(三)
ストレッチの後、道着に着替えて三人は道場の真ん中に立つ。
勿論、二対一などというものではなく、二人が対峙して一人が審判になるというものだ。
今回は久雅堂の調整なのだから、1ラウンドごとに審判と対戦相手を交代するという形式にする。
「それじゃあ、打ち合わせ通りに」
審判がそう言って、久雅堂ともう一人はスパーを開始した。
打ち合わせというのは、どういう具合にスパーをするのかをあらかじめ決めてあった通りにすることを確認しただけである。
・打撃は基本、マスで。
・近接して揉み合いになってからの投げ有り。
という程度のことではあるが。
あとは、一応対八極拳を想定というわけで、なんかそれっぽい技を仕掛けてみる……というのは、スパーリングパートナーの方で決めたことである。
そして始まった。
意外でもなんでもないが、久雅堂は多いに苦戦することになった。これは再三述べていることであるが、久雅堂は基本、不器用であり、やり慣れていないルールでのスパーというのは、まずどう動いていいのかが解らずに戸惑いが先に立ち、受けに回ってしまうのだ。
とはいえ、マスでのスパーというのはボクシングジムでちょくちょくしているので、割とすぐに慣れた。この二人とは時折にスパーの相手をしてもらっていたということもある。ある程度は、仕掛けてくる間合い、呼吸などは解っていた。
当然、そのあたりは二人も折込済みである。
この二人については多く説明することはないが、一応その経歴などについて少し解説を加える。
元々、二人は――他にもう三人ほどいたので五人――県内であちこちの格闘技ジム、武術の講習会を渡っていた。高校の頃から適当に柔道や空手などをやっていたのであるが、大学に入ったのを期に武道をやり込むことに決め、幾つかの徒手の武道を巡った後、日本拳法のA先生のところに落ち着いた。そしてA先生の紹介で合気柔術のG先生のところに通うことになる。
彼らはフィジカル的に久雅堂にそんなには劣らず、経験はより多い。
県外の総合の試合にでたこともあるし、正直な話、A先生的には鵜堂に名指しされなければ、久雅堂よりこの二人に任せたいところであった。
二人はA先生からことの次第を聞き、久雅堂に協力するためにここにきているのであるが、あらかじめどういう風にするかは二人で相談していた。
なんだかんだと、久雅堂とA先生の関係も数年でそこそこ深まったし、当然、そこに通っている面々と久雅堂もそれなりの交流ができる。格別に親しいというわけではないが、暇な時や近くまできた時には『久雅堂』にきて駄弁ったり、トレーニングルームを安く借りたりなどもしていた。協力すること自体は吝かではないのだ。
そしてあちこちの武道を学んだり巡ったりした二人からすると、久雅堂という武道家なんだか古本屋なんだか解んない男は、「弱くはないけど今ひとつ頭数に入れるのも躊躇うくらいには頼りにしかねる」という感じの、実に微妙な評価だった。
今ひとつ闘争心が見えにくい……などというような性質のことは今さらどうにもならないが、久雅堂はガタイがいいし、なんだかんだと色んな武道を経験したし、それぞれ何年もやり込んでいるのだから、各武道の基本技術はそこそこできるし、反応もそんなに悪くない。良い点を挙げていけば、なんだかいけそうな感じなのだが、どうにも結果がそんなに伴わない。弱いわけではないのに。
今回の協力者二人も、そのような証言をしている。
『なんというか、身も蓋もないことをいうと、あのひとはなんだか、格闘のセンスが微妙っていうか……いや、やりにくい相手ではあるんですよ。やりにくいけど、なんというか、強いとか弱いというんじゃなくて……』
とにかく、上手く言語化しかねる部分で頼りにならない男であると、そういう点では久雅堂を知る者たちは全員が口を揃えて言う。
とはいえ、そんなに珍しく特異かというとそうでもないと。
『ま、案外といるんですよ。フィジカルな資質はまあまああるんだけど、戦いそのものにあんまり向いてない人』
そういう人は、そもそもからして格闘技をやり込んだりしないし、してもそんなに強くならないし、強くなったとしても、ガチに戦ったりする機会もない。
