応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • への応援コメント

    完結、おつかれさまでした!
    日々の気づきや感興を十七文字に構成する妙、楽しませていただいています。
    触発されて私もつくるようになりましたが、俳句のイロハをこのシリーズでずいぶん教えられました。
    続編ももう始まっているようで、こちらも楽しませていただきたいと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    わたしは俳句を作っていますが、自分がどれだけ俳句のことを理解しているかと問われると、いささか心もとないです。
    なので、これはわたし流の俳句なのだと理解していただけますと有難いです。

    粗茶もお出しできませんが、酒のつまくらいにはなるかもしれません。
    どうぞ気の向くままにお越しください。

  • への応援コメント

    完結お疲れさまでした。
    青丹さんの俳句は時折、孤独感をあえて笑いとばすような響きがあって、独りで暮らしている私も元気づけられるものがありました。

    楽しませていただきました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    鑑賞に堪えないものを上げないように気をつけていたつもりですが、見返してみるとおのそ自己満足の域を出ないものもやはりあると見えます。
    ともあれ、暇つぶしにでもなったとしたら作者冥利に尽きます。

    わたしは、俳句をつくる趣味を持つひとに実世界で会ったためしが皆無に等しく、やはり孤独にもなるものです。
    ですが継続は力なりで、独り身のさびしさもきっと笑い飛ばしたいです。
    言葉は道具に過ぎますまいが、道具も使い方如何で毒にも薬にもなるのでしょう。

    それではこれをもって仮の別れとしましょう。
    惜しむ間もなく再会する気もしますが。

  • こんばんは。青丹さん。
    よい句ですね。

    おけらの鳴き声を、みみずか鳴いていると古くから言っているようですが、たしかに、典拠がわからないですね。
    そうとう古くから、そう信じられていたようですね。掘ってみればよかったのに。それとも、みみずの鳴き声ではないことは承知済みだったのかな。

    作者からの返信

    こんばんは。
    お褒めにあずかりまことに光栄です。

    調べてみたら、すでに鎌倉時代中期の辞書には、歌女の正体はミミズでなくケラであろうと書いてあるようです。
    土を掘って真実にたどりついた人はいたけれど、それはそれとしてミミズが鳴くとの俗信が残ったものと見受けます。
    害虫とされるケラへの忌避感がそうさせたかと推測します。

  • 確かに鰐口という単語は知りませんでした。
    情景が思い浮かぶいい句だと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。


    下にあいた穴が、ワニやサメの口のように見えたひとがいたのだろうかと不思議に思います。
    「木魚」なども、おもしろい名前をつけたものだと思います。

  • こんばんは。
    こちらはきょう、とても過ごしやすい1日でした。
    夏よ、さようなら、と言った感じです。

    この句を読んで、子供時代を思い出しました。
    私の記憶では、ずいぶんと痛かったような気がします。
    おそらく、噛まれたトンボの種類が違うのでしょう。オニヤンマにかまれたら、大変そう。

    作者からの返信

    こんにちは。
    コメントありがとうございます。
    こちらは、日差しは暑いけれど水道水などは思いのほか冷たく、まだ移行期間であるように思いました。

    トンボが噛んでくることがわたしの記憶違いでなかったようでほっとしました。
    トンボは網を使わなくても簡単につかまえられた記憶がありますが、オニヤンマは別格でしたね。
    調べてみれば、時速80キロで飛行でき、スズメバチの天敵とのことで、鬼の名は伊達ではないなと思いました。

  • こんにちは。
    句に題をつけようとすると、自分でも曖昧模糊としていた「何を言いたかったのか」「何に心を動かされたのか」がすうっと見えてきたㇼ、いままで見えていなかったものに気づいたり、なにかと副産物が得られるような気がします。ぴったりくる題をつけるのは、難しいですが。。

    作者からの返信

    こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    気のきいた題を付けられるようになりたいですね。
    かりに句ごとに題をつけていってふとの拍子にその一覧をながめれば、自分がどんな人間か発見がありそうだと思います。

