第18話 選ぶ人

 見上げれば、よく晴れた青空があった。俺は拳銃を捨て、子供の頭に手を置く。


「悪かったな」


 子供はプロハの死を望んではいなかった。プロハをも救いたいと願っていた。それを救えないと断じて撃ち殺した俺は、子供が選んだ答えを横合いから全否定したようなものだ。プロハに悪いことをしたとは思わないが、子供には、多少、僅かばかりだが、謝っておく必要性は感じた。

 そんな俺の形ばかりの謝罪は、崩れ落ちるように倒れたプロハだったモノを凝視する子供に届いているか怪しいものだと思ったが、意外にも返事はあった。


「……いえ……私──おれ、こそ、ごめん。おれがやるべきことだったのに」


 憔悴した様子ながら律義に話し方に気を遣う子供にも笑えたが、何より、その内容に俺は失笑する。


「『やるべきこと』?違うな。『やってもいいこと』ではあったかもしれないが……それだって俺にはどうでもいいことだ」


「……確かに街の人々のためになるのであれば誰が手を下そうとも同じです──同じだ、けど」


「オイ、それも違う。お前はともかく、俺が街の人間のために動く義理はない」


 それに、と俺は胸中で思う。

 狂信の神子プロハがいなくなったところで、あの街が救われることはないだろう。次に起こるのは神子不在による治安の悪化ではないか。そのとき神官どもがどう出るか。街の人間がどう出るか。どのみち、行く末は先に見てきた廃墟と同じだということは想像に難くない。

 だが、それをこの子供に預言するのも些かおとなげないというものだろう。


「俺がプロハを殺したのは、救いようのない馬鹿だと思ったからだ。存在が不快だった。それだけだ。それ以上の理由は何一つない」


「そうだとしても」


 子供は尚も何かを言い募ろうとしたが、俺は聞く耳持たず、子供の頭に手を乗せる。


「まあ、ともかく。これで分かったろう」


「え?」


「俺は神ではない。救いも罰も興味がない。他者の悔いも罪もどうでもいい。殺すも、生かすも、奪うも、与えるも、ただ、自分の選びたいように選ぶだけだ」


「ああ、だから……それが神の如き所業だってことなんだけど」


 子供がぼやくように言う。俺は顔を顰める。


「それなら世の中は神だらけだ」


「そんなことないよ。選びたい道を思うままに選べる人なんて、いないんだ。みんな、選びたい道を選ぶことができなくて苦しんでる」


 何を言うのか、と思ったが、考えてみればこの子供は今までの人生で出会ってきた人間の大半が懺悔を抱えて礼拝所を訪れた者ばかりだったのだ。俺は短く息を吐き出し、子供の頭をポンポンと軽く叩く。


「お前の世界は狭い。世界は、人は、お前が知るより余程、自由で、気ままだ」


 何度か叩いて最後にポンッと強めに手を置き、俺は開いたままだった本に命じる。


「移せ」



 瞬きの間に、目前からプロハの遺体が消え、鼻先にまとわりついていた死臭が消え、代わりに巨大な石造りの建造物が現れ、辺り一帯に芳しい花の香りが広がる。


「……お城……?」


 広大な花畑に囲まれたそれはいつかブーホに借りて読んだ童話に出てきた王様の居城のようだと思ったが、私の頭から手を退かしたヴァルガは、私の呟きを追い払うようにその手を振った。もう片方の手に持っていた本をしまいながら正答を教えてくれる。


「俺の家だ」


「ああ、家……え……?家っ?」


 思わずヴァルガを見上げれば、私の驚きにヴァルガは困惑の目を向けてくる。


「?何を驚く。お前の家も似たような物だったろう」


「神殿?神殿と比べます?あ、違う、比べる?」


「別に比べる気もないが、なんだ、何がそんなに驚きだ。俺が宿無しの浮浪者だとでも思っていたか」


「や、そんなことは」


 ある。が、あるとは言えない。曖昧に笑って、私は再び城、いや、家、に、目を向ける。すると、大人十人を縦に並べても余りそうな巨大な扉、の、脇にある通用口のような普通サイズの扉が音もなく開き、中から男性が一人現れた。黒の三つ揃いに包まれた体躯の、壮年のようにすらりと伸びた背筋に見誤りそうになるが、顔を見れば老年と呼ぶに相応しい深い皺が穏やかな顔に幾重もの曲線を穿っている。


