第4話:School marm



◆◆◆◆



 教卓で、白髪の女性教師がまじめくさった顔で数理について説いている。


「これが基礎的数理のアーキテクチャとなります。続いて……」


 生徒たちはそろって机に向かい、教師の言うことを一言も聞き漏らすまいと、熱心に教書を開いてペンを走らせている。退屈だ。さっきから延々と続く授業の内容は、俺からすれば時代遅れも甚だしい低レベルだ。


 片手間どころか寝ながらでも解ける数理を、まるで難解な理論のように論じているのを見ると、笑いを通り越してため息が出てくる。


「……退屈なお話ですこと」


 俺はとうとう内心を口に出してしまった。前の生徒たちが振り返り、びっくりした顔をする。睨んでやりたいが、その行動は矯正数式に引っかかるため、俺はすました顔しかできない。


 平然としている俺を見て、生徒たちはひそひそと囁いている。


「それではシェリスさん、質問です」


 いきなり、教師が俺を指した。


「はい、どうぞ」


 おおかた、授業中に私語を口にした俺をたしなめる目的だろう。


「第三肯定数理における遊離構文についてですが……」


 聞いていて俺は内心鼻で笑った。何だその単純な問題は。


「こちらに整式をどうぞ」


 教師が招くが、俺は首を左右に振る。


「いえ、必要ありません」


 代わりに俺は片手を伸ばした。その指先から〈有線〉が飛ぶ。こいつは思考フィラメントで構成された疑似物質で、ハッキングを行う際の媒体となる。宙を這うそれを教師の持つチョークに接続すると、手から奪い取って仮想スクリーンに整式を記していく。


「――いかがでしょうか?」


 書き終えた俺は、チョークを教師の手に戻すと有線を引く。その場から一歩も動かずに解答した俺を見て、教師はあっけにとられていた様子だったが、やがてうなずく。


「……正解です、よくできました」


 歯切れの悪い口調だ。


「補足が必要ですか?」


 俺がわざと問うと、教師は露骨に目を逸らした。


「いいえ。さあ、次に進みましょう」


 けれども、授業はそのまま何事もなく再開というわけにはいかなかった。


「では、続いてストリンディさん、質問です」


 続いて教師が指したのはストリンディだった。


「……ストリンディさん?」


 しばしの沈黙の後……


「は、はいっ! な、何でしょうか!?」


 俺の斜め後ろの席から、大慌てでストリンディが返答した。かなりうろたえている。


 俺は手元の教書を開き、ペンを走らせる。教室の固有情報網を経由して、ストリンディの教書に無断アクセス。中身をのぞき見てみた。授業の記録は途中で途絶えている。さては居眠りしてたな。


「――この整式の形態は何でしょうか?」


 質問を終えた教師が促す。ストリンディは慌ただしく教書の仮想ページをめくっているが、答えは出てこない。


 ちょっと恩を売ってみるのも一興だ。俺はすかさず回答を私信にしてストリンディの教書に送り込む。自動的に開封する仕様にしたから、開く手間も省ける寸法だ。次に教室の天井に設置された監視カメラをハッキングする。映像を直接脳内に投影し、ストリンディの動作を注視する。拡大した映像の中、ストリンディは自分の教書を見たように思えた。


 しかし――


「申し訳ありません、少し寝ていました。分かりません」


 ストリンディはそう言うと、頭を下げて謝った。


「次からは注意して下さいね」


 言い訳せずに自分の落ち度を認めたストリンディに、教師は優しく注意する。


「はい、気をつけます」


 釈然としない俺の内心をよそに、ストリンディは悄然としつつも落ち着いた様子で前を向いていた。





「シェリスさん、先程は助力をありがとうございました」


 授業が終わるとすぐ、俺はストリンディに声をかけられた。


「あら、一応見てくれたようね」

「ええ、驚きましたよ。いきなりシェリスさんから答えが送られてきたんですから」


 俺はストリンディの顔を見つめ、彼女も俺の顔を見つめる。怒ってはいないようだ。ひたすら真面目な顔をしている。


「私の回答が間違ってると思ったのかしら?」

「いえ、そうではありません」

「でしたら……」


 俺の言葉を遮り、ストリンディは首を左右に振る。


「答えを盗み見てはカンニングのようなものです。それに、授業中に居眠りしていたのも事実です。不正はよくありませんから」


 怖じることなく、ストリンディははっきりと俺にそう言った。


「――なるほど。高潔でいらっしゃるのね」


 ややあって、俺は何とかそう言えた。


「そうありたいと願う身です」


 どこまでも実直に、ストリンディは答える。人間を相手にしているというよりは、むしろ人造に話しているかのようだ。


「けれども、あなたの好意には感謝しています。それだけは知っていただきたかった。それでは」

「ええ、ご機嫌よう」


 一礼してから去っていくストリンディの後ろ姿を見つめつつ、俺は内心床に唾を吐き捨てたくて仕方なかった。こいつはとことん俺と相容れないだろう。正義を信じ、高潔を美徳とし、優雅で健全。意地悪に振る舞うのも、恩を売るのも結局は同じことだ。俺はこいつを無視できない。どう足掻いても、こいつの一挙一動が気になって仕方がないのだった。



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