不幸のみかた

そのいち

ハッピーエンドはあり得ない


「身長51.2cm、体重3,632g」


これは僕が生まれた時の身長と体重の記録だ。若干大きめな新生児だが、母体にはさしたる苦痛はなく、すぽーん! と飛び出すように元気よく産まれたそうだ。


母に迷惑をかけることなく健康体でこの世に生を受けたこの瞬間は、僕の人生において数少ない幸せだったひと時なのかもしれない。


その後、およそ十数年の時が経ち、僕は高校生となる。

これまでの僕の十数年の半生を語るなら、僕の半生とは「不幸」の一言に尽きる。


では、僕という人間がいかに不幸であるか説明するに、幼少期に体験した出来事を紹介しよう。


五人組の仲良し小学生がいた。

彼らはトイレ掃除の役目を一人に押し付けようとしていた。もちろん彼らは仲良しグループであるので公平にじゃんけんで決めようとする。


その五人の中の一人の男子に注目する。

彼はじゃんけんの必勝法を知っていた。先だってテレビ番組の特集でじゃんけん必勝法を学んでいたのだ。

そのテレビ番組いわく、こういう鬼気迫った場面には腕に無駄な力が入るので、ついつい「グー」を出してしまうらしい。つまりは初手にパーを出せば勝算があるということだ。


彼はこの作戦で、このじゃんけん大会を制するつもりだった。


そして「最初はグー!」の掛け声でじゃんけん大会の火ぶたが切って落とされた。


その男子を除いた他の四人は身体が妙に強張っていた。これは間違いなく「グー」を出すだろう。彼は作戦どおりに「パー」を出した。

すると彼の予想通りに他の四人は皆同じ手を出していた。──だが、それは「チョキ」だった。


なんたる運命の悪戯か、彼はたった一手でじゃんけんに負けたのだ。どういう理由があってこうなったかは定かではないが、結果として彼の敗北はこれで確定した。


この僅か一手でじゃんけん大会は閉幕して、彼は肩を落としながらトイレ掃除へと向かうのだった。


だがそのトイレには先客がいた。

その先客はたった一人で嫌々ながらもくもくとトイレ掃除をしていた。


その先客こそが、「僕」である。


僕はじゃんけん大会の存在すら知らずに誰もが嫌がるトイレ掃除を勝手に先んじて一人で請け負っていたのだ。


つまり僕という人間は、幸福を手にするチャンスすら与えられない、何事においても不幸が確定している、類まれなる不幸体質な人間なのだ。


──アイスの当り棒なんて見たためしがない。

──道を歩けば必ず何かが頭に当たる。

──携帯を取り出せば必ず鳥の糞が画面に落ちる。

──鼻歌を歌えば必ず誰かに聞かれていて音痴だと罵倒される。

──持病が多い。

──つねに寝不足だ。


不幸を上げれば切りがない。この世に生を受けたその瞬間を除いて、およそ十数年の半生は、このように不幸に包まれていた。





そんな類まれなる不幸体質な僕だが、高校生になった今、分不相応にも「恋」をしている。


恋にはいろんな形があるけど、僕がしている恋とは、それはもちろん「片想い」だ。

相手の気持ちの所在が何処にあるのか不安になりながらも思いを馳せる。片想いとはなんとも僕らしい不幸な恋の形なのだろうか。


その片想いのお相手である彼女は、バスケ部に所属していた。

彼女は色白で、髪を短く切りそろえていて、涼しげな目元をしている。そして僕より少し背が高い。

派手な外見をしていないけど、ひたむきに部活動に勤しむその姿に僕は心を奪われていた。


彼女ともし付き合う事ができたらどんなに幸せなことか、僕は時々妄想を膨らませる。


彼女と付き合う事になったら、僕らは恋人同士であるので「キス」をするだろう。


──ファーストキスは「あまずっぱい」とかいわれるらしい。


だけど彼女とのキスはどんな味がするのだろうか。酸っぱいかどうかはさて置いて、きっと甘いことに違いない。

彼女は僕より少し背が高いので、彼女とキスをするときは、僕は背伸びをしないといけないだろう。それは何だか情けないけど、体格差のある女性を好きになってしまうとは、なんとも不幸な僕らしい。


