第17話 救い

 間近まで歩み寄ってきたプロハに続けて命じる。


「銃を寄越せ、プロハ」


「悪魔め悪魔め悪魔め」


 怨嗟の言葉も罵詈雑言も語彙が尽きても俺への恨み表明はまだまだ尽きないらしい。差し出した俺の右手に素直に銃を渡しながら、プロハはひたすら「悪魔め」と繰り返し続けるだけになっている。

 黙れ、と命じるのは容易いが。


「……まあいい、お前にとってみれば確かに俺は悪魔だろう。それを否定する気はない」


 肩を竦める俺の隣で子供が、私からの神扱いは否定するのに、と小さくぼやくが、『私』と言ったから返事をしてやることなく聞き流す。


「で?お前は何故ここへ来た。俺達がいることを知っていたわけではないだろう」


 俺が子供とあの街を出て三日目の今日、街近くのこの山小屋へ戻ってきたのは俺の気紛れだ。それも陸路を辿って戻ったのではなく本を使って移動してきたのだから、俺達が街へ近付いた情報など皆無だろう。

 プロハは俺達がここにいるとは知らずにここへ来たのだ、何か別の目的があって。


「何をしに来た」


「悪魔め悪魔め悪魔め」


 人としての尊厳を守ってやろうと穏便に尋ねているのに、話にならない。息を吐き、俺は命じる。


「答えろ、プロハ」


「粛清のためだ」


「……粛清……?」


 さらりと吐き出された答えの物騒さに子供が顔を顰めるが、俺は気にせず問いを続ける。


「ここの山賊どもをか」


「違う!ここにいるのは山賊ではない!街に巣くう反教者や余所からやってくる異教徒どもを粛清する聖なる戦士達だ!」


「ああ、なるほど。救えないな」


「ちょっ、待って、どう、いうこと……?」


 真っ直ぐに純粋に俺を射抜く狂った瞳に納得する俺の隣で、子供が声を上げる。分からないはずはないが、分かりたくないのだろう。

 何も知らなかった子供を見て、プロハの目が笑う。



 私を見るプロハの目は、かつてよりもずっと澄んでいる。澄み切っている。彼の信仰に偽りはない。言葉にも嘘はない。人々を救うために世に遣わされた神子そのものだ。

 だというのに、恐ろしい。


「神子、あなたも間接的にとはいえ、ここの者達に幾度も世話になっているのですよ。あなたは俗世を知らない。だから度々付け入られた」


「?なんの話を」


「お忘れか。無理もない。取るに足らない愚物ばかりでした。神殿に聖典以外の愚書を持ち込もうとした神官、あなたに愚書を貸し出した古本屋、あなたに近付き畏れ多くも聖なる靴をせしめた浮浪児」


「!?」


 ラインハイト。ブーホ。スカルツォ。消えた友の顔が次々と脳裏に浮かんでは弾ける。まさか。


「まさか」


 プロハは濁りのない穏やかな笑みを浮かべる。


「神を軽んじる穢らわしい愚物は皆、この聖なる山で聖なる戦士の粛清を受けたのです。彼らも今や愚物ではない。皆喜んでいることでしょう。本来であれば死して尚苦しみ悶え永遠の地獄に縛られる穢れた魂に裁きを与えられ、浄化され、聖なる山の土となり安息なる眠りを得たのですから」


 街を立つ前、私は本に命じて、プロハの記憶から『神子』と『聖典』は彼が創作した偽物であるという事実を消し去り、代わりに、彼の創作した教えは事実であり、『神子』は『聖典』を手にある日突如として天より遣わされ神殿に顕現した聖なる存在であると上書きした。

 つまり、過去の『神子』と『聖典』に関する彼の記憶は、動機だけが書き換えられ、あとはそのまま、残っている。彼がかつて偽りの信仰を維持するため利己的に犯した罪さえ、彼の中では真実の聖なる行いとなってしまったのだ。

 私の友は皆、この山に埋まっている。


「…………ッ」


「?何を嘆くのです──ああ、いや、愚問でしたな。あなたは悪魔に堕ちた神子だ。神の救いを理解できないのも無理はない」


「救い?他者から理不尽に与えられた死が救いたるものですか」


 反駁する私の声は、激情に震えている。



 悪魔に堕ちた神子。プロハはこの場に現れたときも似たようなことを言っていた。子供が本で与えた記憶では、プロハは『神子より力を授かった』ことになっているはずだが、その後、『悪魔』である俺と連れ立って街を出た『神子』が腑に落ちず、記憶との整合性を形成する過程でそのような結論に至ったのだろうか。あるいは。


