第6話 気乗りしない調整。

(一)

 試合をする、と決めてからの久雅堂の動きは早かった。

 ――――わけでは、なかった。

 

(ダルい……)


 自分の望んでない戦いほど、面倒くさくてしんどいこともそうない。

 久雅堂は今まで、自分の出たい試合に出ていた。学生の部活か、何処かの団体に所属しているのならそういうことはできないが、社会人で、基本、無所属である久雅堂にはそういうことは関係ない。剣道も柔道も空手も、参加したいと思った試合に参加してきたのだ。

 それが。

 

「ああ、ダルい……」


 言葉に出ていた。

 義理ごとで戦うというのは、それこそ初体験だった。

 面倒くさくてしんどくて、ダルい。

 しかし、やらないわけにもいかない。


(最低限、無様に負けなければいいか)


 そんな風に気持ちを切り替えようとしているが、モチベーションはとにかく上がらない。上がらないモチベーションを上げるため、ウォーターバッグを叩く。体を動かしていれば、とにかくストレス発散にはなる。 

 そのつもりであったが。

 

 五分も続ければ、飽きた。


「はーあ……」


 ここのところ、溜め息だけで呼吸している気さえする。

 とにかく、やると決めたのだから、やるための準備はしないといけない。

 A先生に連絡して、試合までの期間の調整のために協力してもらうことを頼み、それからどういうプランで戦うかを考えることにする。

 無様に負けないようにする――想定される「無様な負け方」を色々と考えてみたが、ゲロ吐いて倒れるとか、チョークで首絞められて落とされて小便漏らす、戦意喪失してすぐ……そこまで考えてたら、気が滅入ってきた。

 

(まあチョークは考えなくていいか。八極拳だし)

 

 久雅堂は普通にオタクだったので、八極拳のことはそれなりに知っている。

 有名な中国武術漫画で主人公が使って有名になった拳法だ。それ以前から、その漫画の原作者がネタ出しに協力した漫画でも一部の技が登場し、80年代から一応知名度はあった――


 まったく役に立たない豆知識であった。


 いや勿論、凶猛な発勁の威力で知られているとか、同じ地方で伝承されていた劈掛拳と併修され、ほとんど一体になっている伝系もあるとは、そういうのも知っていた。

 ちなみに、劈掛拳は「へきかけん」と読むのが正しいのであるが、日本に紹介していた人たちの手違いで「ひかけん」と間違ったルビを振ってしまい、それが定着してしまった……ということも知っている。


 つくづく、役に立たない蘊蓄であった。

 

 しかし、久雅堂がこんなとりとめのないことばかりを考えてしまうのも仕方がなかった。

 何せ、


(実際のところ、どう戦うのかなあ)


 八極拳の動画というものは、探せばあちこちにある。 

 あちこちにあるのだが、それのどれを参考にすればいいのかが解らない。

 何せ八極拳という拳法、中国でも案外とあちこちに伝わり、有名である。動画を漁れば、それこそ色々とでてくる。しかしその大半は用法の解説だとかで、試合をしているものではない。たまに試合動画もあるはあるが、久雅堂の目にはキックボクシングとさほど差はないようにも見える。それは久雅堂の中国武術の解像度がさほど高くないからであるが、実際のところ、共通するルールでタイマンをするのなら技術にさしたる差は生じない。

 確かに伝統派の空手やボクシング、柔道などのベースとなる格闘技の違いで選手の個性というべきもの……風格の違いはあるのだが、久雅堂の目には、八極拳はどうもそこらがわかり難かった。


(近接して、殴りかかったり腕を取るか足をかけるなどして倒す……だいたいこのパターンが多いかなあ)


 キックなどだと首相撲などであるが、そういうのはない。

 みたいな。

 八極拳は俗に「接近短打」――近接しての短い間合いでの打撃が得意であると言われる。

 確かに、仕掛ける間合いは近接してのものが多いように思える。

 思えるが、そういうのを補うために、劈掛拳と言われる「放長撃遠」……ロングでの間合いからの腕を延ばしての攻撃を得意とする拳法を加えたりする、とも聞いていた。


 漫画で読んだ知識であるが。


 そして試しに動画を見てみると、やはり色々な動画がでてくる。久雅堂は幾つか見たが、八極拳同様に、どうにも戦い方がよく解らない。八極拳よりも少し遠い間合いから仕掛けているようには見えたが、接敵してから腕を絡めたりしつつ倒して……

 その入り方が八極拳と違うみたいだけど、戦法としてはさほど大差はない気がした。

 久雅堂は大雑把な人間なので、繊細な間合いの管理だとか用法の違いなどを上手く言語化できなかった。

 

(まあとりあえず、接敵して倒しては、こちらも同じか……)

 

 ひどく大雑把に、まとめた。

 久雅堂は基本、柔道である。

 打撃を捌いて、組み付いてからの投げ……という戦術になる。

 剣道やら薙刀のような武器を使う武術以外の徒手では、日本拳法だとか合気柔術、ボクシング、空手も経験はあるが、一番やりこんでいたのは柔道であるし、初期のUFCで活躍して、今もなお重要な技術であるブラジリアン柔術も、柔道がベースである。久雅堂はブラジリアン柔術の経験も少しあるが、先述したが得意ではない。

 そんなわけで、必然、柔道を使っての戦い方になるわけであるが。


 近頃の総合格闘技は、ある程度以上は打撃も寝技もやれなければ話にならない。

 

 ボクシング&レスリングがMMAの主流となって久しく、地下格闘でも、似たような組み合わせが多いと聞く。

 久雅堂が柔道の次にやり込んでいる格闘技はボクシングであり、先日のPとのガチスパーでもボクシングのジャブを出したりなんぞした。


(八極拳使いだからって、中段で全身ごと突きこんでくるみたいな漫画みたいなことはそうしないだろうし……近接してきたらジャブとかで打撃の応酬になって、そこから投げ、寝技……になるかな)

 

 八極拳使いの相手の戦い方はよく解らないが、自分の戦い方は解る。

 とにかく、先日のP相手との戦い方の延長になるだろうな。

 そんなことをぼんやりと思った。


「さてと……」


 とにかく方針は決まった。

 A先生のところからスパーの相手が来るのは、半時間ほど後だった。

 そろそろアップを始めて、体を温めておかないと。

 

 溜め息がでる。


 この期に及んでなお、久雅堂は試合のやりたくなさに溜め息が出た。

 しかしそんな態度では、協力してくれる人たちに失礼であるし、何より自分自身が集中力を欠いた状態でスパーなどしたら、怪我などしかねない。

 それだけは避けたい。

 

 ウォーターバッグに向かって、思い切りフックを叩き込む。


「そろそろ、切り替えないと」


 とにかく、怪我しないように。

 無様な負け方をしないように。


 考えるべきことは、それだけだった。

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