第2話:Transfiguration2
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粗野に笑う少女の隣で、用心棒の女性は接合した両腕を呆然と動かしてから、きっと彼女を睨んだ。
「あ、あなた……!」
さらに言葉を続けようとした女性を手で制し、少女はやってられないと言わんばかりに天を仰いだ。
「なんだよ、この店は注文しても代わりに説教が出てくるのか? いつからグレートマザー教会がここを乗っ取ったんだよ」
苛立たしげに少女はカウンターを拳で叩く。
「もういい。ちょっと借りるぜ」
少女がそう言い放つのと同事に、向こうに立っていた接客用の人造が突然動き出した。カウンターの中に入ると、勝手にボトルを物色し始める。
「お、おい!」
少し遅れてオーガのバーテンダーが反応した。
「なんだよアンタ! なんでうちの人造を……」
バーテンダーが驚くのも無理はない。この店のハッカー対策のセキュリティは万全である。けれども、それらの防犯機能を軽々とかいくぐって、この少女は自分の意のままに店の人造を操っている。そもそも少女は、情報デバイスである〈教書〉さえ開いていない。その技量に空恐ろしささえ覚えて、バーテンダーは少女を見る。
「あら、心外です。あなたがずっとぼんやりしていて、いつまで経っても私のオーダーを作って下さらないからですよ」
対する少女の口調は、いつの間にか元に戻っていた。先程の凶暴さは鳴りをひそめ、今は小さな淑女の顔ですましている。そうしているうちに、少女のハッキングした人造は彼女に完成品を差し出した。
ノンアルコールのダーティー・オールドマン。何種類かの天然果汁ゼロのジュースは、単なるカモフラージュ。その本命は合成アルコールの代わりに混入している「エッセンス」だ。果たして何から抽出したのか。それを敢えて下層都市の住人は詮索しない。だが、誰もが予想している。――あれは最下層の汚水に多数生息する、軟体動物の体液だ、と。
「これこれ、この下水道にたまった汚泥のような下品さ。ずっと飲みたくてたまらなかったんです。懐かしの味、とはまさにこれですよね。では、いただきます」
沈殿した謎の液体が混ざって不気味な色をしたそれを、少女は受け取ると同事にうっとりとした表情で匂いを嗅ぐ。鼻を突く異臭がするはずだ。
「ボーダーラインに乾杯」
少女はグラスを掲げてそう呟き、次いでひと息で飲み干した。固唾を呑んで、誰もが少女の動向を見守っていた。
「――――あ」
そして間髪入れずに、少女の目から焦点が失われた。大方の予想通りかどうかは不明だが、とにかく少女はものの見事にぶっ倒れた。たった一杯で即気絶である。……しかしなぜか、その表情はとてつもなく嬉しそうだった。
上層都市「スカイライト」。「グレートウォール」によって下層都市ボーダーラインから隔離された、優良な市民の住まう場所。狂った情報科学と汚濁の支配する下層都市とは違い、この都市は自由競争こそを至上とする企業の戦場とはなっていない。人も、エルフやドワーフなどの異族も、この都市では安寧と平穏を満喫している。
さんさんと降り注ぐ日光。庭園の芝生と常緑樹の鮮やかな緑。爽やかな朝の空気。聖アドヴェント女学院の典雅なデザインの校門を、今日も良家の子女たちが上品な挨拶と共にくぐっていく。汚染も猥雑も退廃もない、絵に描いたように上等な朝の生活の一コマ。
「おはようございます」
「あら、ご機嫌よう」
「今日もよいお日柄ね」
「お会いできて光栄ですわ」
「まあ、喜ばしいことね」
生徒たちの可憐な肢体を彩る制服。清純さを引き立てつつ、わずかなおしゃれやアレンジもちゃんと許す寛容さを内包したデザイン。スカイライト随一のお嬢様たちが通う学校、聖アドヴェント女学院の生徒たちは、今日も優雅で淑やかだった。たった一人を除いて。
(頭が痛い……)
寮を出て校舎へと向かう通学路を、俺はたった一つのことだけを考えて歩いていた。頭痛。その二文字が今の俺の全部だ。今のこの体じゃ、酒なんて一滴舐めただけで卒倒するのは確実だ。だからダーティー・オールドマンをノンアルコールで呑んだんだが、結果は多分二日酔いより悪い。懐かしの味との邂逅は、最悪しか残らなかった。
ただでさえ細くて弱くて虚弱そのものの体が悲鳴を上げている。ふらつく両脚を何とか制御して歩く。杖をつく手に力が入らない。俺の隣を、絵に描いたようなお嬢様の生徒たち通り過ぎる。満面の笑みで挨拶してくるから、こちらも何でもない風に頭を下げてやった。我ながら、化けの皮が厚くなってきたのが分かる。
そう。昨日バーで一杯引っかけた女はこの俺だ。口調で分かるだろうが、俺は元々は男で、下層都市じゃ腕の立つハッカーだった。それが何の因果か、今は上層都市でお嬢様たちと一緒に勉学に励む身だ。笑えるだろう? これは俺の――シェリス・フィアの物語。下層都市のハッカーが、お嬢様のペルソナを取り繕って悪戦苦闘する物語だ。
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