第3話:Knight hood



◆◆◆◆



「あら、おはようございます、シェリスさん」

「おはようございます、先輩」

「お体の調子はいかがですか?」

「ええ、お気遣いありがとうございます」


 寮から自分の教室まで、いったい何度俺は同じ挨拶を繰り返さなくちゃいけないんだ? どいつもこいつも、判で押したように人の体調を心配する。そんなに俺は死にそうな顔をしてるのか?


 内心の苛つきはとうの昔に頂点に達しているのだが、俺は完璧に「病弱でか弱く穏やかな少女」を演じきっている。これは俺の演技力のおかげじゃない。俺に刻み込まれた矯正整式のせいだ。こいつが俺の言動のほぼすべてを規制しているせいで、俺はお淑やかにしていられる。憎まれ口一つ叩けない凄まじい息苦しさ。想像以上にこいつは苦痛だ。


「……あ」


 指一本動かすだけで矯正される鬱陶しさと、昨日呑んだ劇物が化学反応を起こし、俺はふらついた。握力が消失し、杖を手放す。俺の人造は自室で整備中だ。支える奴は誰もいない。


(また周りがうるさいだろうな……)


 俺が他人事みたいに思いつつ、自分の体が倒れていくのを感じていたその時。


「――大丈夫ですか、シェリスさん!?」


 耳元で聞こえる頼もしい少女の声。それと同事に、脱力していた俺の体が優しく抱きとめられる。けれどもまだ、足に力が入らず立てない。それに気づいたのか、俺に触れた手は離れることなく自然な形で全身を抱きしめる。人肌の感触とぬくもりが不快だ。


「すみません、驚かせてしまったでしょうか?」


 俺の顔を声の主の少女がじっと見ていた。


 編んで長く垂らした髪の色は、目を奪われるほどに鮮やかな金。意志の強さを感じる碧に輝く目。健康的にほどよく色の付いた白い肌。見ようによっては中性的にも感じるが、確かに女性らしい淑やかさを失わない容貌。背も高いし俺を抱く腕に力も感じるので、一件美少年にも見間違えそうにもなるが、着ているのは俺と同じ女子の制服だ。


「あ、いえ……どうもありがとうございます」


 俺は矯正整式に沿った穏やかな声で少女に礼を言う。男装したら絶対似合う美形の少女の腕に抱かれるという、この学院の女子たち垂涎のシチュエーションだが、あいにく俺は何とも感じない。俺はこんな姿だが今もハッカーだ。ハッカーにとって、肉体なんてどれもこれも下らない贅肉でしかない。


「立ちくらみですか?」

「ええ、恥ずかしながら」


 俺は矯正整式に沿って、頬を赤らめてうつむく。以前の男だった俺がやれば吐き気がするほど気色悪い仕草が、今の女の俺がやれば様になるのが想像できて恐ろしい。


「あはは、私にそんなにかしこまらないで下さい。同級生じゃないですか」


 少女はあくまでも爽やかに笑う。憎たらしいくらい爽やかに。


「では……お言葉に甘えて」

「はい、どうぞいっぱい甘えて下さい」


 何がおかしいのかくすくす笑う少女に、俺はわざとしかめ面を作って言い放った。


「ストリンディさん、いつまで私のお尻を撫でているつもりなの?」

「えっ? あ、ああっ! す、すみません!」


 効果覿面。少女は一気に顔を真っ赤にし、慌てて俺をそっと立たせてから手を離す。


 ストリンディ・ラーズドラング。女子校の聖アドヴェント学院における女子の王子様。騎士として日々研鑽を重ね、誰よりも高潔に振る舞い文武両道にして非の打ち所のない模範的な生徒。簡単に言えば、こいつは俺とは正反対、対極に位置するような優等生だ。だからこそ、俺としてはついつい意地悪に振る舞いたくなる。


「ええと、たまたま私の手がお尻の位置にあっただけですが、その、配慮が足りず申し訳ありません!」


 必死になって謝る優等生を見て、俺も少しは頭痛と不愉快さがおさまっていく。


「……あ、あはははっ!」

「シェリス……さん?」


 急に笑い出した俺を見て、きょとんとするストリンディ。


「大丈夫よ。嫌に思ってないわ。安心して」

「ではどうして……」

「冗談よ冗談。あんまりあなたが物語のナイトみたいに完璧そうに見えたから、ちょっとからかっただけ」


 俺のこいつに対する不快感を、矯正整式は聞こえがいいように翻訳する。


「も、もう……シェリスさんは意地悪です」


 俺がこう言っても、ストリンディは困った顔をするだけで怒りはしない。


「でも、助けてくれてありがとう。その気持ちは本当よ」


 俺が一歩下がると、わずかなふらつきに気づいたのか、ストリンディは心配そうな顔になる。


「もう大丈夫ですか? 医師を呼んだ方が……」

「平気よ。体が弱いのは仕方がないことだから」

「ですが……」


 まだこいつは食い下がる。なので俺は恥ずかしそうな顔で囁く。


「その……あんまりお医者様でも、肌を見せたり触られるのは恥ずかしくて……」

「あああっ! すみません、私ったらまたデリカシーのないことを!」


 また頭を下げて謝るストリンディを、俺は「本当は恥ずかしいけれど、こうして皆の王子様を独占できる機会を嬉しく思う少女」を演じつつじっと観察していた。品行方正で清廉潔白な騎士。つまり俺からすれば、実に蹂躙しがいのある企業の防壁とまったく変わらない存在だ。



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