(二)
A先生の道場から、久雅堂と体重の近い選手が二人、調整の相手役としてきてくれた。
しかし調整と言っても、さしてすることがあるわけではない。
何せ時間がとにかくないのである。
やれることは限られているし、むしろハードトレーニングなどして体を壊してしまったら目も当てられない。
というわけで、二人の選手とはマススパーを中心に、戦略を立てたりなどをするつもりであった。
が。
「しかし、八極拳ってどう戦ってるんだろうなー」
「それが解らないと、戦略の立てようがないっていうか……」
(だよなあ)
二人とは顔なじみで、A先生の道場でもたまに話をするし、久雅堂の道場兼店舗にもたまに来てくれてスパーの相手などしてくれる仲である。格闘技や武術の知識もそれなりにあって、他の格闘技もやりこんでいて、総合の大会にも出た経験があったりする。
余談であるが、A先生がもし『ファイティングクランプ』に自分の門下生を出すのならば候補は三人いて、二人はその中に入っていた。
しかしその二人にしても、中国拳法を相手にした経験はほとんどなかった。というか、まったくなかった。
「中拳の経験がある人間は、いたかもしれないけど」
「太極拳は自分らも経験あるよ」
今どきは複数格闘技の経験があるなんてことは普通であるし、その中に中国拳法が入っていたとしてもさほど不思議ではない。
彼ら自身も幾つかの武道、格闘技の経験があり、今は日本拳法と合気柔術に落ち着いているが、それまでに色々なところを渡り歩いてたのだった。
とはいえ、中国拳法で試合しているところは県内にはなかったし、総合の大会などで相手をしたこともなかった。
「まー、アマチュアの総合の試合なんて、経歴まともに書いてないことあるしなあ」
とのことである。
例えばMMA歴一年とか書いといて、実は空手10年だとか。
その手の、相手の油断を誘うつもりか、とにかく「嘘ではないが肝心なことは書いてない」みたいな経歴で出場する選手は、稀にではなくよくいる。
「案外、その試合相手も、八極拳と書いといて、実際はMMAやり込んでいるなんて落ちじゃない?」
(……あり得る話か)
むしろ、その方が自然な気もする。
そう思って、渡された経歴を見る。
八極門 十一年。
(うーん……)
十年以上やっていたというのなら、それはただの趣味ではあり得ない……とまでは言わないが、別にやってる格闘技がメインということもない――気がした。
というか、このあたりの判断をどうしていいのか、久雅堂にはまったく解らなかった。
(せめて、試合動画があればなあ……)
時間がなというのもあるが、相手がどう戦っているかが解る動画は用意されなかった。検索しても、出てこなかった。地方の地下格闘の試合の動画などについて言及している人も、見つからなかった。これは探し方が悪いだけかもしれないが。
うんうんと唸っていたが。
「それをいうのなら、久雅堂さんの戦い方も、向こうは知らないわけだし」
「それ、そう……ですね」
言われてみれば、そうだった。
戦い方が解らないという意味では、向こうも条件は同じだった。
「とりあえず、伝統武術相手ならばローだよな」
益体もないことを考えるのはここまでしよう、みたいなタイミングでそう繰り出された。
久雅堂も、もう一人も頷く。
伝統武術相手には、それにない近代格闘技の技を使う――というのは、それほど難しくはない選択だ。
「相手が何してくるか解んないけど、普通にジャブで距離測ってローとか仕掛けて、腕とって投げて、あとは寝技?」
「八極拳だと体当たりとかありそうだけど、現実的にMMAでどんだけ有効なんだろ」
「問題は、俺らローの稽古普段やんないしなあ。あれ何種類もあって奥深いっていうけど、短時間でどんだけ精度あげられるか……」
「久雅堂さんはフルコンもちょっとやってたっけ?」
「いっそ、ジャブと投げだけに全振りってのもありじゃね?」
「ルールは着衣ありだから、寝技仕掛けやすそう」
……こんな感じで色々と提案してくれた。
一応念の為にいうと、彼らは投げやりに適当なことを言い合っているのではない。適当に聞こえるようなほど、何をやっていいのか解らないのである。
(基本的な戦略はジャブで距離はかって、できればロー、腕取って投げることができたら、そこから寝技……やっぱりそんな感じになるよなあ)
実際のところ、誰が相手だろうとさほど関係はない。久雅堂の持っている技術だと、MMAで有効になりえる戦術だの戦略だのは多くなかった。それは長い付き合いの二人は知っていたし、それの再確認もしていた。
「あんまり強度のあるトレーニングやって疲れが残ったら問題だし、軽く流す感じにスパーやって、後は寝技をやって……」
(ありがたいなあ)
久雅堂が何か提案する前に、二人は雑談ついでにトレーニングメニューを考えていってくれている。食事メニューも考えてくれたりした。試合当日まで炭水化物抜き。そういう知識はあるはあったが、特に気にしていなかったので、そういうところから準備を始めるというのは少し新鮮だった。
筋トレなどについても、あーだこーだと色々と意見を述べてくれた。
久雅堂は雑な人間なので、重ね重ね、そういうのをちゃんとやってみんな試合に臨むんだなあと感心した。
「いやあ、俺等もプロ格闘家じゃないから、そんなに本格的ではないんだけど……」
スマホで検索などしつつ、自分たちの経験則を交えて色々と言ってくれていたらしい。
それでも、こんな地下格闘の試合にでるのなら十分だと久雅堂は思った。
少しづつだが、自分の中でテンションが上がってきたのを感じる。
自分が誰かのため、気が進まない戦いをするというのは本当にしんどかったし、 その自分のために時間をとって色々と世話をしてくれている人がいると考えるのも、ただ気が重くなるだけであった。
だが、あれこれと話していると、楽しくなってきたのだ。
何かをするために計画を立て、そのために何かを積みかねていき……そのために話し合うというのは、なんだかんだと気分を盛り上げるものである。
というか、自分の内側だけで思考をぐるぐるさせるというのは、実に不健全で不健康だったと改めて思う。
とにかく、口に出して意見を述べ合うというだけで、だいぶんスッキリとするものであった。
「久雅堂さん、そろそろスパー、始めますか」
そういうことになった。
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