  • こんにちは。
    花見と、ひとり・ワンカップの対照がいいなと思いました。
    まわりに誰もいないシーンと、まわりが浮かれているなかにひとりのシーンと、ふたとおり想像しましたが、どちらでも孤独感が浮き上がりそうですね。

    作者からの返信

    こんばんば。
    コメントありがとうございます。

    人数の多寡によらない孤独の性質は、いつの時代も多くの人が実感してきたところなのでしょう。

    ワンカップにも大吟醸(米と麹と水だけで醸されて、醸造アルコールや糖類や酸味料を添加していない清酒)のものがあるそうで、酔えれば何でも良いという人と、ハレの日に粗悪な普通酒など飲みたくないというような人がいる、飲酒の奥のふかさ(?)をかいま見る思いがします。

  • こんにちは。
    海が近いせいか、とびの姿はよく見ます。たしかにあの声は、のどかさを感じますね。そして、「のどかさ」が春の季語とは知りませんでしたが、言われてみれば、、しっくりきますね。

    作者からの返信

    こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    トビをよく見られるとはうらやましいです。
    わたしは海の近くに住んでいながら、トビを見る日がありません。

    スズメやカラスやヒヨドリも悪くありませんが、猛禽や水鳥ももっと見たいです。
    都会暮らしに慣れきってしまったこの身が悲しいです。

    「のどかさ」が春の季語になったのには、百人一首にも撰ばれた紀友則のかの歌の影響が大きいかとわたしは推測しています。

  • 今年の花見はまだいけていませんが、情景が思い浮かんできて良い句だと思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    春といえば花見ですが、出不精のわたしは今年も敢行しないかもしれません。
    明楽さんにおかれては、一年に一度のながめを是非とも楽しんで来てください。

    人間の食べ物をかすめるトビですが、花見での被害を聞いたことがありません。
    トビにとっては案外、団子より花なのかもしれませんね。

  • こんにちは。
    長い夜を過ごす伴は酒。そのしずくの一滴一滴が時を刻むようで、夜を長いと感じる心情が表れていると思いました。夜の長さを憂しとするか楽しとするか、、どちらにも想像を広げられそうですね。

    作者からの返信

    こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    この句は、時間が出てくる打ち出の小槌がほしいなと思ったことが無意識に表れたもののようです。

    久里さんのお言葉に、わたしは李白の月下独酌を思いました。
    ともにする仲間を欠いてさびしい思いをしたとしても、酒あってこその人生であり、酒なくしてわが人生はない。
    詩人はそのように思っていただろう、などと思いました。

    かつては日本でも漏刻とよばれる水時計の一種が用いられていたらしく、砂粒や水滴、さらには酒のしずくから時間を連想するのは自然なことかと考えています。

  • ああ、これは確かに情景が頭に浮かびます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    オシドリのオスにとって、靴に喩えられたり水上の貴婦人とよばれたりすることは果たして名誉なのかと疑問に思わないでもないです。

  • こんばんは。
    味のある附記ですね(笑)。

    いま、うちの猫は、自業自得のケガで、大きなハゲがおしりのところにできていて、ダサいです。

    あと、そもそもの毛並みがよくないので、毛皮を変えない限り、おしゃれを楽しむことはできなさそうです。

    作者からの返信

    こんにちは。

    ケガをして毛がなくなるのが体をはったギャグのようだと思いました。

  • いつもたいへんお世話になっております。青切です。

    この句、たいへん好みです。
    きょう、散歩道で口ずさみました。
    和洋折衷ですね(笑)。

    青丹さんの例句でよく蕪村が出てくるので、
    いま、萩原朔太郎の「郷愁の詩人 与謝蕪村」を読んでいますが、
    クリスマス生まれなんですね、
    与謝蕪村。

