アニバーサリー

私はてっきり、もっとモダンでスタイリッシュでファッショナブルな店だと思っていた

このご時世に検索に引っ掛からないカフェなんて隠れ家中の隠れ家に違いないと

恐らく看板もなく、雑居ビルの半地下にあって、それこそ入店するのに合言葉を云うような

ドレスコードをクリアして入店するとまばゆい店内にパリッとした店員

そんなお店を想像して住所とスマホの地図を頼りに辿り着いた


イラストの投稿サイトに趣味で描いていた絵が好評価を得てランキング入りするようになり

ファンレター紛いのメッセージを毎日のように貰えるようになって

あの時の私が慢心して天狗になっていたことは否めない


スマホの地図の指し示す住所には潰れかけたボロい掘っ建て小屋にしか見えない建物が建っていた

入口の脇に設置された灰皿に不機嫌そうなしかめっ面でタバコを吸う中年が1人

まさかこんな古びれた汚い建物が指定された待ち合わせ場所だとは信じ難かった

木の板に「喫茶店 集い」と書かれているのを確認しなが入口の扉を開いた

タバコを吸っていた中年はなんの遠慮もなく、むしろ私を睨むかのように私の様子を見据えている

カランカランと扉に据え付けられた風鈴のような鈴が私の入店を店内に知らせた


幼い頃からお絵描きは得意で学年で1番絵が上手だとか学校で1番絵が上手いともてはやされて来て

正直、口には出さなかったけど自分でも私よりも絵が上手いと思える知人は1人もいなかった

イラスト投稿サイトで上位にランキングされたのも当然のことだと思っていた


店内に入るとこれでもかと云うくらいの珈琲の臭いで蒸せ込みそうになるほどだった

この過剰な珈琲臭のせいで店内の酸素が薄いのではないかと思うほどで嫌悪感しかなかった

カウンターの中には髭を生やして気取った初老の店員だかオーナーだかが立っていて「バリスタ」とでも呼ばれたそうな顔で私の方を向いた


「いらっしゃいませ、ご注文は?」


メニューを見るとこれまた気取った文字で書かれた横文字で私はそれを読む気にもなれなかった

迷子にこそならなかったけどスマホの地図を見ながらこの店を探し歩いて疲れていたので甘い物が欲しかった

けどメロンソーダなんて云ったら殴られそうなお店の雰囲気を読んでホイップクリームの乗ったウインナーコーヒーを注文した


アルバイトで小冊子の挿絵を描いてみないかとイラスト投稿サイトのメッセージが届いたのはその1週間くらい前の事だった

私の描くイラストに値が付くのは当然だと思っていたし、更に云えば安売りをするツモリもなかった

私の描くイラストを高値で買い取ってもらえるなら描いてあげてもいいよくらいの高飛車な姿勢でそのメッセージに返信をした

仕事の内容、つまり依頼するイラストの詳細は直接会ってから話すとのことで私はめかし込んでその初顔合わせの初打合せに臨んだ


この古びた小汚ない喫茶店には全く似つかわしくないお洒落な格好で注文を告げた後、席を探そうと店内を振り返るとチェック柄のジャケットを着た白髪の男が私に手を振り手招きをした

このオッサンがメッセージを寄越した編集者か

私は軽く会釈をした後そのオッサンの座っている席に近づいた

整髪料で整えられた白髪はまだしも、センスのないチェック柄のジャケットやコンビニのオニギリくらいありそうなネクタイの結び目など、全体的に見てダサいとしか思えないそのオッサンの前に座り「はじめまして、沙耶香です」とイラスト投稿サイトで使っていたハンドルネームを名乗った


人生を変えてしまうようなチャンスと云う物はきっと誰にでも巡ってくる訳ではないと思っている

ほんの一握りの選ばれた人間にのみチャンスと云う物は巡ってきて、更にそのチャンスを上手く掴めた者のみが成功者としての人生を歩むことが許されるのだと思っていた

はっきり云ってあの時の私は油断をしていた

イラスト投稿サイトでの高評価に慢心して世間を舐めていた


最初は社内報の小冊子の挿し絵を暫く描いて社員の評判を基に徐々に広報のイラストを描くようになるだろうと云う話だった

そのダサいオッサンは全力で私を推すからチラシや看板に私のイラストが採用されるのは時間の問題だろうと嬉しそうに話していた


社内報の挿し絵で下積みをするなんて私のイラストの評価が低いとしか思えなかった

小冊子の挿し絵とは聞いていたけれどそれが社内報だなんて全くお金の匂いがしない

ゆくゆくはチラシや看板に採用とは云ってもたかが知れている

完全に下がった私のモチベーションにトドメを刺すかのようにウインナーコーヒーが運ばれてきた

人を馬鹿にしてるのではなかろうかと思うくらいの、おままごとセットくらいの小さなマグカップのコーヒーの上にちょこんとホイップクリームが乗っかっていた


「どうだね、このお店は気に入ったかね」


ミニチュアのウインナーコーヒーを目の前に呆然としていた私に投げ掛けられたその質問が引き金となって私はその店をこき下ろした挙げ句、その勢いでお仕事の話もお断りしてしまった

そのダサいオッサンはお呼び立てしてしまって申し訳なかったと深々と私にお詫びをした後、せめて名刺だけでも受け取って欲しいとテーブルに名刺を置いて先に店を出て行ってしまった


その名刺は今でも私の作業用デスクに飾ってある

名刺の裏にはあの日の日付と「敗北記念日」と書いてある

イタリアの超有名ブランドの日本支社の広報部長の名刺なんて私がどんなに努力してイラストの腕を磨いて精進したところで一生辿り着くことの出来ない世界の入口だった


あの日は人生に1度訪れるか訪れないかのチャンスを私がみすみすと逃してしまった忘れることの出来ない敗北記念日だ

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喫茶店「集い」 弥生 @yayoi0319

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