「落ち着け」


 狂信の極地に及んでいるプロハの言説に息巻いている子供を、右手の甲で押して下がらせる。そのときカチャリと鳴った音に、プロハから受け取った拳銃を持っていたことを思い出す。


「悪魔め」


 俺を見たプロハはプロハで、そう唱えることを思い出したかのように吐き捨てる。ただ、今度はそれに続く言葉があった。


「よくも聖なる戦士達を……!」


 辺りに立ち込める腐臭で気付いたのだろう。自覚のない外道からとはいえ真っ直ぐな義憤を向けられて失笑する。まるで魔王にでもなった気分だ。


「プロハ。お前がここへ来たのは、粛清のためだと言ったな。誰を粛清するんだ」


「街に巣くう愚者どもだ」


 プロハは素直に質問に応じるが、顔は忌々しそうに歪んでいる。答えたくて答えているわけではないのだろう。俺の手の中の本はまだ開いたままだ。閉じるつもりもない。


「わざわざお前がここまで来なくとも、山へ捨てれば『聖なる戦士達』が馬車で回収してくれたのだろう?今までは」


 街の不純物を取り除くためとはいえ、目撃される危険を冒して自らこの山小屋へ運んでいたはずがない。街の人々を騙している自覚のあった、記憶が改竄される前のプロハであれば、尚更だ。

 しかし、プロハは今日、ここへ来た。『街に巣くう愚者ども』を山へ捨てるのではなく、『聖なる戦士達』に街へ出向いて粛清せよと命じるために、この山小屋を訪れた。


「どうして今日は『神子』自らここへ来た?馬車が来なかったからか?違うな。馬車が来るかどうか確認できるまでうろうろしていられるほど『神子』は暇でも自由でもない」


 神子のいる礼拝所はいつもすごい行列だと教えてくれたメロという青年が想起される。

 神子『様』に心酔し、神官『ども』を毛嫌いしていた彼は、または彼に似た思想の恐らく大半の街の人々は、突如現れた新しい『神子』を受け入れたろうか。受け入れられるだけの行いを、プロハは彼らに示せたろうか。

 つまり、そういうことだ。


「お前一人で山に捨てられるほど、『街に巣くう愚者ども』は少なくないのだろう?何十人、いや、何百人か?だから自らここへ出向いて『聖なる戦士達』に街へ粛清に赴くよう指示しようとした」


 神子がプロハに代わって今日で三日。本の力による実質的な救いもなく、そのくせ狂信的なプロハの教えは、街の人々から反発を受けたのではないか。そしてそれを己の力不足と省みるのではなく、先代の神子が悪魔に堕ち、その信者が反乱しているのだとプロハは結論した。

 『悪魔に堕ちた神子』というのは、そこから出た戯れ言ということだ。


「ああ、そうだ。そのつもりだった。しかし聖なる戦士達は先回りした悪魔と悪魔に堕ちた神子によって滅ぼされてしまった……!」


「先回り?自惚れるなよ。奴らを殺した俺の都合はお前とは無関係だ。ただ、まあ、この山で殺されればどんな悪党も魂は安らかに眠るんだろう?よかったな」


「黙れ!!貴様は私が殺す!!貴様に救いなどない!!貴様は地獄行きだ!!」


「酷い奴だな、差別するなよ」


「神よ!!父なる神よ!!この邪悪に大いなる罰を!!」


「その祈りだとお前に罰が下るんじゃないか?」


「黙れ!!悪魔め悪魔め悪魔め悪魔め悪魔めェッ!!」


 漲る怒りで俺を呪い殺そうとでもするようにプロハが喚く。喉が裂けそうなほどの大声が延々と続く。もう何を言っても「悪魔め」としか返ってこない。喧しい。俺は右手に持った拳銃の撃鉄を起こす。プロハがぴたりと黙る。


「なんだ?脅しのつもりはない。好きに喚け」


 慈悲深く許可してやるが、プロハは黙ったまま弱々しく首を横に振る。


「いいのか。じゃあな」


 軽い破裂音とともに、プロハの眉間に穴が空く。




「……あ……」


 漏れた声は、私の声だったか、それとも、プロハの最期の吐息だったか、判別はできなかった。


続く

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