    来年もよろしくお願いいたします。

    作者からの返信

    当方こそお世話になっております。

    当時のドイツの文化がどんなだったか知りませんが、仮にヘンゼルとグレーテルがせんべい蒲団を見たら、床のうえにじかに寝るのかと思ったことかもしれませんね。
    余談ですが、わたしの土地だと蒲団は「ひく」もののようで、「しく」はむしろ例外なのかなと思ったりもします。

    12月25日はそのひとの生まれた日ではなく没した日と心得ます。

    来年もよろしくお願いいたしします。

  • 作家の丸谷才一は、ファンという言葉が嫌いで、贔屓を使っていました。
    横浜びいき。野球びいき。

    作者からの返信

    ファンクラブは贔屓の集いとでもなるのかしら。

  • 物語が生まれそうな、ロマンティックな一句ですね。

    作者からの返信

    人魚といえばロマンスですよね。

  • 最初、主語をほととぎすで読みまちがえました。

    (俳人が句を詠むと)ホトトギスが「それでは私も一句ひねりましょう」とでも言うように鳴いた。

    困った読者ですな。

    作者からの返信

    わたしとしてはその読みを採りかねます。
    自分以外のだれかがホトトギスに触発されて句や歌をつくり、それではわたしも一句、のような解釈ならありかと思います。

    このような機微を伝える術をわたしは持ち合わせません。
    言葉は誤解をまねきがちな道具のようです。

  • 京都の旅行中、カラスも上品に見えたのを思い出しました。
    古都の歴史を背負っているような。

    東京のカラスはでかくて怖かった。

    作者からの返信

    京都と東京のカラスの違いは単純に種類のちがいである可能性を疑って調べたのですが、京都市内にはハシボソガラスとハシブトガラスの両方が棲んでいるようですね。
    東京特別区内はほとんどがハシブトガラスでしょうから、まったく見当はずれというわけではなさそうです。
    他方、同じ人間でも土地によって違いがあるように、同類のカラスでも地域差の存在することは容易に想像できます。

    政治経済の中心は東京にうつっても、歴史の浅さには打つ手がないようです。

  • こんばんは。

    句を読んで、百物語が読み返したくなりました。
    私の好きな百物語は3つあります。
    森鴎外の百物語。
    森見登美彦の百物語。
    杉浦日向子の百物語。
    どれも甲乙つけがたいです。

    作者からの返信

    こんにちは。

    杉浦日向子氏のだけ読んだことがありませんが、三者三様なのでしょう。
    三氏は百物語のようすを実際に見たことがあるのかしらと思いました。

  • こんにちは。
    冬は日のあたたかさが恋しくなりますよね。
    乗客の疎らな、田舎の長閑な電車を思い浮かべました。

    作者からの返信

    こんにちは。
    夏より冬がすきなわたしでも春が待ち遠しくなるくらい、冬は日差しが恋しいです。
    満員電車ではちょっと考えられませんね。

  • こんにちは。
    母子が抱き合うのは寒さを避けるためか、あるいは雪から我が子を守るためなのかな、と想像しました。風が吹いてきて、雪の寒さが一段と沁みる情景。

    ところで別件で恐縮ですが、私の猫のお話を読んでいただき、☆もいただいて、ありがとうございました!

    作者からの返信

    こんにちは。
    何が正解というものではなく、解釈の余地がひろいほどいい作品と言えるのでしょう。

    ☆の件はよい作品を読ませていただいた為なので、なにとぞお構いなく。

  • こんにちは。
    字面がうるさい、とする感覚がいいですね。すくない言葉で綴るからこそ磨かれる目配りかなと思いました。

    作者からの返信

    こんにちは。
    年のせいか、漢字の比率の高いことなどが気になるようになりました。
    俳句などは、ひとつのことを考えつづけるところがある人、わるくいえば優柔不断なひとに向いた文芸なのかなと思います。

  • 想像するととてもユーモラスで和やかな気持ちになる句ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ねこにとってみれば、人間の気まぐれに付き合う義理はないのでしょうね。

  • あやかし物語の情景が浮かびます。