『そういう人だとは解っていたから、こういう試合することになった場合、下手こいたら何もできないで負けてしまうかもって思ってしまって……』
A先生の側の事情ということもあるが、なんだかんだと交流がある相手である、二人は二人で、久雅堂になんとかカッコがつく程度には頑張ってほしかったし、できれば勝ってほしかった。
それが人情というものであろう。
◆ ◆ ◆
「よろしくおねがいします」
と道場の中央で二人は礼をしあい、スパーは開始される。
先日にPと始めた場所である。
たまに彼らと久雅堂はスパーなどしあう仲なので、基本的な流れはその時は変わらない。
念の為にヘッドギアなどつけて、総合用のグローブなどはめて、互いに道着を着て、あるいは片方がそれを脱ぎ、両方ともが脱いでやりあった。
いつもはそこまでやらないのであるし、今回も試合までそんなに間がないのだから、強度の激しいそれをできるわけではない。
二人はスパーを開始すると、いつものそれとは違うスタイルをとった。
対八極拳を想定した、なんかそれっぽい構えと戦い方である。
なんかそれっぽいというのは、本当にただそれっぽいだけでしかないのであるが、とにかく二人は、久雅堂の試合経験の不足を補うために、ここにくる前から動画などを見漁ったりして、軽く調整しつつ「なんかそれっぽい」動き方をした。
二人は色んな格闘技経験があるが、一日二日でよく知らない格闘技を完コピして再現などできるはずもなく。
そもそも八極拳からして、すぐ見れる動画では試合でどう戦うのかが見えにくかった。
今回のそれは、久雅堂がどんな相手と戦っても、戸惑いが少なくするためだった。
相手の情報が少なく、戦略もたてようがなく、そして久雅堂はあまり器用ではない。
そんなでまったく未知の相手と戦えば、本当に何もできないままに終わる可能性は高い。
Pを相手のスパーはなんとかできたのは、諸事情あるが当初のPは舐めていたこと、久雅堂がその時に腹を据えたこと……などが大きい。
いつもと同じ相手に、いつもと違う戦い方をされた久雅堂は、二人の予想通りに苦戦した。
これについて補足するのなら、久雅堂に限らず、人間は慣れた間合いではない状況というのは、基本的にどう戦っていいのか解らなくなるものである。
同じ道場ではいつもかかる技が、出向いた先では上手くいかないなどということはよく聞くところで、そういうことがないように、対戦を色んな相手とするように競技格闘技の選手は心がける。久雅堂の場合は、色んな格闘技の試合経験があるが、なんというか、根本的に不器用な男であるし、今回のルールは本当に初めてだったので、とにかく戸惑い、いつもと違う先輩たちに随分と惑わされてしまった。
それでも、何戦とするうちにどうにか応対できるようになったが、その頃にはまた交代して、今度はまた別のスタイルをする……先輩たちに、こんな引き出しがあったのかと、心底感心する。
いつもは日拳方式のそれが中心だったので、身につけた技をほとんどあまり試せてなかっただけであるが。
そんなこんなで、その日はスパーを数時間、ほぼぶっ通しでやって、三人で焼肉屋にいった。
食べ放題の焼肉屋で安い肉を頬張りながら先輩たちに色んな話を聞いてて、久雅堂は、たまに試合するのもいいなとぼんやりと思った。
(そういえば、昔読んだ、全国廻った剣術家の修行記録、稽古の後はみんなで酒のんでの宴会ばかりだったな)
稽古の後の、先輩たちと一緒に飯を食う。
決して初めてではない。
こんな気分も何度も味わっていた。
しかし改めて、久雅堂は思う。目標を決めてのハードな稽古の後の飯というのは、格別だ。
こんな毎日が続くのならなあ……切実に久雅堂はそう思ったのだった。
ちなみに、食事制限は始まっていたので、肉は食べられたが、
初日だけ特別にと、少しだけ許可されたけど。
◆ ◆ ◆
こんな日々が稽古相手を何組か交代しつつ続き、とうとう、試合当日になるのである。
※久雅堂が読んだ剣術家の記録というのは、永井義男先生の『剣術修行の廻国旅日記』(朝日文庫)です。面白いよ。
週末格闘家クガドー 奇水 @KUON
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