第15話 重い死

 やはりどうにも、この子供は俺という人間を見誤っているように思える。

 俺は気に入らなければ子供であっても容赦なく攻撃する類の悪人だ。この子供は何を以て『攻撃はない』と言い切っているのか。不思議そうに俺を見上げてくる瞳を眺めながら、俺は眉間に皺が寄るのを自覚する。


「……お前、まだ、俺のことを神のようだなどと考えているのではないだろうな」


「えっ」


「考えているな」


 分かりやすい子供に深々と溜め息を吐く。同時に、この三日、朝から騒々しく俺を起こしにやってくるたびに子供が口にしていた謎の俺の呼び名が頭を過る。どこから来た発想かと訝しくは思っていたのだが、まさか。


「まさか、だから『父さん』か。『神子』であった自分に未練でもあるのか」


「あ、や、違います、違うよ、それは。『神子』に未練はないよ、本当に」


「なら、何故『父さん』だ」


「だ、だって……」


 口を尖らせる子供は珍しくも如何にも子供らしく、俺は不覚にも柄にもなく微笑ましいなどという感情を抱いてしまう。

 子供は好きでも嫌いでもないが、無理なく『らしく』ある人間は好ましい。無理の塊のようであった『神子』を思えば尚更だ。

 話は逸れてしまうが、湧いてきた優しい気持ちに従って俺は膝を折り、目線を子供の目線に合わせてやる。


「なんだ、言ってみろ」


「お、怒らない?」


 いよいよ子供らしい子供に失笑し、短くなった白髪をワシワシと撫でてやる。


「聞いてから決める。言ってみろ、何故俺が『父さん』だ」


 『神子』に未練があるわけではないなら、大方、年齢のことだとか、父が欲しいとか、その程度の理由だろう。そう考えて鷹揚に構えていると、子供は言葉を選ぶように存分に躊躇ったあと、恐る恐るといった体で口を開いた。


「……か、神は万物の父だから……」


「…………お前な…………」


 そう来るか。話が逸れてしまったはずが、勝手に元に戻ってきた。深く、深く、深く嘆息し、俺は撫でていた手でペシリと子供の頭を叩く。



 私がヴァルガを父と呼ぶ理由を質されて、嘘は吐けず、正直に白状した私に、ヴァルガは怒りはしなかったが、呆れた、困った様子で私の目を真っ直ぐに見る。


「俺は神ではない、と、何度言えば分かる」


「わ、分かろうとは、しているのです。けど、だって、貴男自身の否定以外の事実が、貴男を神だと示している。神の宿る血、血の祝福を受けた不死の肉体と願いの叶う聖典──」