そんなバカみたいで幸せな妄想を膨らませていると、僕はハッと我に返るのだ。


僕は不幸な人間だ。過度に期待を膨らませたら、その分絶望が大きくなるだろう。

悪いことを言わないから彼女のことは忘れてしまえ。そう自分に言い聞かせるのだった。





そんな不幸な僕に、これまでの我が不幸な人生史上類をみない大事件が起こった。


それはとある日の放課後のことである。

僕は謎の人物に呼び出された。


不幸な僕であるので必ず嫌な事があるだろうと、重くなった足取りで現場へ向かう。


集合場所の校舎二階にある教室の固く閉ざされた扉を恐る恐る開いてみると、そこには窓から差し込む夕日を背にした人影があった。


目を凝らして見てみれば、それはなんと、僕の想い人である「彼女」であった。

僕を呼び出した謎の人物とは彼女だったのだ。


彼女は僕を呼び出しておきながら一言も発しない。

僕は恐怖で身動き取れなくなった。


すると彼女は何か意を決したか急に目をカッと見開いた。

その急な行動に僕の身体はビクリと反応した。


彼女がその重く閉ざされた口を開く度に僕は度肝を抜かす。

それは、あろうことか、なんということか、──僕の事が好きだと言ったのだ。

前々から僕に好意を抱いていて、出来る事なら付き合って欲しいとすら言った。


その瞬間、僕は全てを悟った。


──これは、罠だ。


想い人と両想いだったなんてそんな素敵で幸せなことが、この僕に起こり得るわけがない。きっと彼女のこの言動は何者かの差し金で僕を貶めるための罠なのだ。恐らく廊下にはその何者かが潜んでこちらの様子を窺っているに違いない。


彼女に悟られない様に周囲を警戒していると、彼女は僕に返事を求めて来た。


彼女は付き合うかどうかの決断を求めてきている。

これは迂闊な事を口にしてはいけない。


下手に浮かれて「付き合おっか」なんて発言をしたが最後、「ドッキリ大成功!」と書かれた看板を片手に廊下に潜む何者かが教室に流れ込んできて、別校舎に控える狙撃手が僕の頭に銃弾を撃ち込むのだ。僕の死体は曝されて朽ち果てるまで笑いものにされるだろう。


逆に神経質に身構えて彼女の申し出を断ってしまったら、この大仕掛けを台無しにしてしまった僕に報復と、廊下に隠れる何者かが怒り狂って教室に雪崩れ込んで、その「ドッキリ大成功!」と書かれた看板で僕をタコ殴りにするのだ。仕舞いには死体となった僕を裸にして校舎から吊るすだろう。


