~後篇~

これはあの頃よくアイツから聞かされた話だ。


ウラノスという宇宙を最初に統べた原初の神々の王がいた。彼の体の一部が後のゼウスの父であるクロノスにより切り落とされた。それが海に落ち纏わり付いた泡から愛と美を司る春の女神アフロディーテが誕生した。ローマではビーナスとかウェヌスともいうらしい。

生まれて間もない彼女に魅せられた西風が彼女を運び、キュテラ島に運んだ後キュプロス島に行き着いたという。そして、彼女が島に上陸すると美と愛が生まれた。それを見つけた季節の女神たちが彼女を飾って、オリュンポス山に連れて行く。オリュンポスの神々は身元の分からない彼女に対し、美しさを称賛して仲間に加え、ゼウスの養女にした。そしてアフロディーテのつけていた魔法の宝帯には「愛」と「憧れ」、「欲望」とが秘められており、自らの魅力を増し、神や人の心を征服することが出来るという。その宝帯によってゼウス自身も多くの恋に翻弄されている。

それからある日のテティスとペーレリウスの結婚のことだった。全ての神が招かれた宴会に、不和の女神エリスだけは招かれなかった。

エリスは怒り、宴席に「最も美しい女神へ」と書かれた黄金の林檎を投げ入れたのだ。女神ヘラ、アテナ、アフロディーテが自分だと主張し始めたのだ。結果としてヘラは「アシアの君主の座」、アテナは「戦いにおける勝利」を与えられた。結局「最も美しい女」の座はアフロディーテが勝ち取ったのだ。

最も美しい女神のアフロディーテは、ヘラの息子であるヘパイストスと結婚をした。しかし、夫であるヘパイストスは醜い姿をしていることで有名な神だ。彼は全知全能の神ゼウスと最高位の女神ヘラの息子。しかし、その姿が美しくなかったため母ヘラは産まれたばかりのヘパイストスを海に捨てたのだ。それでだから、ヘラはヘパイストスを冷遇し続けた。そんな母に憤りを感じたヘパイストスは彼女に「黄金の椅子」を贈る。その椅子はとても美しくヘラは瞬く間に心を奪われた。しかし、ヘラが腰を下ろした途端に、椅子は拘束具となって彼女の全ての自由を奪った。彼は自由にして欲しければ自分を息子と認め、他の神々の前でそれを証明するように迫った。ヘラはこれに応じると約束したらしいが、ヘパイストスは母親を信じることなど出来なかった。そこで、世界一美しいヘラのお気に入り、アフロディーテと結婚させるように要求した。ヘパイストスは母の軽口を戒めるつもりなだけだったが、ヘラは自分が助かりたい一心でこの要求を受け入れたのだ。こうしてアフロディーテはヘパイストスと結婚させられることになった。ヘパイストスと強引に結婚させられることになったアフロディーテは、夫に心を開くことはなかった。そして美を司るアフロディーテはヘパイストスの醜い姿を嫌った。母親と同じく妻にも冷遇されることになったヘパイストス、愚直な彼は妻の冷たい態度も単に機嫌が悪いだけとしか考えなかった。そのため二人の関係は改善せず、夫婦生活は完全に冷え切ったものとなっていた。愛を司るアフロディーテがそんな生活に耐えられるはずもなかった。彼女は夫がいるにも関わらず多くの恋をした。その一人はゼウスとヘラの子でありながら、血なまぐさい戦いを好み乱暴で粗野な性格だったため、他の神々から忌み嫌われるアレスだった。しかし、アフロディーテはそんなアレスに恋をした。なぜなら彼が「最も美しい男神」なのだからだ。アレスはその残虐性に似合わず非常に美しい顔をした青年神だった。愛と美の女神アフロディーテは、愛人のアレスの影響からか戦争の場に姿を現すようになり、「戦の女神」とも呼ばれるようになる。しかし、夫であるヘパイストスに浮気がバレてしまい、神々の前でヘパイストスの仕掛けた透明の網にかかり醜態を晒してしまったらしい。そういえばこの時、アポローンがヘルメースにささやいたとか。「アフロディーテを抱けるなら、どんな恥ずかしい姿を晒してもかまわないと思わないか」ヘルメースはそれに答え、

