまく声が出せない。

 想像を絶する高機動戦に加えて滑落の衝撃にさらされたわたしの身体は、“コクーン”に負けないぐらい悲鳴を挙げていた。全身が鉛みたいに重たく、手足に力を込めることさえ難しい。

 センが座る前席は更にめちゃくちゃな有様だ。あと少しでも強く殴られていれば、あの身体はひん曲がったフレームに挟まれてトマトみたいに潰れていただろう。センの後頭部はぴくりともせず重力に従って垂れている。


 もう闘える状況じゃない。脱出しないと。


 座席右手に備わったコンソールに指を伸ばす。霞む目で、震える指で、緊急脱出コマンドを入力。これで鈍重な4つ脚を脱ぎ捨てて、本体部のみを離脱用ビークルに変形できるはず。

 その結果は即座に画面へと返される。

『……安全上の問題を検知』

 赤色光に縁取られたエラーメッセージがインターフェースを大きく埋め、処理が中断されたことを示した。

 嘆息――最悪だ。外殻フレームの損傷のせいか? 機体が横転しているせいか? おせっかいな安全機構め、どうにかしてよ。

 諦め悪く5度も入力し直したのに、一言一句違わず同一のエラーメッセージが返される。

「ああ……もうっ!」

 腹が立ってコンソールを殴りつけた。それだってこぶしに力が入らなくて、右手の痛みがじんわりと残っただけ。

 脱出も叶わないとわかって、動かないセンの後頭部に目が留まった時、視界がじわりと滲み始めた。

「――ごめんなさい、セン」


 わたしのせいだ。

 わたしが足を引っ張ってしまった。

 裏切るどころか、センはあんなにも果敢に闘ったのに。

 わたしのミスが、その全てを台なしに。

 何が上司だ、何がバディとしての責任だ。大事な時に足手まといになるのは、わたしだった。



 ふと、機体レーダーからの警告音に気づく。いくつもの警報に紛れていたせいで気づかなかったが、“クラウド”職体の接近を確かに知らせている。もう何も見たくはなかったけど、そうもいかない。

 インターフェースを確認すると、2次元表示上はゆうに10体を超える反応。図上に地形レイヤーを重ねると、“コクーン”の目の前にある崖上に集結しているようだ。

 このまま見逃してくれたら――と願うには、“コクーン”は奴らを殺しすぎていたし、奴らも確実にとどめを刺しに来るだろう。

 処刑の時間が迫っている。

 でも、どうすればいい?

 足回りの権限を握ったままセンは沈黙しているし、脱出装置も動作しそうにない。このままコクピットがぐちゃぐちゃに破壊されてしまうまで、指を咥えて待つしかないのか。

 急に、おぞましいほどの悪寒が皮膚を舐めていき、ぞっと鳥肌が立った。

――嫌だ、死にたくない。


 そのためには、象の死体のように横たわった機体の中で、探さなければならなかった。

 今、わたしにできることは?

 何か、――何か! わたしにできることは⁉︎





 できることなんか、何もなかった。

 16歳のわたしは高台に佇み、瓦礫の山と化した居住区を見下ろしながら、じっと唇を噛んでいた。

 そこは、わたしの出発点だった。


 繭、と言うのなら、本来わたしはこの場所でそれを創るはずだった。ここにはわたしの家があって、州の中でも一番安全なはずの地域だったから。“クラウド”の高濃度地帯から遠く離れた真っ白な色彩の新興居住区画。

 ある日突然、哨戒網をすり抜けた特大級の“クラウド”の職体が飛び込んできたせいで、わたしの運命は歪められてしまった。ちょっとした教会ぐらいのサイズもあるそいつは、ふかふかのベッドではしゃぐ天真爛漫な雄犬のように居住区を破壊していった。

 どこかの基地から慌てて駆けつけた統合総軍が、駆除完了までに要した時間は約20分。わたしだけでも逃がそうとしたお父さんとお母さんが、あと一歩のところで瓦礫の下に埋もれてしまったのもその間の出来事だった。