受けるも不幸、断るも不幸。どちらを取っても不幸。

──不幸、不幸、不幸。

にっちもさっちもいかないこの状況に僕の頭はパニック寸前だった。


だがそんな時、僕の頭には良からぬ考えが過ぎった。


──もしかしたら、彼女は嘘を吐いていないのかもしれない。

──彼女は本当に僕のことを好きでいているのかもしれない。


彼女の言葉が本当だとしたら、それはなんて素敵で幸せなことなのだろうか。

もしかしたらこれまで僕の半生が不幸ばかりで、幸せなんて何ひとつ無かったのは、この日の為に残しておいたから、……なのかもしれない。


だがそんな甘い考えに騙されてはいけない。これまで素敵な出来事があったらいいなと考えても全て裏目に出てきたではないか。


───だけど、もしかしたら。


彼女は僕をじいっと見つめていた。「付き合える?」彼女のその目が言っていた。


僕は彼女に何て答えるか、ただ僕は言葉を発することなく一歩ずつ彼女に歩み寄る。そのまま一歩一歩と近づいて、気づけば僕は彼女のすぐ目の前に立っていた。


彼女は少し視線を下げて僕を見つめる。

僕は僕で、少し視線を上げて彼女を見ていた。


最後にまた彼女は僕に返事を求めて来た。


彼女の告白に受けるも不幸、断るも不幸、いずれにしても不幸。

それなら答えは決まっている。

僕の腹は決まったのだ。


──僕は、佇む彼女を押し退けて、そのまま真っ直ぐに駆けだした。


急な展開に彼女は驚いたことだろう。彼女は何か叫んでいるが僕の耳には入って来ない。僕の答えは決まっているのだ。彼女に構うことはもうないんだ。


僕の向かうその先には開けっ放しにしている教室の窓があった。


僕は教室の窓に手をかけて身を乗り出した。窓の枠目に足を乗せてそのままぴょーんと跳躍する。


これで僕の不幸だった人生に終止符を打つ。

こんなに苦しいのならお終いにしてしまった方が楽だ。これでもう不幸な体験をしなくて済むのだから。


二階の教室の窓から飛び降りた僕の身体は地面へと真っ逆さまに落ちていった。


ドシャンだとかボキリだとか嫌な音が耳に残る。

二階の教室に残る彼女の叫び声もまた聞こえた。


──願わくは、来世は幸福な人生とまでは言わないので、人並みの人生を歩みたい。


地面に叩きつけられた僕は、せめて最後の叶わぬ願いをして、そのまま息絶える──ことなく、激痛に悶えていた。


この時に初めて知ったが、残念なことに二階から飛び降りた程度で人は死なないようだ。


ただし二階から飛び降りただけではあり得ない程の大怪我を負ったようで、足と腕があらぬ方向に曲がっていた。


相変わらず僕が取った行動は全てが裏目に出る。

だけどこの不幸な状況が返って普段の日常が戻ってきたようで、少しばかりほっとした。





──二階から飛び降りただけでこんな大怪我を負うとは、何て不運な少年なんだ。


僕を看てくれたお医者さんもやはりそう言っていたらしい。

至るところを複雑骨折した僕は一ヶ月の入院生活を余儀なくされた。


全く身動き取れない状態でベッドに横たわるだけの生活は苦痛だった。辛うじて動かせるのは利き手とは反対の左手のみ。


その慣れない左手で僕はこの「自伝」を書くことにした。

今あなたが読んでいるこれがそうだ。


この大事件で悟ったが、僕はいつ死んでもおかしくない身の上だ。

自ら命を絶つ恐れもあるし、他人に殺される可能性だってある。


だからせめてこの不幸な我が生い立ちを後世の人たちの笑いのネタにと残しておこうと思い立ったのだ。──人の不幸は蜜の味というので、食パンに垂らしてお召し上がりください。


そんなこんなで慣れない手つきでこの自伝を書いている僕の傍らには、これまた慣れない手つきでリンゴの皮を剥いている「彼女」の姿が、何故だかあった。


彼女が何故この病室にいるのか、それは僕には分からない。

いつの間にか彼女は僕の病室に入り浸っていたのだ。


もしかしたら彼女は身動き取れない僕をあざ笑いに来ているのかもしれない。でも理由はハッキリしない。僕は不安で堪らない。


彼女は果物ナイフでリンゴを切り刻み、魚のような兎を作る。

それを身動き取れない僕の口に強引に押し込む。僕はなされるがまま家畜のようにリンゴをむしゃむしゃ食べる。

彼女は美味しいかどうか尋ねて来たので、僕は「うん」と一言だけ曖昧に答えておいた。


ただホントを言うと、そのリンゴは甘くなく酸っぱいだけで美味しくなかった。


でもそれを正直に答えては、その手に握る果物ナイフが僕の喉元に突き立てられるかもしれない。身体を自由に動かせられないこの状況では彼女の思惑通りに動いておいた方がいいだろう。


僕は咀嚼したリンゴを喉に押しこんで、次に固唾を飲んだ。

額には汗がじんわりにじんでいる。病室は張り詰めた嫌な空気に包まれていた。


そんな状況にあっても彼女はニコニコと笑みを満面に浮かべているが、その笑顔の裏には何を企んでいるのか、僕は気が気でならない。


彼女の様子を盗み見ていたら、不味いことに彼女と視線が重なった。ドキンと僕の心臓が高鳴って緊張が頂点に達する。


すると彼女は急に身体を乗り出して、ベッドに横たわる僕に、その顔を近づけたのだった。


できる事なら自伝のなかだけでも幸せでしたと語って終わりたいが、これまで幸せを感じた事がない僕には「めでたし、めでたし」で締めくくる物語は書けそうにない。


つまり僕にはハッピーエンドはあり得ない。


「──どう?」

「……あまずっぱい」


だからこれも何かの間違いだ。


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