第5話:From the first
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強固な数理によって周囲から秘匿された個室。窓の外は上層都市の古典的建築物を見下ろす絶景。俺がベッドに腰掛けていると、ノックの後ドアが開いた。
「気分はどうだね、シェリス・フィア」
入ってきたのは、金縁の眼鏡をかけ、髪を七三に分けた不気味なほど無個性の男だった。
「これ以上ないくらいに最悪と言っていいわ」
俺は自分の口から発せられた言葉に、耳を疑った。自分の言葉が勝手に添削され変えられる。
「……矯正整式。それも重犯罪者が法廷で証言する際に課すようなすこぶる付きの強力な代物ね」
「そのとおり。その整式は、企業が用いるレベルの戒護が設けられている。君は単身で企業の防壁を突破できるとうぬぼれてはいないだろうね」
俺は口を閉じて男を睨む。いや、きっと眉をやや寄せた程度の表情だろう。
「……本当に悪口は何一つ言えないのね」
「当然だろう。今の君の顔でかつての君が喋ったら悪趣味以外の何ものでもない」
男は平然と言い、近くの椅子に座る。
「自己紹介しよう。俺はエードルト。そして俺たちは『シーケンサー』という」
「聞いたことがない名前ね。何者かしら。教区カルテル? 四鏡会? まさかRONIN連合?」
「知る必要のない情報だ」
予測通りの返答だった。
「我々は君の雇用者であり、恩人でもある。君が今こうしていられるのは、我々が新しいボディを与えたからだ」
「人を牢獄に閉じ込めておきながら、恩人とは笑える話ね」
「牢獄とは心外だ。鏡を見たまえ」
そう促され、俺の視線が鏡の方に向く。鏡に映っているのは、高級そうなネグリジェを着た銀髪の少女だった。
「今までの野卑な男性だった君より、今の可憐な君の方がずっと素敵だろう?」
エードルトの言葉に、俺はため息をついた。
「あなたこそ悪趣味ね。ええ、本気で嫌いになりそう」
矯正整式が許した表現で、これが精一杯の抗議だった。
「……最悪の夢」
俺はベッドから起き上がった。視線だけで信号を飛ばして教書を開き時刻を確認。深夜二時半。場所は寮の自室。また、この体になった時の夢を見た。裸足で床を歩きながら、寝間着を脱いで放り投げる。寝汗で体に張り付いた下着も、同様にその辺に脱ぎ捨てたまま。衆目はないから、だらしなく振る舞っても矯正整式は反応しない。
――夢が記憶の呼び水となる。
「率直に言おう。君は間違いなくクズだ」
あの邂逅からしばらく後。エードルトは額に青筋を浮かべて俺を睨みつけていた。場所は上層都市の洒落たオープンカフェだった。
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
エードルトの怒りで赤らんだ顔が傑作で、俺はわざと丁寧に一礼する。
「いくら欲しいんだ? さっさと言え」
俺の挨拶を無視し、エードルトは吐き捨てる。
「何のことかしら?」
「とぼけるな。農業プラント奪還の手引き、機密部品警護の補助、試作数理兵器の理論破却。そんなに金が要りようか?」
なぜかエードルトは、ここ最近の俺の仕事を羅列してきた。生身を得た現在、俺は今まで通りハッカーとして企業に雇われている。それが気に入らないらしい。
「あなた、何一つ分かっていないわね」
俺は心底こいつを軽蔑した。ハッカーの俺が、ただ金の為だけに野良犬のように下層都市をうろつき、虫けらのように企業に媚びていると本気で思っているのか?
「ハッカーの腕は常に使ってないと三日で鈍るのよ。しかもこれは私の生き甲斐」
矯正整式に干渉。破却構文の注入。攻勢反駁へ二重迂回路を作製。
俺は身を伸ばし、対面に座るエードルトの耳元で囁く。本来の俺、シェリク・ウィリースペアの声音で。
「本気で俺を止めたければ、なりふり構わず殺す気で来い。墓穴に頭から叩き込んでやる」
間近の驚愕と恐怖で見開いた目が、俺には痛快だった。
「……君の言動すべてが不快だ」
エードルトの声には、不思議なことに俺を上回る侮蔑と怒りがあった。
――追憶は終わる。全裸で俺は浴室に入ると、頭から一気にシャワーを浴びる。大人の男の体に比べて、呆れるくらい少女の体は華奢でか弱い。この程度の悪夢とストレスで体が悲鳴を上げている。そして逆に、ただ温水に打たれているだけで何となく幸せに感じてくるから安いものだ。汗を流し終えてタオルで体を拭く俺の視線の先に、鏡がある。
銀髪のか弱そうな少女が、鏡の向こうからじっと俺を見ている。見慣れない顔。でも見慣れつつある顔。アレは誰だ。お前は誰だ。アレは俺だ。お前は俺だ。俺にシーケンサーが与えた、性別さえ異なる新しいボディ。
「単身で企業の防壁を突破できない……か」
エードルトの言葉が、まだ耳元に残っている。俺は鏡を殴りつけて怒鳴った。
「馬鹿が! 俺はできるんだよ! オーバーロード作戦も知らないド素人ども! 一人残らず叩き潰してやるから覚悟しておけよ!」
この俺を捕まえて脆弱なボディに閉じ込め、しかも首輪を付けて飼おうなんて一兆年早いってことを教えてやる。鏡の向こうでは、裸の少女がサメのような顔で敵意をむき出しにしているのが見えた。
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