 全てが後手後手だった軍や区画管理者の対応、予告もなく危機に放り出された住民たちの狂騒。16歳のわたしに何ができたという話でもないだろう。

 それでも、自分がことについては考えずにはいられなかった。

 わたしにもっと判断力があれば、勇気があれば、力があれば。お父さんとお母さんだって、もしかしたら――と。



 G.G.ストライク社今の会社に入ることを決めたのは、そういう動機だった。

 濃密な訓練プログラムを無事修了した後、上役に連れられた薄暗いガレージの中で、わたしに割り当てられた戦術機動機甲T.M.Aがライトアップされるのを見上げた時、人生でとびきりの興奮を覚えて、心がぶるると発動機みたいに震えたことを覚えている。

 わたしはこんなに凄い兵器を操る資格をもらえたんだ、もう無力なだけの子どもじゃない。


 そんな淡い自信を胸に戦術機動機甲T.M.Aに乗って業務をこなしていくと、G.G.ストライク社会社のビジネスの現実には嫌でも気づく。

 安全の約束されない危険地帯での泥臭い作業。流れ星のようにぽろぽろ消えていく同僚たち。それから、わたしをサポートしてくれるどころか、やけに冷淡な態度でこちらを値踏みしてくるガレージの先輩連中。


民間こっちは個人稼業だからな、統合総軍あっちと違って」

 そう語った無愛想なオペレーターの男は、ガレージでも一目置かれる人物だったので、素直に話を聞いた。「愚図は死ぬ、愚図に付き合う奴も死ぬ。だからここの奴らは関わる相手を選んでいるだけだ。自分が愚図ではないと証明し続けろ。ここでは誰もがそうしているし、お前も俺もそういう目で見られてる。全てはお前次第だ」

 そういうことなら、わたしだって生半可な気持ちでここに来たわけじゃない。訓練プログラムで戦術機動機甲T.M.Aの扱いは叩き込まれたので、あとは基礎を忘れず、どれだけ早く現場に慣れるかだ。がむしゃらに取り組んだおかげで、運よく2年ほど大怪我もせず生き延びた。



 そんなところへ転職してきたのがセン・アスカシアルだった。

 初対面の時からうそみたいに自然体な彼女にわたしは面食らった。

「セラン主任、ね。名前はなんて言うの?」

 形式ばった挨拶もそこそこに、にっこり笑って右手を差し出してくる。

 立場を抜きにした、年下の小娘に対する純粋に親しげな声掛け。でも、不思議と軽んじられている気はしない。閉塞的で警戒心を剥き出しにした一匹狼だらけのガレージで、人間らしい声を久しぶりに聞いたかもしれなかった。

 ほっそりしてきれいな手だな、と思いながら「……カルハ」と答えて握手に応じた。ガレージの流儀に染まってぶっきらぼうに接するわたしの手を、センは嫌な顔ひとつせず優しく握り返したばかりか、こちらの眼を見つめて、「素敵な響きね。あなたによく似合ってる」と微笑みかけてくる。

 調子が狂う、なんだこいつは。……というのが第一印象だった。


 どこぞのお育ちのよいご令嬢なんだか、と彼女の経歴を確認してみれば、令嬢なんてとんでもない、10年近く統合総軍で活躍した一線級の戦術機動機甲乗りT.M.Aオペレーターじゃないか。

 それにしては、センは普通に喋るし、普通に笑う。冗談も飛ばせば、たまにちょっとしたうっかりで「あちゃ〜」なんて言っている。あれだけの美貌なのに男をたらしこむわけでもなく、何なら興味自体もない様子。

 だけど、バディを組んではっきりわかった、彼女は紛れもないプロフェッショナルだと。的確なサポート、役に立つ助言、緊急時にも動じない対応、モチベーションを高めるさりげない一言。その全てが彼女の経験に根差していて、嫌味もブラフも打算もない。経験の浅いわたしに、まるで優しい教官のようなセンの振る舞いがどれだけ支えになったことか。

 その経歴からして、彼女はわたしの比じゃないほど地獄を見てきたはず。なのに、誰も拒まず、誰も見下さず、誰にも依存しない、で気高い女性――わたしは、センの凄みを感じずにはいられなかった。

