第7話:Clear a ditch2
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再び現在に時刻と場面を戻す。ハッカー専門のバー、野武士は今夜も満員だった。来客は増える一方で、退店する客はほとんどいない。入り口のドアが開き、また一人客が入ってきた。不健康な痩身に人工ドレッドヘアとゴーグル。情報屋のアドロだ。まっすぐにカウンターへ向かった彼に、オーガのバーテンダーは尋ねる。
「注文は?」
「スシを。なんでもいい。それとサケ」
ウサギの旧人と甲殻種族の間に割り込むようにして、アドロはカウンターにもたれ掛かる。
「人待ちかい?」
合成焼酎をグラスに注ぎつつ、バーテンダーはアドロに尋ねる。
「聞いて驚け。あのコンフィズリーの依頼だ」
アドロはゴーグルを輝かせて得意げにしたが、オーガは特に反応しなかった。
「お待ち。養殖エビとゲル肉、それに富栄養藻のスシだ」
やがて、グラスを傾けるアドロの前に、フェアリーの給仕が寿司の載った皿を雑な態度で置いた。
「スカイマグロはないのか?」
「品切れだ。我慢しろ」
三白眼のフェアリーはふわふわと空を飛びながら、そっけなくそう言い放つ。
「ちぇっ、運が悪い」
アドロが肩をすくめる。
「その代わり培養イクラがあるぜ。ここにな」
フェアリーがスシの一つを指差した。
「いいねえ。ほらよ、チップだ」
アドロが投げた四つ折りの紙幣を素早く受け取り、フェアリーはにやりと笑う。
「景気がいいな、お前」
「一仕事片づけたばっかりで財布が重くてね」
アドロも同様に笑いつつ、不気味な外見のスシを口に運んだ。
「さて、と……」
小腹を満たしたアドロは周囲を見回す。コンフィズリーの姿は見えない。しかし――
「ここにいるわ」
いきなりそばから声が聞こえ、アドロは跳び上がった。
「おい! いたのかよ!?」
すぐ近くのテーブルに、見慣れた姿が二つ。礼服を着た無表情の人造。そして杖を側に置いた制服姿の華奢な銀髪の少女。
「ステルス迷彩か?」
「違うわよ。最初からここに座っていたわ」
コンフィズリー――つまりシェリス・フィアは無愛想にそう言うと、すぐに下を向いてしまった。教書を開き、忙しげにペンを走らせている。
「……何してるんだ?」
見たところハッキングではないようだ。シェリスの態度は明らかに不承不承といった感じで、全身から不機嫌なオーラを発している。
「学校の宿題。結構難しいの。ちょっと待っててくれる?」
あ然とするアドロをよそに、先程のフェアリーがシェリスに近づく。
「なんだよお嬢さん、また頭捻ってるのか?」
「そうよ。歴史に倫理と家政。こっちはさっぱりだわ」
大きくため息をつくシェリスを見て、フェアリーは曖昧な表情で肩をすくめた。
「ま、よく分からんが頑張れよ」
「よし、終わったわ」
しばらくして、シェリスは教書を閉じて晴れ晴れとした顔でそう言った。
「お待たせ。よく来てくれたわね」
杖をつきつつ隣に来たシェリスに、アドロは歯を見せて笑う。いい感じにアルコールが回ってきた。
「まあな。あのコンフィズリーからの依頼だ。すべてをなげうっても優先する価値はあるぜ」
「嘘ばっかり。一仕事終えたその足でこっちに来たのに」
くすくす笑いながら、シェリスは教書を開くと仮想ページの一枚を指差した。つい先程終結した企業間闘争の速報がそこに載っている。一方の企業の作戦が、他方の企業に筒抜けだったらしい。
「負けた側の企業傭兵たちが相当怒っているわよ。あなた、結構派手にやらかしたみたいね」
夜の街を歩く。下層都市は文化と能力と思想と人種の混在する魔女の釜だ。通りを数分歩けば分かる。建造物の様式は、ありとあらゆる時代のパターンがすべて入り混じったモザイクだ。その混ざり方は上層都市の比じゃない。発展に次ぐ発展。拡大に次ぐ拡大。この惑星を覆い尽くした超巨大都市は、多層に入り組んだ奇怪なミルフィーユだ。
ボーダーラインは眠らない。通りは人また人。人間、異族、機体、人造、その他。仕事を終えた騎士くずれ。どれだけ人体から逸脱できるかを競う機体至上論者。周囲の空間を極彩色に変え、道路を占拠する唯識アーティストたち。
「メンターを讃えよ!」
「アジェンダに服せよ!」
「リアリティと同化せよ!」
雑音同然の狂った妄言が耳に心地よい。
俺はアドロと連れだって通りを歩いている。はた目から見れば異様な光景だろう。人造の執事を連れた上層都市のお嬢様が、下層都市の情報屋と一緒にいるのだから。俺がこの男に依頼したのは、俺の雇い主を気取るシーケンサーについての情報提供だった。俺は矯正整式によって丁寧かつ優雅になった物腰と声音で、改めてアドロに尋ねてみた。
「それで首尾は? まさか皆無じゃないでしょ。ニンジャにも手伝ってもらったんだし」
「……なんで知ってるんだよ?」
「私があなたを指名したのもそれが理由なの。この街でニンジャとまともに連絡できる人間なんてごくわずかよ。私だって無理だもの」
向こうから教書と接続しっぱなしのエルフが来たので、俺は道を譲りながらそう言う。
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