「この血に苛まれる俺を知っても尚この呪いを祝福と吐かすか」


 私の無神経な発言を遮ってヴァルガが低く、強く、咎めてくる。そこにはやはり怒りはなく、無理解への悲嘆があった。悲しい目だ。

 胸を突かれたように私は私の軽率な発言を悔いる。けれど、それでも、どうしても、


「申し訳──……ごめん、ヴァルガ……」


どうしたって、私にとって、ヴァルガは神でしかない。

 人ではなかった私を人にしてくれた。そんな存在を、神と呼ばずになんと呼べばいいのか、私には分からない。



 生まれながらに植え付けられた根深い信仰心に上乗せされているらしい俺への崇拝の駆除は、言って聞かせた程度でできるほど容易ではないのだと俺も理解してきている。

 子供が先ほど『攻撃はない』と断じたのも、俺という悪人を悪人と認めようとしないのも、根はその信仰と崇拝にあるのだろう。


「──……」


 咎めたところで治るものではないか。


「分かった」


 俺は立ち上がり、再び本をホルダーから外し、開き、左手に持つ。右手は子供の頭に乗せたままだ。


「?ヴァルガ?」


 本を開いた俺を、子供は無警戒に見上げてくる。無邪気と言ってしまうには、子供の子供らしからぬ信仰心が邪魔をする。


「お前の中にいる神と俺が違うということを教えてやる」


 気は進まないが、百聞は一見に如かず。聞いても分からないのなら、見ればいい。


「お前はプロハを生かす道を選んだが、俺がお前であったら確実に殺していた」


「それは……人が人に死を与えることは間違いでも、神が人に死を与えることは間違いではありま──」


「プロハを殺し、『神子』も『聖典』も何もかもを奪われたと知った民衆が俺を敵とみなし攻撃してきたら、そいつらも皆殺しにしていた」


「っ!?い……いえ、ヴァルガはそんなこと」


「しないと思うか」


 動揺する子供を見下ろしながら、移せ、と俺は本に命じる。

 瞬く間に、周囲は廃墟だ。砕かれた街並みに、人の、動物の、植物さえも、気配はない。


「こ、こは……?」


 尋ねながらも答えは予感しているのだろう、子供は元々白い顔を蒼白させて慄いている。


「俺が壊した街だ」


「何故、こんな」


「何故?言ったとおりだ。人が集えば力が求められる。力を欲すれば本に辿り着く。お前のいた街と似たような街は、どこにでもある。ただ、この街にお前はいなかった」


 移せ、と、また、俺は命じる。


「ここも」


 また命じる。


「ここも」


 命じる。


「ここも」


 焼け焦げた村跡、湖に沈んだ街、底の見えない大穴、次々と場所を移る。


「どの街も、集落も、本を手に入れた人間本人が自らを特別な人間として崇められる立場に置いていた。俺によって本から血を抜かれ、自らの地位を奪われ、洗脳された民衆を煽って俺を攻撃して、この様だ。その点では、プロハは一段レベルの高い下衆だったと言えるか。奴の話からすれば本は転売ではなく直売だったようだからな、実の子の血を売り捌く下衆から直接の指南を受ければそうもなるか」


「──」


 子供はもう、言葉もない。

 そして今、目の前にあるのは、山小屋だ。


「……ぅ……」


 子供が鼻と口を手で覆う。無理もない。まだ四日足らずだ。生々しい死臭が外まで漂ってきている。



 これは視覚的な暴力だ。破壊された街々を次々と見せられて、そう思った。ヴァルガは己を神と崇める私を打ちのめそうとしているのだろう。

 しかし、それは逆効果だった。人には成し得ない破壊の痕跡を次々と見せられて、私はますますヴァルガを人と認識できなくなっていった。哀れな死者を悼むことなく、神の怒りに触れた者の末路だ、とまで思っていたかもしれない──今、この場に来るまでは。


「こ……この臭いは……?」


 かつて嗅いだことのない酷い臭いだ。鼻だけでなく、口からも、目からも、耳からも、全身に侵入してくるような恐ろしい不快感が辺りを包んでいる。


「腐敗臭だ。思ったより酷いな。雨のあとに高温の日が続いたからか」


 特に鼻も口も覆うことなく、ヴァルガが言う。その目は、目の前の山小屋を見ている。外れてしまったのか、扉はない。暗い室内は、よく見えない。


「腐敗……?なんの」


「人間の」


「な」


 事も無げに言うと、ヴァルガは山小屋の入口に足を向ける。


「お前に出会った日の、前日に殺した。何人いたんだったか……憶えてもいないが」


 真っ暗な入口の前に立ち、ヴァルガが私に手招きする。見ろというのか。足が竦む。無理だ。


「なん、で、」


「なんで?殺した理由か?理由を聞いてどうする。俺には無論、俺なりの理由があったが、これを見て、お前に納得できる理由があるか?こんなもの、端から見ればただの虐殺だ」


 淡々と答えながらも、足の動かない私を、ヴァルガは赦さない。ああ、本が開いたままだ、と気付いたときには、ヴァルガは命じている。


「見せろ」


 途端、ぐいっと何かに引っ張られて、私は山小屋の中に頭を突っ込まれた。目を閉じようとしても、見えない何かにこじ開けられる。その間、暗さに目が慣れる前に、嗅覚が悲鳴を上げる。反射的に胃からせり上がってくる物を吐き出すまいと堪えようとするが、できない。


「う……ぐ……ぉえぇ……っ」


 吐瀉物と涙と鼻水がバタバタと床に落ちる。遅れて暗さに慣れた目が、山小屋の中を捉える。目を反らそうと身体を捩るが、何かに押さえつけられて動けない。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。酷い。酷い。なんで。


「ヴァ、ヴァル、いやだ、みたくない」


 懇願を、しかしヴァルガは聞き届けてくれない。


「見ろ。これがお前の言う『神』の所業だ。コイツらは山賊だった。何十人、もしかしたら何百人と騙し、殺し、奪ってきた連中だ。だが、そんなことは俺には関係ない。俺は義憤でコイツらを殺したのではない。俺を標的にしたのが運の尽きだった。それだけだ」


「ぅう……っ」


「神が人に死を与えるのは間違いではない?死を目の当たりにしたことがないから言えることだ。見ろ、これが死だ。お前の神は、お前の良心は、これを肯定するのか」


 惨状を見ることを強要され、責め立てるような問い掛けは、それでも、


「理解しろ。俺は神ではない。お前に今、涙を流させている感情をこそ、神と呼べ」


声音だけは、とても優しい。



続く

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