「それができたらどんなによかろう。この三倍の鎖でぐるぐる巻きにされて、神々に見られても構わぬ。アフロディーテと寝られたならな」

と言ったのだ。


まぁアフロディーテの神話はこれぐらいにしよう。彼女は美と愛の女神だ。その美貌で多くの神々を虜にした。ただその恋が幸せなものだったかは頷けない。

何故ギリシャ神話の話をしたかって?それはモルフォ蝶の由来がアフロディーテから来ているからだ。人間はモルフォ蝶を世界一美しい蝶として森の宝石と呼んでいる。そこから、神々の中で最も美しいアフロディーテの枕詞であるモルフォをとって名付けたのだ。まぁそんな人間が付けて名前の由来などはっきり言ってどうでも良いのだが。

何が言いたいのかって?

別に大して意味もない昔話さ。別に皮肉を言っているのではない。こんな話をしなくたって嫌味ならいくらでもいえるさ。例えば、そうだな。最近人間が持ってきたアネモネの花言葉だ。恋の苦しみとか儚い恋とからしい。それに皮肉にも麗春花ポピーの花言葉だって脆い熱愛だそうだ。まぁその言葉だって人間が勝手に決めただけだが。ただ別に皮肉ではない。ただ昔アイツが儂によく聴かせてくれたと思い出したのだ。そういえば久しぶりに人間を見た。懐かしい。こうやって話していると、本当に人間が、いやアイツが懐かしいな。くだらない思い出が色鮮やかに蘇る。憎んだはずの記憶も今ではもう懐かしい思い出の一つに過ぎないのか。時は全てを変えてしまう。

確かこの原っぱの名前を聴いてたな。

そうだな…アフロディーテの野原、いや語呂が悪いか、ウェヌスの野原か?なにか違う。

命名とは難しいものだ。やはりやめておこう。名がないからこそ意味があるのだ。愚かな人間のように名をつけ区切り、地球に線を引くことなどしてはいけない。今の儂の世界は平和そのものなのだ。

そう、ここは我々にとってどこにでもありそうな「なんの変哲も無い平和な原っぱ」なのだ。

今日もまたオレンジ色の太陽が昇る。たとえ今日がいつだろうと、この朝が何回めの朝だろうと関係ない。大事なのは同じサイクルでこの太陽が昇り続けるということだ。自然の摂理は変わらない。誰も変えられはしない。それは人間だろうと許されはしない。その美しく儚い秩序は永遠に繰り返される。

ついでに儂が何者かって?

そんなこともどうでも良いのだ。自分が何者かなど知る必要は無い。いや逆に知ってはいけないのだ。知れば必ず不幸になる。だから儂も自分が何者かなど知らない。……いやもう忘れたのだ。


あぁもう太陽がてっぺんまで昇ってしまった。朝はとっくに始まっているのだった。

一つだけ言いたい。

ここは何処かって?

その答えは誰も知らない。永遠にここは 何の変哲も無い原っぱだ。そして今日も又何の変哲も無い一日がこの原っぱで繰り返される。まず花が咲く。そこに一匹の蜘蛛が地面から茎をつたい、花と花の間に糸を掛ける。そして空を悠々と飛ぶ虫たちが糸にかかる。蜘蛛はその虫たちを食べて命を繋ぐ。そしてその蜘蛛を鳥が摘んでお腹を満たす。今日もこの自然の摂理が繰り返される。今日だけでは無い。今までもこれからも、変わらず自然の、美しい秩序は乱れることなく繰り返される。

大きな翼を広げ彼は飛び立った。大きく麗春花が一斉に揺れる。そしてオレンジ色の光に向かって羽ばたいた。銀色で傷だらけの足環がきらめく。


「ねぇパパーママー

今ね大きな木兎ミミズクさんがね、飛んでたよ!」

「真昼間から木兎ミミズクなんているわけないでしょ」

「だいたいこの地域には木兎ミミズク自体居ないよ」


そんな人間の声は彼には届かなかった。

残された花々の薫りは、風を纏い辺り一面に広がった。

サファイア色に染められたある一匹の鬼蜘蛛を包み込むように。


今一匹の年老いた木兎ミミズクが太陽の光に向かって姿を消した。

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宝石の罪 古川暁 @Akatuku

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