「おかえり、坊や」


 一瞬、私に言われたのかと思ったが、男性の目はヴァルガに向いている。私は釣られるようにヴァルガを見上げるが、ついていけていない自覚はあった。

 まさか今この男性に『坊や』と呼ばれたのはヴァルガなのか。そうとしか考えられないが、そうとは思えず、もう一度男性に目を戻すと、優しい目が私を待ち受けていた。


「この坊やは、坊やの新しいお友達かい?」


「……俺が『坊や』ならコイツはなんと呼ぶ気かと思ってはいたが……同じく『坊や』なのか……」


 唸るようにヴァルガが言うが、男性は意に介さず、私に手を差し伸べてくる。


「はじめまして、坊や。私のことは気軽にじいやと呼んでくれて構わないよ」


「えっ?いえ、あの──ヴァルガ」


 咄嗟に手を握り返しながらも、いきなり『じいや』と呼べと言われても、とヴァルガに助けを求めると、ヴァルガも私を見ていた。何かと思えば、そういえば、と口を開く。


「お前の名を知らないままだったな。お前の名はなんだ」


「え、今です?今更そこに思い至ったの?」


「爺がしゃらくさくも名乗らないのを見て思い至った」


「あ」


 なるほど、男性が『じいや』と呼べと言ったのは、そう呼んでほしいということではなく、名乗る気はない、という意思表示だったのか。他人に名を知られることの重大性は嫌というほどこの目にしたから、特に気分が悪いということもない。私は男性──じいやに目を戻して、握った手に少し力を加えてニコリと笑う。


「はじめまして、じいや」


 じいやもまたニコリと微笑み返してくれる。


「聡い坊やだ」


 そして、その微笑みはヴァルガに向く。


「坊やが名を教えるなんて珍しいこともあるものだね」


「成り行きだ」


 じいやの微笑みを煩そうに手で散らして、ヴァルガはしゃがみ込み、私に目線を合わせる。


「で?お前の名はなんだ。俺だけ知られているというのはフェアじゃない。名乗れ」


「勝手に名乗ったくせに」


「必要に駆られてだ。なんだ、名乗らない気か」


「……」


「なるほど、俺を警戒しているのか。いいことだ」


 私がヴァルガを警戒するはずもないのだが、ヴァルガはようやく神扱いをやめたかと満足そうだ。それならそれでいいかと思ったが、少し、寂しい気もして、つい、口が滑る。


「私の、おれの名前……呼んでほしいけど、名乗れないんだ。何もないから」


「?何もない?……名がないのか」


 生まれ落ちてすぐに神子として改造された人生に、名などなかった。地上に唯一の『神子』には必要なかった。ないのが当たり前だと思っていた。


「なるほど、プロハの浅知恵か。神子の名を知られる危険を端から切り離したわけだ」


 ヴァルガは小さく息を吐いて、鼻先で笑う。


「救えない馬鹿はやはり馬鹿だな。名がないのは、危険がないどころか、危険だらけだ」


「?どういうこと?」


「ないなら付けてしまえばいい。先着一名の特権だ」


 悪そうな笑みを浮かべて、ヴァルガは私の目を真っ直ぐに見て、沈黙し、それから、私の手を取った。


「お前の名は、サファラだ」


「……サファラ……?」


「そうだ、サファラ。今日からお前はサファラと名乗れ」


 力強く言い切って、ヴァルガは立ち上がる。


「どうだ爺、良い名だろう」


「そうだね、坊や。よかったね、坊や」


「呼べよ」


「っ、あははっ」


 自信作だったのかヴァルガが付けた私の名を呼ばないじいやに不満そうにヴァルガが言うのを聞いて、私は声を出して笑ってしまう。

 神のようだったヴァルガが、じいやにはとても気安い。血縁だろうか。父親、ということは、あり得ないか。祖父だろうか。

 ヴァルガは神ではないのか、と、ふと納得する。廃墟の数々よりも、死体の山々よりも、今、目の前にある暖かな光景が、私を納得させた。ヴァルガは人だ。私にとっては神の如くどこまでも正しい、選ぶ側の、けれど、人だ。


「さあ、いつまでも立ち話もなんだろう、入りなさい。コーヒーとミルクを用意しよう」


 じいやはヴァルガと私それぞれに笑いかけると、ゆったりと半身を引いて家の入口へ手を向ける。


「そうだな。行くぞ、サファラ」


 呼ばれ慣れない私の名に、それでも反応できた私は、ヴァルガを見上げ、その背を追い掛ける。


「お、おじゃましまーす」


「なんでだ」


「え?」


「家に帰ってきたときは、ただいま、と言うんだよ、坊や」


終わり

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選ぶ人 簇谷 和囲 @kazuyi_m

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