第8話:Enclave
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企業の手駒として戦う傭兵の上位に騎士がいるが、それに匹敵、いや凌駕する間諜と暗殺の達人がニンジャだ。連中は独自のネットワークで動いているため、交渉や依頼が困難を極める。
「一宿一飯の恩って奴さ。たまたまだよ」
だが、このアドロはニンジャと繋がりがある数少ない人間だ。
「あんたは本当になんでも知ってるな。何者なんだ?」
俺は呆れた顔をアドロに見せる。
「それをハッカーに聞く?」
ハッカーの素性について聞くのは無粋の極みだ。企業間闘争では実際に戦場に姿を現すことも多いが、騎士や傭兵と違ってハッカーはあくまでも正体不明が原則だ。
「巷じゃあんたはこう噂されてるぜ。三年前に突然失踪した凄腕ハッカー“グレイスケール”の後継ってな。違うか?」
グレイスケール。その名前は俺のかつての通称だ。俺がまだ男だった時、俺がシェリク・ウィリースペアという本名だった時の通り名だ。俺はその通称で戦場を攪乱し、防壁を破壊し、機密を奪取していた。そして最後には――
「ご想像にお任せするわ」
俺は今回ばかりは矯正整式に感謝した。こいつのおかげで、俺は平静を装ってそう言えたからだ。
それからしばらく、俺はアドロが収集した情報を聞いていた。結論から言うと、俺が期待していたよりも情報は得られなかった。腕利きの情報屋がニンジャの力を借りても、入手できた情報は俺でも手に入りそうなものばかりだ。これはどういう意味か。アドロが手を抜いているのか。それともシーケンサーは相当情報の機密に長けているのか。
アドロが俺に渡した原画には、シーケンサーの直近の取引が一覧となって載っていた。ニューロサイエンス協会、ラインエイジ生命科学、アイワ生体工業、悪名高きアポセカリー。いずれも生体パーツを主な商品とする企業だ。シーケンサーは企業の間を渡り歩いては必要とするものを売りさばき、ミツバチよろしくせっせと小金を稼いでいるらしい。
取引の場に現れるのはいつもエードルト一人だ。原画には奴の写真もあった。果たして、シーケンサーはまともに機能している一つの組織なんだろうか。どこかの企業のダミーという可能性も高くなってきた。しかし、だとしたらいったいなぜ俺に干渉してくる? なぜ、わざわざこんなボディと矯正整式まで付けて俺を飼っているんだ?
「さして代わり映えのない内容ね」
俺は通りを歩きつつ、隣のアドロに冷めた視線を向けた。
「いやいや。最後に一つだけ面白い情報が手に入った」
「教えてもらえる?」
俺がそう言うと、アドロはもったいぶることなく口を開いた。
「毒にも薬にもならない取引ばかりのシーケンサーだけどな、一つだけ妙なところから妙なものを受け取っている」
アドロの説明によると、この情報はニンジャがシーケンサーの扱った生殖腺関連の取引を辿っていた際に偶然得たものらしい。方法は単純かつ古典的。ニンジャが取引に携わった人間を尋問していた時に、恐慌状態の相手が聞かれもしないことまでしゃべり出したのだ。どんなにハッキングの対策をして情報を秘匿しても、人の口に戸は立てられず。
不運にもニンジャに尋問されたその人間も、詳しいことを知っていたわけではない。けれども、アドロはその後取引を辿り裏打ちとなる情報を手に入れた。密輸組織を三つも経由した、異様なほど念入りに下層都市に運び込まれた物品がある。
「まあ、見てくれ」
アドロは教書を開くと、仮想ページの上に映像が浮かび上がった。
「休眠水槽?」
俺は首を傾げる。これは重症患者の搬送などに使う医療器具だ。口さがない連中は「棺桶冷蔵庫」と呼ぶこともある。まあ、実際外見は柩に似てるんだが。
「そう。そして送り先はここだ」
映像が切り替わる。上層都市を俯瞰する簡略化された図画。その上空に新たに書き加えられたものがある。
「『エンクレイブ』……」
俺はそれの名を口にした。
「大正解。武装コミュニストたちに焼かれた、旧王朝の最後の安息地。植民群島、浮遊王城、閉鎖空域。そして何より、我らが偉大なる〈公議〉と敵対する数少ない石頭たちの隠れ家だ」
アドロの芝居がかった口調での説明を半ば聞き流しつつ、俺はじっと図画を見ていた。上層都市のはるか上空。そこには空中を浮遊する群島が描かれている。
エンクレイブ。上層都市とも下層都市とも交流を持たない、究極の孤立主義者たちが住まう宙づりの王国がここだ。嘘か本当かは知らないが、古代から連綿と続く王朝が今も支配する化石のような僻地らしい。当然都市の管理者である公議とは仲が悪く、都市の住人が受けられる恩恵のいくつかが、エンクレイブの住人には適用されていない。
「中身は?」
「残念ながら、そこまでは分からなかった」
俺はアドロの顔を見る。もったいぶって追加料金を期待しているようには見えない。
「黒パンと天然キャビアとウォッカを休眠水槽に入れて、こっそり送ってもらったってわけじゃなさそうね」
「たった一回だけの取引だ。興味あるだろう?」
「多少はね」
俺は一応そう答えた。
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