スカイダイバー

高田正人

第1話:Transfiguration



◆◆◆◆



 “野武士”は下層都市「ボーダーライン」にあるハッカー専門のバーだった。さして広くもない暗い店内は、娯楽薬物の煙の刺激臭と、漏電した配線の焦げた臭いと、合成アルコールと人間と〈異族〉の体臭で満たされている。エルフが飲んだくれ、フェアリーの給仕がスシもどきを客に投げつけ、〈旧人〉が頭のイヌに似た耳を掻きつつ床で寝ている。


 仮想スクリーンに写るアイドルを礼拝するハッカーたち。賭けに負けて武器を差し出す機甲ガーディアン。舌戦を繰り広げている違法テクノロジストと急進的リビジョニスト。騒音。とにかく騒音。まさにここは、ボーダーラインの縮図だった。けれども、突如店内が静まりかえった。全員の目が、ドアを開けて入ってきた二人の人物に注がれている。


 一人は礼服を着た長身の青年。一目見て〈人造〉だと分かる人工的な整った造作をしている。彼が執事のようにしてそばに控えるのは、一人の小柄な少女だ。華奢、という言葉を体現したような姿。細く長い銀髪。雪のように白い肌と、折れそうなくらいに細い肢体。手には凝った装飾の杖。身につけているのは、明らかに上層都市の学校の制服だ。


 伏し目がちの目の色は薄い赤。華奢な肢体に釣り合うかのように、彼女の容貌は優しく儚げだ。薄い唇と細い眉。清楚で可憐なその顔立ちは、あたかもガラス細工のバラのようだ。こんな無防備な少女が下層都市をうろついてたら、速攻で身ぐるみはがれて売り飛ばされ……はしないものの、誰も相手にしない。どう見ても馬鹿丸出しの観光客だからだ。


 自分の人造を隣に控えさせた少女は、周囲の好奇と嘲笑の視線を完全に無視し、杖をつきつつカウンターに近づいた。


「こんばんは、素敵なバーテンダーさん」


 甘やかな彼女の声をかけられたオーガのバーテンダーは、露骨にため息をついた。仕事中に突然やって来た親戚に赤ん坊の世話を押しつけられたら、きっと同じトーンのため息をつくだろう。


「注文は?」


 嫌々尋ねたバーテンダーに対し、少女はにっこりと可愛らしく笑って言った。


「ダーティー・オールドマンをノンアルコールで下さいな」


 彼女の返答に周囲は爆笑した。その名のカクテルは、名前の通り下品で粗雑な味の代物だ。およそ少女が口にする代物ではない。ましてノンアルコールは、酒の代わりに入れるある液体が凄まじいのだ。


「ねぇ~え、お嬢ちゃん、ちょっといいかしらぁ~?」


 一通り皆が笑い終えた頃、一人の襟ぐりの深いドレスを着た化粧の濃い女性が少女に近づく。一見すると娼婦のように見えるが、実はこの店の用心棒である。


「パパとママの眼を盗んで、こっそりいけないことをしようって気持ちはよく分かるわぁ~。でもぉ、ちょっとイキがりすぎじゃなぁ~い?」


 ねちっこく話しかけつつ、用心棒の女性は腕を少女の肩に回して顔を近づける。


「あんまり悪いことしてると、お姉さんが怖いところにご案内しちゃうわよぉ~?」


 女性は自分の片手を見せつける。あちこちに走る生体パーツの境目。戦闘用〈機体〉、つまりサイボーグの証である。こんな少女など、子猫同然に弄べる腕力の持ち主だ。


「そりゃ困るな」


 次の瞬間発せられた声に、機体の女性は自分の強化された聴覚を疑った。確かにその声は少女のそれだ。声紋も一致する。


「え……?」


 しかし、その声音は違っていた。少女が杖をカウンターに立てかけ、女性を一瞥して笑う。先程のような可憐で上品な笑みではない。サメのような挑発的な笑み。わずかに動く少女の指先と揺らぐ光線。そして――


 女性の両腕の付け根。ちょうど肩の関節がある部分。そこの生体パーツの境目が一瞬光った。続いて、何かが落ちる音。


「そんなぶっそうなものを突きつけられたら、おちおち飲んでられないな」


 床に落ちたのは、女性の両腕だった。切断されたのではない。勝手に生体パーツがメンテナンス状態になり、両腕が取りはずされたのだ。


「……なっ!! えっ! な、なんでっ!?」


 血は一滴も出ないが、無骨な接合面が露わになった女性は、大慌てでしゃがみ込むと体をねじって腕をはめ込もうとする。だが接合できない。関節が休眠していて、肩からの信号を受け付けない。対象を破壊するのではなく〈構文〉や〈整式〉に侵入して掌握する〈数理〉。――すなわちハッキングだ。


「おいおい、何やってるんだ? ここは機体専用クリニックじゃないぞ?」


 どうにかして腕を元に戻そうと悪戦苦闘する女性を、少女はカウンターに寄りかかってあざ笑う。先程までの清楚で儚げな様子はどこへやら。そこにいたのは、嘲笑されたら倍返しにすることをためらわない、凶暴な一人のハッカーだった。


 けれども。


「おい」


 少女が顎をしゃくると、そばに控えていた人造が動いた。女性の両腕を拾い上げると、女性の肩にはめ込んだ。再び光の線が踊り、すぐさま少女の指に戻る。


「ほら、もう大丈夫だ。それと、関節のフィードバック構文が少し劣化してるから治しておいたぜ。笑えるもの見せてくれたから特別にタダだ」



◆◆◆◆



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