 出会って2カ月も経った頃にはわたしはセンといるのが好きで、話すのが好きになっていた。誰かを信じるということはこういう感覚なのかな、とさえ思った。センとなら、この先世界がどうなろうとも、どんな任務だってこなせる気がしたのだ。



 そんなセンを告発するのが、簡単な決断だったわけがない。

 確かに彼女の不可解な行動には「“クラウド”の感染が疑われた」し、何より兵器を盗み出すという「違法行為を犯した」。社員として通報しなければならない理由は充分にあった。

 でも、告発のテクストを送信する際に、わたしの胸に宿っていた感情は、本当はもっとずっと個人的なものだった。


 一言で言えば――わたしが、怯えてしまったんだ。

 センと任務をこなせばこなすほど、親しくなればなるほど感じてしまう、どうしようもないほどの力量の違いに。

 毎日毎日、何百何千回と自分とセンを比較して、くっつき虫だの依存気質だのと陰口なんかも耳にして、自他から彼女にふさわしいパートナーではないと烙印を押され続けることに。

 そして何より、それでもこんなわたしを庇って励ましてくれる、裏付けのわからないセンの優しさに。


 不釣り合いな2人組の末路なんて相場は決まっている。優れたAが劣ったBを見限るか、劣ったBが優れたAをキャッチアップすることに疲れてしまうかのふたつにひとつ。どちらにしても、今のままではいずれセンはわたしの下から離れていく。


 結局、わたしが行き詰まる理由はいつも同じだった。

『わたしには力がない』、たったそれだけ、それが全て。

 火薬臭い組織に勤めようが、鋼鉄の戦術機動機甲T.M.Aを乗りこなそうが、それらはただわたし自身の脆弱を覆い隠していただけで、16歳のあの頃から何も変わってはいないのだ。


 そういう自分を見つめた時に、センの不審な行動に目をつむり、懐いた犬のように地獄の底まで付いていこうとすることが、良い選択なのだとは思えなかった。

 彼女にこれ以上寄りかかってはいけないという自立の気持ちと、「センに頼らなくたってやっていける」という見栄っ張りな叛骨心。告発すべきかどうかを数カ月に渡って悩み続けた果てに、その2つの感情が、わたしの背中をついに押し切ったというわけだった。


 

 全く、苦笑いしてしまう。

 ぐだぐだぐだぐだ、浮かんでくるのは弁解ばかり。

 要するにわたしは、あれだけ憧れたセンのことを信じることができなかった。センの能力を妬んで、センの優しさを疑って、センが離れていく可能性に怯えて。なんて身勝手で、滑稽なことだろう。

 センの言った通りじゃないか。どこまでいってもスタンドアローンでうごめきながら、ひ弱なコミュニケーションで上辺をこすり合うだけの生き物――まさにわたしのことだ。こんなことになってしまう前に、センときちんと話し合えばよかったのではないか。わたしが何に怯えていたか、センは何を考えてあんな真似をしたのか。


 後悔の全てはあとの祭りだ。疑ってしまったことへの「ごめんなさい」も、最後まで庇おうとしてくれたことへの「ありがとう」も伝えることができないまま、センは今、わたしの目の前で動かなくなってしまった。


 どうしてセンがこんな目に。

 どうしてお父さんとお母さんがあんな目に。

 どうしてわたしは、何も――。





 本当は、今のわたしにできることがひとつあると気づいてる。とんでもない大博打、だけどむざむざ卑屈な引きこもりとしてここで果てるぐらいならば。

 深呼吸をひとつ。

 そして、今は天井側に来ている壁面の収用ボックスへ手を伸ばした。そこに収容されていた神経系接続機構の後席用接続端子を、落とさないように取り出す。


 神経系接続機構――どうやって使うのか習ったことはない、今さら使えるのかもわからない。

 それでも、ほとんど機能停止した“コクーン”の中で、状況を好転させ得るファクターと言えば、もうそれぐらいしか思い浮かばなかったし――、何かを贖うつもりなら、きっとこれが最後の機会になる気がしていた。


 後ろ髪をかき上げて、うなじを空気に晒け出す。躊躇いよりも決意が勝った。手にした針状端子の装着面を、思い切って表皮に押しつけた。

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