格闘家といえばとりあえず地上最強を目指す、あるいはとにかく強い奴と戦いたくてしかたがない……そんな荒々しい人物を想像してしまうが、本作の主人公である久雅堂は別にそういう人物ではない。無駄に体格だけは良い冴えないオタクである。そんなオタクがたまたま格闘家になってしまうのが本作品。
「なる」のではなく「なってしまう」というのが大きな特徴である。安かったからという理由で買ったプロテインをきっかけになんとなく筋トレを始め、その流れで昔少しだけやってた柔道を再開し、そのとき気にかけてくれた先生から古流柔術の免許皆伝をとりあえずもらって……といった具合にたまたまの思い付きで行動し、そのままぼんやりと生きた結果、本人も気づかぬうちに格闘家になってしまう……この流れが凄くリアルなのである。
世の中、大志を持って行動できる人などほんの一握りで、人生の色んな物が些細なきっかけや偶然の出会いなんかで決まったりするものだ。そういう意味ではリアルなんだけど、それでも普通は格闘家にはならない。この過程がリアルなのにありえない結果に辿り着くミスマッチが非常に面白いのだ。
こんな地に足のつかない男が主人公だから血沸き肉躍る熱き格闘ロマンみたいなものは当然描かれない。代わりに妙に世知辛い格闘技道場の内情や、職場や道場内の人間関係に悩む姿が描かれるあまりに異色な格闘技小説。全体的に淡々としているのだけど、それでもこの男の流れ着く先が気になってしまう不思議な魅力を持った作品だ。
(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)