第16話 偽りの神子
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荒療治も度が過ぎただろうか。俺が子供の言う『神』とは程遠いと思い知らせるためだったとはいえ、嘔吐し、嗚咽し、全身を震わせている子供にさすがに罪悪感を覚えて、俺は本を閉じる。
「ッ、」
本からの強制を失うと同時に支えをなくした案山子のように子供が膝から崩れ落ちる。
「これで分かったろう、俺は」
神ではない。そう続けようとして、しかし途中で俺は言葉を呑み込む。同時に本を開き、別の言葉を口にする。
「止めろ」
ほぼ同時に、銃声が届く。振り返れば、弾丸が子供の後頭部の手前中空で浮いたまま回転している。やがて回転が止まり、前進する力を失ったそれはぽとりと地面に落ちた。
「……」
子供を狙った凶弾が放たれたと思しき方向を睨め付ければ、特に隠れるつもりもなかったのか、体色や体毛から衣服に至るまで全身白づくめの、瞳だけは青い男が姿を現した。
見覚えのある男だ。この男が何故ここにいる。
「神子の装束が汚れるぞ、プロハ」
色が変わろうが人相は変わらない。その男は紛れもなく、本によって記憶と色を奪われ子供から偽りの神子を継がされたはずのプロハだった。
俺が口にした名に、銃声にも身動ぎせず腐乱する死体の山に自失していた子供が反応する。緩慢な動作で振り返り、確認するようにその名を反芻する。
「……プロハ……」
男の顔を確認し、子供は先ほどまでとは異なる動揺に瞳を揺らす。かつて神子と呼ばれた子供からすると、『神子』が山の中にいるということは余程の異常事態なのだろう。
「どうして、こんなところに……」
「それは私の台詞です。どうしてあなたがこのようなところにいるのです」
神子であったときの子供のようにいやに丁寧な口調でプロハが言葉を返してくる。視線は、そして銃口も、子供へと向いている。
◇
何がどうなっているのか。
私は、無惨な現実の悪臭に包まれヴァルガは神ではないと教え込まれて、目の前にある死とヴァルガの神性の否定について自分の納得のいく答えを探すため、粉々に砕けた思考の欠片を拾い集めていた。
それだけでもう、手一杯であったのに、振り返ると何故か、プロハがいた。
神学師──いや、今は神子だ。だがどちらにせよ、あの街を離れることなどないはずだが、何故、こんな山小屋にいるのか。ヴァルガが言っていた言葉から推察すればここは街からそう遠くもないのだろうが、それでも、街の外であることに変わりはない。
「お答えください。何故、あなたがここにいるのです」
私こそがプロハに聞きたいことを、プロハは繰り返し尋ねてくる。その手に拳銃が握られているのも、こちらへと向けられているのも、何もかもが妙だ。『神子』は拳銃など持たない。私が『神子』として過ごした十年、人を攻撃する意思など抱いたことは一度としてなかった。
「プロハ、その銃はなんですか」
「悪魔を退治するための神器です」
「神器……?そんな物はなかったはずです。神子は他者を攻撃などしません。救うだけです」
「そのような呑気なことを言っているからあなたは悪魔に堕ちたのでしょう」
「……は?」
プロハは何を言っているのか。思わずヴァルガを見ると、ヴァルガは顔を顰め、プロハを睨み付けたまま何が起きているのか考えているようだった。その手には、開かれた本がある。
■
神殿を離れ山小屋に現れたことといい、拳銃を神器と呼び子供に向けていることといい、プロハの言動は『神子』のなんたるかなど知らない俺から見てもどうも妙だ。神子プロハには、子供が『神子』であったときは感じなかった薄気味悪さがある。
本による記憶の改竄に抜かりがあったか。それとも何か別の要因があるのか。何はともあれ、考えていても答えは出ない。
「プロハ、銃を下ろせ」
開いた本を手に命じる俺に、まさか効かないなどということもなく、プロハはすんなりと銃を下ろす。そしてその顔は驚愕に染まっている。
「なっ、身体が勝手に……?!」
「プロハ、動くな」
「ッく、おのれ……!悪魔の力かっ!!」
本による命令を受けるのがまるで初見かのような反応にも不審な点はない。プロハは本に関わる真実をすべて忘却している。それは確かだ。
では、問題は信仰のほうか。俺はプロハの観察を続けながら子供に尋ねる。
「元々『神器』はなかったのか」
「はい、ありません」
子供からの返事に指先が神経質に跳ねる。プロハから目を離し、子供を見下ろす。目が合う。
「神子の持ち物は聖典だけでした。神器と呼ぶような物は拳銃はもちろん、他にも何もありませんでした。記憶の書き換えに不具合があったんでしょうか?」
「……」
「?あの、ヴァルガはどう考えますか?」
「……」
「?ヴァルガ?どうしました?」
「……」
「??あの……?……あっ!」
無言で見下ろし続ける俺に子供は首を傾げ、怪訝そうに眉根を寄せ、はたと気付いたように手をパチリと打ち鳴らした。直後、じとっと俺を睨む。
「今?『です』『ます』『私』には返事しないって、こんな非常時も有効なの?」
「こんなときこそ尚更に有効だ。乱れた言葉を素養として身に付けるには非常時というのはもってこいだろう」
真顔の俺に、子供は呆れたように溜め息を吐く。
◇
酷い臭いも散らばった思考も得体の知れないプロハも、何もかも一つとして片付いていないのに、冗談のようなことを真顔で言い切るヴァルガになんだか力が抜けてしまった。
「とにかく」
私は散乱する課題のうち最も喫緊であるプロハに目を向ける。
「ヴァルガはどう思う?」
「記憶の改竄は問題ない」
ヴァルガも今度は真面目に答えを返してくれる。
「問題は奴の信仰の仕方だろう」
「信仰の仕方?」
「盲信。あるいは狂信。その類だ、おそらくな」
言って、ヴァルガの目はプロハを向く。
「奴の中で今や『神子』は真実、神の子だ。そして奴自身が神子となった。神子は人々を救うために遣わされた、だったか?なら、奴も奴なりに人々を救おうとしているのだろう」
「でも、だったら、武器なんて」
「救いに武器は、不可欠だ」
「……?……??なんで??」
「それが分からないお前だから、お前は街の人々にとって偽りを超えた神子たり得たんだろうな」
ヴァルガは口端を上げる。笑んでいるようにも、嘲っているようにも見える。
「奴は資質に欠けた。それだけのことなんだろう、結局」
やはりどうにも私には分からないが、ヴァルガは納得したとばかりにプロハに向けて声を上げる。
「来い、プロハ」
命じられるままに、プロハはこちらへと歩み寄ってくる。その目は絶望と怒りに満ち満ち、その口は悪魔への怨嗟を唱え続けている。
続く
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